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【コラム】「終戦宣言の“3者”とは一体誰なのか」(上)

 1953年6月20日、韓国戦争(朝鮮戦争)に参戦した中国人民志願軍(韓国戦争に参戦した人民解放軍部隊)司令官の彭徳懐は、北京にいる毛沢東に電報を打った。中国人民解放軍総後勤部長で、やはり韓国戦争に参戦した洪学智が残した『抗米援朝戦争の記憶』に出てくるエピソードだ。電報の内容は以下の通り。

 「南北朝鮮とも雨が降っています。休戦協定の署名は月末が有利のようです。今、敵は内部矛盾に陥っています。内部矛盾をより深めるため、李承晩(イ・スンマン)の偽軍(韓国軍)1万5000人をさらに壊滅させようと思います」

 毛沢東はこの作戦を承認し、中国人民志願軍は韓国軍に集中攻撃を加えた。その結果、「李承晩は“米軍は韓国軍兵士の死を見ても助けてくれない”と恨み、米軍は李承晩の無能を恨んだ」と『抗米援朝戦争の記憶』には書いてある。彭徳懐が計画し、毛沢東が承認した(韓米の溝を深める)作戦は大成功を収めた。結局、李承晩大統領は「休戦協定に反対する」との声明を出し、53年7月27日の休戦協定署名で当事者から外れた。このとき署名したのは連合軍司令官のクラーク、朝鮮人民軍司令官の金日成(キム・イルソン)、中国人民志願軍総司令官の彭徳懐だった。

 中国で韓国戦争を指す「抗米援朝戦争」という言葉自体に、戦争の当事者3者が表現されている。「中国が(北)朝鮮を助け、米国と戦った」という意味だ。その中国としては、4日に発表された盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日(キム・ジョンイル)朝鮮労働党総書記による南北共同宣言第4項「休戦体制を終わらせ、平和体制を構築するのに直接かかわる3者または4者の首脳が終戦を宣言するよう推進する」という文言が気になるのは当然だ。南北首脳会談に同席した韓国側の複数の人物は、「“中国は今、朝鮮半島に軍隊を駐屯させてもいないのに、どうして参加させるのか”と金総書記が述べたため、“3者または4者”という表現で南北共同宣言に書かれることになった」と説明しているという。

北京=朴勝俊(パク・スンジュン)支局長

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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