おーい、みんな生きてるか 投稿者:管理者  投稿日:12月 9日(火)14時58分23秒

迷った挙句、やっと掲示板を設置した。
批判的な書き込みは削除しないが、誹謗中傷は私の独断で削除させていただく。
商業的な書き込みも一切妥協せず、見つけ次第削除する。

元全共闘のみな、生きていますか。
ベトナム反戦を忘れたか!
生きているならここで何とか言ってよ。


こんにちは。 投稿者:MAKI  投稿日:12月 9日(火)22時40分46秒

掲示板開設、おめでとうございます!
当時を知らない若輩者ですが、勉強させてください。
何か・・いろいろ・・・誤解というか、事実がごっちゃになっているような気がします。
イチから認識し直しますので。
ありのまま、を知りたいです。きちんと読みますね。


祝 掲示板開設! 投稿者:周こと萩原周二  投稿日:12月 9日(火)23時44分37秒

 将門Webの萩原周二です。ハンドル名は周です。
 こうして、「1968掲示板」が開設されて、実に嬉しいです。こちらのホー
ムページが開設されたときに、全てのページを一気に読みまして、大変に感動
したのですが、「なんで掲示板は作られないのかな?」なんて思っていました。
 掲示板は、管理者がちゃんと仕切れば、いいコミュケーションの場になって
いくと思いますよ。
 私も必ず毎日拝見しにきます。そして、ときどき書込みさせてください。
http://shomon.net/


周さんありがとうございます 投稿者:管理人  投稿日:12月10日(水)08時47分47秒

周さんには当HPの開設時よりご覧になっていただいているようで感謝しております。
私も頻繁に迷路のような周さんのHPを探検しており、その幅広い見識にはただただ敬服しています。
掲示板の設置にはかなり躊躇しました。
リンクを張っていただいた「Syuugoro」さんの掲示板の執拗な荒らしの被害を見ています。
Syuugoroさんは本当に忍耐強い方で、その粘り強さにも敬服しています。
日大全共闘は極めて単純です。
親分である我が元理闘委委員長の緊急メッセージをもらい、俄然肩に力が入ってきました。
僕たちのベトナム反戦は何だったのか・・・・!
仲間が声を上げるためにささやかな場になればと設置しました。
掲示板はいいですね、いつでも何処からでも書き込めます(職場にて)


おめでとうございます・・・ 投稿者:世代違いの日大OB  投稿日:12月11日(木)22時12分59秒

・・・今日はいつもより多く回っています〜(違います?)
掲示板開設おめでとうございます。
ところで先輩方の時代には白山通りの「いもや」(天丼屋)ってありましたか?
緊張感を瞬間解凍してしまい申し訳ありません。


神保町情報 投稿者s●  投稿日:12月12日(金)05時08分55秒

「いもや」(天丼屋)いまもあります
時々行きますよ
てんぷら屋(いもや)も健在です


BBS開設おめでとうございます 投稿者:遅れてきた全共闘世代  投稿日:12月12日(金)08時53分1秒

BBSの開設おめでとうございます。過去の思い出を整理するのも大事です。当時みんなが使用していた「総括」が求められる時代になりました。
 自衛隊のイラク派兵には私は反対です。8月に前防衛庁長官中谷元氏と私がやっているラジオ番組で対談しましたが、その当時の「予想」とは今は全く異なるからです。
 インターネットラジオにもしていますので、やりとりを時間のある人は聞いてみてください。(詳しく質問したメディアはありませんので。今となれば貴重な資料です。)


訪問頂いた皆さんへ 投稿者:理工OB  投稿日:12月12日(金)12時29分34秒

只今お昼休みです。
掲示板はいいですね、勤務先でも書き込めます。
理工OBこと管理人です。
管理人での書き込みは威圧的なので、管理用以外はこのネームで書き込みします。
世代違いの日大OBさん、遅れてきた全共闘世代さん、世代は不明ですがMAKIさん(文面から察すると女性?)、周さん、Sさん、同世代に異世代と登場いただき有難うございます。
理闘委の仲間はどうした、見ているか!!!
委員長のメッセージは見てくれたか!!!


掲示板開設おめでとうございます。 投稿者:Syuugoro  投稿日:12月14日(日)12時43分3秒

こんにちわ。
一週間ほど訪問させてもらっていなかったのですが、掲示板が出来ましたね。
おめでとうございます。

再び全共闘世代が、今度はネットに結集して、
今の混迷した日本の状況を切り開くために、新たな運動が出来ればいいですね。

みなさん、それぞれ社会に出て、さまざまな体験をされておられることでしょう。
その体験を活かし、小異を捨てて大同に就く「全共闘」の精神で・・・・。

ちょくちょくお邪魔させていただきます。


自衛隊イラク派兵 投稿者:20代の大学生  投稿日:12月16日(火)02時47分47秒

掲示板の皆さん、はじめまして。
ついに掲示板を設けられたのですね。様々な方と意見交換ができるといいですね。

元理闘委委員長さんが緊急アピールをされるなど状況が非常に緊迫しています。残念ながら9日に自衛隊イラク派兵の基本計画が閣議決定しました。
皆さんそれぞれお考えのところがあると思います。
先日、私は10月に知り合った反戦団体のデモに参加しました。
最近、「何も行動しなかったら賛成しているのと同じ(というような内容だったと思います)」という言葉で自分も何らかの意思表示をする必要性があるのでは、と考え始めたものの、私は学生運動に興味があるだけの理由で反戦団体に近づいただけの人間です。ですから本当にこの自衛隊のイラク派兵に対して意思表示をすべきなのか否かもいまだ結論が出ていません。意外にもこういう人は多いのかもしれませんが。
先日、あるニュース番組で、閣議決定時の小泉総理の言葉に納得できない人は(南)関東で60パーセント、イラク派兵そのものについては反対が50パーセント程度という結果を扱っていました。納得のできない話を聞いても、なお、派兵に関しては賛成と反対が半々という結果に対して何ともいえない気持ちでした。
10月以降、反戦団体の方とは色々な話をしました。戦争とは何か、デモとは…。戦争反対の理由が人が傷つくから、などというと子どもじみているという意見は確かにあるでしょう。
しかし、ある人が「戦争とは人間疎外であり、人々の生活がなくなるということを考えなくては」と言いました。結局は難しい政治の話や、国益がどうとかいう議論ではなくなっていきました。大学生にもなって幼稚な議論だと思う反面、結局はそこに行き着くのだということを考えさせられました。とはいっても私たちは戦争を知らない世代です。イラク派兵は他人事になってしまいます。人が死ぬということを極めて実感しづらいのです。


世代違いの日大OBへ   投稿者:理工OB  投稿日:12月20日(土)19時49分26秒

メール有難うございます。
返信をしましたが、送られてきたメルアドへの送信はサーバー不明ではねつけられます。
返信の内容にはHPに上げるには少し詳しすぎる個人情報があります。
よろしければ、メルアドをチェックして再度メールをいただけませんでしょうか。
管理人こと理工OB


初めまして 投稿者: 投稿日:12月21日(日)22時47分52秒

私の従兄弟は法共闘でした。
寡黙な兄でして何も取り立てては話してくれません。
11月の日大・東大集会と10,21新宿の闘いについては少し。

卒業せず稼業を継いでます。


届いております 投稿者:世代違いの日大OB  投稿日:12月22日(月)07時31分4秒

届いていますよ
なぜか先週はサーバー不良があったみたいです。
とても貴重なお話ありがとうございます。


藪 さんへ 投稿者:理工OB  投稿日:12月22日(月)09時05分28秒

私は5つ上の兄がいましたが、既に社会人だったので兄と全共闘の事で余り話した事はありません。
卒業後も地方に帰省したのでその話題は30数年「封印」してきました。
息子が成人した頃から、時折当時の事を話したりしました。
今回、思い立って言葉にしたのは、下の息子(24歳)が友人に「お前のオヤジは社会主義者か?」と問われた、と私に言いました。
私はそれに対しその時十分な返答が出来ませんでした。
息子でさえ、父親のやった事の「情報」を持ち合わせていなかったのです。

従兄弟さんが寡黙で余り語らないと言われていますが、私も語ることに大変な抵抗がありました。
日大闘争は9月30日を境に大きな変化がありました。
私達はみんなの力で勝ったのに、勝てませんでした。
国が、政治が私たちの行動を「許されない行為」として厳しく対応するようになりました。
それまで、一緒に戦っていた一般学生も徐々に離れていきました。
兄上もそうだと思いますが、私(達)は「俺たちの目指し望んだものはこんなんじゃない!」と妥協を選ぶ事が出来ませんでした。
ロックアウト、授業再開、除籍、卒業と全共闘の尖鋭部隊はどんどん追い込まれていきました。
私(達)日大全共闘はイデオロギーの戦いをしていたのではありません、社会正義を正す戦いをしてきたつもりです。
政治の戦いは言葉での「総括」が出来ます。

世の中正義が勝つはずです。
私(達)は総括のしようが無かったのです。
従兄弟さんの寡黙は私には分かり過ぎるほど分かります


ありがとうございます 投稿者:  投稿日:12月24日(水)22時46分43秒

以前、兄の連れ合いさんから聞きました。
10.21新宿から電話があったそうで「新宿じゃない。なんで新宿なんだ」と。
姉から、そう聞きました。姉は「日大全共闘なの。根っから」
兄の心栄えはわかりません。私は、今もまた兄に絶対に聞けません。

理工OBさん
ありがとうございました。


語ること・・ 投稿者:理工OB  投稿日:12月25日(木)06時53分4秒

総括・・・・・・、
総括が必要なんだと、人に言われたことがあります。
人の命、歩みはひと時も止まらず流れています。
ある時点で流れを区切って整理するという事は必要かもしれません。
私にとって生きるうえで大事なのは、その「思い」を持ち続ける事でした。
語らない、ということで「思い」を持ち続けてきたのでは、
総括しない、総括できないことで「思い」を持ち続けてきたのでは、
そう思っています。

しかし、語らなければ誰も何もわかりません。
この歳になってもやはり総括は出来ませんが、
やっとの思いで語ろうとホームページを立ち上げました


思い 投稿者: 投稿日:12月26日(金)00時03分23秒

私も70・80年代にかけて運動に参画してます。
「総括」はできていません。ある種の感想はありますが。
「語る」。大切だと想います。そこまでの一歩。その踏み出し。

この場で、私が書けるような資格があるのかどうか。
従兄弟は、ニヤニヤ笑いをするだけだろうけど、私に。
すみません。

理工OB さんの仰る、
>私(達)は総括のしようが無かったのです。

そこまでの根性は、ありませんでした。


日大闘争の総括について 投稿者:理工学部の居候  投稿日:12月26日(金)05時18分33秒

日大闘争の総括は闘争の最盛期で既に行われています。
そしてその後、日大闘争は「勝利でもない、敗北でもない」と総括して散っていきました。
自分は、それを踏まえて、勝利すべき側、労働戦線へと身を投じました。
そして今2004年を迎えるに当たって、日大学内へと再び目を向けようとしています。
当局に復讐するつもりはありませんが、現学生に向けて語りかけ続けたいと思います。
それが自分の決意です


総括について 投稿者:理工OB  投稿日:12月26日(金)06時56分15秒

総括について、辞書上の意味でなく、私なりに定義をしてみました。

1、総括、理路整然と他人を納得させるもの。
2、総括、理路整然と自分を納得させるもの。
3、総括、理路整然と他人も自分も納得させるもの。

4、総括、心情的に他人を納得させるもの。
5、総括、心情的に自分を納得させるもの。
6、総括、心情的に他人も自分も納得させるもの。

7、総括、あきらめ終わるためにするもの。
8、総括、経過を一時保留にするため区切るもの。
9、総括、更なる継続を期するため行うもの。

日大闘争を、全共闘を戦った皆は総括をどういう意味で捉えているのでしょうか。
私は「自己否定」とか「大学解体」とか、よく耳にしたような言葉で総括が出来ませんでした。
私は上記の全てが出来ていません


本 投稿者: 投稿日:12月27日(土)00時33分26秒

叛逆のバリケード、獄中記、田村さんの、芸闘委・橋本さんの。
それ以上の想いがあるのでしょう。数千・万の係わった方々の。

若い頃、アテネ・フランセで日大闘争の記録を観ました。
小さな写真誌を買いました。
今、手元にはありません。ページをめくるたびに背表紙の糊がはがれ。
写真集もありましたね。右翼が斧をもって追いかけるシーンが印象にあります。

私の読んだ本。です


自衛隊をイランに 投稿者:単純な理工OB  投稿日:12月27日(土)23時17分33秒

イランの大地震で何万人という死者がでている。
惨状がテレビでも報道されていた。
赤十字やNGOが救援に早立ち上がっている。
イラクに派兵を予定している自衛隊をイランに丸腰で、銃器の変わりにスコップを、装甲車の変わりに重機を、急遽送り込んだらいいと思うのだが・・・・。
息子に「父さん単純で安直過ぎるよ、そんな単純な問題じゃないのでは?」と若干見下されて物を言われてしまった。


Re:自衛隊をイランに 投稿者:Syuugoro  投稿日:12月28日(日)07時28分54秒

 おはようございます。
 もちろん要請されればのことですが、自衛隊のイラン派遣、賛成です。息子さんに、という
より、今の若者にですが、もっと単純に、というより、素朴に考えることの大切さを伝えてく
ださい。同志社の先輩からということで。

 僕らのやったことは「素朴実戦主義」、サルトルの言葉で言えば「戦闘的ヒューマニズム」
だったと思うのですが、この「素朴」さを、いやがる若者たちに、どうしてもプレゼントしな
ければならないと思うのです。


(無題) 投稿者:坂井  投稿日:12月28日(日)10時41分54秒

自衛隊の派遣についてですが、早急にイランの地震の救援に出るべきです。今本当に救援が必要なのは彼らです。確かに苦しんでいる人に優劣はありません。しかし我々日本や国際社会が貢献できる事は他にもあると思う。今や余り話題にもならない、アフガニスタン、コソボなどの復興はどうなの?中にはがんばっている人もたくさんいます。その様に本当の復興はとてつもいない時間と、ケアーが必要なのです。イラクも、正に大病にかかった病人です。はじめは義理でお見舞いも来るでしょうが、10年、20年とたったときに本当の友人がわかるはずです。政府は話題にならないからといって、その頃援助を止めるのでしょうか?1国会の、1首相、1大統領の任期中に解決できる問題ではない、我々が、友人として、未来に対し背負わなくては、ならないものなのです。


(無題) 投稿者:よし  投稿日:12月28日(日)11時20分56秒

自衛隊の皆さん。危ないと思ったら、逃げてくださいね。日本に帰ってきてください。自衛隊は軍隊じゃないから、基本的には逃亡などの罪には問われないはずです。北朝鮮の脅威があるから、弱いところを見せられないのかもしれませんが、僕も日本人です。そうなれば、一蓮托生です。あなた方の犠牲の上に胡坐を書いているなら、この法案を通した議員たちと同じです。そしてそれらの議員を選んでしまった。勇気の無い有権者である僕たちの責任です。


RE:SYUUROさんへ 投稿者:英子  投稿日:12月28日(日)11時50分22秒

サルトルですか?でも主義や主張の上に、不幸が繰り返されるとしたら悲劇ですね。人のもつ残虐性、戦闘的ヒューマニズムも否定は出来ない。しかし同時にそれらのものに対して、忍耐を持って対応する事だって出来るのでは?奇麗事だと笑う事も出来ようが、その行為は美しくもあるように思います。


(英子さんへ)戦闘的ヒューマニズム 投稿者:Syuugoro  投稿日:12月28日(日)12時26分39秒

 こんにちわ。

 僕は全共闘運動を担った若者が、今の若者に比べて「忍耐力」が無かったとは思いませんよ。
確かに全共闘運動の中から赤軍派が出てきたように、数々の過ちもありましたし、全共闘運動
の中からテロリズムが台頭してきたことに、他の多数の活動家が責任が無かったいというわけ
にはいかないでしょう。そのことについては充分に反省する必要があると思っています。

 「戦闘的ニューマニズム」とはもっと卑近に言えば「参加意識」ということでしょう。日大
闘争はすばらしい運動だったと思います。もし理事長の不正をちくっておしまいという今流の
やり方だったら、何もしないことと同じだったでしょうね。
 結局佐藤栄作の大学管理法に潰されてしまったわけですが、全共闘運動によって培われたも
のは、計り知れない財産として残っていると思います。

 民主主義とは投票することではなく個別具体的な問題に参加して行くことだというのが「全
共闘運動」の核心でしょう。サルトルの言葉で言えば「アンガーシュマン」です。その素朴な
正義感を取り戻さなければならないと思うのです。
 何かをすれば、必ず間違いはあります。行き過ぎもあります。そして何もしなければ何の間
違いもすることはないでしょう。しかし何もしないということは人間性を実現すること、その
ものの否定になるのだと思います。


(管理人さんへ)ごめんなさい。 投稿者:Syuugoro  投稿日:12月28日(日)12時30分10秒

訂正するつもりが、2重投稿してしまいました。先の方の投稿を削除して下さい。


Syuugoroさん 投稿者:管理人  投稿日:12月28日(日)12時59分49秒

Syuugoroさん、ごめんなさい。
私も間違って後の方を削除してしまいました。
再度投稿下さい、今度はきちんと対応します。
私は今写真集「日大闘争」芸闘委編の画像処理に精を出しています。
藪さんが写真集の話題を出していて急に思い立って昨日「解放区68」書記局編をアップしました。
芸闘委編は30点程になります、経闘委ページの写真は少し容量を落としすぎですので私はサーバーの容量の可能な限り鮮明な写真をアップするつもりです


Syuugoroさん 投稿者:英子  投稿日:12月28日(日)15時14分39秒

確かにあなたが言うように、大学生などが多くを学び、知識のうえに自分の正義を持って戦うのは自然な行為と思います。私が言う忍耐は自己が持つ衝動に対してです。それが集団化されたときに発せられる力のベクトルは、いつも正義とはがぎらないのではないか。主義は主張は、学のない私でも自尊心という形に変えて、また誰の心にも存在すると思うのです。違いますかね?
不幸にも沢山の情けない現実を生み出す原因を作ったそれら代表者たち、しかしながらそれらの人々を産出してしまった我々有権者の無関心さから来る責任は、ないのかとも思います。選挙に参加しない人のマジョリティーのほうが近年増し、その事実は何より雄弁な気がしますが、しかしながら私は比例代表に対し白紙投票という形に変えて、反対の意を表しました。これも微力ながら「力ナリ」と信じています。


(英子さんへ)若者の情熱、或いは衝動性 投稿者:Syuugoro  投稿日:12月28日(日)18時33分4秒

こんばんわ。

 青年の正義感というものが、しばしば過ちを犯す危険性を持っているのはおっしゃる通りだ
と思います。青年はその人生経験の浅さと、新しい知識に触れたインパクトの強さと、青年ら
しい情熱から、非常に極端な行動をしてしまうことがあります。
 ある程度その過ちは青年の特権ではあるでしょうが、それも当然ながら限度があるでしょう。
特に浅間山荘事件で露見した凄惨なリンチ事件は、その限度を超えた異常さを見せ付けました。
全共闘運動が瓦解していった最大の要因は、「大学管理法」による締め付けや、要求を実現で
きなかった挫折などよりも、全共闘運動の中から出てきた赤軍派などのテロリズムだったとい
うのが僕の総括です。つまり外部からの力ではなく、内部から崩壊していったのです。
 しかし全共闘運動の健全な精神は、その後北海道で社会党の横路知事を誕生させた「勝手連」
のような姿で、地下水脈のような形で流れ続けていると思います。そして今も・・・・。

 僕はフロイトの「衝動のある所に自我をあらしめよ」という言葉が好きです。それは、昔も
今も、得てして衝動的になりやすい青年たちにとって、非常に大事な言葉だと思います。
 自分の欲求を延期する勇気、計画的に実現する理性、ある場合には欲求を断念する決断力、
そういう大人らしい判断力は、それを身につける時期が早ければ早いほど良いでしょう。

 しかしまた青年らしい情熱があるからこそ世の中を動かせるという面もあります。明治維新
の立役者が殆ど20代、30代だったことを考えれば、それはよくわかります。つまりは、そ
の年齢、年齢の役割、仕事があるということでしょう。


日の丸をなびかせ、官憲に突撃、水闘委さんへ 投稿者:理工OB  投稿日:12月29日(月)08時55分25秒

水闘委さんから最近頂いた直メールに「必勝書きの日の丸ハチマキで、集会に参加したばか者もいた。日の丸をなびかせ、官憲に突撃した学友もいた。」とのエピソードが書かれていました。
集会で校歌をうたうデモ隊もめずらしかったのですが、まさか日の丸をなびかせた全共闘がいたとは、半信半疑でしたが・・・。
主に芸闘委のスナップが主になっている写真集「日大闘争」にそれらしきスナップがありました。
旗には「2斗委」と読み取れますので、どこかの学部の2年だと思います。
いや〜、本当に日の丸なびかせていたんですねえ、水闘委さん。
下記URLにスナップ写真



来年はユニット活動を志向します 投稿者:遅れてきた全共闘世代  投稿日:12月29日(月)18時51分20秒

 今年は「ソロ活動」を志向していました。4月からコミュニティFMの番組「けんちゃんのどこでもコミュニティ」をするようになったからだ。サイトもこしらえた。この更新が大変。毎週5〜6ページをHTMLファイルでこしらえていた。当然無報酬。でも面白かったからやり続けました。「1人で行う市民運動」だと思います。
 来年はそれに、少数の信頼できる仲間と市民運動を組織します。それが「イラク派兵反対」の政治運動になるか、まちづくり運動の地域がたになるか、まだ方針はありません。
 ソロは継続して、期間限定のプロジェクト・チームをいくつかこしらえてもいいのではないかと思います。僕らももうおっさんですし。もちろん普段はヨットで身体を鍛えているから、1兵士として前線へでる覚悟はある。しかし若い人達の後方支援も大事であると「番組」を通じて学びました。
 僕は、貴重な経験を情報公開し、皆で情報を共有化すべきであると考えます。さきほど、仕事も一段落したので、「吠えるウォッチング」のトップページから破損したテンプレートを取り除きました。ようやくやっただけですね。
 まあ面白おかしくやります。来年も。そういうことで、よろしくお願いします。


赤軍派からの生還 投稿者:理工OB  投稿日:12月29日(月)20時41分17秒

友人と一年ぶりの再会をした。
家族一緒でお正月休暇に実家に帰省している高校時代の親友で、お正月に毎年再会し旧交を暖めている。
彼は一浪して1968年4月に北海道大学に進学している。
68年の夏、バリケードから帰省していた私は、高校時代の友人達にバリケード事や全共闘の事を熱く語った。
彼は当事、北大に入学したばかりの一年生だが、彼だけが心情的に好意をもって聞いてくれた。
それから直ぐ東京へ戻った後、9月に私は逮捕暦がつく身となった。
その年の年末、再び会った彼は北大の学園闘争のことを私に語ってくれた。

北海道大学では北大全共闘により、1969年夏から約4ケ月間バリケードストライキがされている。
丁度日大より一年遅れだ。
彼も北大全共闘に身を投じていた。
1970年の夏だったと思う、彼が北大の友人を連れて私の所へ訪ねてきた。
彼の友人は北大の医学部の学生だが、1969年の秋より半年ぐらい行方不明になっていたそうだ。
彼の友人の居所が風の頼りに入ってきて、皆驚いたという。
彼の友人は東京拘置所に居た。
1969年、大菩薩峠で逮捕された赤軍派メンバー53名の一人だったのだ。
永い拘置所生活から出てきており、心身を休めるため友人達が何かとケアしているとの事だった。
直ぐに意気投合し、三人でスナックで夜更けまで話した。
今は札幌で精神科医をしているそうだ。
私はこの友人の友が、大菩薩峠で逮捕されていて本当に良かったと思っている。
その後の赤軍の歩みは皆知るところだ。

(この記事は管理人日記にも書いています)


写真 投稿者: 投稿日:12月30日(火)22時16分13秒

記憶に違いがなくホッとしました。
それにつけても、デモ隊と共に進撃する部隊には
あらためて驚愕します。

>赤軍派
難しいです。「テロリズム」と決めつけてよいのか。
書けません。


謹賀新年 投稿者:世代違いの日大OB  投稿日: 1月 1日(木)00時37分27秒

明けましておめでとうございます。
今年こそ飛躍の年であるように願っています。
ところで日大全共闘はバリ内で年越しをしたのですか?

PS
写真とても興味深く拝見しまた。できれば全部UP願います。


今年も 投稿者:  投稿日: 1月 1日(木)01時36分10秒

書き込ませてください。
 昨年はありがとうございました。


越冬貫徹 投稿者:理工OB  投稿日: 1月 2日(金)21時10分46秒

理闘委は早々と「越冬貫徹」という越冬宣言をし、タテ看を立てました。
年が明けて安田砦の攻防と色々ありましたが、とりあえず68年の暮れと69年の新年は平穏に迎えました。
文理学部のクリスマスパーティーの写真が写真集にあるので追加でアップしました。
No40の写真で、文闘委委員長の田村さんがにこやかに写っていますよ。
2月だったか大雪が降りました。聖橋から理工学部一号館を経て中大学館までは長い坂道で、住人の私達はバリケードから板や箱を持ち出し皆で楽しく滑りました。
早朝、足跡も轍も付いていない”バージンゲレンデ”を皆で歓声を上げて滑りました。
楽しい思い出です。


波乱の2004年の幕開け 投稿者:遅れてきた全共闘世代  投稿日: 1月 3日(土)14時14分43秒

 小泉首相が元旦に靖国神社を参拝した。早速中韓両政府が、正式に抗議声明を出す。
自衛隊はイラクに派兵された。自民党は05年に憲法改正法案を出すと言う。
 僕らの世代ではなく、息子達の世代が軍隊に取られる可能性が出てきた。戦いは「昔」にあるのではなく、「今」になってきている。
 ただ、なにをどうして良いのかこの分野では「再構築中」である。「スキャン中」なので、今しばらく表現には時間がかかるだろう。アリバイ的な社共の集会へは行きたくはない。ではどうするのか?その答えがでるまでは足踏みだ。
 とにかく今年は「ユニット」の組み方を検討しようと思う。ということで、みなさんよろしくお願いします。


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