ロサンゼルス・タイムズの元東京支局長、サム・ジェームスン氏によると、米国紙のアジア報道の主流は「インフォテインメントにある」という。
インフォメーション(情報)とエンターテインメント(娯楽)の合成語で、有り体にいえば、事実はともかく白人キリスト教社会の読者を驚かせ、同時に優越感をくすぐる“読み物”のことだ。
例えば、米国三菱自動車で起きたセクハラ事件でのワシントン・ポスト紙の記事。同紙は、なぜ(純な)米国人男性従業員が「大量、長期にわたって」セクハラに走ったかについて、「日本に研修にいった従業員は毎日のようにセックスを娯楽として楽しむ施設に誘われ、その結果、セクハラに抵抗がなくなってしまった」「女性蔑視を根源にもつ三菱もそうした行動には寛容で、むしろ抗議する女性を脅して口止めした」と。
三菱が調べてみると、日本の同僚が米国からの研修生を一度、生板ショーに連れていったことがあったという。それが「毎日のように」になり、さらに三菱も「セクハラ推奨」企業に仕立て上げられる。ちょっぴりの真実と山ほどの誇張という、インフォテインメントの極みをいく記事である。
その意味でニューヨーク・タイムズ東京支局長、ニコラス・クリストフの名は欠かせない。前任地の北京では、あの天安門事件にぶつかり、その報道でピュリツァー賞も受賞した大物記者だ。
彼がこの道で実力を発揮したのは文化大革命当時の人肉食、カニバリズムの話だ。「情報提供者は反体制派の一作家」(同氏著「中国の目覚め」)で、あの文革期間中、「少なくとも百三十七人、おそらくは数百人」の走資派が殺されて煮られ、「大勢で分かち合って食った。食ったものは数千人に上る」と書く。衝撃的な話だ。
確かに中国には昔、人肉を食べたという史実がある。水滸伝にも人肉を生で食うシーンがあるし、清代まで続いた凌遅(寸刻み)の刑では、そぎ取った被処刑者の肉片が吹き出物に効く薬として市民に分配されたこともある。「大勢で分かち合う」根拠はこの辺から取ったものだろう。
ところが、それほどの騒動でありながら、こうした記録は彼の言う「一作家」以外に出てこない。本紙の「毛沢東秘録」スタッフが集めた膨大な資料の中にもそういう“走資煮らる”報告はない。
中国政府もその辺を話したがらないから、どれが誇張でどこがうそなのか、よく分からない。インフォテインメントの妙である。
さて、彼は東京支局長になってからも、この種の記事を多く書いている。三重県の山村を集中取材した「メーンストリート・ジャパン」シリーズの「日本人夫婦に愛はない」もその一つだ。結婚して四十年、「夫から貰ったのはげんこつだけ」という主婦を「日本の妻」の代表に据えて、「彼女らは家のため子供のため、じっと耐え」る奴隷的存在で、だから「日本人夫婦にはもともと愛などは存在もしない」と結論づける。
これがニューヨーク・タイムズの一面にでかでかと載り、「女性蔑視の国・ニッポン」の一断面として米市民を喜ばせる。
「残虐行為に取りつかれた日本軍兵士」というのもある。これは大受けした人肉食事件にあやかった日本版で、第二次大戦中、中国北部で「十六歳の少年を殺し、その肉を食った」老人が「やせこけた手を枯れ葉のように震わせ」て告白したという記事である。
「たった一度のことだった。量も少なかった。しかし六十年たった今でも忘れられるものじゃない」と老人は語る。そして「今なお、戦争中に犯した行為の記憶におびえ、心に残る悪夢は終わることはなく続く」と結んでいる。
ところが、ニューヨーク・タイムズの一面に本名で登場したその老人に本紙記者が聞くと、話は少し違う。「(クリストフ氏が執拗に)人肉を食ったかと聞くのでそんなことはないといった」
それでも食い下がるので、「そういえば駐屯地近くの市場に珍しく新鮮な肉が出回った。みんなで買って食ったあとに憲兵がきて日本兵が中国人の子供を殺害したので捜査しているという。それで冗談で、あの肉がもしかして殺された子供の肉だったりして、なんて言い合ったことを話した」。
別に「枯れ葉のように手を震わしてもなかった」し、「悪夢も見ない」という。
その点を本人に会って確かめてみたが、少年殺しを追った憲兵の証言や当時の記録も取ってない。少年を「十六歳」とした根拠もはっきりしない。日本兵は残虐なんだから、それぐらいのうそは構わないということかもしれない。
同記者のインフォテインメントは米国では当然、受けた。ただ在米邦人が出版した「笑われる日本人」の中で、この辺を抗議し、斉藤駐米大使も「不愉快」と発言したりで、最近は精彩を欠いていたという評判だ。
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そのクリストフ支局長がこの二十九日、ひっそりと離任し、米国に帰った。新しい赴任先は決まっていない。真実をものともしない筆致には、少なくとも反面教師として学ぶべきことも多かったが、それもかなわなくなった。少し残念ではある。(編集委員)