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地域医療は今:離島から/7止 「生」を支える /島根

 ◇築きあげた協働ネットワーク

 「こんにちはー。具合はどうですかあ?」。西ノ島町の海岸沿いに立つ鬼頭保さん(66)宅に、家中ふみ代看護師の元気な声が響いた。家中さんは慣れた様子で家にあがり、保さんの妻恭子さん(55)の枕元へ向かう。恭子さんの血圧を測り、口と舌のリハビリを終えると、保さんとの世間話が始まった。「今度家内と旅行に行こうと思っててね……」。にぎやかな会話を、床から恭子さんがにこにこと笑顔で見守った。

 進行性の難病「脊髄(せきずい)小脳変性症」の恭子さんは寝たきりで、保さんが介護している。定年退職後、2人は兵庫県から島にIターン。04年に恭子さんが大阪の大学病院で告知を受けたが、それでも医療設備の整う都会でなく島の暮らしを選んだ。「好きな海のそばで過ごしたい」。2人の思いが一致したのと、隠岐島前病院の支援があったからだ。

 保さん宅には看護師や医師、作業療法士が週5日訪れる。ほぼ毎日なのは進行性という病気の性質はもちろん、医療者のかかわりで家族の不安を少しでも和らげたいとの病院側の配慮がある。顔の見える地域ならではだ。

 保さんはこう話す。「都会の病院は機能はそろっているけど、治療は流れ作業。ここでは看護師さんたちが毎日来て、家族のように接してくれる。それが私にはうれしいんです。ひょっとすると、医療ではこういうのが一番大切なのかもしれないよね」

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 西ノ島町唯一の病院・島前病院では訪問診療のほか、91年からは難病や通院が困難なお年寄りらの訪問看護、訪問リハビリを行う。対象者は月約25人。医療者は毎日地域に出ていく。

 島では医療、福祉、保健が協働して退院から在宅ケアに至るまでの一貫したサポート体制もある。要は、病院で月2回開かれる「在宅サービス調整会議」だ。行政や医師、看護師、福祉関係者ら約15人が集合。サービス利用者の家庭状況や病状について情報を共有化する。

 協働は、白石吉彦院長の苦い教訓から生まれた。98年、肺炎の治療後に退院した男性患者が、数カ月後に施設で寝たきりになっているのを見た。在宅ケアになったものの、高齢の家族が介護しきれなかったのが原因だった。「医者だけでやれることは限られている」。福祉や保健関係者に打診して連携を始めた。10年かけて築きあげた関係は良好だ。事務局の町健康福祉課、富谷恵子主幹は「そりゃあ意見の食い違いなど、最初はいろいろありました。でも今は対等な関係ができ、互いに頼りあいながらやっています」と話す。

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 島で生まれ、島で生きる--。あたりまえの島の生活を支えているのは、医療を軸にした島のネットワークだ。「あんたが来てくれたら助かるわ」。住民の声には、病院への信頼が見える。

 医療者不足、人口減少、高齢化……。離島や地域医療を取り巻くキーワードだ。疲弊の実態も事実だが、それでも医療者は志を持ち、限られた中で医療を支えるべく次々と取り組みを仕掛け、次世代を呼び込んでいる。

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 訪問看護から戻る車の中、家中さんは不意にこう話した。「陸続きでない分、緊急対応は第一だし、幅広い知識も必要。でも、だからこそ離島は勉強にもなるし鍛えられる。うちの病院ではスタッフ全員、何でもできますよ。専門もいいけど、私は住民に近い立場で赤ちゃんからお年寄りまですべてに関わりたい。だからこそ私、こーんなにやりがいのある所は、他にないと思うんですよ」

 患者に向き合い患者と共に歩む。医療の原点はここにあるのかもしれない。=おわり(この連載は細川貴代が担当しました)

毎日新聞 2007年10月9日

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