婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                              
2007年10月07日
今日はセンチメンタルな岩登り
 久しぶりのぼちぼち晴れの日曜日。代務の先生はいないが何処かには出かけたい。ここのところ長い事まとまった運動もしていなかった。
 そこでここは強い味方の開業医先生にお留守番をお願いし、子供の都合も右に左に動かし、何とか日曜の時間をひねくり出す事にした。とはいえそう決めてはいても、朝に分娩もあるし、なかなかスムーズに事は進まない。

 何だかんだと紆余曲折を経て、深夜の電話から急転直下話がまとまり、今日は岐阜のMisao先生鈴鹿山脈にある御在所岳へ岩登りに出かける事となる。
 と言うわけで、今日朝に高山を出て、ははるばる高速を乗り継ぎ、ガソリンを大量に消費して三重県の御在所岳前尾根と登攀してきた。先ほど高山に戻ったが、さすがに三重は遠かったなあというイメージだ。

 さて仕事柄指先や握力を鍛えるのは好ましく無いと言う面もあり、僕は20年前に就職してからほとんど岩登りとご無沙汰している。まともに岩を登れるか今日は多少の不安があった。

 しかし御在所岳は僕の大学山岳部時代の岩登りホームゲレンデだ。勝手知ったる場所といっても過言でない。そこの入門ルート、前尾根ならいくら20年ぶりの岩登りといえ何とかなるだろう。 
 しかしその考えはちと甘かった。20年ぶりの岩登りの首尾は、はっきり言って厳しかった。

 学生時代は軽々と超えた岩場がなかなか登れない。前尾根の核心?とも言える2ピッチ目のチムニーを結局登れず巻く事となった。20年前と比べて、身体が随分と重くて硬くなったのだ。
 20年前の記憶をさかのぼり、そのあまりの身体能力の衰え?に愕然とした思いを抱く(考えてみたら当たり前かも・・・)。

 岩自体は昔と変わっておらず、久しぶりの前尾根は懐かしかった。
 思い出の足場とかクラックとかが、そこかしこに20年前のままで残っている。
 しかしどうやら一番変わったのは、自分自身だったみたいだ。久しぶりに岩を登りながら、懐かしさと情け無さで今日は何だかとってもセンチメンタルな一日となった。

思い出の足場が幾つもあった


何とか登れて良かった
2007年10月06日
母体搬送される気持ちとする気持ち
 昨夜は就寝前に分娩一件あり出動要するも、睡眠時間が削られる事は無かった。おかげで昨日は久しぶりにまとまった睡眠時間を確保できる。今日から一応連休だし、何だかそれだけで少し嬉しい。
 とはいえ、長男とそのサッカーチームメイトを国府のサッカー場まで送るようにという指令があらかじめ発せられており、朝の寝坊はもちろん許されなかった。

 子供達を送る車中で話を聞くと、今日は夏の中学生大会の1回目予選で、今日の対戦相手に勝つ事が夏の中体連県大会の出場を占うためにとても重要なのらしい。
 そうかそうなのかと納得し、まずは中学生のサッカー試合の一試合目を応援する。その間に次男のサッカー、三男の陸上の送迎、車の故障個所の修理、もろもろの雑用も済ます。

 忙しく車であちこちを往復している時に、古川の開業医さんから流産の母体搬送を受けてくれという依頼があった。聞けば緊急非常時性は無さそうだ。申し訳ないと思いつつも他院を当たってもらうようにお願いする。

 続いて長男の第2試合を応援している時に、今度は救急外来からコールが入った。急いで病院に戻って診察するとPretermPROM(詳細は省略)の状態であった。
 飛騨地方の周産期医療の状況から判断して、これはお隣の高山日赤病院に母体搬送を依頼するのが正解だ。
 というわけで今度は僕が搬送を依頼する側に回り、患者さんを受けていただき、救急車で搬送とした。

 さてスムーズな母体搬送は地域の周産期医療のレベル維持に不可欠なものとなっている。しかしどこもかしこも今の産科医療機関は人手不足で設備不足だ。そのためにスムーズな母体搬送が出来なくなる事が良くあるのは、最近のニュースでもさんざん報道されている。

 この事実は僕もよく認識しており、奈良の母体死亡がニュースになるずっと前から、母体搬送業務にはずっと心を砕きまた時に苦しんできた。
 さてさてこの母体搬送というのは、送る側は良いが送られる側が大変と言う、当たり前の片側通行の特徴が有る。
 今や産科業界はどんなに大きな病院でも人手不足は変わらない。周産期医療のレベルを維持するには、常に送られる側、2次3次救急側に大変な負担が罹っているという認識を持っておかないといけないのは確かだろう。
2007年10月05日
クリステレルとかクリステルとかの話
 昨日は割りと早く帰宅できた。久しぶりに子供達と一緒に夕食を食べ、ビールを飲んで早めに寝る。
 ここのところ分娩が多く、細切れ睡眠がもう何日も続いている。今日こそはまとめて寝たい。
 ところがその願いは泡のごとく消え去り、夜中の2時にまた分娩室から出動電話が入った。助産師さんによると分娩は第2期遷延という状態となり、既に分娩室ではクリステレルをかけているという。
 
 これで今夜もしっかり眠れなくなった。
 ともかくは急遽出動し、点滴による陣痛促進の指示を出し、速やかに分娩させ対応する。裂傷も大きく深夜の仕事としてかなりハードになった。

 とはいえ昨夜はちょうど睡眠が浅い時刻と分娩時刻が偶然上手く重なってくれた様だ。睡眠薬の力も借りて2度寝にも成功したから、結果的に熟睡感はそれほど損なわれず済む。早めにビール飲んで寝付いていたのも正解だった。

 さて昨日木曜日は前夜に分娩が無いにも関わらず、何時呼ばれるかという落ち着き無さで熟睡できず、寝不足感強い一日となった。
 一方今日金曜日は前夜に大変な深夜業務があったにも関わらず寝不足感は少ない。
 睡眠の深さには波がある。上手くこの波に乗れれば、睡眠時間は短くても熟睡感は得られる。この辺が睡眠の奥深く難しい所だ(産科医とか一部人権無視の深夜労働者くらいにしか関係ない話かもしれませんが)。
 
 さてさて話はがらっと変わり、分娩時に妊婦さんの腹部を押して胎児を圧出する手技を、産科の分野でクリステレル胎児圧出法と言う。きちんと保険収載もされているれっきとした産科手技の一つだ。

 これを単にクリステルと言う方もいるが、多分これはシルビアクリステル(エマニュエル婦人だー)とか滝川クリステル(こちらの方が今はナウい)とかと間違ってそう呼ばれてるんだろう(いつかこのネタを書きたかったのだが、ついに書いてしまった)。
 まあいずれにせよ、なんでこの手技をクリステレルと言うか、これは僕の産科7不思議の一つなので、誰かできれば教えてください。

 閑話休題なにはともあれ、一般世間の多くでこの手技の評判は悪い。
 ハイテク時代の今の世の中、ただ物理的に胎児を押し出すなんて如何にも野蛮な手技の様にうつるのだろう。
 それだけならまだしも、司法の場では、クリステレル圧出法により胎児が死んだとか子宮が破裂したとか、そういう文言が普通に良く出てくるものだから、これはちと困りものだ(クリステレルが困り物という事ではなく、司法の基本的な認識が困り物という意味です)と言える。

 さて産科医が胎児を人為的に娩出させる手技と言うのは、実はそれほど多くない。具体的には吸引、鋏子、帝王切開の3つがメインだ。しかしこれらの手技には特別な道具や手間、時間、費用、そして人手や技術が必要となる。
 一方クリステレル圧出法はその手の特別な用意はほとんどいらない。だからこそ今、人手不足著しく、困りきっている産科の分野で重要度が増しているとも思える。

 またこの手技は世界中で大昔から分娩時に行われていた手技だ。おそらく助産師という職業が成り立つ以前から、この手の事は行われていたに違いない。
 実際にこの手技が人間の世界になかったら、人類の人口は今とかなり異なるものとなっていただろう。下手すると遥か昔に絶滅していたかもしれない。

 さてさて実は、僕自身は身体がしんどいし、腰が痛くなるのが嫌なので、もう滅多にクリステレルするなんて事はない。
 助産師さんに指示するかその前に陣痛促進剤を使う事を選択する。
 しかしこの手技は、人がパンツをはき、歯を磨く事と同様レベルの、人類に不可欠の手技だ(一般人は知らないでしょうが)。
 というわけで、おそらくこれから先も永遠にクリステレルは無くならず、世界中で行われるのは間違いない事だろう。 
2007年10月04日
起こされなくても、気は使います
 昨夜残っていた妊婦さんは、夜中にかけて微弱陣痛から進行停止となった。
 僕は夜中に突然起こされる事を覚悟して、呼び出されるのが今か今かと待ち受けながら寝ていたが、結局問い合わせ電話のみで、深夜出動のため起こされる事は無かった。
 
 当初の思惑では0時から3時の間くらいの間で分娩となる見込みだった。
 そこで分娩を済ませてから気持ちよく眠りたいという意識が働いたのだろう。いつ呼び出されるかと布団の中で待っているうちに昨夜の眠りは非常に浅いものとなってしまった。なんだか夜中中いろいろな夢を見ながらうとうとしていただけの様に感じる。
 眠りだけ浅くて、結局呼ばれなかったのだから、何だか勿体無い事をした気もする。

 さて深夜に突然起こされる事は誰にだって嬉しくは無い事だろう。普通はこういう暮らしをそう何年も続けていられないものだと僕は思う。だが僕はもうこういう暮らしをかれこれ10年以上続けている。そういう過程で僕は深夜におこされても平気でいられるよう様々な工夫を多少だが身に着けてきた。

 睡眠薬を利用して就寝時間を上手く調整したり、身体を動かす事で生活時間の乱れを調整したり、温泉入浴や飲酒を利用したりそれはもういろいろな方法で毎日工夫している。
 夜中の業務の最中には、眠気を上手く維持する事で、すぐに2度寝に入れる様に身体を準備しておく事も重要な技術だ。

 特に最近では、深夜業務における内分泌系の乱れとか、心拍数の上下が身体に与える影響とか、そういう事を気にしだしてきた。 身体には日内変化がある。特に幾つかの生命維持に重要なコルチコステロイドは朝に多く出る事が知られている。インシュリンやメラトニンと言ったホルモンにも明らかな日内変動が有る。
 これらのホルモンが乱れると、イライラや不眠の原因となるらしい。当然健康に良いわけはないだろう。
 また血圧や心拍数にも日内変動が有る。夜間に上手く血圧や心拍数を下げて就寝し、昼間に上手く上げていくのは多分長生きする為にとても重要だ。

 大事なのは活動によりホルモンを放出したり血圧を上げたりすることよりも、就寝や休養により内分泌系や循環器系を規則正しく休ませる事の方だと思う。
 というわけで昨日はこの辺で失敗をしてしまった。おかげで今日もうすら眠い。

 こんな事なら呼ばれない方に賭けて、昨夜も睡眠薬を使い、ぐっすり寝てしまえば良かったと思う。
 しかしもしぐっすり就寝している真っ最中にいきなり起こされて、突然の重労働?となったら、今度は心臓に悪い影響を与えそうだ。分娩時刻の予想はなかなか難しい。生活リズムの維持も輪にかけてまた難しい。
 
 さてさて、進行停止となった分娩は朝から促進を開始して、今日の昼前に無事生まれた。
 とはいえ分娩は難産となり結局小児科の先生のお世話となってしまう。昼間の分娩は有難いが、ちょうど寝不足秒単位外来の真っ最中でそれなりに他の業務にも影響を与えた。
 今日は今のところ久しぶりに経過中の方がいない。今夜はきちんと休んで、ここのところ乱れきった生活リズムを治しておきたいところだ。
2007年10月03日
こんなにたくさん仕事できません
 昨日も朝から晩まで一日中続いた外来業務に疲れきって帰宅した。
 飲まなきゃやってられないよという気分で、子供の残したおかずを当てにし、プリン体たっぷりの黒ビールを飲んでいたら、分娩ですよコールがいつもの様に入った。
 ニンニクたっぷりキムチの匂いをさせながら、分娩室に自転車出動。まずは夜の部の仕事第一弾にいそしむ。

 続いて微弱陣痛になっている別の経過中の方に促進指示を出し、一旦帰宅を決めた。
 ところがまたすぐに分娩室から緊急呼び出しコールが入った。今度は胎児心拍が下がって回復しないという連絡だ。
 チョコレートとコーヒーで気合を入れて、分娩室に再度スクランブル出動し、速やかに吸引をかけて娩出とした。
 クリステレル(説明は面倒なので省略)してもらった助産師さんは、きっとビリーズブートキャンプより有意義で良いダイエット運動になった事だと思う。 
 
 さてその後深夜にかけてまた別の入院中妊婦さんが要注意状態となった。これを気にして眠れないと翌日の仕事に響く。心配事を忘れ短時間でぐっすり眠れるために睡眠薬(マイスリー)を半錠飲んで寝る。
 そして予想通り今朝も分娩呼び出し電話で始まった。その他に入院中の妊婦さんの経過もますます良くないという。

 分娩室に出動すると同時に朝一緊急手術を決める。分娩室で急いで会陰裂傷縫合を済ませると、すぐさま手術室に向かい今度は緊急手術だ。
 麻酔をかけている最中に、ドック室で患者さんがたくさん待っていますという連絡が入る。もちろん無視する。
 僕は一人しかいない。まずは目の前の困難から一つずつ対処するのは当たり前だ。

 元気の無い胎児を取り出し、待機していただいている小児科の先生に後を託す。
 胎児は蘇生を要し、母親の術後も細心の注意を要する状態となった。皆それぞれの仕事を的確にこなしたが、それでも冷や汗物の時間が続く。
 手術終了後も休む間もなく、各種対応と総勢50人以上のドック集団検診業務が待っていた。更には月初めならではの書類の束とレセプトの山があり、午後にはまた別の分娩もある。

 その他にもいろいろな事があった気がするが、何だか思いだすのも大変だし、それを日記に書くのも面倒だ。
 10月に入ってから分娩が続き、すでに9人産まれている。更にこれから深夜にかけてもう一人生まれるだろうから3日で10人だ。今までこういう事は何度もあったが、この数日は特に難産が多いからストレスは大きい。

 こんなにたくさん仕事できませんと、いくら訴えても誰にもどうにもできない。何だかとっても孤独な気もする。
 誰か僕をもう一押しなにか特別なストレスで押してくれたら、ぷっつん切れてやろうと思うのだが、その一押しを押してくれる人も僕の周りにはいない様だ。
2007年10月02日
子宮出血とキャブレター
 今朝も分娩後出血多量の患者さんが待っているという分娩室からの救急コールで一日が始まった。
 大急ぎで朝食を食べ、髭をそり、靴下を履いて、ごみを出して、分娩室に出動する。
 何もかもすっとばしてスクランブル発進せよと言う突込みがどこからか入りそうだが、僕にも人並みの生活があります。朝は忙しいのは多くの方々と同じなのだ。

 出血を止めると、こんどは猛烈ないつもの秒単位外来に突入する。
 深刻な方も多いがとにかく早くしないと仕事が先に進まない。朝から晩まで100人近くの方の外来診察とその他各種検査、処置が続く。もちろん病棟業務も多く一日が妙に長い。

 朝の出血多量の事なんて、もう今では遠い昔の様な気がする。
 深夜に更に分娩が重なるだろうし、明日も各種業務が追加される。こんなにたくさん仕事できないよと心の中で叫んでいるが、もちろんそんな声は周りに聞こえるものではない。
 世の中には僕より大変な人や気の毒な人はたくさんいる。がんばりたくてもがんばれない人もいる。
 がんばれる人ががんばるのが、世の中大事なのだと信じて、仕事を続けるのだが、それでもこれから入るだろう深夜業務が悲しい。

 話は変わり、分娩後の出血多量に対処するのは産科医の最大の仕事の一つだ。
 分娩と言うのは一般人が想像するより遥かに多くに血が流れる作業である。
 胎盤がはがれると、それまで胎児に酸素と栄養を与えてきた母親の血液が、一気に行き場を失い子宮から流れてくるのだから、考えてみれば、分娩後すごい出血があるのは当たり前だと言える。
 むしろそれだけの血液が、どうして上手く止血されるのか、その止血機構の方が、不思議で神秘的だと産科医は思う。

 さてこの止血機構にはいろいろな要素があるが、その鍵はやはり子宮収縮である。
 子宮が収縮するとその筋肉の力で血管が挟まれて止血する。そして子宮が緩むと再度出血するとなる(だから分娩後出血多量の事を別名弛緩出血とも言います)。
 さてさて子宮と言うのは筋肉(平滑筋)で出来ているから、他の筋肉と同様、子宮ももちろん疲れるものだ。
 筋肉が収縮し続けている間は血も止まるが、その後子宮が疲れて筋肉が緩むと再度流れる様な出血を起こす。
 つまりは子宮が疲れすぎ無い程度の適度な子宮収縮が持続すれば、それが一番良いとなる。

 ところが子宮にはもともとの性能がある。当たり前だが人間には、腕力が強い弱い、脚力が強い弱い、背筋力が強い弱い、いろいろな人がいる。それと同時に子宮収縮力も強い人、弱い人がいるのだ。
 更にこの子宮の収縮弛緩をコントロールする神経は自律神経だから、足や手の筋肉と異なり、自分の思いで子宮平滑筋をコントロールすることはできない様にできている。
 この自律神経の乱れから、分娩後出血多量を引き起こす例は意外に多いんじゃないか、というのが僕の考えだ(もちろんその他に出血多量の原因は山ほどありますが)。

 僕は以前アメリカでオンボロ車を買って、中米まで旅行した事が有る。
 その車は、峠を越える度にキャブレターの調子が悪くなり、エンジンの回転数が突然変化するから、いろいろ苦労したものだ。
 収縮弛緩を繰り返す事で、周期的に出血する子宮を見るたびに、僕はなぜかキャブレターの調子がおかしいエンジンを思い出すのだが、それはちと変な繋がりだろうか。 
2007年10月01日
産科医の手だって神の手かも
 代務の先生と雨天のお陰で今週末は毎晩気持ちよく眠れた。
 今日は予約診察と手術の月曜日だ。
 ここの所月曜休みが多く、受診者の繋がりが悪いから、珍しく今日の予約は枠が埋まりきってなかった。
 更に昼からの2件の予定手術のうち1件がキャンセルされたため、午後からは少し楽できる。
 しかしこの手の余裕は、後からしわ寄せ来るのが間違いないので、今日楽できてもあまり嬉しくは無い。

 さて話は変わり、最近は様々な神の手ドクターの話題がテレビで放送されない日はほとんど無い。どんな分野でも卓越した能力で限界を打ち破る人がいる。それ自体は価値ある事だろう。
 しかしどういうわけか僕の知っている限りで、神の手を持つ産科医の話は聞いた事が無い。

 婦人科手術の分野で名人と言われる人は僕も何人か知っているが、産科手術の分野ではかって神の手なんて言われた産科医はまずいないのだ。それは一方何故だろうか。
 多分その理由は、帝王切開というのは成功して当たり前というのが、世間の常識となっているからだろう。

 誰もがさじを投げたガンを手術で摘出したら、それを神の手手術というに違いない。
 これが帝王切開の場合、症例ごとの難易度の差はあっても、まず誰もがさじを投げる手術というのは無いものだ(あきらめる事は簡単には許されないしね)。 
 僕も帝王切開が難しい手術だとここで主張する気は無い。きちんとトレーニングを受けた人間ならば、人並みはずれた集中力や頭脳が無くても十分可能な手技だと思っている(簡単だとは決して言いませんから、念のため)。

 確かに帝王切開の成否は、術者の技術よりも運や段取り力の占める部分が多い。また帝王切開の場合、その手技よりも適応やタイミングを決める方が遥かに難しいとも思っている。

 とはいえ僕も産科医の手は神の手みたいだと思うときがある。それは胎児を掴んで母親から引っ張り出す時だ。
 特にこれは切迫胎児仮死の緊急帝王切開の時に強く感じる。そんな時胎児は母親の骨盤から出ようとして、はっきり言って死にかけている状況だ。多くの場合そのままにしておけば死産となるのだろう。
 
 そういう状況の胎児を、母親の腹側から手をつっこんで児の頭(逆子ならお尻か足ですが)を掴み、下からでなく上に引っ張りあげて娩出するのだ。
 多分命の危険にある胎児の気持ちから想像すると、いきなりどこかから現れた大きな手が自らの頭を掴み、死の淵から安全な外の世界に引っ張り出されるとなる。これは胎児にとって見れば神の手そのものだろう。

 さてさて産科医にとって実は重要なのは卓越した技術では無い。どんなに眠くてもたくさんの手術を安全にこなす体力と根性こそが重要だ。そしてそれこそが本当にこの分野で価値あるものなのだ。

 というわけで、世間では産科医の手を神の手と思わなくても、きっと生まれたばかりの赤ん坊は産科医の手を神の手と思っているに違いないと信じ、今日もいつもの手術に励もうとしよう。 
2007年09月30日
雨の日曜日と茸
 久しぶりに代わりの医者がいる週末だ。今日は貴重な日曜日で、もう山に行く気満点だった。
 ところが空からは大粒の雨が降り続いている。
 朝早くに起床はしたものの、雨音を聞いただけでそのまままた寝込んでしまったらしい。次に気づいた時にはもう8時過ぎだった。
 農耕民族の性か雨の日はよく眠れる。更に追加で10時近くまで寝て昨夜の睡眠時間は10時間オーバーとなった。

 この年でこれだけぐっすり眠れるのも先週の発熱と仕事に疲れていたからだろう。これはまたこれで有意義な週末の過ごしかただと思って、気持ちを慰める。
 ただ起きてからも今ひとつ爽快感は感じない。それは疲労の種類が主に精神的なものに属するからに違いない。肉体的な疲労はほとんど無いのに、心だけ疲れての睡眠はどうしても爽快感に乏しいものだ。
 きちんと心も身体も両方しっかり疲れて、ぐっすり眠れれば言う事は無いのだが、それは僕にとって何より難しい事の一つだ。
 
 さてそんなこんなで雨の中運動に出かける気も起きず、子供の世話や車の定期点検、またその他プライベートな打ち合わせなどで、せっかく自由に出来る日曜日も遠出なしとなった。休めるのは有難いが、今度は運動不足が気になったりする。

 さてさて話は変わり、今は茸シーズンだ。この時期のまとまった雨となれば、多分マツタケを始めとした各種茸が一斉に明日から顔を出すに違いない。
 多分茸取りの名手の方々は、てぐすね引いて待ちわびた大物茸をこれから取りまくるのだろう。
 とはいうものの僕は茸について実は全く詳しく無い。この辺の話はみな古川のスーパー山スキーヤーHoshiyaさんから聞いたことだ。

 Hoshiyaさんはもちろん山スキーの名手なのであるが、実はそれ以上?に茸取りの名手であるとされている(ほんまかいな)。
 実は先週も僕はHoshiyaさんから、立派な舞茸を頂き、おかげで先週の僕の家の食卓はとても豊かなものとなった。Hoshiyaさんどうも有難うございました。野生舞茸のてんぷらは絶品でございました。

 なおHoshiyaさんはこの舞茸を、有峰林道から山奥に分け入った秘密?の場所で採取したと言う。
 野生の舞茸の真の価値は僕には窺い知れない分野であるが、おそらく素人の僕がローラー作戦よろしく山の中を必死で探し回っても、見つかるものではないのであろう。
 日曜日の雨を恨めしく見つめながら、ふとこの雨は茸にとって、子孫を残すための千載一遇のチャンスとなる雨なのだろうと、茸の気持ちに思いをはせたりしたのでした。

写真では大きさが分からないのが残念。ピンボケも残念

2007年09月29日
Taまでで見つければ・・
 代務の先生が金曜午後から高山に来てくれている。僕にとっては3週間ぶりの本当の休日だ(とはいっても手術となれば出動となりますが)。
 大事な休日だが、昨日金曜の仕事は過酷きわまるものだった。帰宅も遅くなり今日土曜からどこか遊びに出かける気力は無い。
 
 代務の先生が来てくれている時には、当然貯まっている手術予定の方の手術を一つでも多く組まないといけない。
 そこで必然的に金曜は手術が重なり、疲労もピークを迎える。特に先週は体調不良でもあった。どうしても休日一日目の土曜日は休養に当てないといけない。

 大学からの代務の先生は、月2回金曜午後から月曜昼過ぎまで高山に来てくれる。このうち金曜日と月曜日はできるだけ多くの手術を組む必要がある。続く土曜日を休養に当てると、僕の自由にできる日は月2回の日曜日だけとなる。
 その月に2回しかない貴重な日曜日も、最近は子供の各種用事に当てれらる事の方が多い。こんなことではストレスが貯まる一方だと思う。

 さてそういうわけで昨日もややタフな手術が3件組まれていた。ガン手術もある。僕の場合麻酔も自分でかけるのでこれはかなり大変な事なのである。
 テレビに良く出る様々なスーパードクターも一日に手術を何件もこなしているようだ。
 しかしそういうドクターには多くの助手の医師がいるし、麻酔も麻酔科専門医がかけている。その他見学者までいれるとテレビでは10人くらい周りに医者がいるようにも見える。
 僕の場合、名古屋から来てくれている代務の先生一名に手術助手をしてもらうだけで、後は麻酔から術後管理まで自らの仕事となる。

 さてさてガン手術と言うのは通常4,5人の医者がチームを組んで行うのが普通だ。
 人出不足の婦人科だってガン手術となったら麻酔科医1名、術者1名、手術助手2名くらいで行うのが普通の布陣だろう。その外に非常時のバックアップが控えている事も多い。
 どころが僕は麻酔を含めても2人でこの手の手術を行う事が多い。非常時のバックアップといっても、何処にいるか分からない外科の先生にヘルプコールをするだけだ。
 もしこの時に外科の先生が捕まらなかったら、もう万事休すとなる。これはかなりのプレッシャーだ。

 しかも午後の数時間のうちに多くの手術をするから、時間にも制限がある。麻酔法にも選択肢は少ない。そういう中でやれる事をやるしかない。
 そのためには、普段からどんなに忙しくても、検診業務でガンを早期発見する必要がある。子宮頸がんは早期発見できると比較的短時間な手術で、それなりの効果を得る事ができる。
 具体的には子宮頸ガンであればTa期までで発見するのが、僕の場合とても大事となる(ガンと人にはいろいろ在りますから、その他にもとてもたくさんの要素はあります。念のため)。

 忙しい中せっせと検診して、ガンを早期に見つけ、自分で適応と術式を決め、自分で麻酔して手術して、術後まで面倒見ますが、僕に求められている婦人科がん治療なのだ。そしてこれはこれでかなりスーパーな業務だと思う。
 寝不足の中なにもここまでしなくてもと、分かってくれる人もいる。
 ここは自分で自分をスーパーだと誉め、更にこの日記に書く事で、せめて少しでも自分を慰めておくとしよう。
2007年09月28日
仕事と子供
 昨夜は予定よりちょっと早めに帰宅できた。それならばと、三男のフットサル用靴を買って来いという仰せをいきなり山の神様から受ける。
 高山では雪が積もるので、冬の間のサッカーの練習は屋内で行うのが通例だ。 屋内でのサッカー練習にはフットサル用の靴が必須らしい。普通の体育館履きではエクセレント?な足技には不向きなのだろう。

 というわけで早速、三男を連れて国道沿いのアルペンに出かけた。どうせ直ぐに大きくなるからとぶかぶかのフットサル靴を購入した。その後ついでに、近くのレンタルビデオ屋でCDを借り、更に高山市立図書館で借りていた本を返す。
 更に車にガソリンを入れ、帰宅途中に病院横を通過したので、ちょっと様子を見ようと病院駐車場に入り病棟を見に行った。
 三男は大人しく車の中で待っているという。

 病棟から陣痛室に寄ると、経過中の方がたまたま進行停止で深刻な状況になっている。
 時刻的にも緊急手術を決定しなければならない。慌てて手術を決めて、家族への説明、手術室の段取り、助手を務めてくれる外科医の確保に走る。
 何だかんだと時間が過ぎ、いよいよ手術室に入るばかりとなった所で、三男を車の中で置いてきぼりにしてある事を思い出した。

 ふと親がパチンコをしている間に子供が車の中で熱中症で死亡と言う新聞記事を思い出す。もちろん涼しい夜の高山で熱中症になる事はありえないが、それでもこのまま手術に入るのはあまりにも子供に気の毒だ。考えてみたら、まだまともな夕食も食べてない。

 そこで手術の方を少し遅らせて、慌てて病院駐車場に戻った。
 三男は暗い車の中で、僅かな遠くの明かりを頼りに、図書館で借りた本を大人しく一人読んでいた。
 「寂しかったか」と声をかけると我慢強い三男は「う、ううん」とだけ言って、黙り込んだ。これが長男だったら火が出るほど怒るだろうから、子供は兄弟でも一人一人性格は全く違うと思う。

 とにかく大急ぎで子供を家において、再び手術室に直行し緊急手術と相成った。なんだかんだと一汗かいて腹をすかして帰宅すると、もう家族は全員寝ていた。
 こんな事は慣れているので、いつもの様に子供の残りのおかずで一人夕食とする。前日までの発熱の影響で身体はだるいから、ビールは飲まずに我慢した。

 さて今日も昨日にまして滅茶苦茶仕事は忙しく、深刻な患者さんが多数いる外来と、落ち着かない病棟と、各種開腹手術3件で夜遅くになってもまだ仕事は終わらない。今日は夜から次男のサッカーチームの役員決めがあるらしいが、もちろん参加は出来ない。また子供に不義理を働いた気もする。

 さてさてよくテレビでは、仕事ばかりで家族を返り見ない父親が、何かのきっかけで心入れ代えて反省するという番組が放送される。
 僕なんて典型的な仕事中心の父親だ。たまの休みには山に行って家にいない事も多い。ごく希に子供と行動すると、今度は置いてきぼり食らわせるなんてしょっちゅうだ。
 いつかこの事が仇になって返ってくるのだろうか。だがそんな事言われたった、他にどうすることもできない気もする。

 世の中には家庭も仕事も完璧ですという親は実際にたくさんいる。多分そういう人達は自分で仕事や家庭の都合を上手くコントロールできるのだろう。僕の場合山でバランスを取ってはいるが、自分の方が仕事の都合にコントロールされてばかりの気はしている。
2007年09月27日
声を大事に
 昨夜は月2回のフットサル練習もキャンセルし、マイコプラズマの薬(ジスロマック)を飲んで大人しく寝た。
 分娩経過中の方もいたが、夜中に呼ばれる事は無い方に賭けて、軽い睡眠薬(デパス)も併用する。その選択は当たり、深夜に起こされる事無くぐっすりと眠れた。
 薬が効いたのかどうかは分からないが、確かに体温も平熱に戻っていた。
 少し元気も出たようでホッとする。熱発したまま、これから先の忙しい週末に突入するのはこれで何とか避けれそうだ。

 しかし今度は痰がからんだためか朝から喉が痛い。悪い事に鼻炎で鼻も詰まり声に力が入らない。
 これは気をつけないといけない。3連休が2週連続で続いたため、外来は毎日満員御礼状態が続いている。今日も間違いなくたくさんの人が受診するだろう。外来の途中で声が出なくなると仕事にならなくなる可能性がある。

 そこで今日は朝から慎重に小声で話し、言葉を選んでいつもより更に少ない最低限の発声しかしないよう気をつけた。
 なんと言っても僕は仕事柄外来のある日は朝から晩まで話し続けないといけない。
 もともと話すのは苦手でないから、一日中しゃべり続けていても平気だが、喉が痛ければそうはいかない。

 今日の外来も当然のごとく混んだ。ひたすら秒単位外来を続けているうちに、徐々に喉の痛みが増してくるのが分かる。突然の飛び込み早産もあり、何だかんだといつもの様にひいこら働いているうちに微熱も出てきた。
 慎重に小声で話す作戦は成功し、なんとか外来終了まで声は持った。それでも夕方の病棟回診時にはすっかり荒れた変な声になっていた。
 患者さんの中には耳の遠い方も多い。今日も幾つかの手術を決めたが、声に力が入らないと、手術適応を説明するのも迫力が欠ける。

 医者の仕事は言葉が重要だ。仏教の言葉で「声仏事をなす」というのがあるが、確かに声の強弱はその人の気力の強弱を反映する。
 これはもともと恵まれた美しい声を持つ安倍前総理が、その辞任発言ではびっくりする程弱々しい声だった事からもあきらかだろう。安倍前首相の最後の声からは気力体力朽ち果てたという印象ばかりが感じられた。

 というわけで声の弱い医者は、医者として説得力が非常に欠ける事となる。
 逆に中味は伴わなくても声が大きく美しければ、それだけで説得力を持つものだ。その点僕は声は大きい方なのだが、生まれつき喉が弱くて変なのか、ねずみ男のような声(これは配偶者談)なのでちと損してるかもしれない。

 今日もこれから要注意の分娩が控えている。夜間緊急手術になる可能性もある。
 分娩において産科医はある意味カリスマであって独裁者でもある。これはキャラクターに関係なく立場と資格上そうなってしまうのだ。
 しかし肝心のカリスマ?が碌に声出せませんだったら、何だかとっても迫力が欠け、チーム全体の力も大分そがれる事に繋がる気がするがどうだろうか。
2007年09月26日
休めるならば休みたいけど
 一昨日から続いていた微熱は、昨日の長時間外来業務を経て更に上がり、夜には38度の熱となった。これは単なる疲労による発熱と異なるだろう。
 昨日処方してもらったセフェム系抗生剤は全く効かない。しかも一週間前に高熱を出した長男の検査結果が昨夜になって判明し、マイコプラズマ強陽性だったという。
 昨日の僕の至急検査では陰性だったが、症状もそっくりだし、これは僕もマイコプラズマ肺炎もしくは気管支炎になりかかってると判断した方が良さそうだ(マイコプラズマ検査というのはタイムラグの関係で偽陰性が多いのです)。

 もう今夜こそきちんと眠れる事を祈りながら、早めに寝床に付く。
 幸い深夜の分娩は無く呼び出し業務は免れた。深夜業務が無くて本当に良かった。38度の熱を出して夜に眠らせてもらえなかったら、さすがの僕も切れるだろう(と言いながら今まで何回もそういうことはありました)。

 さてとにかく今は早く病気を治さなければならない。マイコプラズマはこじらせるとかなり症状が長引く事もある。僕が突然倒れたら多くの人が困る。冗談抜きで死産の一つくらい増えるだろう。
 そんなこんなでまあまあ眠れたものも、今朝になっても37度台の熱は続いていた。

 今日は幸い助産師外来の水曜日だ。思い切って家で寝ていようかと迷う。しかしドックでは20人近い人が僕の診察を待っている。更に日にちをずらせない人工授精や各種検査もある。また分娩があれば休むといっても呼び出されるのは同じだ。
 いくら僕が発熱で倒れていようとも。困った顔をしながら看護士さんや保健士さんは結局は僕に出動を要請する(仕方ないんだろうけどね)。それは過去にそういう経験が何回もあったから良く分かる。

 というわけでだるい身体を鞭打って遅刻気味に出勤した。こういう時に書類業務は多い。分娩もある。
 仕事しているうちに、午後から熱が更に上がってきた気もする。
 とにかくは内科でマイコプラズマの薬を処方してもらう。今夜は薬を飲んできちんと眠りたい。しかし現在経過中の要注意の方も入ってきたので、どうなることか心配だ。

 僕の健康管理は地域の産科医療維持のために重要だ。
 健康管理には休養が大事なのは当然だろう。しかし僕には休養も許されない。いくら普段マイペースで健康管理に努めていても、家庭内での子供からの感染にはどうにもならない点もある。
 外来や病棟では、多くの看護士さんが僕を心配してくれた。しかしだからと言って仕事を休んで良いかと言うとそれは許されない。

 さてさて発熱のせいか昨夜は妙にはっきりした夢を見た。夢はチベットの荒れた大地をバスに乗って旅行しているものだった。
 これは多分喉が痛くて鼻がつまり息苦しかった事も関係しているだろう。チベットは空気も薄くて、どこか砂っぽい高原砂漠だ。こういう発熱時に見る夢としては適していると妙に納得する。
 そして何時の日かこういう暮らしから逃げ出し、チベットに行こうと深層心理が思っているに違いないとも思う。
2007年09月25日
読書の秋とか朝の分娩とか発熱とか
 代わりの医者もいない、何処にも行けない3連休となった。
 こういう時にと読書の秋を決めて、普段読めない本を読み漁った。とはいうものの何だかんだと仕事と用事はあるので、一気に長編を読破すると事は出来ない。断続的にすこしづづ読み進めるという感じだ。
 そんなこんなで夜は毎晩夜更かしして、午前2時3時まで本を読んで過ごした。ところが思惑通りには事は進まず、この3連休は早朝ばかりに仕事が入った。
 3時まで夜更かしして、5時に分娩が入る日が続いた。いくら読書の秋とはいえ、これでは健康に良くないよと思う。

 さて今日は忙しくなる事が分かりきっている3連休明け火曜日だ。
 できれば昨日は早く寝ておきたかった。ところが読んでいる本がこれまたかなりのラスト盛り上がりを示すので、なかなか寝付けない。
 そんなこんなで本を読み終えたのは午前2時となった。それでもしっかり朝まで眠れさえすれば、寝不足間無く仕事に入れるはずだ。
 しかし悪い事に今朝午前5時に心拍が下がるから吸引かけてくれという電話連絡が分娩室から入った。
 目がしょぼしょぼして、頭痛もするが、スクランブル出動で、早朝未明から難産対応となる。
 他にも分娩が重なり、夜中の仕事としては、かなりハードボイルド業務となった。

 その後僅かな時間を2度寝する事も適わず、いつもの秒単位寝不足外来にそのまま突入する。
 結局この3日間で僕は数時間しか寝ていない。さすがに身体が悲鳴をあげたか、昼前から発熱してきた。
 先週子供達が40度近い熱を出して、学校を休んでいた事を思い出す。マイコプラズマかもしれないと思い、慌てて内科で至急検査を受けたが、マイコプラズマは陰性だった。とりあえず抗生剤と解熱剤だけ処方してもらう。

 単なる疲れから来る発熱なら良いが、そうでなく倒れてしまったら大変だ。これから月末にかけて忙しい。
 分娩も多いし、本当にこのままでは過労死してしまうかと思う。
 忙しく働く内に、更に熱が高くなってきたのを感じるが、それでも外来はストップしなかった。
 僕の場合今休めば後からしわ寄せが必ず来る。その外に別の分娩も入るし、過酷な一日がつい先ほどまで続いた。

 これで本を読まずに毎日早くに寝ていたら、こんな辛い思いをしなくて済んだろう。自己管理不足だと言われたらそれまでだが、それなら僕は何時まで経ってもまとまった本を読めないという事になる。
 これでもし僕が過労死でもしたら、自分のこういう暮らしを誰かに本にしてもらいたいと思ったりする。 
2007年09月23日
代わりのいない週末は読書が一番ということで
 今週末も巷では秋分の日の3連休という事になっている。
 蒸し暑い日はまだ続いているが台風も来てないし、まあまあ行楽日和の3連休だろう。とはいえ僕の所には今週末も代わりの先生は来てくれていない。何処にも行けない日々がもうしばらく続く。
 まず土曜日は午前中に3件の分娩があり、その他連休ならではの病棟業務も加わった為、実質半日は病院で仕事しながら過ごす事となった。
 
 天気も良いし土曜午後から何か運動したいとも思っていたが、各種雑多な用事もある。
 ここは目先を変えて、この連休は図書館で本を借り、今週末はちょっと早めの読書の秋とする事にした。
 高山市の図書館は人口の割にはまあまあ整備されて素敵な図書館だ。午前9時半から午後9時半まで開館しているというのも有難い。悲しい3連休を心慰められる癒し系読書で過ごそう。

 そこでこういう時に読んで見たいと以前より目を付けていた、天童荒太の「永遠の仔」を借りてみた。文庫本で5冊、分厚い単行本でも2冊の、かなりの長編だ。
 僕はいろいろ忙しいのでこういう連休でもないと、とても長い本は読めない。最近は藤原雅彦や養老孟司の読みやすい短編エッセーばかり読んでいた。年に一回くらいの事なのだが、たまには長編本も読んでおこうという訳だ。

 さて永遠の仔はこれが予想通り中々はまり、ついつい土曜の夜はいけないと思いつつ、夜更かししてしまう。
 夜中の3時過ぎに区切りをつけてやっと寝付いたら、今度は直ぐに開業医先生から、とっても元気な仕事依頼電話で起こされた。
 更に今日日曜は子供のサッカー大会の用事があり、それなりに早起きしなければならない。結局土曜夜はあまり寝れなかった。まあ長編本を読みだすという事は、基本的にそういうものなのだろう。
 
 さてさて僕はこれでも子供の頃はかなり読書好きな人だった。
 小学生の頃は図書館においてある殆どの本を読み、それでも読み足りない時は百科事典を開いて読み漁っていた記憶もある(ただ中味はあまり覚えてません)。
 特にお気に入りの昆虫の百科事典は、どのページに何の昆虫が載っているかも大体把握していたものだ。

 とはいえ僕は昆虫好きではない。どちらかというと昆虫が怖くて嫌いな方だ。だからこそ昆虫辞典を見ていると、刺激が続き飽きなかったのだろう。
 そういえば僕は割と高所で怖がりの方なのだが、それでも何故か趣味は登山で、山スキーにばかりのめり込んでいる。
 これも多分、スキーや高いところが怖いからこそ好きになったのだと思う。
 人間怖くて嫌いなものが実は好きだったりする事はよくあるんじゃないか。

 僕は基本的に忙しいのが嫌いだ(たいていの人がそうですが)。しかし実際はそれでもこうやって拘束時間長くストレス多い仕事を続けられている。
 ということは、きっとどこかでこの忙しさが怖くて嫌いだからこそ、逆にいつでも忙しくしていたいという気持ちがきっとある違いないと思ったりもする。
2007年09月21日
助産師外来はブレイクするか
 昨夜は寝る前に早産が入りそうだという、予告電話が病棟から入っていた。
 実際に深夜に呼ばれ出動に至る事は無かったが、何となく心に引っかかるのだろう。眠りは浅くなった。
 深夜、夢を見ている最中に突然電話が入り呼び出されるという夢まで見る。劇中劇の様なもので、これでは夢中夢だ。
 おかげで明け方から中途覚醒してしまった。
 既に手遅れかもしれないが、こんな暮らしをしていると、いずれ心の病を得るに違いないよと思ったりもする。

 今日は3連休前の金曜日だ。当然外来も混むだろうと思っていたが、予想ほどは混まずに済んだ。おそらく患者さんの方も混雑を予想したため、昨日木曜日に受診が偏ったのだろう。簡単な処置のみで手術も無く午後は少し昼寝も出来た。

 さて今日は昼から愛知県のT市市民病院から、助産師さん及び事務方さんが各数名づつ高山久美愛病院までみえた。
 目的は助産師外来の視察だ。なんでもT市市民病院では産科医不足対策に、助産師外来導入を考えているらしい。
 とは言うもののT市市民病院は産科医が2人いて、分娩数は年間200に満たない。僕のところは産科医が一人で分娩数は年間350ある。これでは少し土俵が違うんじゃないかいとも思う。とはいえ規格外れの仕事をしているのは、こちら側ではある。

 さてさて産科医の負担を少しでも周りで緩和しようと考えいてる事自体は悪い事でない。こちら側としても、それなりに視察に協力したりする。
 最近では全国的に足りない産科医をどうカバーするか、世の中の方で考えてくれる様になってきた。中には見当違いなものも多いが、産科医の給料や待遇を引き上げるとか、産科医だけ各種病院内デューティーが免除されるとか、今までにない本質的な動きがあるのも確かだ。
 医師の外来業務をある程度絞って助産師さんに肩代わりさせるという助産師外来も、その一環と捉えて良いだろう。

 さて僕のところでは、あまりに増えすぎた仕事量に、どうしようもなく必要に迫られたので、仕方なく助産師外来を3年程前から導入した。当時そのモデルは無かったから、そのシステムの基本部分はほとんど僕が考えたと言っても過言でないだろう。

 自分で言うのもなんだが、だからこそ今まで上手く行ってるのである。
 医師がいなくなる分、仕事を助産師さんに補わせようと、単純に事務方主導で考えているなら、それは残念だがお門違いと言える。
 医師の仕事の質と助産師の仕事の質は根本的に異なる。その辺を理解してないと、助産師外来導入は失敗に終わる。産科医の仕事は、トレーニング無しで簡単に肩代わりできるほど甘くは無いのだ。
 
 その辺を教えてあげたかったのだが、肝心の事務方さんは僕の前に現れなかった。どうもそれなりに遠慮していたらしい。なにもそこまで気を使わなくても良いのにとも思う。
 T市市民病院で働いている産科医の方も僕は良く知っている。今後の成り行きはをまた後で、医師から直接教えていただくとしよう。

当院の助産師外来は最近の助産師雑誌でも特集で取り上げられました
2007年09月20日
掌を返すマスコミ
 昨日午後は運良く仕事の都合が付き、時間が出来た。
 気晴らし兼ねた勉強に、岐阜で行われた産婦人科講演会に出席する。わざわざ車を長距離走らせた割には、講演は多分に薬の宣伝ぽかったが、まあそれなりに勉強にはなった。

 10年前に僕が高山に引っ越して来た頃は、高速も郡上八幡までしか延びておらず、平日午後仕事が終わってから岐阜を往復するなんてとても考えられなかった。車社会の進歩は有難いと思う。
 しかしその分消費した化石燃料の事を考えると、勉強のため?とはいえちと気持ちは複雑だ。

 もちろん僕が高山を離れた数時間の間は、強い味方の開業医先生に病院お留守番を頼んでおいた。その間分娩こそ無かったものの、各種産婦人科救急で入院は2件あった。お留守番を頼んでおいて良かった。ほんの数時間でも全く油断ならないと思う。
 幸い深夜に分娩は無く、問い合わせ電話はあったかもしれない(寝ぼけているので良く覚えてない)が、夜はきちんと眠れた。

 今日の外来はこれまた記録的に混んだ。予約患者が一切入らない木曜日にしては過去最高記録ではないか。患者さんの各種訴えをほとんど黙殺した秒単位外来を続けても、神経衰弱の様に並べられた診察券の列は一向に減らない。待っている方たちのカルテ置き場も無くなる位だ。
 僕は診察室の中でトイレにも行けずひたすら数をこなしていたから良く分からないが、産婦人科外来の待合室はどこもかしこも一杯となり、患者さんの多くは外で立ったまま診察を待っていたという。
 「門前市をなす」という言葉があるが、まさしくその通りで、今度外来の前に自動販売機の一つでもおいてこうかと思ったりする。

 そんなこんなで外来終了は夕方となった。準緊急の処置は今日も幾つかあったが、午後に手術や分娩が入らなかったのが幸運だ。
 さてさて最近は産科医不足の件がニュースにならない日はほとんど無いようになってきた。毎日何らかの産科医不足関係のニュースが、全国地方を問わず流されている。
 昨夜もどこかのキー局の深夜帯ニュースで、産科医不足特集が組まれていた。
 その締めでメインキャスターが最後に言った言葉がなかなか素敵?でびっくりした。そのキャスターは「妊婦さんの方でも産科医の負担を減らす様気をつけましょう」という言葉を最後に言っていたのだ。

 その発言の正誤はともかくとして、1年ほど前までのマスコミは基本的に、産科医の事をボロクソ、ミソカスにしか報道していなかった。
 何かあれば、あそこの産科医は人殺しだとか、あそこの病院ではこういうトラブルがあり困ったものだとか、そういう報道ばかり流していたのだ。その陰で産科医が寝不足の中、必死に耐えていたなんて事はちっとも報道しようとしない。

 僕は当時から産科医を攻撃して困るのは、産科医ではなくて地域社会そのものなのだと、散々この寝不足日記に書いてきた。その事がやっと全国的に認知されてきたわけだ。
 それにしても僕は、あまりにも掌を返したようなマスコミの報道姿勢にかえって不信感を覚える。
 これはある程度被害者意識も入っているだろうが、多少の怒りすら覚えるくらいだ。多分僕と同じ感情を抱く産科医は全国いたるところにいるだろう。
 今更そんな事でフォローしたって、もうほとんど手遅れだよ、と言いたいくらいなのだ。
2007年09月19日
医療のコストカットは外から見えませんから
 昨夜は帰宅こそ少し遅めになったが、帰宅時に分娩経過中の方はいなかった。
 そこで夜はちょっと狂った身体のリズムを整える事を目的に、クアアルプで汗を流し、ゆっくりサウナと温泉に入る。
 幸い夜中の分娩も無く、途中で起こされる事も無しで夜もぐっすりと眠れた。これで生活リズムも戻って来た様で嬉しい。

 今日はペーパーワークと検診業務で固めた水曜日。このままのペースでは比較的早く仕事が終わりそうだ。できれば夜に岐阜で行われる婦人科講演会まで足を伸ばそうと考えているが、果たして上手く都合付くだろうか。

 さて話は変わり、昨日は月一度の病院運営会議というのが夕方に病院会議室で行われた。
 名前の通り病院の運営全般に付いて話し合う会議である。僕は普段滅多に会議に出席しない人間なのだが、立場上この会議と医局会だけは何とか出席しようと心がけている。

 さて久美愛厚生病院は僕を含めた職員のたゆまぬ努力により、今時この規模の病院に珍しく、健全黒字経営の病院である。
 だからかどうか知らないが、会議中に病院経営の話はほとんど出ない。最初に簡単な状況説明があるだけだ。
 もともと産婦人科は分娩を扱っていれば、構造上ほとんど黒字間違い無しの部門である(ただしその分リスクも高い)。
 おかげで僕も普段は、経営の事を考えて仕事しないで済んでいる。経営の事を考えず医療に専心できると言うのは、ある意味有難い事だろう。
 
 僕は過去に今にも潰れそうな赤字病院で勤めた事もあるが、そこの院長事務長は何時もなんだか景気悪そうな顔をして、職員に経営改善を懇願していたものだ。そこの病院では経営サイドの方には退職金も出なかったという。
 逆に黒字なら今度はその黒字分をどう使うかにコミットしなければいけないのだが、それはともかく経営は健全に越した事はない。

 さてさてそういう中で昨日は会議の中で珍しくコストカットの話が出た。理由はDPCと言う丸め診療の導入(詳しい説明は省略、調べれば直ぐに分かります)だ。
 霞ヶ関主導の医療行政改革の一環で、できるだけ安く仕事をこなすほど、病院の黒字分は増えるという構造に変わってきたのだ。

 節約すればするほど儲かるというのは他業種では当たり前の事かもしれない。しかし医療の場合患者さんからは見えない部分が多いから事は難しい。
 具体的に言えば手術時に使う抗生剤や材料を安くあげれば、その分病院の利益は上がる事となる(なお抗生剤や吸収糸はかなり高価です)。
 患者さんの方から見れば、どんな抗生剤を使ってもどんな糸を使っても同じかもしれないが、医者から見れば効果の高い抗生剤や上等な吸収糸を使ってあげたいものだ。

 さてさて最近僕は家を建てる事を少し考えている。
 家を建てるに当たっては基礎工事や外壁構造など目に見えない部分が大事なのはよく言われている。しかしこういう点は外から見えないし、地震でもなければどうなっているのか、たとえ住んででみても分からないものだろう。
 つまりはハウスメーカーのコストカット最もしやすい部分が、この基礎工事になるのだと思う。

 医療はその点ほとんど基礎工事ばかりで成り立っている家みたいな物だ。
 患者さん側から見えない基礎ばかりの家みたいな物なのだ。それこそ欠陥工事をしようと思えば、それこそかなりできたりする。
 この辺は結局、関係者の質や考え方、仕事に対する拘りやプライド次第になるのかもしれない。
 とはいえこの医療の基礎部分コストカットについては、この国のグランドデザインの問題も含め、これからかなり大きな日本人全体の問題となるに違いない。
2007年09月18日
子供の頃の睡眠に戻りたい
 昨夜は子供のサッカーの試合終了後から深夜にかけて4件の分娩が続き、その全てで出動を要した。
 次男の県大会出場を祝し?、家族で夜は外食しようと話をしていたが、分娩が重なったためその話も流れる。
 とはいえ残暑の中の3試合で疲れきった次男は、特に外食したいなんてちょっとも思ってなかったらしい。残しておいた宿題を片付けると速攻で深い眠りについていた。

 さて昨夜は雨が降ったり止んだりの天気だった。分娩室に呼ばれる時は雨が止んでいても、仕事を終えて帰宅する時には大雨だったりする。
 環境の事も考え、自転車通勤を心がけている僕としては、おかげで分娩室から帰るたびにびしょびしょに濡れてしまった。
 蒸し暑いのでその度にシャワーを浴びていると、益々睡眠時間は削られる。
 
 しかも特に最後の深夜3時の分娩は辛かった。こういう時に膣壁裂傷が爆発型(詳しくはこちら)となる。
 早く縫合を済まして眠りたいのは山々だが、あまり簡易な縫合をすると後から膣管が狭くなるから要注意だ。
 分娩後の膣管が広くなるのを、好ましく思わない旦那も世の中たくさんいる。
 とはいえ実際には、分娩後に裂傷の影響で膣管が狭小となり、後の性交傷害に繋がる方が産科医にとってTroublesomeだ。
 そんな事は滅多に無いのだが、それでも深夜に気を使った縫合を要した。
 おかげでやや手間どる仕事となり、睡眠の質量は大いに損なわれた。

 というわけで今日も朝から恒例寝不足外来となった。
 眠くて身体も不健康にだるい。しかも3連休後という事で業務量は多い。ただ雨が続いた後の晴れで、主婦の方々は洗濯で忙しいのか、恐れていたほどは外来は混まずに済んだ。 
 手術も無いし、午後の予約診察に入る前に少し昼寝も出来た。せめてもの事だが、これはちょっと嬉しい。

 ただこの3連休の間は夜中の分娩が多かったので、生活リズムは乱れてしまっている。
 夜中に雨に濡れたのも良くなかったのかもしれない。体内の内分泌環境がおかしいのを感じる。
 産科医が早く仕事を離れる最大の理由は、多分この内分泌リズムの不安定にあるに違いない。

 若い頃なら夜中に突然起こされて1時間睡眠に穴を開けると、翌日に1時間昼寝すれば体調は戻った。
 しかし最近はやはり睡眠の乱れが、数日間身体に影響を残しているのをどうしても感じるのだ。
 昼間さんざん運動して、夜になると爆睡が出来る子供達の様な生活に、いつか早く戻りたいと心底思っていたりする。 
2007年09月17日
少年サッカーはやっぱり面白い
 今日は3連休の最終日だが、もちろん僕にはいろいろと仕事がある。
 昨夜から今日にかけて分娩は2件、その他連休最終日ならではの病棟業務も幾つかあった。
 今も経過中の方はいて、何時呼ばれるか分からない状況ではある。
 とはいえ概ね入院患者さんも安定しているし、急患さんの人数も少ないから、今のところ落ち着いて平和な連休だと言えるだろう。

 さてさて今日は少年サッカー選手権、飛騨地区2次予選が大八グラウンドで行われた。
 これで勝ち抜き、飛騨地区の全小学校のなかで上位4校に残れば県大会出場が決まる。次男希太にとっては重要な一日だ。
 何とか1次予選を勝ち抜いた東小チームは、基本的にこの日の戦いに照準を合わせ、1年間練習してきたと言っても過言では無いだろう。

 今日は監督、コーチ、親さんもほとんど全員揃い踏みだ。僕も仕事その他の段取りを右に左に動かし、しっかり試合時間にはサッカーグラウンドにいられる様工面しておいた。
 ところが午前中の第1試合は善戦するも2−1で敗れる。第2試合には勝ったが、県大会出場切符の行方は最後の試合の結果次第となった。

 ここが正念場という事は、選手も親さんも皆分かっている。両チームの親さんの応援も熱が入るし、コーチの指導も何時に無く厳しい。
 最後の試合はこれまた大いに盛り上がり、スコアレスドローのままで試合は終了した。最後数分間の猛攻を何とかしのぎきった東小チームは、結果得失点差で辛くも県大会出場を決めた。
 その場で倒れこむ相手チーム選手の姿を見るのは気の毒だったが、ここは勝負の世界の厳しさで、勝ったチームは親さんも含め大喜びだったりする。

 これで希太の戦いはまだ続く事となった。親さんの楽しみもまた長引いたが、長男の時の経験でこれからがまた大変だとも思う。
 何と言っても美濃の各地区を勝ち抜いてきた小学校は、大抵みな6年生ばかりで背の高い子も多い。しかも県大会の会場は岐阜市周辺となる。
 例によって東小チームは4,5,6年混在で人数ぎりぎりのチームと考えると、これからかなりレベルアップしないとベスト16まで進んだ長男の時より上に行くのは、まず無理だろう。

 とはいうものの強い相手と戦うのは、どんな時でも大事な事だ。
 純粋で真面目な小学生達が、これからどれだけまた強くなるか、その姿を見るのが一番楽しみだったりする。

どこまで行けるかは自分次第か

2007年09月16日
土地と分娩室と学区とその他
 昨日は仕事が少し落ち着いてきたので、病院のお留守番を近所の開業医さんにお願いすると、午後から岐阜の産婦人科学会に出かけた。
 ついでに出来たばかりの各務原イオンでショッピングも出来る。
 たまに都会?に出かける時は能率よく行動して時間をうまく使わないといけない。学会の方はそこそこにして、お目当ての店を何件か回って過ごした。おかげで帰宅は深夜になる。

 その後午前1時と3時に一件づつ分娩があり。それぞれ出動を要した。
 ただ3時前の分娩はお決まりの翌朝縫合で対応したから、少し朝寝坊すればそれほど寝不足感は無い。助産師さんもその点心得ていて夜中の電話も控えてくれていたのが有難い。

 今日は台風と秋雨前線の影響で雨交じりの日曜日となった。
 代わりの医者はいないから、どんな天気であっても何処かに出かける事はできない。
 かえって天気が良くないほうが、諦めが付いてせいせいしたりする。こういう時にできる事として、家族と雨の中、新築家屋の展示会に行ったり、売り出し中の土地を見に行ったりして過ごした。
 とはいえしょせん田舎だから、それほど物件があるわけでは無い。学区とか通勤の手間とか更には予算とかまで考慮に入れると、選択肢はごく僅かしかない。

 さて院宅が手狭になった理由で、土地の購入を考えていると、数日前の寝不足日記にも書いた。要は大きくなってきた子供達にそれぞれ勉強等のために十分なプライベートスペースを与えたいのだ。
 しかし僕は忙しい。土地はとても高い買い物だとはいえ、あまり手間隙をかけたくはなかったりする。
 それに土地というのはその地域の経済とダイレクトに連動していて、基本的に幾ら探しても大安売りの出物物件はまず無いと以前聞いた事もある。

 しかし高山の土地はその人口や経済規模の割りに高価な印象を受けるがどんなものだろうか。以前岐阜県内で公示価格が一番高い土地は高山のダイヤ堂(時計屋さん)前だと聞いた事もある。

 これが車で15分ほど走って、丹生川や河合の方まで出るといきなり土地の値段はぐっと安くなる。国道沿いでも古川の方まで行けば随分と格安な土地もありそうだ。
 どうせなら思い切ってそういう田舎に広い土地を買いたいという気もしないでもない。しかし僕の場合病院からあまり離れた所に住む訳には行かない。

 というのは僕の場合、自分が10分遅れて分娩室に到着するだけで、赤ん坊の死産に繋がる事もあるからだ。
 これは大げさではない。実際に数分のズレで、死産と生産が分かれたという例もいままで何回もあった。
 僕の到着時刻の違いで、赤ん坊が小児科に入院となるかならないか、日赤の小児科に救急搬送となるかならないか、そういう分かれ目はもうしょっちゅうある。

 それに子供たちもサッカーや友達の関係で、転校したくないとけっこううるさかったりする。僕の子供の頃は親の都合で有無も言わさず転校させられたものだが、子供に優しい?僕はそれなりに学区も気にしていたりする。

 更にもう一つ僕はいつ民事訴訟や、刑事事件に巻き込まれてもおかしくない社会状況の中で仕事している。
 僕はこの手の事が起きるとすぐさま、分娩業務をストップし、自分の身の振り方も改めて考え直す覚悟でいるが、そう考えると借金はできるだけしたくないとも思う。

 ついでに仕事柄、またやや危険な趣味の関係で、風水の事まで気にすると、もう何がなんだかかなり難しい。
 土地の購入は自分の将来設計も絡んでくる。そんなこんなで悩んでばかりもいられないし、どうなる事か寝不足日記にとても書ききれないよこれは。
2007年09月15日
土曜日の朝飯前と朝飯後
 久美愛厚生病院はいちおう週休2日制で土日休みである。今週末は月曜日も敬老の日だから、世間では3連休だ。
 暑さも少しは和らいだ事だし、登山を始めとした行楽には有難い週末と言えよう。
 しかし僕の場合、代わりの医者がいなければ、休みとはいえそれは名ばかりとなる。そしてこういう3連休のような素敵な週末にはもちろん代務の先生は来てくれない。つまりこの3連休なんて僕にはあって無い様なものだ。

 というわけで今日も朝早くからまず、分娩室からの呼び出し電話で始まった。
 深夜未明の時刻は過ぎ、既に外は明るくなっていたから睡眠時間を削られはしなかったが、それでも3連休の始まり方として、あまり嬉しい方ではない。
 もちろんいつもの様にそそくさと分娩室に出かけ、朝飯前の仕事を少し低血糖気味になりながらさくさくとこなす。

 さて更に僕はいつも平均20人近くの入院患者さんを抱えている。その多くはほとんど健康な産後の方であるが、週末でも患者さんが入院している事には変わらない。分娩業務が終わると土曜朝ならではの病棟業務が待っていた。

 その後帰宅して遅い朝飯を食べていると、これから急患さんが受診されるという予告電話が入った。これは多分僕が隙を見てどこかに出かけてしまうのを、防ぐ効果を狙っての事だろう。
 ちと疲れているので出かけるつもりは無かったが、朝飯後にもう一眠りしてやろうという目論みは流れた。というわけで子供の自転車を修理しながら、救急外来からの電話を待つ。

 なお平日に切迫さんが受診される時刻は午後7時から9時がほとんどだが、休日の場合はそれに午前10時から12時の時間が追加される。というわけで今日も10時過ぎに切迫さん受診があり出動、そそくさと診察して入院を決めた。
 これで一段落かと思ったが、その後更に昼前に追加の分娩が一件入り、もちろんまたまた出動を要する。

 さてさて多分日本のサラリーマンは土曜日に仕事がある方も多いだろう。
 もちろん僕にも休みといえ土曜日にきちんと仕事がある。病院は休診だからいつも一杯の待合室も、当たり前だが今日は閑散としている。とはいえ僕は、今日もいつもの様に朝からほとんどフル行動だった。
 別に大した事ではないかも知れませんが、世間の3連休が恨めしくて?ちとぶつぶつ愚痴を書きました。

 今日の夕方には岐阜で小さな学会がある。シール集めと気晴らしを兼ねて(本当の目的は勉強?ですが)出来たら出かけたい。近所の開業医さんに留守番を頼んで出かけようと思っているが、このペースでは果たしてどうなる事だろうか。
2007年09月14日
夜中のパパもカンガルー
 昨日も比較的仕事が早く終わったので、帰宅後久しぶりにクアアルプに出かけ一汗流す事ができた。その後気持ちよく朝まで眠れたら言う事は無かったが、さすがにそこまでは問屋が卸さず、深夜2時に分娩があり出動を要する。眠気をできるだけ維持した眠狂四郎円月縫合(詳細と説明は省略)で済ましたつもりだったが、どういう訳か修行不足で2度目の睡眠の質は今ひとつとなる。

 というわけで今日もいつもの寝不足外来、寝不足手術となった。
 外来は3連休の前日で混んだため、ちと辛い。もちろん手術があるので外来終了時刻のタイムリミットもある。スムーズに流れるような外来を心がけるが、それなりに深刻な患者さんもいるし、眠くても間違いは避けないといけない。
 ただスピードアップすれば良いという訳でもないから、なかなか過酷な秒単位寝不足外来だった。
 午後の手術は通常の帝王切開一件のみで、もうどんなに眠くても自動的に手が動く様に訓練されている。午後遅くからは眠気も覚めてきたから、その後の検査や病棟業務には問題は無かった。

 さて話は変わり、久美愛厚生病院は産婦人科医が僕しかいない。それでいて仕事量(これを売り上げとも言う)は産婦人科医が3人くらいいる病院と何ら変わりが無い。
 当然僕一人では身体が回らないから、それを補う目的もあり、助産師さんの人数は比較的多い方だ。
 産科医一人で助産師さんが14人いる。若手からベテランまでそろっているし、助産師さんの質量には比較的恵まれた病院と言えるだろう。
 
 だから僕のところでは、通常の病院と比べ助産師さんの果たす業務の割合は多くなっている。
 しかしながら医師と助産師は基本的に資格が全く違う。当たり前だが助産師さんに任せられない医師の仕事はとても多い。
 僕としては通常分娩なら会陰切開縫合くらいまで、助産師さんにできるだけ任せたいという気持ちはある。とはいえ看護士の内診問題(説明省略)にあるように、あまり調子に乗ると法律が絡んでくる可能性もある。
 法律の解釈運用は時代によりころころと変わる。これは憲法9条の例を見ても明らかだ。とはいえいくら田舎とはいえそれなりに気を使う必要はあるのだ。

 さてそんなこんなで、医師の真似はできないまでも、助産師さんは助産師さんなりに、やれるサービスを考えだしてくれている。
 具体的には父親立会い分娩とかアロマテラピーとかカンガルーケアとかだ。
 なお当院におけるカンガルーケアというのは、カンガルーみたいに、生まれたばかりの赤ん坊と母親のスキンシップを図り愛着を強める為にするものらしい(詳しい状況説明及びそのメリット等は長くなるので省略)。
 最近ではパパカンガルーというものも導入したという。生まれたばかりの赤ん坊と、立会い分娩の父親とでスキンシップを図らせるという。

 なお流産処置や帝王切開が決まった時、その危険性を説明をするから外来に来るようにと旦那に伝えても、実際に外来まで現れる夫は半数くらいしかいない。いくら妻や我が子の一大事(の説明)といっても、多くの夫にはそれより?大事な仕事があるのが普通なのだろう。
 それを考えると、おそらく多くの父親の本音は、赤ん坊は何時の間にか元気に生まれていてくれれば、それでOKという所にあるのじゃないか(だいたいきっと男なんてその程度のものです)。

 さてさて僕は父親にも分娩の危険を覚悟しておいてもらいたいと思う。
 しかし夜中にかなりえぐい?分娩の立会いを求められ、しかもとっても不思議な生まれたばかりの赤ん坊と、パパがいきなり抱き合いスキンシップ図らせられたりするのは、ちと気の毒だなあと思っていたりするのでした。
2007年09月13日
健康がなにより
 昨日は仕事も割と思惑通り進んだ。早めに帰宅できて、夜には病院フットサルチームの練習にも参加できる。
 とはいえ体育館の固い床で走り回るのは、40過ぎの身体にはかなり負担だ。
 今日は以前痛めた右足首がちょっと腫れて痛い。また練習中の転倒で、左掌に水泡を作りついでに左手首も痛めてしまった。

 外来業務や手術操作に支障をきたさない程度の痛みだから、大丈夫だとは思う。しかしフットサル参加メンバーの中で最年長の僕としては、あまり無理すると身体のパーツがあちこち悲鳴をあげてくるのが分かる。
 このフットサルというゲームは、サッカーリタイア組みが多く愛好している割には、機能的にお年寄りに向かないスポーツである事は間違いないだろう。

 さて話は少し変わり、いま僕の家庭内では季節外れの風邪が流行している。
 中学生の長男が40度近い熱を出し、三男も39度の熱で、共に今週はずっと学校を休んでいる。次男も先週に発熱で同様に倒れた。
 運動会で張り切りすぎたという説もあるが、こんな高熱が出るのだから、何らかの感染症が流行っているのだろう。季節が季節だけにマイコプラズマかもしれない。

 家庭内で子供達が次々と倒れると、次は自分じゃないかとやはり心配になる。子供達は狭い家中にばい菌を撒き散らしている。自分も相当に暴露されている事は間違いないだろう。
 フットサルも出来るくらいだし、寝不足も無いから、大丈夫だとは思うが、確かにちょっと身体はだるい気もする。

 さてさて最新のニュースによると、安倍首相が退陣を決めた大きな原因の一つにも、健康上の問題があるらしい。
 不確実情報では、安倍首相は潰瘍性大腸炎、もしくは機能性胃腸炎(この機能性というのは医学用語で原因不明もしくは精神的と同義だったりしますが)だという説もある。

 実際に心臓発作で倒れた大平総理や、脳卒中で倒れた小渕総理の例を引くまでも無く、総理大臣は命がけのハードな仕事なのだろう。
 とにかく何をやるにも健康が一番大事だ。身命を賭すとまで言っても実際に死んでしまっては元も子もない(その点、小沢一郎も心臓に不安を抱えいているというから、そんな事で政権交代なんて大丈夫なのかしらんとも思う)。
 
 僕は患者さんに良く仕事を休むための診断書を書くが、総理の仕事は診断書一つで休むわけにもいかんのだろう。
 休めるくらいなら辞めないといけない。その点診断書ひとつで休めたりする大相撲横綱より大変な業務という訳だ(診断書があれば休めるのが当たり前なのです。これは念のため)。

 さてさて話は少し戻り、僕も何か病気になったら仕事を休めるだろうか。何といっても僕は普段変わりの人がいない状況で、人命を扱う仕事をしている。
 もし僕が倒れて一週間仕事を休むと、政治に空白を生む安倍首相?のごとく、飛騨地方の産科医療に空白を生むことになるだろう。

 そんなわけだから僕もまず自分の健康を第一に考えないといけない。
 そういう訳で子供が家で発熱して寝込んでいようとも、まず自分の健康管理を第一に考え、遊びも仕事も相変わらずマイペース行動する僕なのでした。 
2007年09月12日
辞め方を考えたりもする
 昨夜は夕食後就寝前の分娩で出動を要した。
 分娩終了後病棟が落ちついている事を確認し、英語勉強半分のハリウッドDVD鑑賞と止せばいいのになでしこジャパンの女子サッカーまで見て夜更かししてしまう。それでも朝まできちんと眠れれば、睡眠不足にはならないはずだ。
 しかしそこまで思惑通りに事は進まず、朝の忙しい時刻にもう一件分娩が入った。
 とはいえ朝の分娩は安産だったから、結果的に睡眠時間は削られなくて済む。おかげで今のところ寝不足感は無い。

 さて先ほどネットを見たら、安倍首相辞意表明のニュースが流れていた。若くて順風満帆のスタートを切った割には、短命の総理大臣となったようだ。
 小泉改革の負の遺産に潰されたのかもしれないし、農水大臣の不祥事に潰されたのかもしれないし、参院選の小沢戦略に負けたのかもしれない。
 とにかく今ひとつ分かりずらく、一国の総理の辞め方としては、そんな事で良いのかなあという気はする。
 他人の作戦や失敗に踊らされた気もしないでもない。日本では美徳とされている潔さもそれほど感じれないから、気の毒な辞め方だ。

 さてさて話は少し変わり、今時どこでも一人の産婦人科医が仕事を辞すると言えば、それはすなわち病院から産婦人科が無くなるという事を意味する場合が多い。
 少なくとも一人産科医が減れば、仕事のしわ寄せが来る他の産科医も辞めざる終えなくなり、分娩取り扱い休止か制限に繋がり、地域の産科医療は大きく揺らぐ。
 産婦人科の仕事は総理大臣の仕事より難しくも無いし、厳しくも無いと思う(当たり前か)。とはいえ総理大臣にはじきに代わりが見つかるけど、産婦人科医に代わりは見つからないという分けだ。

 さてそういえば昨日は今をときめく舛添厚生大臣と県知事会の話し合いが行われて、産科医確保がその中心議題の一つとなったらしい。
 確かに今少しづつだが産科医の職環境は変わりつつある。

 今までは産科医に一方的にああしろこうしろという論調の話ばかりだった。しかし最近少しだけど、逆に世間の方が数少ない産科医の為に何が出来るか、と考えてくれる様になってきたのだ。
 ここは一つ時代の流れが変わったと信じ、産科医の仕事環境について、もう今が最悪でこれから良い方向にしかならないと期待しよう。

 さて僕も多くの職業人と同様に時々仕事の辞め方を考える。
 とはいえ最近ではそういう産科医の去就が世間の注目を集め、各種ニュースでも流される様になってきた。
 時代や地域社会が産科医の去就にコミットしだしているのをひしひしと感じている。
 時代には流れがある。僕が仕事を辞めるのは、多分安倍首相が総理を辞めるのにも近いくらい(もしかしたらそれ以上?)難しくなって来たんじゃないかと、それがちと心配だったりする。 
2007年09月11日
里帰りの妻たちへ
 昨夜はいつもの夕食時切迫タイムに若干の急患さん受診があっただけで、深夜出動も無くすんだ。ここのところ上手く分娩が昼間に集まってくれているので、深夜に起こされる事もほとんど無い。
 おかげで生活リズムが乱されないから、眠りも規則正しく深く眠れている気がする。
 きちんとメリハリ良く眠れると昼間の体温も安定して、身体の調子は良い方だ。
 ただ子供達が次々と発熱や腹痛で学校を休んでいるから、また子供に何かを移されて調子を壊す可能性はある。

 今日も外来、分娩、処置、病棟 エトセトラで忙しかった。とはいえ寝不足も無いし手術も無いから、火曜日としては楽な方の一日と言える。後残っている未分娩の方がスムーズにお産してくれれば言う事は無い。
 
 さて今日外来をしていたら、傍らのFMラジオで知多市民病院から産婦人科が無くなるというニュースが流れてきた。理由はもちろん産科医が病院からいなくなるからだ。
 知多市民病院の産婦人科部長は僕の先輩筋に当たる方で良く知っている。またいずれその詳しい事情を聞く機会もあるだろう。開業されるという話は聞いて無いから、おそらく他にもっと条件の良い病院に転勤を決めたのだと思う。市民病院だから産婦人科医がいて当然と言う考えは、もう完全に誤っている時代なのだ。

 僕は仕事しながら、このニュースをまるで自分一人に向かって放送されているかの様に聞いた。
 それまで知多市民病院では3人の産婦人科医で年150から200人の分娩を扱っていたという。
 それでニュースが全国(東海地方のみかなあ)に配信されるのだから、一人で年350人の分娩を扱う僕が仕事を止めたら、これまた大変なニュースとなるに違いない。何の因果かこういう立場で働いている自分を、馬鹿で可愛そうに思うし、また少し誇らしくも思う。

 さてさて来月10月の分娩予約が大変な事になっている。既に一月で47人の予約が入っているのだ。
 だいたい一人の勤務医が扱う分娩数は全国平均で月10人弱くらいだ。これでは来月僕はその5倍の分娩を扱う事となる。それでは僕の睡眠時間はますます減ってしまう。
 睡眠が足りないと当たり前だが頭は回らなくなる。診療の質も落ちるし、その危険も増すだろう。もちろん自分の健康も害する可能性も高い。今から戦々恐々なのだ。

 なおこの47人の分娩の方のうち、20人近くの方は里帰り出産の方だ。
 久美愛厚生病院には産科医が一人しかいなくて、ICUや麻酔科も無ければ、新生児科やNICUも無い。更には備蓄血液もほとんど無い。
 土台が基本的に違うのだから、都市部の病院と同じ産科診療レベルを維持するのは、僕がどんなに獅子奮迅?の努力をしても絶対に無理なのだ。 なぜそういう病院で好き好んで皆さん里帰り出産を希望されるのか、不思議に思う。

 それだけ生まれ育った親元で出産したいのだろうが、僕としてはこの際ぜひより安全で設備整い複数の産科医がいる都市部の病院(都市部でも十分な人数の産科医がいる病院は、いまやほとんどありませんが)で分娩される事を勧める。逆に親御さんに都市部まで出てきてもらうという選択肢もあるだろう。

 それだけ飛騨が好きなのかも知れないが、親元の安心を取るより、現実の安全を取ってもらいたいと、里帰りの方にはここでせめてものメッセージを送ってしまうのだ。
2007年09月10日
土地ってやっぱり高いと思う(其の1)
 代務医が来てくれているお陰で、この週末は毎日ぐっすり眠れた。こういう時にと夜更かしで本を読んだりしていたが、それでも寝不足感は全く無い。
 今日は午前中の外来の最中に、やや気がかりな分娩も重なったが、代務の先生に対応していただき、外来途中中断する事無く業務を進めれた。
 数をこなす必要がある外来では、仕事のリズムというのが重要だ。途中でリズムを乱される事が無かったから、何時もより早く外来を済ませれる。

 更に今日は昼の予定の手術も都合で流れたため、午後には少し時間も出来た。こういう時にと昔の海外遠征の続きページを新たに作ったりする。 個人の裏話を中心に書きましたので、ぜひどうぞ見てください。
 88年雪蓮峰のページへGO、更に89年のページにもGO。3部作の2部、3部連続で完結編です。

 さてさて、いきなりまたまたがらっと話は変わり、最近僕は住まいの為の土地を探している。
 子供達が大きくなってきて、院宅が狭くなってきたからだ。以前より病院にもっと大きい住居を探してくれと頼んでもあるのだが、学区や建物のレベルなどいろいろと条件をつけると中々良いのは見つからない。
 どれほど積極的に探すかでこういうのは変わってくるのだろうが、専門の業者さんの話でも、実際に都合良い物件はそれほど存在しないのだろう。
 そこで今更何度も引っ越すのは面倒だし、将来の事も考え、住宅用の土地を自己資金で購入する事を検討してみた。

 その過程で思った事は、やっぱり土地って高いという事だ。競争激しいハウスメーカーの努力もあり、家自体を高いとは思わない。むしろ安く感じるくらいだ。しかし土地は他のモノの値段と比べ、ただの地べたに過ぎないのに随分と高く感じる。
 土地なんてもともとこの世の中にあったものだ。造成等で多少の価値をつけれても、地べたの面積は永遠に変わらない。

 土地代というのはすなわち場所の使用権料なのだろう。この使用権料がどうしても自分の価値観では納得行かない値段なのだ。
 親から代々譲り受けた土地を持っている人はどうとも思わないのだろうが、他所から移り住んで土地を買おうと考えている僕から言えば、これはべらぼうだと思える土地の値段もある。
 
 さて歴史上日本は農地改革という名の土地改革が何回と無く行われてきた。
 このうち最も現代に影響を残しているのは、米軍占領下で行われた土地改革だろう。当時の地主がむりやり2束3文で土地を供出させられて、多くの小作民に非常に安い値段で配られたと言う。この辺の歴史はあまり学校では教えないのだが、おそらく高山の農地の多くはこの農地改革の影響を受けているに違いない。

 その後日本の経済発展は著しく、土地の値段は信じられないほど上がった。占領下に安く手に入れた農地を造成して売れば、それは濡れ手に粟の金額になるわけだ(もちろんこれは場所によりすごく違いますが)。
 こんな事が日本中の田舎に起こったら土地の値段は狂い、世の中おかしくなるというのは容易に想像付く。だからかなりの高山の農地は農地以外転用禁止となっている。

 場所の使用料はその時々の経済状況で変わるのは当然だろう。
 それにしても何でこんなに土地って高いんだろう。これじゃあ農転(詳しくはまた後日)を外して売れる田んぼを持つ農家の跡継ぎは、絶対に農家を継がないだろう。造成して宅地にして売れば、それで一生分の生活費がまかなえる。それじゃあ農家以外の仕事に就く気も失うだろう。現代の貴族の様なもので半分遊びのような仕事をしてれば、それでOKとなるわけだ。

 相続税等もも絡んでこの辺の構造については、おそらく日本の地方の経済の様々な根本的な事と関係しているに違いない。いずれもっと勉強して調べて、この続きを寝不足日記に書いていくのだ。
2007年09月09日
やっぱり今日は運動会
 晴天の日曜日となった。しかも代務の先生も名古屋から来ていただいている。ちょっと涼しくなってきたし、こういう時はいつもなら当然山に出かけるところだ。
 しかし台風の影響で今日は次男三男の運動会が入った。ここで山に出かけて家族のイベント?に不義理をしたら、ちとまずい。
 たまの休みに迷いも無い分けではないが、やっぱり今日は運動会に行って子供の姿を追いかける事にしよう。

 高山東小の運動会も長男の時から入れると、今年でもう10回目くらいだ。だいたい次にどんな種目があるかも予想できたりする。
 何時もの場所にゴザを広げて、時々昼寝しながら残暑の一日ををまったりとすごした。
 とはいえ仕事やサッカーを通じて、知っている親御さんや少年達も多い。サッカーの時ほど応援に熱が入る事は無いが、そんなこんなでそれほどゆっくりはできない。

 さて運動会の花形はやはり徒競走だと僕は思うのだが、自分の頃と異なり今の運動会に徒競走という種目は無い(これは高山だけの事かしら?)。
 あるのは各学年毎のリレーと、全校の選手リレーだけだ。
 今年の選手リレーには三男の集登が選ばれていてた。次男希太は選ばれなかった様だが、今の子供の性格らしく選ばれなくても、かえって楽できると嬉しそうだったりする。 一方責任感強いのか真面目なのか、集登はそれなりに緊張しているようだ。
 普段良く知っているサッカー少年達も総じて足の速い子が多いから、リレー種目は見ていて一番楽しい。
 知っている子が活躍するとそれなりに嬉しかったりする。

 さてさて昔はかけっこで転んで泣いたりする子も少なからずいたものだが、今の子は器用なのか、闘争心が減ったのか転んで泣く子は一人もいない。例年と変わらぬ平和な運動会だった。
 自分の頃の運動会と比べると、子供の数が少ない分子供同士の競争心は減っていると思う。
 それが良いか悪いかは分からないが、人数も多く色々な子供がいた昔の運動会の方が、多分見ていて楽しかったに違いないとは思ったりはした。

足の速いところを見せてくれよと期待して・・・

集登笛吹けど試合には負けるの図 これは動画です約20秒。期待はしないでね
 
2007年09月08日
たまの休みもいいものだ
 昨日産科医が厳しい手術に大汗をかいていた時にも、病院救外に急患さんが受診されたらしい。
 しかし僕等は手術でとても手を降ろせる状態には無い。急患さんは入院してでも僕等の事を待っていたらしいが、さすがに深夜に及ぶ手術に業を煮やして、自主的に帰宅されたという。
 産科医の診察を待つ急患さんの気持ちは分からんでも無いが、人命がかかる手術を疎かにする訳にはいかない。
 世の中には産科医は少ない。こういう事は仕方ない事だと、受診された急患さんにはあきらめてもらう他に道は無い。

 さてさすがに昨日の長時間手術は応えた。それまでに外来業務や分娩業務、更には2件の手術もこなしていたから尚更だ。その上に想定外の困難が加わると、とにかく大変なのだ。
 幸い僕には山で鍛えた体力があるから、途中で精魂尽き果てる事は無かったが、やはり暗い穴の中での手術の最後の方では、目の調節能力にかなり辛さを感じだ。
 身体は平気でも、微妙に各種パーツには老化の影響が出ているのだろう。
 自分ではまだ若いつもりでも、江戸時代ならそろそろ平均寿命に達する年なのだ(あまりこういう事は書きたくないけどね)。

 そんなこんなで、今日土曜日はしっかり身体を休めよう。本当は次男三男の運動会がある予定だった。今日は運動会の応援に当てるのが一番正解だ。
 しかし朝早くの連絡網で運動会は明日に延期と言う連絡が入る。何でも先日の台風で校庭がまだ水浸しらしい。
 それをいい事に、昼近くまで大寝坊とした。それほど暑くもなく快適な睡眠が取れて幸せを感じたりする。

 午後からはゆっくり床屋に行ったり、洗車したりで、買い物したりして過ごす。こういう完全な身体を休める休日は久しぶりだ。多分僕の場合こういう日は年に数日しかないだろう。
 昨日のオペ患さんらの経過も順調と言う事だし、たまの休みはいいものだと、心底おもっていたりする。


 さてさてとはいえただでは起きない僕は、空いた時間に20年前の僕の初めての海外遠征のページを作ってUPしました。これから更に続編があるのですが、ぜひどうぞ。 
 
  これ以前の日記は削除しました。