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青森県のシンボリズム
青森県は本州最北の県である。 北に向けて大きく突き出している二つの半島は左側が津軽半島、右側が下北 半島。津軽半島は青函トンネルで北海道とつながる。竜飛岬のある所である。 半島の西側には十三港(とさみなと)で有名な十三湖(じゅうさんこ)がある。 これは別に湖が13個集まっているわけではない。「とさのうみ」だったはず だが、津軽藩主の土佐守信枚をはばかって「じゅうさん」と読むようになっ たもの。この近辺には、源義経伝説が漂っているし、更に古代のアラハバキ 王朝の伝説も一部にはささやかれている。 (なお津軽地方西部岩崎村にある十二湖の方は多数の湖が集まったものであ る。ただしちゃんと数えると湖の数は33個もあるとのこと) 十三湖に流れ込む最大の川は岩木川である。その川の源流は津軽地方の中央 にそびえる岩木山の近くである。岩木山は山頂が三つに分かれた独特の形が 特徴的。一般に岩木山三所権現と呼ばれ、観音・阿弥陀・薬師になぞられる。 俗説では、岩木山の神は、山椒大夫の話で有名な安寿姫であるとする。また 山椒大夫が丹後の人なので、丹後の人が岩木山に近づくと天気が悪くなると いう俗説もある。 岩木山から東の方に目を移すと、青森県の中央に八甲田の峰が構えており、 その南には秋田県との県境になる十和田湖がある。十和田湖は典型的な二重 式カルデラの美しい湖で、三つの指を持つ手のような形をしている。その指 を外湖・中湖・内湖というが、これを形成している半島側は御倉半島・中山 半島と呼ばれる。中山半島には占場、俗称「鉄の鎖」と呼ばれる、この湖の 水源がある。この湖はこれだけ巨大であるのに、ここに流入する川は無いの である。「鉄の鎖」とはここに行くのに以前は鉄の鎖が下ろしてあり、これ につかまって崖を降りていたため。今は階段があるが、鎖と大して違わない かも知れない。スカートの人には勧められない。 逆にこの十和田湖から流れ出す川が奥入瀬(おいらせ)である。夏などは遊歩 道を歩くのも良いであろう。この川に沿って非常に多数の滝があり、目を楽 しませてくれる。私は春・夏・秋といったが、やはり秋が一番良かったよう な気がする。どの季節に行くかによって、ここは景観が一新する。 その奥入瀬の滝の中で、唯一本流上にあるのが銚子大滝である。以前十和田 湖には魚が住んでいなかったが、それはこの滝を上ることができなかったか らである。明治時代に和井内貞行が十和田湖にヒメマスを放流した時、この 滝のことに気づき、迂回路を作って上ってこれるようにした話は有名。 奥入瀬川は十和田湖の子の口(湖の子の方位の流出口、というので付いた名前) から流れだし、焼山、十和田市を経て、八戸市の北で太平洋に注ぐ。 その流域の近く、新郷村にはキリスト伝説がある。新郷村は以前戸来村(へら いむら)といい、「へらい」は「ヘブライ」ではないかとした。またこの地区 のお祭りで使われる意味不明のはやし言葉「ナニャドヤラー」がヘブライ語 で「貴方の聖名を称えん」という意味ではないかという説があり、この地区 にはダビデ・スターを家紋にする家があり、子供が生まれて初めて外に出る 時に十字を墨で描くという風習があった。さらには「キリストの墓」と呼ば れる古い塚もある。 もっとも、このメルマガを読んでいる方ならこんなアホなことを言い出した のが誰かは、ご存じであろう。 八戸市(はちのへし)は青森県の三大都市のひとつである。青森県はもともと 津軽藩と南部藩北部とが合体してできた県で、津軽の中心が弘前市、南部の 中心が八戸市、そしてその両者の妥協策として明治に県庁が置かれたのが 両者の境界線上の町青森市である。八戸は漁港として有名。日本最大の漁場 である三陸沖のもっとも北に属する漁港。ウミネコの集まる「蕪島」でも 有名。 なお、青森には「戸」がつく地名が多数ある。一戸町(いちのへ)と二戸市 (にのへ)、九戸村(くのへ)は岩手県だが、三戸町(さんのへ)、五戸町(ごの へ)、六戸町(ろくのへ)、七戸町(しちのへ)、八戸市(はちのへ)が青森県に 属している。ここで四戸(しのへ)だけが無いのだが、三戸町と五戸町の間の 現在の浅水付近にあったといわれる。一方四戸城址(金田一城とも)というの が二戸市の北にある。また柳田国男の「遠野物語」で有名な遠野村が、昔は 十戸(とおのへ)と言っていたらしい。 この一連の名前は昔の軍馬の育成の牧場の番号に由来するものらしい。昔の 荘園の番号という俗説があるが、実際には時代がもっと後のようである。 八戸市から北へたどると、自衛隊基地のある三沢を通って、下北半島の付け 根、野辺地(のへじ)に到着する。ここからハマナス・ラインに沿って北上し たところがむつ市。有名な恐山はこのむつ市の飛び地にある。 下北半島はマサカリの形をしている。北東の岬が尻屋(しりや)。海の難所で ある。北西の岬が大間(おおま)。北海道へのフェリーが出ている。南西の岬 の近くに九艘泊(くそうどまり)。北限のサルの生息地である。九艘泊のある 脇ノ沢村から北上すると、奇岩の立ち並ぶ仏ヶ浦がある。私は下北半島に 5年も住んでいて、実はこの仏ヶ浦を見たことが無い。私がいた頃はここは 海からしか見れなかったのだが、今は船が着岸するようになっている。 仏ヶ浦から道路を突っ切ると、私がいた頃は陸の孤島といわれてた湯ノ川温 泉を経てやがて薬研温泉(やげんおんせん)・奥薬研温泉にたどりつく。恐山 の奥舞台ともいべき場所である。「薬研」は昔の製薬用具の名前。この辺り の地形が薬研の形をしているということから付けられた。 その恐山であるが、実は「恐山」という山は無い。安い地図で「恐山828m」 と書かれているのは、外輪山の最高峰・大尽山の標高である。かつて火口が あった場所は、恐山湖(宇曽利湖)という神秘的で美しい湖になっている。 ここは極めて強力なパワースポットであり、ここが比叡山・高野山と並ぶ 日本三大霊場のひとつと言われるのは、まんざらダテではない。 恐山湖の北岸には温泉が噴き出し「地獄」になっている。昔はもっと吹き出 していたのだが、明治時代に悪徳業者がここで大量に硫黄の採掘をしたため 現在少し出が悪くなっている。しかし数百年もすればまた回復するであろう。 慈覚大師が開いた地蔵堂の裏には小さな山が三つ並んでおり、聖地の雰囲気 をいやでも盛り上げてくれる。 下北半島の東側は東通村(ひがしどおりむら)である。この中の自衛隊の演習 地の中に、左京沼がある。自衛隊の管轄下であるため幸運にも保護されてき たこの沼には、美しいマリモが生息している。