尼崎JR脱線事故で「最後の生存者」として救出された同志社大四年、林浩輝さん(22)=伊丹市=が六日、同大学のシンポジウムで初めて体験を語った。クラッシュ(挫滅)症候群のため両足を切断、体がいうことを聞かず、絶望や怒りをぶちまけた日々…。家族や友人の支えで前向きに生きられるようになり、「今後同じように苦しむ人を見たくない。そのために体験を訴えたい。それが自分の義務と使命」と決意を口にした。(中島摩子)
「JR福知山線事故の本質」と題したシンポジウムで、同大教授や弁護士、被害者家族らとともに出席した。
大学二年生だった林さんは通学のため一両目に乗り、運転士の真後ろに立っていた。脱線後、体が車体に挟まれ、レスキュー隊員らによって約二十二時間後に救出された。十数日たって目が覚めたとき、医師から両足の障害を聞いた。
一瞬で人生が変わった。失ったはずの足が痛む「幻肢痛(げんしつう)」にも襲われた。睡眠薬が手放せず、もがき続けた。怒りの矛先をJR西日本に向けても、けがは治らない。
家族や友人に支えられ、前向きになれたのは事故から半年後。リハビリに励みつつ病院でリポートを書き単位を取得。大学三年で復学した。京都市内で一人暮らしも始めた。「大きな壁にいっぱいぶち当たったが、乗り越えたことが自信になった。今はハードルにチャレンジできることに生きがいを感じる」。来春、社会人になる。
事故の被害者としてできることは何か、と考え続けてきた。「事故を風化させたくない」。そのために社会に呼び掛けようと、シンポジウムへの参加も自分から持ちかけた。
最後にJR西への思いを訴えた。「原因をしっかり追及し、同じことを絶対に起こさないで。そのための努力を十年、二十年たっても続けてほしい」