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│<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書くSep 24, 2007
さて。
三連休もいよいよ今日が最後。そろそろ遊びもお終いでしょうかね? ゆきっち様の継続的な努力のお陰で、有意義な問題を提起していただき、非常に価値があるこの時間的余裕がある三日間となりました。 この意味では、恐れる事を知らずにたゆまぬ努力を重ねてくれたゆきっち様に、心からの感謝を捧げたいと思う。(笑 ところで、昨日の夜にゆきっちが書いた記事はこのような文章となっている。
素晴らしい。 ゆきっちという人は、どうしてこうも次々と素晴らしい記事を書いてくれるのか、心底、感動モノですな。 まず、 1)しかしながら、お金にまつわる事は過去の事ではなくて今も現実に続いています。(母の周辺で) いやー。 これもさ、普通、離れた人間には、直接現場の生の声なんか伝わったりしないものなんだが、ものすごくヴィヴィッドな話をなんの躊躇もなく話してくれるとはありがたいですな。 2)私は統一教会の中心者の立場の人がけして悪意や誰かを不幸にしようとしてそうした事をしてる訳じゃない事だけは確信しています。 あのさ。。。 このクソぼけた幼稚園以下の言い訳はなんなのよ? 「けして悪意や誰かを不幸にしようとしてそうした事をしてる訳じゃない」なら、しても良いってのか? だから幼稚園からやり直せって言ったんだが、わざわざそうすべき必要性を自ら進んで告白する人も珍しいな。 けして悪意や誰かを不幸にしようとしてなければ、詐欺まがいの献金を迫り、その人が不幸になろうがどうしようが良いって言ってるように聞こえるんだが、そう言いたいのか? 3)でも現実には長い間、信仰をし続けて家や財産も何も無く子供達も寄り付かなくなって、病気になっても病院に行くお金も無く、それでも礼拝だけは何とか参加しようとしている食口のような人がいるのも事実です。 いや。。。そういう事は知っているけれどさ。。。 でも、改めて現在進行形で続いている事を、現役自ら告白してしまうって言うのは、これまた素晴らしく貴重な情報を提供いただきまして、真にありがとうございます。 4)でも、母が言うには教会の人達はそうした人がいても何の関心も示さないし、声もかけないそうです。 素晴らしい。感動しました。 自分では悪意や、誰かを不幸にしようと思ってなくて、それでお金もなくなり、家族や親族からも相手にされなくなった人がいるけれど、教会の人は知らん振りだというわけですか。 おい。そんな人間が集まって、どうやって地上天国を建設できるのか、説明できるか? これはぜひとも、数多くの食口とそしてビデオセンターやら、その他の伝道拠点、あるいは宝石展などの販売展示会でも大きくコピーして貼り付けておいてくれることを希望。 自分でも、多くの食口に知ってもらいたいといってたんだから、ぜひともそういう活動を進めてくれ。 それからさ、ここでゆきっちが取り上げられた人達の家にゆきっちも是非一度足を運んで見てきて欲しい。 その家に、教会の献金の代わりに残されていったものを。 最近献金し始めたばかりの人達はどうか知らんが、昔から繋がっている人なら、ほぼ100%、高麗大理石壷がデーンと鎮座ましましている事だろうよ。 そこで聞いておきたいんだがな。それらの高麗大理石壷は、一体誰が置いてきたんだよ? まさかゆきっちの理解では、akiさんが売ってきた事になってるのか? 現役の立場で、akiさんを壷売り女とか呼ぶことは、お前自分で自分の首を絞めていることになるとは気がついていないのか? ま、気がついていないから平気で書いてたんだろうが。あまりの馬鹿さ加減には改めて空いた口がふさがらないよ。 話を元に戻して、 5)私は今は“正午定着の時代”と言われているので、そうした現実から目を背けるべきじゃないと思ってブログの記事にしてみました。 (あとは、あくまで私のブログなんで…思ってる事を書いてるだけですが) という事は、そういう事を明らかにすることになんの躊躇もない、と言っているのだろうから、是非是非、その壷を置いてきた方々にも「壷売り協会長」とか「壷売り女の皆さん方」と呼びかけてきて、そして上の文章を大きく拡大コピーして、「これを教会に貼ってくださいね」という行動をしてきて欲しい。 というのが、無茶苦茶な皮肉であることは理解できるのだろうか? なんか、これも通じなさそうな雰囲気なのは、次に何がおきるか、まだまだお楽しみが続きそうな予感を与えてくれるわけだけれど。 それから、上では引用していなかったけれど、 6)あと、ついでに私の好きなアーティストのことやCDも教会の上の人や周りの人に勧めてみたけど…忙しいって理由で断られたり、相対してくれる人はいませんでした…でも天理教の人達には評判が良かったです。♪ これも二つの意味で素晴らしいことを伝えてくれている。 教会の上の人も周りの人も「忙しい」という理由で断られたり、相対してくれなかった、というのが事実であるとすると、UCで言う「心情文化世界の建設」(だっけな?)っていうのが、単なる表向きのスローガンとか、あるいはお金が自由に使える幹部だけの特権であって、末端の協会長や信者クラスでは、CDを聞くような精神的、時間的余裕が与えられていない、という事を伝えてしまっている。 あるいは、時間はあるけれど、そう言って断られたとすると、要するにゆきっちが、周りの人の空気を読めずに、「今、そういう事を話する時ではないでしょ」という事を婉曲的に断られたという意味かもしれんしな。 これがまずUCあるいはゆきっちの側の問題。 一方で、天理教の人達には評判が良かったみたいです、と言って音符までつけて書いているが。。。 これだけを読む限り、UCよりも天理教の方が器が広そうに感じてしまうのだが、そういう事を伝えたいわけなのか? 本当に、どこまでも突っ込みどころ満載というか、地雷を次々と自分で踏んで歩いているというか。。。 元の立場としては、心底、次の記事がどうなるのか期待したい。 これについてはもう一つ書きたいことがあるので、続く。。。 │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |