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October 05, 2007
書評:女が男のフリをして1年生活したら?
Self-made Man
One Woman's Year Disguised as a Man
Norah Vincent
去年の12月に読んだ本なんですが。女性ライターが1年間男性のフリをして男社会に潜入して書いたレポート。面白おかしい本かと思って買ったら、大変シビアなものでした。はい。
大体、潜入するところがとんでもない。
「ボーリングクラブ」(←なぜかアメリカでは、落ちぶれた中年男性の娯楽として普及。日本で言うところの雀荘みたいなもんかな?)
「修道院」(←いわずもがな・・・)
「男性の集団セラピーグループ」(←かなり女性関係で傷を負った人ばかりで怖い。)
などなど。作者の人は、本の表紙に女の服装の写真と、男装の写真両方ありますが、最初見たとき
「女装の男」
かと思ったくらいで、かなり男らしい女性なので、誰にも疑われずに男の園の奥深くに潜り込んでいく。
ボーリングクラブで仲良くなった仲間に、最後に
「実は私女なんだ」
と告白しても誰も信じてくれない迫真の変装。(無精ひげまで「捏造」。)
・・・・その1年間で、彼女が発見したのは
「男は大変だ」
ということ。「俺について来い」的リーダーシップと家族を支える経済力、という「昔からの男の仕事」に加え、繊細な思いやりとやさしい理解力が求められる。
これは大変です・・・と。(ま、これは、あえて1年も潜入しなくてもわかることではあるが、そこは実体験の深みがあるわけです。)
さらに、男同士の会話は常に表面的で、心に深く潜む悩みを語り合ったりしない。しかし、悩みを聞くのが得意な女性とは「友達」になれないので打ち明け話をする相手が誰もいない。。。。これが、結構男性の孤独を深めている、という観察もある。
ボーリングクラブで仲良くなった「男友達」の一人とは、この取材潜入の後も交友関係が続くのだが、相手の男性は
「男友達のようでありながら、女性の感性で話ができる得がたい友人」
を得た、と喜んでいる模様。
(この辺、日本人男性よりもアメリカ人男性の方が孤独かなーという気がします。日本人男性は職場の同僚と延々と「くどくど」やるの好きでは。若い頃、会社の飲み会であれに付き合って、「会話に加わっているフリをしながら、心を彼方に飛ばして耐える幽体離脱の術」を学びました。はい。)
さて、「デート」について語る章は結構おかしい。
というのも、彼女はレズビアンなんですな。実は。で、この取材で、ついに今までタブーだった
「完全にストレートの女性に心置きなくアプローチ」
ができるとワクワク。しかも、それまでの潜入体験で、完全に「男」として通用する自信もあり、それなりに見た目も悪くない(これまた表紙の写真参照のこと。この人、実際、女性としてのルックスより男性版の方がレベルが高いです。)しかもその上、なんといっても本当は女性だから、細やかな女性の心もわかるわけで精神的にもどーんと受け止め可能。(さらに、しかも、本当に女が好きなわけだし。)
「もしかして自分はデートするには理想の男性?!」
という気負うのでした。
・・・で、オンラインで知り合ったアマタの女性とデートをするわけですが、残念ながら、これがかなりの苦行に。来る女性、来る女性、今までの恋愛の苦労話。相手がいかに嫌なやつだったか・・・などなど。いきなり初対面で出てくる話題が「くどくど苦情」ばかりで辟易し、「ストレートの女とのデートも大変だ」という結論に。
(とはいうものの、Hまで持ち込んだデートもある。もちろんあるところで「実は女なんだけど・・・」と告白するのだが、それで相手もちょっと考えて、「でもOK」てな感じになる。さすがです。)
多くのデート相手が、彼女が「実は女」と告白した後で、
「何か変だと思ったんだけど、そうだったの」
となる。「ゲイだと思った」という女性もいて、いずれも「変だ」と思う理由が
「おしゃれすぎる」
「髪の毛がちゃんと整いすぎている」「靴がステキすぎる」などなど。しかも、そういうオシャレさが、必ずしも女性に対する男性のセールスポイントとしてプラスに働かなかったりするのでありました。デート相手の一人の女性いわく、
"I thought him(男性のフリをしている筆者) good-looking and likable and the date was so very enjoyable (中略) But in the end, Ned (筆者の男性名) himself did not elicit any immediate visceral sexual response from me. Ned was too slight for me, too metrosexual.(中略)I like boys that weigh two hundred pounds. And yes, I find them emotionally disappointing, especially in bed, but the physical strength, the roughness I find erotic and I do not prefer sex otherwise."
アメリカ人の男がラフでオシャレじゃないのは、女性がそういう男を求めているからだったのねー・・・という当たり前の落ちですな。
ちなみに、筆者は1年の潜入経験のあと、精神的に変調を来たしセラピーにかかることとなる。それくらい無理をして体を張って書いた本です。いわゆる「ジェンダー問題」的なものに興味がある人は読んでみてください。
私はといえば、本屋で表紙を見て「オモシロそうな本だ」と買ってみた軽やかな期待は裏切られたわけですが、修道院にまで潜入した筆者の根性には打たれました。濃いです。
07:23 PM Permalink | コメント (5) | トラックバック(0)
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Comments
うーむ。「彼ってハンサムだし好青年だし、デートはとっても楽しかったわ。だけど理屈抜きにセックスしたいって気になれなかったの。あたしにはネッドじゃ足りないっていうか、彼はあまりに都会的でオシャレなのよ。体重が90キロもあるような男がスキ。もちろん、そういう相手だと情緒的にはガッカリさせられるわ。とくにベッドではね。でもそういう肉体的な強さとか荒っぽいカンジ?そういうのがないとエロじゃないしセックスする気になれないのよね」ですか。キビシー!! (かなり長身でないと単なるデブだ。)
Posted by: 鱈 at Oct 5, 2007 11:45:54 PM
ぜひ、セカンドライフで男性になりきって……
Posted by: 石川 at Oct 6, 2007 1:12:12 AM
>会話に加わっているフリをしながら、心を彼方に飛ばして耐える幽体離脱の術
ははは。これには思わず笑っちゃいました。でもこれは下手に真似すると「お前聞いてんのか?」って怒られそうですね。
千賀さんの言うとおり、確かにアメリカ人の男ってあんまり愚痴をクドクドと表立って言わないですね。常にタフガイでなきゃいけないっていう暗黙の掟みたいのものがあるんでしょうか。
単にアメリカ人の方がストレスを発散する方法を心得ていて、愚痴を垂れ流す「必要」が日本人ほどにはないだけという側面もあるような気がします。それと日本人のように毎週金曜日は会社の飲みで愚痴大会っていうような「機会」がアメリカにはないというのもあるでしょうが。
Posted by: はくほー at Oct 6, 2007 3:36:08 AM
同僚とくどくど愚痴りあってストレス発散!というのは40代以上の文化かな、という気がします。
自分は今30代半ばですが、自分の同世代(及びそれ以下の人達)は、あまり職場の人と飲みに行かないか、行っても仕事の愚痴を披露するというのは少ない気が。(サンプル数が少ないので、あくまで「気がする」レベルですが)
なんだか急に、大丈夫か俺?という気分になってきました。知らない間にストレスが破裂寸前な状態だったらどうしよう??
Posted by: kenjiro at Oct 6, 2007 11:05:40 AM
>「ボーリングクラブ」(←なぜかアメリカでは、落ちぶれた中年男性の娯楽として普及。
ちょうどどんぴしゃりの男性に心当たりがあるので、爆笑してしまいました。最近ボーリングクラブで楽しみを見つけたらしと聞いていたのですが、そういうことだったのですねえ。。。
彼のケースを見る限り、「野郎仲間からつまはじき気味で女の中身を見る目もないタイプがボーリングクラブに集まっている」というほうが真実のような気もしますが。アメリカ男性のbuddies(=兄弟、幼馴染、学生時代からの仲間など) とのつながりって、そんなに浅くないですよ。
アメリカ男性の王道は、「若いころはbuddiesとつるみ、結婚してからはひたすら家族を大事にする」という生き方なのではないでしょうか。そこからはずれてしまった孤独は、ある意味アメリカ版”負け犬”なのかもしれませんね。華やかさがないぶん、しゃれにならないかも。
ひるがえって日本男性を見ると、職場の”くどくど”は、”家族的つながりを会社に求めている”とも見受けられます。アメリカ型資本主義がどんどん進んでいるご時世ですから、この際すっきり”家族的つながりは本来の家族に求める”と目覚めるほうがシアワセなのでは、と心配になってしまいます。”どっちもない”状態につき進んでいかないことを祈ります。
Posted by: えり at Oct 6, 2007 11:49:11 AM