現在位置:asahi.com>社説 社説2007年10月07日(日曜日)付 政治とカネ―非公開になぜこだわる安倍政権を揺るがせた「政治とカネ」の問題に、どうけじめをつけるか。与野党の綱引きが活発になってきた。 まず前に踏み出したのが民主党だ。 1円以上のすべての支出について、収支報告書に領収書のコピーの添付を義務づける。そうした政治資金規正法の改正案をまとめ、近く参院に提出する。情報公開制度を使えば、だれでもすべての領収書が見られるようになる。 共産、社民などの野党に加え、与党の公明党も賛成の立場だから、参院を通るのは間違いなさそうだ。衆院でも可決されれば、現行の5万円以上に比べ、公開度は飛躍的に高まる。 だが、これに立ちはだかるのが自民党だ。連立パートナーの公明党にいくら同調を求められても、「事務が煩雑になる」「会食相手が明らかになれば政治活動の自由が損なわれる」などの理由をつけて、全面公開を拒んでいる。 その代わりに、と自民党が提案するのが、守秘義務のある第三者機関にすべての領収書のコピーを検査してもらい、収支報告書に添付するのは5万円など「一定額以上」に限る、という案だ。 確かに、第三者機関のチェックを受ければ、福田首相のケースのような領収書の書き換えなどは防げるかもしれない。だが、それは本来、政治家や政党が対応すべきことだろう。民主党はすでに公認会計士などの監査を内規で義務づけている。多額の税金を使ってまで新たな組織を設けるような話ではあるまい。 そもそも、自民党内の反対論は矛盾だらけだ。事務が煩雑になると言うなら、第三者機関にすべての領収書のコピーを出し、その中から一定額以上を抜き出して収支報告書に添付する方がよほど面倒だ。それに、会食相手の名前が書いてある領収書など見たこともない。 最近もまた、民主党の渡部恒三前最高顧問に事務所経費の疑惑が発覚した。政治資金をもうひとつの財布として自由に使っているのではないか。政治家は、そんな不信の目で国民に見られていることを自覚すべきだ。政治資金には毎年300億円以上の税金が投入されていることも忘れてはならない。 「政治とカネ」の問題で、いつまでも政治が混迷するのはもうご免だ。この国会できっぱり決着をつけてもらいたい。それが多くの国民の願いのはずだ。 最も効果的で手っ取り早い対策は明らかである。すべての領収書を国民に公開し、その監視にゆだねることだ。 その意味で民主党の提案は大きな一歩だが、改善すべき点がいくつもある。 まず、情報公開制度の手続きをとらなくても、閲覧できるようにすることだ。報告書の提出先が総務相と都道府県選管に分かれていては、照合しにくい。総務相に一本化した方がいい。領収書はコピーではなく原本を添付させるべきだ。 週明けから予算委員会などで議論し、きちんとした制度をつくってほしい。 死刑自動化―そんな軽い問題ではない1993年、3年余り執行されなかった死刑が再開された。 執行を命じた後藤田正晴法相は国会答弁で、「私に与えられた使命を、一方で非常な悩みを持ちながらも、法務大臣の権限でおれはやらぬというわけには、私はできない」と述べた。そうした思い悩む様子が、当時の秘書官によって追悼集に書かれている。 その死刑執行の問題が、鳩山法相の発言をきっかけに再び注目されている。 鳩山氏は「法相が判子を押すか押さないかが議論になるのがいいとは思えない。順番通りなのか、乱数表なのかわからないが、執行が自動的に進むような方法はないものか」と語ったのだ。 法相は死刑判決の確定から6カ月以内に死刑の執行を命じなければならない、と定められている。だが、その通りになっていないのが現実だ。在任中に一度も命令を出さなかった法相もいる。 そうした現状への「問題提起」と鳩山氏は言うが、「すべてを法務大臣におおいかぶせるということであれば、法務大臣が苦しむ」とも述べた。そんな苦しい仕事から法相を解放したいという思いもあるのだろう。 しかし、死刑は国家によって執行される。その責任を法務行政の最高責任者である法相が負うのは当然ではないか。 苦しいと言えば、法相だけでなく、死刑判決を書く裁判官も思い悩む。 後藤田氏は国会で、「裁判官に死刑判決という重い役割を担わせ、それを法務大臣が執行しないというのでは、国の秩序がもつんだろうか」と述べた。 そうした後藤田氏の言葉に比べると、鳩山氏の発言はいかにも軽い。人を死に至らしめる権限を持つ法相は、ほかの閣僚よりも一段と高い人格と識見が求められるはずなのに、なんとも残念だ。 ほかの刑罰と違って、なぜ死刑だけは法相が最終関門になっているのか。その理由も改めて考えたい。 死刑は執行すれば、取り返しがつかないからだ。死刑判決の確定後、法務省は裁判記録をもう一度調べる。判決に疑問がないか、念には念を入れるのだ。被告の側から再審請求が出ることもある。 そうした実態を見れば、死刑執行の自動化は非現実的といわざるをえない。 死刑執行の問題の背後には、そもそも死刑制度を続けるかどうかの問題があることも見過ごせない。だからこそ、法相の職に就くと、執行に悩んだり、命令を出すのを拒んだりするのだ。 世論調査では、死刑制度を認める人たちが圧倒的に多い。しかし、欧州を中心に死刑廃止に向かう国際的な流れがある。1年半後には裁判員制度が始まり、市民が死刑に直接向き合う。死刑制度をどうするかの議論は、避けて通れない時期に来ているのかもしれない。 鳩山法相は死刑自動化について省内に勉強会を設けることを命じた。それは時代に逆行しているとしか思えない。 PR情報 |
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