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■124 2007.10.01
JSB1000 Rd.06 OKAYAMA, 2007.09.29 Qualify 7th / 1'30.505
レースウィークは厳しくなりそうだ…!
 全日本ロード第6戦が、岡山国際サーキットで行われた。9月上旬のテストで初めて走行したが、沼田憲保さんのクラッシュなどもあって予定通りに進まず、本番のレースウィークは厳しくなるだろうと予想していた。
 思っていたよりも暑かった金曜日は、午前1回、午後1回の練習走行。サスペンションのセッティングは微調整程度に留め、主にタイヤ選びを行った。結果的にはあまりしっくりくるタイヤを見つけられなかったが、午前、午後と走るたびに自己ベストタイムを更新する状態だ。まだまだ走り足りない…。
 土曜日は、午前中にA組/B組に分けての「予選第1パート」が行われた。ここでの各組トップ8名・合計16名のライダーが、午後の「トップクオリファイ」に参加できる。
 予選第1パートは5位。順調にトップクオリファイに進めることになり、とりあえずは一安心。そして午後になり、いよいよ決勝スターティンググリッドが確定するトップクオリファイだ。
 最初は決勝用タイヤで走行し、最後に予選用タイヤに履き替えてタイムアタック! しかし他車に引っかかって思うようなタイムが出せず、7番手に終わってしまった。自己ベストタイムは更新できたが、もっと行けたと思うと悔しさが残った。
JSB1000 Rd.06 OKAYAMA, 2007.09.30 Before Race
イチかバチかの勝負
 土曜日には、それまでとは打って変わって涼しくなったので、決勝が行われる日曜日の天候が心配だったが、朝起きてみたらやっぱり雨…。厚い雲が垂れこめていて、「今日は1日雨かな」という空模様だった。
 午前9時から15分間のウォームアップ走行は完全にフルウエットコンディション。雨は得意なので危なげなく走って2番手だった。まだまだ攻める余地があったし、マシンセッティングを詰めれば優勝も狙えそうだ。かなり気合いが入った。
 ウォームアップ走行が終わる頃には雨は上がったが、まだ雲は厚く空も暗い。天候はどうなるか予想がつかない状況だった。
 GP-MONO、GP125、ST600とレースが進み、JSB1000クラス直前のST600の頃になると、路面はほとんど乾いてきていた。空も明るい。昼休みを挟んで少し時間が空くので、JSBのスタートの頃には完全に乾きそうだ。
 こうなると、困るのはタイヤ選びだ。ドライコンディションで自分の走りにマッチするタイヤが見つけられていない。グリップのいいタイヤはライフが保ちそうにないし、ライフが保ちそうなタイヤはグリップに不安がある。
 するとダンロップのスタッフが「事前テストでは誰も履いていないんですが…」と勧めてくれるタイヤがあった。もちろん僕も履いたことがないので、イチかバチかの賭けになる。
 でも、実は第3戦筑波の時も同じような状況になり、ダンロップのスタッフが勧めてくれたタイヤを選んで、結果的には表彰台に立つことができた。そこで今回も勝負することにした。
JSB1000 Rd.06 OKAYAMA, 2007.09.30 Race 6th / 38'27.808
事前準備と運が足りなかった
 コースインして1周回ってみると、所どころ濡れているが少し気を付ければ大丈夫、というコースコンディション。「スタートを決めて上位を奪ってやる!」と、シグナルを待った。
 ところが珍しくクラッチミートを失敗! ここ最近ではないぐらいのミスだ。「あちゃ〜! これは大きく出遅れたぞ」。ところがコース上の濡れている箇所に躊躇しているライダーが多かったようで、コントロールラインに帰ってきた時には3番手になっていた。
「よし、これでミスは挽回した。ここからトップを狙うぞ!」。トップのペースにも問題なくついていけるし、今回はかなりイケそうだ。…と思っていた矢先、10周目ぐらいからリヤのスライドが激しくなり、着いていくのがいっぱいいっぱいに。周回を重ねるたびにグリップダウンし、それに伴ってポジションも4番手、5番手と落としてしまった。中盤以降は、柳川さんの転倒もあって、4番手に。酒井くん、僕、安田くん、山口くんの4台でのバトルとなった。
 前を走る酒井くんをどこで抜こうか探っているうちに、周回遅れのマシンが出てきた。相変わらずうまくさばくことができない…。周回遅れを抜く時に必ず酒井くんに離され、挽回して、また離され…の繰り返しだ。
 そのうちに酒井くんがスッとパスしたマシンに完全に引っかかり、一気に引き離されてしまった。しまいには前を押さえられる形になって最終コーナーでスピードが乗せられず、後ろにいた安田くんにまであっさりかわされる。
 残り2周、「絶対に抜き返す!」と思っていたところで、今度はガス欠症状発生! 残り5、6周で燃料警告灯が光ってはいたが…。ファイナルラップでガス欠なんてシャレにならない。安田くんを抜き返すことより、回転数を何とか落としてゴールまでたどり着くことを考えた。
 何とかガソリンは保ってくれたが、もし最終コーナーでいきなりガス欠して後ろから追突されたら危険なので、インのピットロード側に沿って走行。山口くんに0.1秒差まで迫られ、危うく抜かれてしまうところだった。
 何だか散々なレースになってしまった。序盤はいいペースで走れていたし、レース中のベストラップも4番手だったにも関わらず、ギリギリの6位とは…。一番の敗因は、テスト不足で自分にマッチするタイヤが選びきれなかったことだろう。ガス欠は予想外だったが、これは仕方がないこと。チームには今後2度と起こらないように気を付けてもらうことにしたが、いろいろな意味で運がないレースだった。今年一番の悔しさだ!
 でも、ポイントランキングは3番手。最終戦の鈴鹿は2ヒートのレースが行われるから、まだチャンスは十分に残っている。調子自体は悪くないし、レース前にテストもある。気温によってタイヤ選びは大きく変わってくるから、テストでの最新データに基づき、今の気候と僕の走りにあったタイヤを見つけたい。狙いはもちろんWウインでのチャンピオン獲得だ!
つらく悲しい知らせ
 レース後、チームオーナーの伊藤巧さんから、26日に奥野正雄くんが亡くなっていたことを伝えられた。すごくショックだった。奥野くんとは今年初めて知り合ったが、同じ伊藤レーシングのチームメイトだ。身近なライダーが亡くなるなんて、本当につらい。
 SUGOでのレース後は、沼田さんのこともあってバタバタしていて、奥野くんが入院していた仙台の病院にお見舞いに行けずにいた。岡山のレース後に行こうと思っていたのだが、こんなことなら何としてでも行くべきだったと後悔している。
 岡山の予選では、手島くんが沼田さんと同じように、バックストレートから真っ直ぐにコースアウトしてしまうクラッシュがあった。さすがにヒヤッとして現場に駆けつけたが、幸い沼田さんの事故後に対策が施されていたので、手島くんは大きなケガをせずに済んだ。
 危険なスポーツだということは十分に認識している。その上で、安全性を高めることもできるはずだ。今回、手島くんが取り返しのつかないことにならずに済んだのも、安全性が向上したことの証。できることを1つ1つ積み重ねていって、なるべく安全にレースができる環境を作れれば、と思っている。(2007.10.01)
NORICK IN OKAYAMA
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■123 2007.09.20
環境問題に目を向けよう
 9月16日、マリンパーク御前崎で行われたライダーによるボランティアイベント、「ラブ・ジ・アース」に参加した。メインとなるのは海岸のゴミ拾いだ。
 御前崎の上空はぽっかりと青空が広がり真夏日となったが、全国的には雨。基本的にはバイクで参加するイベントのため、残念ながら例年に比べて参加者は少なかったが、素晴らしい内容だったと思う。僕もゴミ拾いの他、トークショーやじゃんけん大会などをやらせてもらい、楽しい1日となった。
 バイクに乗るライダーも、クルマに乗るドライバーも、地球温暖化の原因のひとつとなる乗り物に乗っている限りは、環境問題に無関心ではいけないと思う。こうした活動で少しでも環境問題に目を向けて行くことが大切だろう。
ほとんど走れなかった鈴鹿テスト初日
 その後、鈴鹿サーキットでダンロップのテストが行われた。日程は19〜20日の2日間。8耐以来の鈴鹿走行だが、SUGOテスト、SUGOレース、そして岡山テストと走行の機会が多く、また、その間にいろんな出来事があったせいか、ずいぶん久しぶりに感じる。
 サーキット入りする18日には、「今シーズン、残りのレースで問題が起きないように」というチームオーナー・伊藤巧さんの計らいで、スタッフと共に鈴鹿にある椿大神社に立ち寄った。チームみんなでご祈祷してもらい、安全を祈願した。
 天気予報ではしばらく晴れが続きそうだったので、「レインタイヤはいらないかもしれませんね」なんて話をしていたのだが、19日の朝、ホテルから外を見ると路面が濡れている。夜のうちに雨が降ったようだ。しかもどんよりとした曇りで、予報は大外れ! 太陽は出ていないし、それどころか時おり霧雨も降っている。これでは路面は乾きそうにない……。
 走行前には、ダンロップのスタッフが気を遣ってくれて、コースチェックのためにクルマで周回した。さすがに鈴鹿サーキットは長く2輪のGPや4輪のF1を開催していただけのことはあり、すぐに直せる範囲での安全面の問題はなかった。だが西コースの路面はかなり濡れている。この中途半端なコースコンディションでは走れないだろう。
 午前中の走行セッションは9時半に開始するはずだったが、その時間には雨が降ったりやんだりという状況。もちろん路面が乾かず、走り出すこともできないまま、あっという間に予定されていた1時間半が過ぎてしまった。
 スタッフとは「困りましたねぇ」なんて話をしていたが、午後は何とかして走りたいところだ。走行開始時間が近付き、改めてコースを見て回ると、多少雨が落ちてはいたが路面は乾いている。空も明るい。午後の走行開始予定から30分が過ぎたところで、「これならいけそうだ」と判断して、走行をスタートした。
 ところがエンジンの調子が悪く、まともに走れない。もう1台のマシンに乗り換えたが、そちらもストレートで振られてしまうというおかしな挙動が出る。フロントタイヤを換えても、リヤタイヤを換えても、リヤサスを換えても問題は解消しない。5速から6速へと速度が上がれば上がるほどマシンが暴れるので、危険だ。
 かといって最初のマシンはエンジンがトラブルを起こしているので、乗り換えることもできない。結局走行はキャンセルして、走れずじまいのテスト初日となった。
方向性は決まった
 2日目の走行枠は10〜12時までの2時間だけ。でも天候に恵まれたので、みっちりと走り込むことができた。
 メインとなるテスト項目は、10月に鈴鹿で行われる全日本最終戦に向けてのタイヤチョイスだ。硬さやサイズ違いといったざっくりとした方向性を決めるためのもので、いろいろトライしてみる。走行を重ね、最終戦でどんなタイヤを使うか、大まかには決めることができた。
 初日走れなかった分、もうちょっと走りたかったというのが正直なところだ。しかし終わったことを悔やんでいても仕方がない。次のレースは、今月末に岡山国際サーキットで行われる。すでにテスト済みのコースなので、データを参考にしながら、気分を一新して全力を尽くしたい。
 今週末はツインリンクもてぎで行われるMotoGP・日本グランプリに行く。できることなら出場ライダーとして行きたいところだが、残念ながら今年はイベントなどへの参加が目的だ。日本テレビの解説の他、ヤマハのイベントブースや、MotoGP決勝レース終了後のダートトラックレースなどにも顔を出す予定。ファンの皆さんと触れあう機会を、今から楽しみにしている。(2007.09.20)
NORICK'S PHOTOGRAPH
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■122 2007.09.06
信じられない出来事
 今月末、岡山国際サーキットで行われる全日本ロード第6戦に向け、9月4〜6日にテストがあった。
 僕は3日に岡山入り。このサーキットを走るのは14年ぶりだ。'93年、いきなり全日本500ccにデビューすることになり、シーズン開幕前に走れるサーキットを探したら、岡山(当時はTIサーキット英田という名称だった)しかなかった。その時は走行初日に転倒し、なんとマシンは全損。結局ほとんど走ることはできなかった。
 だから事実上、今回初めて走るようなものだ。サーキットに着くと、関係者の方が気を遣ってくれて、車で4周だけ走らせてくれた。やっぱり記憶はほとんどなかったが、レイアウトは結構覚えやすそうだ。「これなら明日からのテストはすんなり走れるかもしれないぞ」という手応えがあった。
 4日の走行初日は、午前中に2時間の枠が用意されていた。午前9時に走行が始まると、前日に感じた通り覚えやすい。まずはコースに慣れるためセッティングを変えずに走ったが、それでも予想以上のペースでとんとん拍子にタイムが上がっていった。
「これは順調に行きそうだぞ」と思っていた矢先、午前の走行が残り20分となったところで、赤旗が出た。「どうしたのかな?」と思いながらゆっくりと走行し、バックストレート後の右ヘアピンに差しかかると、真っ直ぐコースアウトして転倒しているマシンが見えた。
「誰だろう?」と見ると、沼田憲保さんだと分かった。オフィシャルが沼田さんに声をかけていたが、沼田さんは反応していない様子だった。「これはまずい!」とRC甲子園のピットに行き、チームスタッフに「すぐに沼田さんを迎えに行って!」と声をかけた。残り10分で赤旗は解除されており、何人かのライダーたちは走り出していた。僕は沼田さんが心配で走行をやめ、すぐに着替えて医務室に駆けつけた。
 そこで伝えられたのは、心肺停止状態でどうにもできない、という信じられない言葉だった。ドクターヘリが飛んで来て、救急隊員たちが医務室に出入りしながら時間をかけて治療にあたったようだったが、残念ながらほぼ即死状態で手が付けられず、病院には搬送できないということでそのまま引き返して行った。
 愕然とした。ヤマハの関係者を始め、多くの人たちが医務室の外で祈っていたが、その祈りは届かなかった。午後の走行は当然キャンセルして、どうしてこんな事故が起こったのか話し合った。
集中できない
 翌5日からは4メーカー合同テストだった。各メーカーのトラックも続々と到着してきた。全日本ロードの選手会会長、辻本聡さんも来たので、一緒に安全確認のためにコースを回った。
 沼田さんが真っ直ぐ突っ込んでしまった場所は、運悪くクラッシュパッドがなく、タイヤバリアに激突してしまっていた。そんなことが2度と起こらないようにコースの至る所をチェックすると、クラッシュパッドがあるべき場所にない箇所があった。翌日までに何とかクラッシュパッドを設置してもらいたい、と要望すると、サーキット側も了承してくれた。
 チームメイトの奥野くんが、SUGOで大きな事故に遭い、今も意識不明の状態だ。そんな矢先に、今度は沼田さんが亡くなるなんて……。ショックは本当に大きかった。テスト日程としては2日間残っていたが、そんな状態では集中できそうにない。ヤマハのライダーたちに集まってもらい、「走りに集中できる?」と聞くと、やはり難しいと言う。ヤマハのスタッフと僕でサーキット側の方に会い、ヤマハライダー全員の意見として、「別の日にテストをさせてもらえないか」と交渉した。
 しかしすでに他の予定も詰まっているし、全日本開催まで間がないこともあって、貸し切り可能な日程はないとのことだった。満足なテストができないことも、新たな危険を呼ぶ可能性がある。気は重かったが、みんなで気持ちを切り換えて、2日目、3日目のテストに臨むこにした。
 2日目のテストは本当に集中できなかった。午前、午後で合わせて4時間走ったのに、初日の午前中、2時間しか走れなかった時のタイムを、0.2秒しか上回ることができなかった。普通、こんなことはあり得ない。
 しっかり集中していないと危ない。3日目は何とか気をしっかり張って、2日目より0.7秒タイムを更新できた。初日、1分32秒5。2日目、1分32秒3、そして3日目は1分31秒6。徐々にタイムアップしてきたが、まだまだいいタイムとは言えない。だがそれよりも、無事に終わることができてホッとしたと言うのが正直な気持ちだった。
 立て続けに大きな事故が起きてしまった。特に沼田さんの件に関しては、「最初からきちんとコースの安全性をチェックしておくべきだった」と自分に対する反省もある。精神的には本当にきついテストだった。
危険は未然に防ぎたい
 僕はもう1日岡山に滞在し、明日7日は岡山国際サーキットで行われるYRA(YAMAHA RIDING ACADEMY)に講師として参加する。終了次第、夜のフライトで東京に戻り、8日は沼田さんの告別式に出席するつもりだ。
 テスト初日の朝、僕は沼田さんと話をしている。ついさっきまで語り合っていた人が突然他界してしまうなんて、本当に信じられないし、つらすぎる。
 日頃から危険は十分に承知しているし、走行にあたってはとにかく集中して、危険を避けるようにも心がけている。でも、奥野くんも沼田さんも日本のトップライダーだ。例え技術のある彼らのような選手でさえ、避けられないアクシデントもある。彼らほどのライダーがこんな目に遭うようなことなら、自分に降りかかっても絶対に避けられないだろう。
 危険は未然に防ぐしかない。そのことを強く感じた。(2007.09.06)
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■121 2007.08.28
JSB1000 Rd.05 Sportsland SUGO, 2007.08.25 Qualify 10th / 1'29.492
厳しい展開となった予選
 スポーツランドSUGOでのレースは、'97年以来10年ぶりだ。2週間前のテストで2日間走行し、最後には違和感なく普通に走れる状態にまで仕上がったので、それほど大きな心配はなくレースウィークに臨むことができた。
 少し気がかりだったのは気温の高さだ。あまり気温が高いと、タイヤが十分なパフォーマンスを発揮してくれない。ただ、8月の終わりは徐々に気温が下がっていく季節。涼しくなることに期待しながらサーキット入りした。
 金曜日午前中のフリー走行は、テストの時より若干低い気温の中で行われた。それでもタイヤがベストなグリップを発揮するには少し気温が高い。そんな中でも走り出してすぐにテスト時の自己ベストタイムを更新できたので、滑り出しとしてはまずまずだ。午後の走行でもさらにタイムアップし、1分29秒台に入れたが、他チームはさらにタイムを上げてきた。この週末も厳しい展開になりそうだ。
 土曜日の走行は、昼過ぎに1時間設けられた予選セッションだけ。レースウィーク中に1日1回だけしか走行しないなんて、めったにないことなので不思議な感じだ。おかげで朝は少しゆっくりできたが……。
 予選序盤は決勝を想定したタイヤで走行し、だいたい5、6番手のポジションにつけていた。セッティングを進めて、最後になって予選用タイヤでタイムアタック。スポーツランドSUGOは1周約3.7kmとそれほど長くないので、他車に引っかかりやすい。タイムアタック中も2台のマシンに引っかかり、タイムロスしてしまった。
 結局決勝用タイヤでのタイムを更新できず、逆に他のライダーたちがうまくタイムアタックしたので、順位は10番手にまで落ちてしまった。非常に残念な結果に終わった予選だが、「スタートで前に出られれば絶対にいいレースができる!」と気持ちを切り換えた。
ライダーの目で安全を確かめたい
 レースウィークはずっと天候に恵まれ快晴続きだったが、決勝の行われる日曜日だけ唯一うっすらと太陽に雲がかかっていた。このまま太陽が隠れて気温が低ければいいのだが……。
 ウォームアップ走行では、昨日から試していた決勝用タイヤを再確認。安定したタイムで走り切ることができ、ポジションも8番手だった。うまくいけばレースでさらにポジションアップできそうだが、やはり気温によるタイヤグリップという点でハンディがあることは否めない。
 僕が出場しているJSB1000クラスの前には3クラスのレースが行われる。直前のST600クラス決勝で多重クラッシュが発生し、レースは赤旗中断となった。
 コース上に出たオイル処理に時間がかかったが、処理後の現場を見せてもらったらまだ全然処理し切れていないことが分かった。そのまま走ったら危険な状態だ。すでにST600のライダーたちは再スタートに向けてグリッドについていたが、サーキット側に働きかけて、何とか再度オイル処理をやり直してもらうことになった。
 自分で言い出した手前もあるし、今までに何回もオイル処理の様子を見ているからやり方を指示することもできる。僕自身も石灰やおがくずを撒き、ブラシで掃いて、納得いくまでコースを整備した。
 そのためさらに時間はかかってしまったが、ST600の決勝再スタートでは誰も現場の1コーナーで転倒せずに済んだ。安全を第一に考えた自分の行動が、結果的に正解だったのだと思えた。
JSB1000 Rd.05 Sportsland SUGO, 2007.08.25 Race1 7th / 15'07.787
2度掲示された赤旗
 大幅に進行が遅れた中、JSB1000の決勝が始まった。4列目だった僕はスタートにかなり集中した。1周目の混乱をかいくぐりポジションを上げようと、柳川さんをパスしたところで、後方で多重クラッシュが発生した。赤旗だ。
 レースはしばらく中断し、処理が終わったところで再スタートとなった。ところがスタート直前のサイティングラップを終え、グリッドについた時に「コース上にオイルが出ている」というアピールがあり、整備が行われることになった。ピットに戻りながら、「今日はいったいどうしたんだろう」と思った。
 オイル処理が終わり、レースが再スタートした。1周目、2周目と無事にクリアし、「今度ばかりは落ち着いてレースができそうだ」と走りに集中する。
 ところが僕の前にいる安田選手のペースが上がらない。安田選手のマシンは直線がかなり速いので抜くこともできず、自分のペースで走れない。そのうち後方から追い上げてきた渡辺選手に抜かれてしまった。渡辺選手はそのままの勢いで安田選手も抜いて前に出る。渡辺選手についていくことで、安田選手のペースが上がった。
 これでようやく僕もペースを上げられた。予選のタイムに近い1分29秒台で走行していると、前方の秋吉選手に追いついてきた。「この調子なら、あと3周ぐらいで真後ろにつけそうだぞ」と思っていた矢先に、また赤旗だ! 転倒車両がコース上に横たわってしまったらしい。なんてレースなんだ!
JSB1000 Rd.05 Sportsland SUGO, 2007.08.25 Race2 6th / 15'09.863
無事に終えてホッと一息
 転倒車両の処理に時間がかかり、残り10周の第2レースがスタートする時には、すっかり薄暗くなっていた。ライダーとしては過酷な状況で、何人かは出走をキャンセルするというサバイバル的な展開となった。しかしオイル処理の転倒車両の処理も、安全を一番に考えれば、当然しっかりとやるべきことだ。出るべくして出た赤旗だったと思う。
 3度目のスタートも順調だった。トップに着いていくことはできず、でも後続を引き離すという単独走行になり、6位でチェッカーを受けた。満足できない結果だが、現状のパッケージの中ではこのあたりが限界だったかな、と納得せざるを得なかった。何よりも波乱に満ちたレースを無事に終えることができてホッとした。
奇跡を祈る
 ST600クラス決勝での多重クラッシュに遭ったライダーの中に、奥野正雄くんがいる。奥野くんは、僕が所属しているワイズギアレーシングの母体である、伊藤レーシングのライダーだ。
 発生の瞬間を見ていて、「これは大変な事態だ」と分かるほどのクラッシュだった。すぐに現場に駆けつけたが、倒れている奥野くんの様子を見てかなり深刻な状況だということが分かった。
 その後は自分が走行の準備に取りかからなければならなかったので、詳しい様子が分かったのはJSB1000のレース後だった。レース後、チームはいつもとは違ってひどく暗い様子だった。奥野くんは、サーキットの医務室からすぐにヘリコプターで別の病院に搬送された、ということだった。チーム監督の伊藤さんが、かなり危険な状態だと教えてくれた。
 レース後は、レースの疲れというよりはショックの疲れの方が大きかった。ミーティングを終えて午後9時頃までスタッフと一緒にいたが、何となくチームと離れたくなかった。
 厳しい状況の中、奥野くんは戦っている。奇跡が起こることを願っています。
 レースはいつも危険と隣り合わせのスポーツだ。だからこそ、できる限り安全性を高めていかなければならない。
 今回も、ST600クラスのオイル処理などによって、GP250クラスの決勝がキャンセルとなった。GP250クラスのライダーやファンの皆さん、関係者にとってはとても残念なことだが、それ以上に安全を重視し、トラブルを未然に防ぐことを優先していくべきだ。
 僕はライダーという立場から、今後も安全のために積極的に声を上げていこうと思う。(2007.08.27)
NORICK IN SUGO
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