呉服流通の問題点
中国製の着物っていいの
司馬遼太郎が1976年に蘇州で刺繍工場を見学した際、日本のきものに蘇州刺繍をすることを提案した(「染織と生活1977秋号」)のが、中国できものをつくるということを考えた初めてではないでしょうか。取引は中国の公司と友好商社を通してのみ許されたため取引価格は現実の製造コストを無視して高く維持され、中国には莫大な外貨が転がり込みました。当時中国の刺繍工場の労働者の賃金は3000円くらいでしたから、一年かかる大作でも(そんなにはかからない)36000円のはずですが、日本での小売価格は100万円を超えていました。ただし品質的には非常に高いものだったので日本側も苦情はありませんでした。私も友好商社の仲介による訪中団に参加したことがありますが、金づると見られたのか各地で熱烈歓迎を受け、南京ではホテルではなく党幹部のみが使用する迎賓館に宿泊しました。ひとつの山が全て敷地になっており、7つの館が建っていました。上から順に番号がついており、一号館は故毛沢東専用ということですでに取り壊されていました。私達は3,4号館を使用したと憶えています。
しかし中国で自由化路線が始まると中国における民間企業と日本の一般商社が自由に取引できるようになり取引価格は製造原価を正直に反映して数十分の一に暴落しました。しかしながら同時に品質も信頼関係も数十分の一に暴落し、日本の呉服問屋には中国ビジネスはリスクが大きい、そして日本の消費者には中国の刺繍や綴は粗悪で値崩れしやすいというイメージが浸透してしまいました。
「刺繍用に京都から糸を送ったら、その糸は転売してしまい中国製の安い糸で刺繍して送ってきた。」「綴を織らせるために図案を中国に送ったら、注文以上に綴を織り他の問屋に流してしまった。そのため当社が日本で販売したらすぐに同じものが他社から出てきて値崩れしてしまった。」というような話が沢山あります。
その最も象徴的な例が明綴でしょう。当初、明綴の価格は中国における実質の製造原価とは無関係に高く設定され、200万円近くで販売されました。その後、日本側の需要を無視して過剰に供給されたため価格競争に陥り、日本における市場価格は中国における製造原価を反映した価格になってしまいました。すなわち1万円ほどです。出始めに200万円で購入した人は騙されたと思ったに違いありません。やがて明綴は人々に不信感だけ残して市場から消えて行きました。
明綴の件は市況の変化に起因するものであり、業界としてもはじめての経験だったので、やむをえない面もありました。本当に許せないのは明綴の失敗に懲りず、その後も次々に中国製の刺繍や綴が発売されたことです。そのたびに値崩れして消費者に迷惑をかけています。すでに値崩れして2〜3万円になっている帯を、未だそれを知らない消費者に「定価100万円のものを半額で売ってあげる」などと言って数十万円で売りつけたというケースもあります。
ここまで書いたことは、2000年ごろのことです(原型となる文章はネットではなくダイレクトメール用の印刷物でした)から、もうかなり昔の常識です。この数年で中国も日本も大きく変わり、刺繍を取り巻く情勢も変わりました。少し昔は、ホンモノの京繍の伝統を安い中国刺繍が脅かすという分りやすい構図だったのですが、今は新しい段階にはいったように思います。
まず、京都の現状ですが、京繍の職人はますます減少し、伝統技術の維持が困難になりつつあります。高い安いに関わらず、着物のうち刺繍の工程は海外に頼らざるを得なくなるでしょう。今後は、刺繍をメインとした作品については、京繍作家の表示がないものはすべて海外製と考えた方が良くなると思いますし、京都のものは素晴らしいとはいっても、びっくりするくらい高いものしか残らないと思います。
中国刺繍の現状は、ちゃんと管理されてつくられたものはとても上手で、ふつうでは京都のものと区別がつかないと思います。しかし中国においても、刺繍職人は減少し、コストは上昇しています。このため、人件費の安さを期待して、中国で刺繍をさせようと思っている業者は当てがはずれるでしょう。一人っ子政策で1人しか子供をもてない親は、その子を刺繍職人にしたいとは思わないでしょうから。また日本のテレビで見る現代の中国の若者は、地道に刺繍をするとは思えません。今の日本は楽をして金を稼ごうという人が多いと思いますが、中国はそれ以上でしょう。もともと中国では、汗を流さず金を得ることを後ろめたく思う思想は薄く、相場やアイディアだけでもうけた人は100%尊敬されているように思います。こういう文化の国では、他に職業があれば、修業を要する割に地味な仕事などしないでしょう。
最近はヴェトナムに刺繍を発注する業者が増えているようです。ヴェトナムでは、かつて王朝があった古都フエでは刺繍の伝統があるそうで、なかなか上手だそうです。
当社は、今後も、倉部さんの京繍を中心に扱っていきますが、一般では、刺繍に対する常識をかなり変えないといけないと思います。まず、何の表示も無ければ海外製と考えるべきで、海外だからニセモノという感覚は通じないでしょうね。
浮貸しの問題点
着物は高額なものですから顧客の多様な好みに合わせて全てを揃えようとすれば大変な投資になります。そこで呉服店やデパートの多くは問屋から商品を借りて販売し、売れた分の代金だけ支払うという方法で採っています。これを「浮貸」(デパート業界では「消化仕入」)と言います。借りるということは期間に制約があるわけですから、その期間内に集中的に販売するために展示会等を行い、普段はあまり商品がないという店が多いのです。
浮貸は在庫リスクのない合理的な方法かも知れませんがいくつか問題点があります。
それは
@ 買取と浮貸では卸値が異なる。問屋は浮貸に対して買取の1.5倍くらいの卸値を設定している。小売店はその卸値をもとに小売価格を設定するのでかなり割高になる。
A 問屋が浮貸するのは場合によっては汚されてもよい商品であり、本当に貴重なものはよほど有力な小売店でない限り貸してくれない。
B 小売店にとっては在庫処分がないために安売りしようという動機付けがない。
C 浮貸商品は日本中の小売店を巡回している。そのためどこの小売店も同じような商品ばかりで個性がなくなってしまう。
等です。
B反市って本当?
B反とは織キズ・染めムラ・色ヤケなどのある着物を言います。しかし本当に、染めムラがあるために良い着物が安いということがあるのでしょうか。染めムラ・色ヤケは直す事が出来ますから、本当に価値のある着物なら安く売らないで直して定価で売れば良いのではないでしょうか。実際に製造工程では染めムラが生じるのは普通の事であり、産地には染色補正という職業があって、直してから出荷するのは当たり前なのです。
では本当に、織キズがあるために良い着物が安いということはあるのでしょうか。小紋や訪問着などの染めの着物は白生地を染めてつくるのですから、織キズのある生地は最初から染めなければ良いでしょう。良い着物をつくる誇り高い職人があえてキズのある生地を使うはずがないし、途中で気付かないはずもありません。キズのある白生地はそのままで流通しています。当店ではキズものを仕入れ、予算に制限がある方の色無地などを染めています。その他には友禅教室の教材になったり、良いところだけ切られて着物以外の小物になったりしているのでしょう。
最終工程が織である紬類にはB反があります。それは昔から相場が決まっており普通の呉服店でも扱っている事もあります。
では「B反市」とは何なのでしょうか。現在は安売りは当たり前であり、ただ「安売り」と言ってもインパクトがなく、消費者は「またか」と思うだけです。そこでもっともらしい理由をつけたのです。B反市で買ったがキズがなかった、B反市で購入したらその業者が直して納めてくれた(直せるのなら最初から直して定価で売ったほうがよかったのでは)、というのはよくある話です。今は信じられないほど着物の相場が下がっていて、昔の感覚だと安くて面食らう事があります。B反だから安かった、と思っても本当は現在の相場に過ぎなかった、ということもあるのではないでしょうか。「B反」はあくまで宣伝の一種と割り切るべきです。本当に「B反」があるのなら定価1000万円の森口華弘のB反を100万円で買いたいものですね。
先日、染屋さんに「失敗作でいいから安く売ってくれないかな」といってみました。メーカーの価値観とユーザーのそれとはよくズレがあるので、失敗作とされたものの中にすぐ売れるものがあったりするからです。
するとその染屋さんはこう言いました。「失敗だと思ったら、もう一度色をかけます。意外によくなることもあります。それでもだめならもう一度色をかけます。最後に真っ黒になってしまったら抜染して白生地に戻します。」
私はこれを聞いて、これがモノをつくるものの本来の姿勢だと思いました。仮に「染めムラ」なるものが発生してもそれは特別な事例で、芸能人を使ってテレビで宣伝して採算が合う程集まらないです。
北秀のこと
東京の問屋で最も高級品を扱いセンスも良いとされ、都内のデパートや銀座のいわゆる一流店の全てに商品を供給していた会社、それが北秀です。97年以前の「美しいキモノ」には「北秀商事」の名前で沢山の着物が掲載されていたので、ご存知の方も多いと思います。高級な絵羽物が中心で東京の大松(大彦の本家に当たる大黒屋の直系)、千ぐさ、千代田、大定、京都の安田、西陣の袋帯では織悦、捨松、梅垣、坂下、河合美術、大西勇、それに洛風林などを扱っていました。2代目の社長であった北村芳嗣氏は社長就任早々の昭和32年に7ヶ月間ヨーロッパを旅行してそこで見たものをデザインして個展を開きました。これが大当たりしたので翌年も旅行をして個展を開き、以来毎年、死後も回顧展として続きました。道楽者という評判もありましたが、それもデザインの優れた垢抜けた会社というイメージが定着するのに役立ったのでしょう。しかし90年代以降は高級化志向があだとなり業績が低迷していき、98年1月ついに破産に至りました。北村芳嗣氏はその前年に死去しており、その子息である公嗣氏が三菱銀行を退職して、社長を継いでいました。
彼には能力を発揮する時間は残されておらず、ただ破産処理のために社長になったようなものでした。北秀はジリ貧になった末に破産したのではなく、突然死のような最後だったので多くの逸品が在庫として残りました。破産管財人は1月と4月に2日ずつ2回、裁判所の許可を得て売り立てを行いました。このときは安田や大松など、呉服店が一枚ずつ丁寧に売っていき、よほどの金持ちでないと買えないような逸品が広間に大量に散乱していて、プロであるはずのわたしたちでさえ、価値観が狂うような感覚に陥りました。
私は、他人の不幸に乗ずるようではありますが、この機会を見逃したら商人として二流であると思い、会場を思い切り走り回ったものです。そして安田の訪問着を17枚買ったほか、大羊居、大松などを買いました。(定価で800万円という大定の振袖があったけど、あれはどうなったかなぁ)
商人ならチャンスがあれば安く買いたたいて、競争上有利な商材にすべきですが、こんな大きなチャンスに当店よりもずっと有力な会社があまり来ていませんでした。現在の呉服店は買い取り仕入れをせず全て問屋から借りて販売し売れた分だけ代金を支払うという方法でリスクを避けているのが普通です。しかし、こんなチャンスも目に入らないほどリスクを避けたいのか、企業家マインドはないのか、安売りをしてもらえないそういう店の顧客は気の毒だと思いました。
最後は、社長の公嗣氏が自分でデザインしたという染め帯を買い、記念にその場にあったボールペンで本人にサインしてもらって別れました。つい最近まで銀行員だったくせにいいデザインでした。同じ年、やはり高級品を扱う近藤伝の和議もあり、私は再び処分品を買いにいったのです。このときは林宗平などの男物の紬を中心に買ったのを覚えています。
北秀の作品。特に右は北村芳嗣氏の個展作品。
振袖と七五三
現在振袖を販売しているのは呉服店ではありません。正確に言えば、呉服業者のうち振袖の販売に特化したものと振袖の販売をあきらめてしまった者がいるということで、振袖販売に特化したものは本来の呉服屋とはまったく違ったやり方で商売をしているということです。彼らは振袖の販売を着物の知識ではなくマーケティングのテクニックだけで行っています。
現在、振袖はセット販売が当たり前です。
セット販売で価格は安くなっているでしょうか?個別の価格のわからないセットはもしかしたら高いのかもしれません。同じお金を払うなら一点一点値切った方が気持ち良くないでしょうか。
セット販売はユーザーのためになるでしょうか?着物の知識がないからセットの方が選びやすいという方がいますが、それは販売員が丁寧に説明すればいいことです。成人式は一生に一度ですから買い物も家族で時間をかけてしてみたら楽しい思い出になるのではないでしょうか。セット販売はユーザーではなく着物の知識が不十分な販売員の役にたっているのです。
セットの振袖の原価はいくらなのでしょうか?38万円とか48万円のセットでも含まれている振袖表地の卸価格はせいぜい2〜3万円、袋帯は1万円でしょう。今は正絹でもこのぐらいの価格の商品があるのです。そのほかには小物や仕立て代ですが、裏地は化繊、仕立ては海外ですからたいしたことはありません。売価との差額は大量のダイレクトメール、訪問販売員の給料、展示会の会場費などになるのです。いずれも着物を着ることには直接関係ないコストです。それがなければもっと安く買えるのに、と思えば馬鹿らしい気がします。
振袖のセットの販売方法にも問題があります。
18歳か19歳の全ての女性を名簿で調べ(名簿業者から情報を購入する)て、ダイレクトメール、電話、訪問による攻撃を繰り返す。
都内のホテルの展示会に誘われ、バスで行ったら強引に契約させられた。気を強く持って契約しなかったら帰りのバスは針のムシロだった。
なにげなく呉服チェーン店に入り住所を教えてしまったら、後で訪問販売員が押しかけてきた。
などのことがいまだに普通に行われているのです。
ホンモノの手描き友禅や琉球紅型の振袖は数も少なく、とても高いものです。たとえば千總の振袖を例にとってみれば、普通のデパートで高級品として販売されている50万円ぐらいのものは型モノで、ホンモノの手描き友禅は500万円ぐらいし、三越・高島屋・伊勢丹でも本店に一枚あるだけです。
普通の高級品は「手差」という輪郭だけ型をつかい彩色は手描きという方法で複数つくられます。それ以外のものは完全なプリントで量産されます。
総絞りは江戸時代以来奢侈禁止令の対象にさえなる高級品の代表でしたが現在は中国製の安いものが出ています。竹田庄九郎などブランドがはっきりしているもの以外は中国製の安物と思ったほうがいいでしょう。
当店では、手描友禅、琉球紅型、日本製の絞りを常備しています。他社の批判ばかりしていても仕方がないので、現在日本でつくられている最もよい例として当店のものの写真を掲載してみます。
左から、京友禅を突き詰めた形態・安田(京都)/バブル時代の象徴・松井青々。振袖に見る独特の華麗な世界観はどんな理屈屋でも否定できない/前川哲(加賀)/堀栄(加賀で修業して京都で活動する作家・野口安左衛門に所属)/玉那覇有公(紅型)。人間国宝。/城間栄喜(紅型)2点。写真で見られるだけでもありがたいと思って欲しい。/竹田庄九郎が佐藤昭人の藍で絞り染めをした振袖/竹田庄九郎の本疋田(絹糸で11巻きして絞ったもの)
当店では野口安左衛門、千切屋治兵衛、岡重の振袖をできるだけリーズナブルな価格で扱うようにしていますが、いちばんのお勧めは最初から振袖として企画されたものではなく、派手目の小紋を袖の分だけ長くしてつくる振袖です。
普通の着物は長さ3丈(12m)ですが、そこから気に入った柄をユーザーに選んでもらい、それと同じ柄を4丈(16m)で染めるのです。ベースにする小紋が安いプリント物では貧弱になるので野口・岡重の手差小紋がいいと思います。
成人式当日は絵羽付けで箔も刺繍もある本来の振袖の方が良いかもしれませんが、その後のパーティー、友人の結婚式、卒業式の謝恩会などではかえって総柄の染だけの方がおしゃれですし主役のお嫁さんより一段「格」を下げるという着物のルールからみても正しいのです。
また袖を切れば元の小紋に戻るだけなので結婚後も使用できて合理的です(普通の振袖も袖を切れば訪問着になると呉服店は言いますが、実際には切った人は少ない)。
7歳の七五三の着物の販売も振袖と似たような状況にありセット販売が主流ですが、「30万円のセット」のようなものを見ると着物の表地は1〜2万円だなぁと思ってしまいます。
販売方法ではユーザーが出費する金額が比較的少ないためか振袖ほどアコギなことはないようです。
しかし当店の場合は絵羽ものよりも着尺の方が合理的と思っています(もちろん絵羽も売っている)。絵羽でないほうが価格も割安ですし、長さが12mあるので仕立て直して大人になっても(柄が幼稚すぎると感じるまで。絵羽では柄の配置があるので無理。)着ることが出来ます。
質もセンスも良い子供用の着尺を作っている呉服メーカーは多くはありませんが、千切屋治兵衛のものは価格的にも合理的でいいと思います。
千切屋治兵衛の七五三用の着尺
七五三の小物は高いですね。ハコセコやシゴキなど種類も多いですし、少量生産ということで質が同レベルだと大人ものより高いものが多いです。
また成人式の小物なら地味目のものを選んで年をとっても使うということも出来ますが、七五三はサイズが小さいのでそういうこともできません。
思い出に残すのは着物だけでよいということにして、小物は親戚などから借りられれば借りたほうがいいでしょう。
3歳の七五三の着物は呉服店ではなく「西松屋」のような店で、子供向けのディスカウント衣料の一部としてセットで販売されることが多くなっています。化繊で決していいものではありませんが、価格もすごく安いのでこだわらなければ合理的でいいと思います。なにより呉服店みたいに情に絡めたり文化論みたいなことを言わないのがいいです。
当店としてはお宮参りに着物を作り(正絹で2〜3万円なので高くない)、それを小改造(1万円以下)して3歳に着るのが合理的だと思いますが。
きものの常識?
着物について常識と思われていることがいくつかあります。
常識1
質の良い喪服は黒の濃さでわかる。安い喪服は黒がはっきりせず小豆色っぽいので葬式で親族が並ぶと色の違いで安いのがバレてしまう。
200万円とか300万円の京友禅の黒留袖をみると必ずしも真っ黒ではありません。作者の意図により柄の色目と調和をとって黒にも微妙な種類があるものです。千切屋治兵衛や野口の友禅のレベルでは単なる黒の方が安物とみなされるのですが、こういう染屋に特注して喪服を作らせたら黒くない安っぽい喪服と見なされてしまうのでしょうか。
常識2
高級な白生地は重目であり、反物の端に表示されているグラム数で判断できる。
当店の在庫には、1931年作の皆川月華の振袖があります。既に帝展にも入選を果たし評価も確定しているので質の悪い白生地など使うはずもありません。しかしこの生地はとても糸が細くて軽いのです。今の生地よりしなやかな感じがするのは私だけでしょうか。
常識3
着物を買うときには年輩者に相談すると良い。
年輩者がかつて普段に着ていたのは実用呉服といわれるものです。普段着の紬や、古着の世界で流行っている銘仙については年輩者の意見が役に立つでしょう。
しかし昔は絹の着物を着るだけでも上等だったのですから、現在の着物の主流である友禅染のフォーマルについてはただ年輩だというだけでは経験が役に立つとは思えません。興味を持って着物にお金を使ってきた人でなければ知らない世界です。
当店で普通に扱っている友禅の着物、千切屋治兵衛、野口安左衛門、大羊居などは今でこそ誰でもその気になれば買えますが、戦前なら華族や政財界の大物の奥方しか着られなかったものです。それならば着物など着たことがなくても美術館などに通っている人の方が適切な意見が言うことが多いです。「着物は初めて、でも絵とか見るのは好き」という人は目利きになる素質があるように思います。
常識4
着物には長い歴史がある。
着物の全てが長い歴史があるわけではありません。伝統工芸品として有名な紬でも意外に歴史は浅く昭和になってからが起源というものもかなりあります。昭和の始めごろ柳宗悦の民芸運動があり、それに啓発されて始まった工芸が沢山あるからです。
常識5
呉服屋は代々続いている店が多い。
当店も100年になりますからそこそこ長い歴史といえるでしょう。しかし現在のような業態に長い歴史があるわけではありません。戦前みんなが呉服を着ていた時代の呉服屋は現在の洋服屋ですからTシャツやトレーナーのような売り方だったはずです。戦争中はみんなモンペですし、戦後はおしゃれしている余裕もなかったので呉服屋は広幅の綿反など売っていました。今のような着物が売れるようになったのは美智子様の御成婚がきっかけです。そう考えれば着物の歴史は40年あまり。一般的に一つの企業や業界の寿命は30年といわれます(実態のある企業数/年間の倒産件数=約30)が、ちょうど呉服店の経営が苦しくなってきたのは御成婚から30年目ぐらいではないでしょうか。「着物は日本の貴重な文化」などと考えるより、「10年オーバー」と考える方が経営を誤ることはないし、ユーザーも自由な着方が出来て、おしゃれを楽しめるのではないでしょうか。
常識6
昔の職人にはすごい技があったが今は衰退している。
文化というものはだんだんに進歩するものではないと思います。文化はそれが発生してから数十年という短い期間で急速に頂点に達し、その後長い時間をかけて衰退していきます。例を挙げれば有田で色絵磁器が初めて作られてからわずか数十年の1680年ごろの柿右衛門が骨董の世界では最高とされ、その後数百年かけて質が下がっていきます。そして文化政策が行き届いた現在の人間国宝に代表されるような作品はかつての最盛期に匹敵するものに復活していると思います。
染色は色絵磁器と同じような道をたどっています。慶長小袖で始まった縫箔(刺繍と金箔)は18世紀前半には頂点に達し、元禄時代に始まる友禅は18世紀後半に頂点に達しました。江戸後期から末期はやたらに地味なものが流行り、創作的にはつまらないものが多くなります。明治になって化学染料によって色彩に革命起き、千総が失業した日本画家に下絵を描かせたりしたころから再び作品として意味あるものができるようになったのです。そして現在は文化政策のおかげでかつての最盛期に匹敵するものに復活していると思います。
しかしそれは伝統工芸展に入選している作家や京都のごく限られた悉皆屋のものに限り、一般に使用して消費するものについては機械生産が主流で「技」どころか職人の役割自体がありません。「現在でもすごい技はある、お金さえ出せば」というのが答えでしょうか。
常識7
総絞り着物は高級品である。
中国での生産が着物の価値の常識の多くを壊しました。かつての代表的な高額品である綴、総刺繍、総絞りなどが1/10ぐらいの価格で出回るようになりました。悪質な業者が、一般人に対して、すでに中国生産で安くなったものを高いイメージのまま売りつけるということがあります。
着物と経済学
生産のためのコストには変動費と固定費があります。
変動費とは操業度に比例して増減するコストで、原材料費・外注費・人件費(出来高給)などです。
固定費とは操業度に関係なく発生するコストで、減価償却費・利子・人件費(固定給)などです。
変動費の割合の大きいビジネスは、製品が売れなかった場合には生産を削減すればコストも減少するので損失が拡大しない代わり、製品が人気で生産が増えたときはそれに比例してコストも増加するので一定の利益しか得られません。
一方、固定費の割合の大きいビジネスは、製品が売れなかった場合に生産を削減してもコストは減少しないので損失が拡大してしまう代わり、製品が人気で生産が増えたときもコストは増加しないので莫大な利益を得ることになります。
着物に限らず、あらゆる生産活動のコストには変動費と固定費があります。このことが「ロット」という制約となります。
ロットは一口の注文量で、固定費が大きいものほど大きくなります。普通の製品ならばロットを大きくすることがコスト削減につながりますが、他人と違う個性を表現することに意味のある着物ではロットは大きな制約になります。
ホンモノの手描き友禅は作家が1人で作るものでロットは1枚です。しかし型染めの小紋では型紙を制作しなければなりませんが、型紙は制作に大きなコストがかかる代わり1回制作すれば何回でも使えます。そのため1枚だけ染めると型代と染価がかかるのに対し2枚目以後は染価だけですから急激に安くなります。そのため数10枚制作して1枚あたりの型代を数10分の1にして製品に賦課するのが普通です。紋紙を作成してから織る西陣の帯も同じです。
龍村平蔵はかつて「自分の人生は経済との戦争である」であるといいました。西陣の織物は手織りといえども紋紙を作成しなければなりません。紋紙の作成は大きなコストがかかりますが、1回作成すればその後はずっと使えるので、帯を織るときは1本目は非常に高いが2本目からは安いということになります。実際には紋紙のコストはその後に織る帯に1本ずつ配賦していきますから、沢山織るほど製造コストは安くなるというわけです。しかし作家としては個性のあるものを織りたい、しかしあまり個性的なものを織ると一般のユーザーには売れないから1本あたりのコストは高くなる、というジレンマに陥ります。
もし西陣の帯が1人で山にこもって織れるようなものであれば、きっと龍村平蔵は餓死するまで好きなものを織っていたろうと思います。しかし織りたいものを織るにも経済的な問題から逃れられない西陣にかかわったからこそ「自分の人生は経済との戦争である」問い言葉が出たのでしょう。
着物のユーザーが自分の好みに着物を誂える時もロットの概念は重要です。手描き友禅はロットが1枚ですから最も誂えに適した方法です。自分の飼っているペットの柄の訪問着を作っても、価格は店頭で既にあるものを選んだ場合と変わらないはずです。
それに対して型染めの小紋や西陣の帯は型代や紋紙代がかかるので1枚だけ注文すれば型代や紋紙代の全てがその1枚にかかりとても高いものになってしまいます。安いものほど機械化の度合いが大きいですからロットも大きくなり、特注した場合と既にあるものを選んだ場合との価格の差は大きくなります。
「着物と経済学」の補遺
「機械生産品は宿命的に量産を志向する」ということを書いたばかりですが、IT技術の発達はその宿命さえ過去のものにしてしまいそうです。
写真をスキャナーで取り込んで、そのまま織物として織ってしまうという技術がそれです。全てコンピュータ任せで職人不要の典型的な機械生産品でありながら、ロットが1点で量産ではないのです。
「西陣あさぎ」という帯屋が、このシステムを使ってノーベル賞の田中さんに、1枚の顔写真から織物で肖像を作ってプレゼントしていました。同じものを職人が作れば、下図を起こすところから始めて何ヶ月もかかるでしょう。ものすごい技術だし、ロットが1枚という長所を上手く生かした作品だと思います。でも田中さんはそれをもらってうれしいでしょうか。田中さんは自分の肖像を飾りたがるような人とは思えませんが。
私なら西陣の帯屋から何か記念にもらえるのなら、龍村平蔵製のタピスリーみたいな伝統工芸品がいいですね。
古着ブームのこと
今は古着がブームで、この不況下にありながら市場規模は毎年二桁成長とも言われます。現在の古着ブームの仕掛人として、文化人として知られる池田重子さん、質屋出身で「結城伏見」を経営する徳田さん、「ながもち屋」で古着ブームを先取りした新装大橋(かつては「撫松庵」でプレタ着物を先取りした)が有名です。
古着業界は、昭和18年頃から昭和22年頃までの戦中戦後のモノのない時代が全盛だったとされています。しかし経済が復興して生活レベルが上がり新しい着物が買えるようになると、業界は衰退して行きました。さらに古着を買うことが、終戦後の苦しい生活の思い出につながることや、古着に結核菌がついているいう偏見から商売が成り立たなくなり、ほとんどの業者が廃業してしまいました。
ほとんど消滅していた古着業界が今になって急に活気づいたのには、
@不況が長く続き、どこで買ったかということよりも、いかに少ないお金で質の良いものを買うか、という実質を重視するようになったこと
A呉服店が展示会などで、めったに着ることのない留袖などを高い値段で売りつけてきたことに対する批判があること
B若い人を中心に古着に対する偏見が薄れていたこと
C古裂を使った創作がカルチャーとして流行していること、などの理由が考えられます。
「結城伏見」の徳田さんによれば、ブーム前の古着業は人々が捨てた着物をごみ集積所で資源再生業者からキロ300円程度で仕入れ、露店で1枚1000円均一で販売するという意外に効率の良いビジネスであったということです。
ところがブームで相場も急騰し業者の数も著しく増加したために、仕入れ価格の上昇と競合の激化から効率の良いビジネスではなくなってしまった、ということです。
このブームを大企業が見過ごすはずがなく、大手の問屋や小売チェーンが、古着のチェーンを展開するようになりました。しかし元々、骨董は他人が気が付かないところに気が付いて掘り出し物を入手するのが本来の楽しみのはず。
チェーン展開されては、「プロ」によってマーケティング理論通りに企画され正札がつけられたものを買うことになってしまい、ただ彼らの敷いたレールに乗るだけのようで楽しみがありません。
商品には大企業の企画になじむものとなじまないものがあり、古着や骨董はなじまないものの典型だと思うのです。
最近は古着が儲かるということで、一般の呉服屋や染め屋、仕立て屋など呉服の関連業者が古着を扱う例が増えてきました。彼らは「着物」という同じものを扱うから自分でも出来ると考えているのでしょう。
しかし新品と古着は同じ着物の形をしていても実は全く違うものなのです。相場・流通経路・販売の仕方など何を取っても違います。古着ブームに便乗した呉服屋が古着市場に行くと今まで扱っていた新品と比較してあまりにも安いのでつい仕入れが甘くなると言われます。
しかし古着には古着の相場があり、それは新品の価格とは関係なく動くので、新品と比較して安いというのは意味がありません。そういう業者は高く仕入れるだけではなく、顧客にも高く売ってしまいます。古着の相場を離れて、本来関係ないはずの新品に連動したような価格をつけてしまうのです。
先日あるデパートで行われた古着の催事で大島紬が13万円で売られていました。新品が40〜50万円すると思えば安いのでしょうか。しかし当店では在庫処分の大島紬はやはり13万円ぐらいです。
「しつけ」という問題があります。古着屋にはしつけのついた商品がかなりあり、1度も着ていない証拠としてプレミアムがついています。しかし、しつけは新品だけではなくクリーニングをしただけでもつけることもありますから新品の証拠にはなりません。また業者の中には意図的に古着にしつけをつけているものがあるといわれます。
呉服店の中には「古着のおかげで新しい着物が売れなくなった」などとこぼす人がいますが、古着ブームは、旅行がおまけについた販売会のような、えげつない商売を繰り返してきた既存呉服店に対する批判として謙虚に受け入れるべきです。しかし、古着もブームになってしまうと、ブーム以前のユーザーが出会ったような掘り出し物に出会うこともなくなり、うまみが薄れてきたように思います。
この項目は、2003年ごろ書かれたものです。当時、古着がブームで毎年2ケタ成長といわれていました。また、当時、自分の業界のことを論理的に説明してくれる古着業者は結城伏見の徳田さんしかいなかったため、私は、古着業界に対する基礎的な知識を、徳田さんの雑誌などに対する寄稿などから得ていました。
それが、今日(2007.7.26)になって結城伏見が倒産したと聞き、大変驚いています。聞けば、売上は平成15年ごろをピークに現在は半減していたとか。これが古着ブーム終焉の象徴的な出来事ということになるのか、今のところ分りませんが。
今回はちょっと怒っている
「一部の大型店に高い掛け率の販売が見受けられます。・・・同じ価格の商品でも、その内容は、大型店ときもの専門店とではずいぶんと異なるのです。例えば38万円の商品としますと、一方の店では糊糸目を使った本格的な友禅を扱い、他方の店は、ピースボカシで加工した原価が低い商品を扱っている。後者の場合でも、仕入れ価格に対し5~10倍もの上代を設定しますから、原価5万円のものが38万円にもなるのです。・・・きもの業界が、素材や技術品質デザインなどの商品価値でなく、過剰なほどのサービスや販売員の執拗なほどのアプローチで販売していることも要因です。着物についての知識がない生活者を相手にしているがゆえに許されているのです。そうした業界の都合を優先した販売をしている店の方が好調であるという現状も解せません。」
これは「季刊kimono」誌2004秋号に掲載されている「室町の同邦人」なる方が書いたコラムの一部です。「室町」とは京都の室町通りのことで、ここに呉服問屋が集まっていて、東京日本橋の堀留とともに日本でいちばんの着物の集散地です。したがって「室町の同邦人」とは、きもの業界のディープな世界にいる人たちという意味でしょう。
普通の業界では、昔ながらの専門店よりも、郊外の大型店の方が安いのが普通です。しかしながら呉服業界に関してはその原則が通用せず、大型店やチェーン店の方が価格が高いと訴えているわけです。電気製品なら「シャープのアクオスの何インチならいくらぐらい」と比較できますが、着物は、全国を制覇するようなブランドがないのでブランド名で比較するわけには行かず、染や織の技術的な知識がないと価格の比較は出来ません。それをいいことに「原価5万円のものが38万円にもなる」ような商売をしていると聞けば気分が悪くなります。さらに「過剰なほどのサービスや販売員の執拗なほどのアプローチ」をすることで「そうした・・・販売をしている店の方が好調」というのですから、もう許せません。
なぜ大型店が、掛け率が高くなるのかといえば、彼らは普通の店より大きなコストがかかるからです。従来着物というものは地縁血縁を頼って売るような要素もありましたので、それがない新規参入者は、駅ビルなど地域で一番家賃が高い所に出店して、宣伝広告費も多くかける必要があるからです。
彼らはまず自分が必要な利益を計算し、産地や問屋に対し「いくら以下で作れ」と指示します。それはたいてい製造コストをはるかに下回る金額ですが、産地もしぶとくて「手抜き」で対応します。「手織り」「手刺繍」「手絞り」でも中国でしたり、手描きを手差し(輪郭に型紙を使い中塗りは手彩色する)に置き換えたりします。
今は高いものがどんどん売れる時代ではありませんから、ひどくもうけている店でも広告では安売りを謳っています。安いと思って買ったら、原価と比較するとかえって高かった、という商品を買わされるということです。やはり知らなければ損をするということでしょうか。
「結城紬には大きく三つのくくりがあります。重要無形文化財と文化財でない本場結城、そして石毛結城紬です。価格は、文化財クラスが100万円以上、本場結城紬が50〜100万円、石毛結城紬が帯とのセットで30万円位です。初めては石毛結城紬から入り、つぎに本場結城紬、文化財クラスというマーケットです。100万円の文化財を売るためには本場結城紬や石毛結城紬が必要だということです。」
これは「季刊kimono」誌2004秋号に掲載されている「やまと」社長の矢嶋孝敏氏が、産地関係者相手に行った講演内容の一部です。
彼はこの講演を「よいこと」として語っているのですが、世間の常識からは大きくズレていると思えてなりません。結城を極めるためには最低でも180万円以上必要なのですね。30万円かけてもまだ入門だなんて、ずいぶん世の中をバカにした話です。世界で一番豊かな国民のひとつである日本人だって30万円出して買ったものは一生モノのはずです。当店なら、予算に制約があるがどうしても結城が欲しいという人がいたら、文化財クラスのうちいちばん安い無地か縞を30万円代で一反売って、「あなたはもうこれで結城は卒業しなさい」というでしょう。結城にこだわるのではなく、ただ紬が欲しいという人になら、予算に合った十日町あたりの普通の紬を売ります。
ちなみに当店の価格は、これが本来の価値だと思うのですが、文化財クラスで無地30万円、縞38万円、八十亀甲飛び柄50万円、百亀甲飛び柄60万円、凝った百亀甲総柄で100万円ぐらいです。本場結城紬や石毛結城紬については文化財という公的機関による品質の保証がないわけですから、ユーザーにとっては安く買った方が勝ち、というわけで、10万円を限度(余程いいものでも10万円代)にしたいです。50~100万円なんて気が遠くなるような話です。
「良い店を探す三つの方法。@大島紬の7マルキか9マルキはどこの店でもある。そこでその商品に絞って価格を比べる。A着物を着た50歳以上の女性販売員がいる店は警戒。マネキンの可能性が高い。販売の技術に長けているので、ついつい買わされてしまったということになる。B相談に乗ってくれて適格なアドバイスが出来るかどうかをチェック。お客様の意向を無視して自分のセンスや価値観で勧めるのも考えもの。」
これは「季刊kimono」誌2004秋号に掲載されている、結城伏見の社長、伏見諭氏のアドバイスです。古着屋についてのものですが、普通の呉服屋でも使えそうな基準です。
@大島紬は証紙でホンモノであることを確認しさえすれば、比較的品質が一定して、マルキという数字で価値が表される数少ない全国統一基準がある商品なので、店を比較する際に物差しとして使えるということです。
A呉服屋の店員は着物を着るべきという評論家がいます。年輩の女性は着物に詳しいという期待があります。だからこれは逆説的なアドバイスということになりますが、よく当たっています。
B当たり前のようですが、振袖や留袖のセットを機械的に売っているだけの店もかなりあるので。
「日本和装、私も「無料」にひかれて通っていましたが、正直ただより高い物はないという印象です。2回あるセミナーでは帯や着物をマンツーマンで売りつけられます。断ることはできますが、スタッフ、先生も含めてかなり強引。後日冷静になってみんな失敗したと不満たらたらです。着物の金額には当然無料のレッスン料が上乗せされているわけですから、広告は大いに偽りありです。セミナー費用、パーティー、修了書代など実際には1万6千円ちょっとかかります。最近CMをよく見かけますが皆さんもその点をふまえてご注意下さい!レッスン内容は先生によるようですが、セミナーなどで日にちが飛び飛びのため身に付いたと満足している生徒も少なかったです。長文失礼しました。これ以上被害者が出ないことを祈ります。」
ある着物関係のホームページの掲示板から勝手に引用しました。(本来いけないことですが、当店のホームページは、こういう掟破りをしてもばれないように、どこにもリンクしていないのです。)
「日本和装」って、最近テレビでCMを流していますね。はじめてみたときからずっと怪しいと思っていました。着付け教室は本来地道な事業で、テレビでCMを流したら絶対に採算はとれません。しかも無料ですからね。何億円も使ってテレビでCMを流して、しかも無料で教える、なんて気前の良い話は聞いたことありません。どうせ慈善事業ならアフガニスタンでも助けた方が世の中のためです。
当然、「無料」をエサに人を集めて着物を売りつけるのだろうと思いましたが、しかし今時は、着物の大手のチェーンでもテレビCMなどしていないことからわかるように、普通の方法では着物を売ってもテレビでCMを流してしまったら採算は合わないのです。
きっととんでもない恐ろしいことが行われているのだろうと思っていましたが、当店の知り合いにはこんなものにだまされる人はいなくて実態はわからないままでした。このたび掲示板でようやく経験者を発見したので、掟破りの引用をさせていただきました。
「きしや」の破産
「きしや」と「きしや好み」
かつて「きしや」「ちた和」「ますいわ屋」の3店が銀座を代表する名店といわれた時代がありました。現在では3店とも見事に倒産してしまいましたが。(「ますいわ屋」は「さが美」に吸収され屋号だけは存続している。「きしや」も山野愛子グループに買い取られ、屋号だけは残るようである。)
「ますいわ屋」は全国にチェーン展開していったので「銀座の特別に高級な店」というイメージは薄まっていきました。
「ちた和」は新橋などの芸者衆を顧客としていました。テレビがなくアイドルも女優もない明治大正時代の芸者は、ブロマイドが販売されるなど、ファッションの最先端にいる人として尊敬されていました。彼女たちは狭い地域に同業者が大勢いるので、万が一にも同じ着物を着ていてすれちがうようなことがあればプライドが許さないので、店頭にある着物を買うことはなく、すべての着物を一点製作していました。このために「ちた和」は製造業者でもありました。戦争中に、戦時に関係ない呉服屋については優れたものだけが営業を許可され、その他は廃業させられた時代がありましたが、「ちた和」は全国で唯一、製造業と販売業の両方の資格を持っていました。戦後は製造業者として大彦らとともに上品会のメンバーでもありました。
しかし、この3名店の中でも最高の店は「きしや」でした。美智子さまをはじめとして多くの政財界の有力者を顧客に持っていました。美智子さまはいつもクリームやシルバーグレーの地色に秋草などの控えめな柄のついた着物をよく着ていらっしゃいますが、あれは「きしや」とともに創られたスタイルで、「きしや好み」ともいわれたものの名残だと思います。
銀座で着物を誂える人たちの間でよく言われた「きしや好み」とは、製作段階までさかのぼれば京都の「安田」のスタイルのことです。安田(安田好男が率いる安田工房)のスタイルとはシルバーグレーのような都会的な地色(つまり橙色や黄緑をつかって「こっくりとした色」と表現される「志ま亀」の正反対)に、糊糸目友禅で限界まで細い線の小花や波を描き、さらに神経質なまでに繊細な疋田を加えたものです。安田はもともと千切屋治兵衛の専属の下職でした。しかし呉服全般の不振により、千切屋治兵衛一社で安田の職人全員の生活保障をするほど仕事が出せなくなったため、他社の仕事もするようになりました。そこで新たに安田を扱うことになったのが東京で最もぜいたく品を扱う問屋であった「北秀」でした。千切屋治兵衛と北秀の両方から卸売りされることとなった安田は、東京ではきしやがほとんどを仕入れて「きしや好み」として販売していました。
しかし97年1月、北秀が破産してしまいました。直接の原因は、きしやが仕入れの代金を支払わなかったからといわれます。きしやは以前から金払いが悪いという悪評があり、実際に北秀は破産した時点できしやに対して約1億円の債権がありました。もし、きしやがこの1億円を速やかに支払っていれば、少なくともこのときは破産しなかったでしょう。
北秀が破産したことに加えて、千切屋治兵衛も大幅なリストラをしたので、安田は仕事が激減し職人の多くを手放しました。リストラされた職人たちは独立して注文をとるようになったので、安田と同じ技術でつくられながら安田ブランドではないという、「安田系」とも言うべき着物が、少し安い価格で出回るようになりました。また、これは安田が健在だったころからの話ではありますが、京都の多くの染屋(正確には染匠)が「安田風」とも言うべき安田を真似した着物をつくっていました。
北秀の破産後、きしやの店頭は「安田系」と「安田風」に満たされるようになりました。「安田風」の着物、すなわちニセモノは、ホンモノの安田に比べれば仕事が甘いのは一目でわかります。「安田系」は技術的には安田と同等のはずですが、モノによっては本来のものに比べて凄みに欠けるものもあります。直接筆を持たなくてもボスの威厳のようなものがあったのでしょうか。
奄美大島出身の「もとじ」、林真理子の本で一般にも名が知れ渡った「志ま亀」、近年銀座に集中的に出店している「みとも」が現在の銀座を代表する店です。「きものサロン」という雑誌とタイアップして、記事というカタチで掲載してもらって全国的な知名度を上げて地方から銀座に来店してもらうというのが成功の方程式になっているようです。しかし、きしやにはこの流れに乗る勢いはありませんでした。林真理子の本で着物ファンになった人たちは志ま亀にはあこがれても、きしやは名前も知らなかったのではないでしょうか。
銀座は最近、外国の有名ブランドが次々に進出してきて地代が上がっています。きしやが賃借しているビルのオーナーが、きしやを追い出して外国ブランドと契約したがり、地代の値上げ要求をするなどの嫌がらせをしているという噂が出ていました。きしやはついにそれに負け、同じ銀座ではありますが別の場所に移ったのです。それが命取りになりました。そうでなくても客が減っていたのに、古くからなじんだ場所を失って、地味な場所に移ったのではついてくる客もなく、倒産に至ったのでした。
当店と「きしや」、当店と安田
かつての「きしや」は、全国の呉服店の憧れであり目標でしたから、どこの呉服店もきしやと同じ商品を欲しがりました。多くの問屋が、金払いが悪いのを我慢しながらも、きしやと取引したがったのは、きしやに商品を納めている問屋というだけで、地方の呉服店と取引する際に有利になったからです。
当店も、きしやに影響を受けていることがあります。店のファサードを黒の御影石にすることで、これだけはしっかりマネさせていただきました。
当店では以前から、(多少は「きしや」の影響を受けて)千切屋治兵衛と北秀から安田を仕入れて販売していました。しかし非常に高額なこともあり、1年に1枚か2枚でした。97年に北秀が破産したとき、北秀の管財人は裁判所の許可を得て在庫の換金処分を行いましたが、その際、当店は早起きして駆け付け、有り金をはたいて全ての安田(17枚ありました)を確保しました。その後数年間は本来の価格の半額以下で販売していました。また、安田を離れた職人とも積極的に取引して、以前の安田よりもはるかに安い価格で「安田系」を販売できるようにしました。現在は表地50万円までの価格で、付け下げ〜軽い訪問着ぐらいまで販売していますが、これはホンモノの京友禅としては日本でいちばん割がいいのではないかと自負しております。現在当店が仕入れる京友禅は半分ぐらいが「安田系」です。
当店は仕事柄、インターネットで最高級の着物を安売りするというサイトをよくチェツクしています。あるサイトを見たら、通常、デパートで980万円する森口華弘が390万円で売っていました。森口華弘は現代の日本で最も公的な権威のある作家で、相場もしっかりしているので、それを安売りするのだからたいしたものだと思いましたが、そのサイトで安田の訪問着は1300万円で「安売り」されていました。1300万円で「安売り」とは眉唾ですが、森口390万に対して安田1300万という数字が安田の呉服業界内での評価をよくあらわしていると思い、納得しました。
再び「北秀のこと」
以前私は「呉服屋になるにあたって、東京国立博物館と神田の古本屋街の他に師はいなかった」と書いたことがあるような気がします。でもこの言い方はちょっとかっこつけすぎでした。確かに私はよその小売店や問屋で修業したことはありませんが、野口の谷川さんと千切屋治兵衛の桜井さん、そしてもう1人名前を明かせない人から、友禅の糊糸目とゴム糸目の見分けについて教えてもらいました。
それともう一つ、高級品を扱うということの根本的な姿勢を北秀に習いました。もちろん、習ったといっても当時呉服業というものの頂点にあったあの北秀が当店のような小さな呉服屋を特別扱いしてくれるはずもなく、私が勝手に真似していただけです。その北秀が破産して、もう8年になります。今でも優れた商品を扱っている問屋はありますが、その多くは特定分野にこだわった小規模な業者です。総合問屋といわれる大企業である問屋はゴミみたいな着物を回転させて利益を得ているのが現状です。
北秀は大企業でありながら、夢も追った会社でした。もう業者同志でも話題になることはなくなりましたが、私は北秀について今でも憧れを持っています。着物を扱う業者でいながら、北秀について忘却することができるのは、それは着物について十分な知識がないからだとさえ思うのです。
普通の流通業では8年も同じ商品を持っているわけもなく当時の商品を見ることは不可能ですが、当店では幸か不幸か8年ぐらい前の在庫はあるのでできる限り当時を再現してみます。
千代田染繍
高級な黒留袖だけを少量製作していました。価格は最低で180万円最高で350万円でした。作風は真中のポチがない白い丸だけの描き疋田に金糸の刺繍をあわせたものです。残念ながらもう当店にも在庫がないのですが、当時北秀のライバルだった近藤伝が扱った同系の商品の在庫があるのでお見せします。
千ぐさ
友禅作家や呉服業界人の誰もが思わず「糸目がきれいですね」ともらしてしまう、卓越した友禅の技術を持っていました。価格は120万〜200万円。作風は、北村芳嗣風の奇抜さは求めないものの、深みのある表現のため見る人をあきさせないものでした。
大松
大彦の本家にあたる大幸屋松三郎の直系である野口雅史の工房でした。今も健在と思いますが、当店とは縁がないです。価格は96〜200万円でした。油絵風の色彩などに大彦風の趣きもありましたが、北秀のカリスマ社長、北村芳嗣の思想やセンスを最も忠実に具体化する技術があったため、「yk」の落款のはいった北村芳嗣の個展に出品する着物の多くがここで作られていました。したがって作風は「もっとも北秀らしい」といえるかもしれません。
やました
大松の仕事をしていた職人が独立して始めた工房。価格はほぼ大松と同じ。作風は大松風したがって北秀風ですが、ほかに熊谷好博子の弟子による江戸解もありました。
大定
箔づかいに特徴のある東京友禅。普通、箔というものは厚く盛り上げると割れたり剥がれたりするものです。特に着物のような衣類はたたまなければならないので、折り曲げた部分の箔にひびが入ってしまう恐れがあります。大定は厚くてもやわらかい箔を研究し特許を持っていました。価格は付け下げの60万ぐらいから訪問着の120万円、振袖の800万円ぐらいまで。
安田
このホームページでたびたび取り上げる京友禅の一つの頂点。安田→北秀→きしやの組み合わせがいわゆる「きしや好み」の実体でした。
次に、当時北秀が扱っていた帯ですが、今すぐに思い出せるのはこんな銘柄でした。
北尾、河村、河合美術、帯屋捨松、滋賀喜、大西勇、加納幸、梅垣、大庭、坂下、織悦、都、それに形としては問屋ということになりますが、洛風林です。
「きものの話」の「西陣の伝統」で、私が選んだ帯の銘柄と似ていますね。私はやっぱり北秀の弟子でしょうか。
絽綴に見る「中国」
今から20〜30年前、中国で最初に和装品がつくられた時は、刺繍と綴からはじまりました。友禅は地染めや蒸しなどに一定の設備が必要であり、また紋織りの帯は専用の織機が必要ですが、刺繍と綴は手と指さえ器用ならば比較的簡単な設備だけでできるということと、刺繍と綴は和装品の中でも特に高級であり中国でつくることで価格のギャップがでやすかったからでしょう。そして現在まで刺繍と綴は中国モノのシェアが大きい状態が続き、特に絽綴は中国モノのシェアが100%という現状です。
絽綴は本来が季節限定の高級品で趣味性の高いものです。限られたお金持ちだけが味わうことのできる、和装の中でも、奥津城に属するものなのに、中国製品が大量に流入したために、着る人にとっては安物、売る人にとっては値崩れのリスクが多い商品に、いきなりなってしまいました。
日本製の絽綴は池口、河村つづれ、浅野などがつくっていましたが、価格は20〜30万円でした。一方中国製は2〜3万円とほぼ1/10でした。もちろん品質について両者にははっきりした違いがあり、実際に使用すれば日本製はしっかりしているが、中国製はすぐくしゃくしゃになってしまうといわれていました。デザインは中国製は日本製の真似をしているので両者とも同じですが、色で品がないのは中国製とすぐわかりましたし、そして何より中国製は織り方が雑でした。とくに咲いた花のデザインを比較すると一目瞭然でした。
しかし一方、咲いた花を比較すると一目瞭然、ということは同じ花でもつぼみや葉ならばわかりにくいということであり、さらに直線の多い幾何学模様ならば日本製も中国製もわかりにくいということでした。そこで当店では日本製の具象的な柄と中国製の抽象的な柄を扱い、こだわる人には日本製、予算のない人には中国製を勧めていました。
左2本は日本製/いちばん右は中国製のうちやや高価で出来の良いもの。流水のような柄では差が出にくい。
当店では、こんなことは一時的な現象であり、そのうち着物を着る人たちの目が肥えて、筋の通った日本製に対する憧れが強まり、中国製はますます値崩れするだろうと思っていました。そこで日本製を積極的に仕入れると共に中国製は売ってなくしました。
しかし現実は、中国製の絽綴がますます値崩れするというのと、日本製はますます希少になったところまでは当たったのですが、その先が違いました。あまりにも早く完全に中国製が市場を占拠したしまったため、人々は日本製を憧れる余裕もなく、中国製であることが当たり前になって、かつて日本製があったことも忘れられたようになってしまいました。人々は絽綴は2〜3万円という「常識」ができてしまい、私が20〜30万円のものを見せると詐欺師のように思われるようになってしまいました。そのころ、私はやむを得ず言い訳しながら安売りしていました。
私の知っている一番最近の中国製の絽綴の価格は卸価格で3800円です。それに対して小売価格はいくらになるのかとたずねたところ、小売価格は「ない」ということでした。「ない」とは販売はされず、絽の小紋を買った人におまけでつけるということです。もう絽綴自体が悪いイメージだけを残して消えていってしまうのかと思われました。
ところが昨年ごろから意外な変化が現れました。龍村が大真面目に絽綴をつくってくれたのです。しかも素晴らしい出来栄えで、かつて売られていた20〜30万円の日本製よりもいいものでした。価格は38〜58万円と、かつてのものより高いのですが、とりあえず2本だけ買ってみました。これを機に、日本人のみなさんが日本製の絽綴があるんだということを思い出してくれたらいいと思っています。
左38万円/右58万円。いずれも龍村製
「日本和装」について
かつてここに「日本和装について」という文章がありました。当時、日本和装についてたくさんのメールが来ていたので、それらのメールを紹介しつつ、「赤の他人が無料で何かをしてくれる」という本来ありえない商法の胡散臭さについて論じたのです。ところがその直後から、日本和装本人からメール(4回)や電話(毎朝)や手紙(書留)が来るようになり、私が書いた文章の修正を要求されました。最初は、社長の吉田という名前でメールが来ました。次にコンシューマー室長の小林という人の名前で、内容の修正を迫るメールが来ました。2段階に分けたのは、抗議を受けた時に、社長は責任を免れるために建前的なことだけ言って、汚い仕事は部下にやらせるのだと思います。それらは一見丁寧な(正確な日本語では、慇懃無礼というべきだろう)のですが、今度はうちに押しかけてくるとも書かれており、気味が悪いので不本意ながらその文章は削除しました。
しかし私に期待してメールで相談してくれた多くの方の志を無にしては申し訳ないので、元々ここにあった文章と、削除しなければならなかった経緯、日本和装に対する私の意見は、別の方法で読めるようにして、メールをいただいた方のうち、日本和装関係者でないと確認できた方にのみ、その方法をお教えしていました。
その後、日本和装を取り巻く状況は大きく変わりました。上場したことで、社会の批判に対し真面目に答えなければならない立場になりました。また2ちゃんねるの日本和装のスレは、大きな盛り上がりを見せ、その悪辣さ、そして、ばからしさが、明るみに出てきました。(2ちゃんねるのなかでは珍しく、誠意のある書き込みの多いスレです。)そのような状況のなかで、私が再び日本和装に対する批判意見を書いても、前回のように、私が黙るまで、しつこくメールや手紙を送りつけてくるストーカーのようなことはしないだろうと思い、再び読めるような状態で、文章を書くことにしました。
余談ながら、株価は上場時の高値189,000円から一貫して下落し、1年経たないうちに30,000円になりました。業績も悪くないし、配当もしているのに下げているということは、事業の胡散臭さを素直に反映しているのでしょう。着物初心者はだませても投資家はだませないということです。
日本和装は、無料で着付けを教えてくれるありがたい団体です。そのことを有名な芸能人(現在は渡辺謙)を使ってテレビでコマーシャルをしています。(一定の時期に集中的に行っているようだ。)現在、日本で最大手の呉服チェーンである「さが美」や「鈴乃屋」でさえもTVでCMなんてしていません。呉服業界は、それだけ地味な業界になってしまっているのです。呉服の販売でさえそうなのですから、着付けは、さらに地味でこつこつやる仕事だと思います。
それなのにTVでCMができるなんてすごいことです。しかも無料で教えるっていうんですね。いったいだれが慈善のために何億円かのお金を出すのでしょうか?そんな気持ちがあるのなら着物なんかではなく、地球環境のために使って欲しいですね。しかしそんな人がいるわけがないので、 実際には受講者に高額な着物か帯を売りつけることで成立しています。あたりまえですが。
もちろん、自分は買わなかった、ただで着付けを習って得をした、という人もいます。社会的な訓練の出来ている人だと思います。しかし、だれかが原価よりかなり高い値段で商品を買わなければ、このシステムは成り立たないのですから、ただで習った人は、高く買った人に経費を負担してもらったわけです。他人の犠牲のもとに得をしたと思えば、後味も悪いです。
無料で着付けを教えると言って人を集めて、本当は着物を売るのが目的だ、と言うだけで胡散臭いのに、直に問屋が売るので小売店よりかなり安く購入できる、とか、通常の価格の半額、などと公言しているようです。それが事実なのかと言いますと、全く根拠のないことではないと思います。少し昔のナショナルチェーン店(鈴乃屋、さが美、やまと、三松など)の価格を基準にすれば、確かに半額かもしれません。しかしNC店はもともと原価に何倍もの利益を乗せていると批判されていましたし、それもあくまで少し昔のことで、今は店頭で見る限り価格も世間に合わせているように思います。(展示会は今でも掛け率が大きい。)
着付けの授業のほかに「帯セミナー」とか「着物セミナー」というのがあって、提携している帯屋や問屋から講師が来ます。言うまでもないことですが、セミナーの内容は知識として役立つものではなく、買わせるための催眠商法です。ついでに講師もただの営業員です。
「帯セミナー」で売っている帯ですが、ここで販売している帯は、とみや、となみ、服部、舞鶴あたりの量産品で、きもののマニアは欲しがらないものです。また川瀬満なる帯屋もあるようですが、私はこのような帯屋は知りませんでした。
また日本和装には、修了式というのがあるのですが、これについて、参加者のこのような証言があります。「一番印象に残ったことは、私が買ったのと同じ帯の人が10人位、共布のバッグを2人が持っていたことです。この人もこの人も?という感じですっかりイヤになってしまいました。」普通、デパートで帯を買った場合、同じ帯を締めた人に10人すれ違うということはありえません。日本和装で販売される帯が、機械でいかに大量に製造されたものであるかという証拠です。
日本和装は、何かにつけて「日本の伝統文化の1つでもある着物を絶やしてはいけない」というようなことをいうのですが、私はそういう考え方は間違っていると思います。私たちが野菜を食べるのは、美味しいからとか、ビタミンが取れるからとか、という自分のためで、決して青果業界の振興のためではありません。同様に、着物は着物文化を守るために着るのではなく、自分を綺麗に見せるために着るのです。着物を好きな人で、社会のためとか文化のために仕方なく着ている人はいませんよね。日本和装は、本心から言ってないために自分の言っていることのばからしさに気づいていないのです。
日本和装で着物を買った人の多くが、30万から50万ぐらいの袋帯を買っています。しかし初歩から無料で着付けを教える、という企画なら、実際に来るのはまだ1人で着ることが出来ない人=初心者ということになります。その人たちが本当に必要なのは古着か、2、3万の紬か小紋でしょう。金銭的なことだけでなく実際の用途でも30万の袋帯というのは、親戚の結婚式にでも呼ばれない限り要らないものです。本当に生徒のためを思うなら、そして着物文化を広めようと思うなら安い小紋か紬を売ってあげるべきです。でも「日本和装で3万の紬を買った」というメールがうちにはまだ一通も来ないのです。(普通の呉服屋で2、3万で売るべき京都産の紬を10万で売っていたという報告は受けています。)
今日、着物が衰退した原因は、私たち呉服業界人が悪いことをいっぱいして、本当に着物を好きな人たちを裏切ってきたからです。単価が高いから売上が上がりやすいという理由で、着る回数の少ない留袖や袋帯ばかり売りました、創業何周年記念などと、もっともらしい理屈をつけて展示会をして強引に勧誘しました。着物のおまけとして着物より高そうな旅行をつけました。しかしそれらによる弊害は以前から言われていて、もっと本当に必要なものを無理のない値段で売ろうよ、まず浴衣から始めようよ、と、心ある人が業界紙で呼びかけていたのです。
いま日本和装がやっていることは、かつて呉服業界がやってきた悪いことの集大成です。そして、さらに技巧的になっています。「セミナー」というのは「理屈をつけた展示会」が進化したものです。また「無料で着付けを教える」というのは、昔からあった「お買い上げの方を無料で旅行に招待する」というのが進化したものにすぎません。うちに来るメールの中で、「今まで着物に興味がなかったが、無料着付けに行って着物に興味がでてきた」というのは1つもありません。反対に「着物に興味があったので、無料着付けに行ったが強引に帯を売られて着物が怖くなった」というものばかりです。
日本和装のセミナーで着物を購入した人たちの多くが、問屋から購入したと錯覚しているようです。協賛している問屋は日本和装に広告費と手数料を支払っているだけだと思っているということです。日本和装のホームページでもそのように説明されているのでしかたありません。しかし現実には、セミナーを主催する問屋は、生徒に商品が売れた場合には、1度日本和装に対して卸値で販売し、日本和装が生徒に対し小売価格で販売するという形になります。つまり日本和装は小売店と同じ仕事をしているのです。ですから「問屋から買うのだから安い」というのは事実に反します。しかもこの際の日本和装の取り分は、通常の利幅の他に協賛金などの名目で手数料を取るので、通常の小売店の取り分よりもかなり多いのです。
そのどこが問題かと言うと、問屋は、普通の展示会や普通の小売店への販売の方が、協賛金などがない分、割が良いので、販売する商品は、良いものはなるべく普通に販売し、売れ残ったものの捨て場所として、日本和装を利用するようになるということです。さらに、いま売れ筋の商品を抱え、普通に販売できる問屋は、協賛金など支払わなくてはならない日本和装とは取引せず、売れ筋商品が無く、協賛金を支払ってでも日本和装と取引しなければやっていけないというボロ問屋ばかりが集まってしまうということにもなります。実際に、今は沖縄モノのブームですが、セミナーでは、そういう売れ筋のものは一切出ていません。値段が高い安いという以前の問題なのです。
日本和装のホームページには、協賛している問屋の名前がならんでいます。もし日本和装が本当に悪い会社ならば、なぜ、こんなに多くの会社が仲間になるのでしょうか。全てと均等に取引しているわけではなく、1度だけ関わってしまったという会社もあれば、どっぷりつかって、もう日本和装無しでは成り立たないという会社もあります。しかし、本来払わなくても良い協賛金を払ってまで、取引をするということ自体、業績が思わしくないことの証拠ではないでしょうか。協賛金を払わないでも売れる先があるなら、そちらと取引するはずです。当社は日本和装と取引のある問屋とは取引はありません。感情的な問題ではなく、室町で強みのない問屋と日本和装の協賛会社って重なるので、自然とそうなるのです。
日本和装は、以前は、商品についてのクレームに対して、かなりずうずうしい対応をとっていたのですが、現在は、クレームに対して誠意を持って対応するように改善したようです。少しでもトラブルがあると、すぐに2ちゃんねるに書き込みをされてしまうためだと思います。それは、一見良いことのようですが、そうとばかりは言い切れません。購入して数ヶ月あるいは数年たち、本来、責任が不明確なものについても、責任があるものとして対応してしまうことです。それで日本和装が損をするなら大いに結構ですが、その手間とコストをすべて納入した問屋に負担させています。そういう状況では、問屋は、そのリスクに備え、一般向けの価格よりもますます高くして、損失が生じても大丈夫なくらい余分に利益を確保しておこうとするはずです。こうして生徒は、さらに高く買わされるわけです。
しかし最近では、2ちゃんねるなどによって、日本和装に対する情報も広まってきて、参加者が要領がよくなっり、参加者が増えても買う人の割合は減ってきて、参加者8人で買ったのは1人というセミナーもあるようです。しかも講座の最中も、講師のいない時は、「私たちは着物を売りつけられてしまうのか」というような話題ばかりしていたというメールも頂いています。
日本和装が、まだテレビコマーシャルもしていなくて、あまり有名でなかったころ、参加者は少なくても、その多くが購入していて、販売効率は良かったのです。そういう状況では、みんなが少しずつ高いものを買わされるという、広く浅い悪徳商法でした。いかし販売効率が悪化すると、たまたま人がよくて断れない人に販売が集中することになり、たけうちのような売り方になる可能性があります。そうなると広く浅くとはいえません。事実、無料着付けが終わっても、もっと買ってくれそうな人には、上級コースの誘いをしているようです。そんなことをしていると、仮に日本和装で着物を買ったことに満足している人がいても、繰り返し売られていくうちにだんだん金額がかさみ、悪徳商法である「次々販売」になってしまい、最後は、だまされたと感じるようになってしまうのではないかと思います。
私の日本和装に対するイメージは、シロアリです。シロアリは、老木や古い家につくことが多く、成長期の木や新築の家にはつかないものです。強気を助け、弱きをくじく、逆水戸黄門であり、非常にいやらしい生き物ですが、自然の摂理に照らせば、森林の新陳代謝を促すという機能があります。呉服業界は、残念ながら老木です。その老木の一員である私たちは、大事に扱って出来るだけ寿命を延ばしたいと思っています。しかし、抵抗力の弱い老木を狙って、食い荒らして最後の甘い蜜を吸い尽くそうというシロアリのような輩があり、残り少ない寿命をさらに短くする、それが、日本和装だと思います。
削除しなければならなかった経緯とメールの内容については、別の方法で読めるようにしました。私にメールをいただければ、その方法をお知らせいたします。
上記の内容について、日本和装の代理人という弁護士の星野健秀という方から、以下のような書面がきました。当社は、星野健秀という方の要求にしたがい、上記の文章を削除します。しかし、それでは、読者の方に不審がられるので、かわりに星野健秀さんの書いた書面を原文のまま掲示いたします。
さすがは弁護士で、私の文章を上手に要約してくれたので、多くの方には内容がより伝わりやすくなり、考える契機を提供するようになったように思います。やっぱり弁護士は正義の味方ですね。
1 冠省。当職は、東京都千代田区丸の内1丁目2番1号 日本和装ホールディング株式会社(以下「通知人」といいます)の代理人として、以下のとおり通知いたします。
2 貴社は、貴社ホームページ上の「呉服流通の問題点」の中の「日本和装について」の欄で、下記記載(以下「本件記載」といいます)を行なっております。
(1)通知人関係者が貴社関係者に対しストーカーのような行為を行なったこと
(2)通知人の株価の推移は、通知人の事業の胡散臭さを反映していること
(3)通知人の事業は、受講者に高額な着物か帯を売りつけることにより成立していること
(4)通知人の事業は、受講者に高額な着物や帯を買わせるための催眠商法であること
(5)通知人の事業は、機械で製造された量産品を対象としていること
(6)通知人の事業は、かつて呉服業界が行ってきた悪いことの集大成であること
(7)通知人の事業は、呉服業界のシロアリ的存在であること
3 本件記載は、虚偽の風説の流布による信用既存行為並びに業務妨害行為であり、民事上は不法行為(民法709条)、刑事上は信用毀損罪、業務妨害罪(刑法233条)に該当するものと推察されます。
通知人は本書面で貴社に対して以下の要求をします。
(1)本書面到達後3日以内に本件記載を削除すること
(2)今後、本件記載と同様の通知人に対する信用既存行為ないしは業務妨害行為を一切行なわないこと
(3)本件記載によって通知人がこうむった経済的な損害を賠償すること
4 本書面到達後7日以内に、通知人の上記要求に対する回答を当職宛の書面にてなされるようお願いいたします。
上記期間内になんらの回答もなされなかった場合、もしくは、何らかの回答がなされたが通知人において承服しがたい内容であった場合には、通知人としては、貴社ないしは貴社関係者に対する法的対応の可能性について検討せざるを得なくなりますことを念のため申し添えます。
平成19年10月4日
東京都青梅市63
白木屋呉服店こと合名会社白木屋商店御中
東京都港区虎ノ門丁目番号
飯島ビル号
星野健秀法律事務所
電話03-3503-6789
ファクシミリ03-3503-7854
通知人 日本和装ホールディングス株式会社代理人
弁護士 星野健秀
松永さんの証言
先日、一通のメールをいただきました。松永厚生さんとおっしゃるのですが、 珍しく同業者の方からのものです。
「四国の高知の田舎でホームページを楽しく読ませていただいています。私はきもの販売に携わって28年になります。若いころはますいわ屋で10年位やっていました。あのころはよく売れた時代でした。それから、担ぎやみたいに一人できもの商売を始めました。問屋さんの展示会に乗っかってまた、商品を借りて外商しながらやっております・・・」
たいていの人にとってはなにげないメールの1つに過ぎないでしょうが、このメールを書いた方と多少とも重なる時代に呉服屋をしていた私には、「28年前のますいわ屋で10年」というところに、特別な感情を持ちました。私はこのホームページの中で着物について書くときに、常に「良い着物とは何か」というテーマを念頭に置いています。「良い着物」という定義は人によりさまざまであるべきですが、この時代のますいわ屋は、そのうちの1つの解釈を極限まで推し進めた稀有な存在でもありました。
すなわち、その時代の大先生といわれる人が、これでもかこれでもかとお金をかけて作った着物を、日本中からお金持ちを集めて売るやり方です。かつての呉服業界のこういうやり方を批判する人がいます。展示会であまり着る機会がない高級呉服を金持ちのおばさんたちに売りまくるようなやり方こそが、後に着物離れを作ったのだという批判です。
たしかにお金持ちを集めて高い着物を売るよりは、今日の古着ブームのように、お金をかけず古着をコーディネートして、自分だけのおしゃれをするということのほうが、よほど創造的な活動かもしれません。しかし、今は古着をコーディネートして自分が納得できることを第一に着物を楽しんでいる方も、呉服業界の最盛期において最高の作家が全力でつくった着物とはどんなものか、知識として持っておくことは無駄ではないと思います。それは決して金ぴかの下品なものではありません。いつの時代にも、やたらに金箔がついた下品な作家モノというのがありますが、そういうのがはびこるのはむしろ「最高の作家が全力でつくった着物」に対する知識の不足が原因だと思います。
そのため、呉服業界がひとつの頂点に達したこの時代、その中心にいたこの方の証言は貴重なものです。当時のますいわ屋が現出した「最高」というものが、決して金ぴかの下品な着物でもなく、価値のないものを無理やり売りつけるあこぎな商法とも関係のないものだったということがわかっていただければありがたいです。
「今おもえば、私がますいわ屋にいた昭和53年から10年くらいは最もますいわ屋の良かった頃だと思います。他のナショナルチェーン店に比べて商品構成、お客様の層(きもの好きな方が多かった)、社員の接客応対(基本的には1対1でお客様に接し、決して何人もで囲んで無理やり販売するなんて事はなかった。)など抜きん出ていたように思います。
柄いきは、東京好みということで色合いをおさえたすっきりとした、おしゃれな感じのものが多かった様におもいます。繊細な染めと柄いきの千切屋治兵衛のネームの織り込みの入った小紋や付け下げなどよくみました。
そして最もますいわ屋らしい展示会が、5月の帝国ホテルでの展示会でした。それはすばらしい商品が並びました、今は亡き久保田一竹氏の辻が花、先生も会場においでになり、お客さまに作品の説明を丁寧にされていました。訪問着や帯など20点ぐらいあったと思いますが、すぐに全て売約の札がかかりました。この光景は社員である私でさえ少し震えがきたくらいです。
広い会場には一流の作家の方々のきものや帯、東西の一流の問屋が選りすぐった商品を出品しており、会場のどのきものも帯も、(私は)染屋や織り元にまだあまり詳しくなかったのですが、本物のお品であることはすぐにわかりました。
今、わかるので思い出せば、あの訪問着が「大彦」、この小紋が「野口」、この帯が「洛風林」、この作家が東京友禅の「熊谷好博子」などです。また大変記憶に残っているのは黒留袖の中にかの加賀友禅の大御所の「木村雨山」を見つけて、もう見ることはないと思い、暫く眺めたことでした。本当にそれから一度も見たことがありません。
その後、京都の嵯峨野に迎賓館を建て四季折々に展示会を催していました。それは本当にすばらしい本物の商品ばかりで、今も同じように続いているのか知りませんが、ますいわ屋をやめてからこれだけの展示会をみたことがありません。振り返ってみるにあの頃はひとつのブランドとして確立されていて、ますいわ屋の商品なら確かであるというイメージをもってお客様もお買い求め戴いていたように思います、また店頭にますいわ屋の名前の入ったたとう紙をお求めになられるお客様に、丁寧にお断りしたこともあります。
月日の流れは社会を、会社を取り巻く環境も、きものを御買い求めになる人々の意識をも大きく変化させました。その後、以前のお客様からますいわ屋も随分変わったわねとよくお聞きしました。お客様は正直なものです、少しの変化も見逃しません。今はさが美グループに入ったとのこと、御発展を心より念じております。」
補足させていただけば、その後ますいわ屋は、バブル時代にアメリカでホテルを買い、百億単位の大損をして倒産しました。しかし呉服の販売は赤字ではないから、まだ継続する価値があるということで、本業部分はさが美に営業譲渡されました。また屋号も継承されました。現在のますいわ屋は、ここで証言されているますいわ屋とは全く共通点はありません。ついでながら、私は松永厚生さんとはちがって、さが美グループの発展など全く念じておりません。
松永厚生さんの証言の中に出てくる着物は、「千切屋治兵衛」、「久保田一竹の辻が花」、「大彦」、「野口」、「洛風林」、「熊谷好博子」、「木村雨山」です。久保田一竹を除けば、このホームページで日ごろ紹介している着物とぴったり一致します。これは偶然ではありません。バブル崩壊後に、私がハイエナのようにセコく買い集めた商品が、今の当店の在庫の一角をなしているからです。本来、最盛期のますいわ屋の展示会に出品されるべきだった着物が、今当店に集まっているともいえるでしょう。当店のホームページをみて、「ほかでは見られない良い着物」と評してくれる人がいますが、今日の「ほかでは見られない」は実は少し昔の「正統派の良い着物」なのです。
「北秀のこと」や「きしやのこと」、そしてこの「松永厚生さんの証言」を書きながらしみじみ思うことは、私は商売をするにあたって、自分で考えたものは1つもないということです。少し昔に、先人たちが大きな規模でやったことを、私が悪口を言いつつちゃっかりマネをして、自分が安く買った分だけ安く売っているというだけのことだと思いました。
インターネットは安い?
ちょっと経営学の話
企業の目的は、誰がなんと言おうと投資利益率(ROI)です。投資利益率とは、ただ利益の金額だけでなく、いくらの元手を使ってその利益を得たか、ということを重視する考え方です。これは商売でも株式投資でも同じです。たとえば100万円稼いだ人がいます。元手が10万円なら、10倍儲けということで、この人は商才があるでしょう。しかし元手が1億円ならば、利益率は1%で、公社債投資信託でも買って、家で寝ていたほうが良かったということになるでしょう。
投資利益率と言う考え方で、もう一つ重要なのは時間の要素です。上記の例で言えば、10倍儲けたという人も、人生で1回だけそういうことがあり、その後10年は全然儲かっていないというなら、1年あたりの稼ぎはずっと少なくなります(たぶん26%)。1%しか儲けなかった人も、それが1日のことなら、1年間ではすごい儲けになるでしょう。
投資利益率は次の式で表すことが出来ます。
投資利益率=利益率*回転率
(利益/総資本)=(利益/売上高)*(売上高/総資本)
この式の意味は、投資利益率とは利益率と回転率からなるということです。しかし利益率を多くとれば、価格が高くなって売りにくくなり回転率は悪化します。一方、利益率を小さくとれば、価格が安くなって売りやすくなり回転率は向上します。すなわち、利益率と回転率は、こちらを立てればあちらが立たず、という関係です。経営とは、両者を最適に組み合わせて、最大の利益を上げることです。現実的な「最適」とは、自分のビジネスの進むべき方向を定義して、どちらかに比重をおくことでしょう。
安さをウリにして、インターネットで商売をしようと思うなら、利益率は犠牲になりますから回転率を高めなくてはいけません。その場合は品揃えは、そのときにおいて流行っているもの、話題性のあるものに限定する必要があります。やたらにいろいろなものに手を出すと回転率は悪化していくからです。典型的な例が、楽天にある「日本伝統織物展」でしょう。伝統的な紬のみに限定して扱っています。普通の商店街の呉服店では、このほかに黒留袖、喪服、七五三、産着、振袖、コーリンベルト、きものハンガーまで揃えなくては店として機能しないのですが(不親切な店といわれてしまう)、日本伝統織物展はそれらをすべて切り捨てることで、回転率を上げ、利幅が小さくても利益が出る仕組みをつくっています。ネットビジネスの特質をよくつかんでいると思います。
利益率をよくしたいと思うなら価格が高くなって、客数は増えませんから、利幅を大きくして、1人からたくさん稼がなくてはなりません。このばあいには、食事や旅行など濃厚なサービスをする必要があり、バブル時代の展示会のようになります。
ただし、他の店では売ってない珍しいものばかりそろえて、よほど特殊な人にしか売れないので回転率は悪いが、他店との価格競争がないので多少高い価格をつけても売れるので利益率は良い、というまっとうなやり方もあります。
ときどき、値札を高くつけたらかえって売れた、これこそ商売の極意だ、と得意気に話す人がいます。しかし得意気に話すこと自体、これが理論化するに及ばない特別なことという証拠でしょう。
インターネットは安い?
インターネットは、明らかに呉服業界に革新をもたらしています。かつて、呉服業界はたるみきった商売をしていました。「京都へ仕入れに行く」と言えば、呉服屋の当たり前の職務のように聞こえます。しかし現実には東京の問屋が京都で新作発表会を行い、小売店を招待しているようなことが多かったのです。小売店に京都に来てもらうために、グリーン車の切符を送ったうえに、名所見物や宴会もセットする、つまり京都ですること自体が接待やリベートに過ぎなかったのですね。もうほとんどギャグでした。
それでも自分で仕入れをするならまだ良い方で、この十数年の呉服業界は、小売店は問屋に商品を借りて売るようになり、問屋はメーカーに製品を借りて売るようになり、メーカーは中国につくらせるという、全員がリスクを避けて他人の褌で相撲を取るという状況になってしまいました。
このような状況は、ネットで新たなビジネスを始めようとする者には、やりがいだらけの美味しい市場に見えるでしょう。「大江戸きものバザール」などとても安いと思います。結構、soldoutとなっているので、安く売ればちゃんと売れるんだと言うことを、世の中に示した功績は大きいと思います。それまで既存の業者は、「なぜ安売りをしないのか」と言われて、「特殊な商品だから、安くしたって売れない」と言い訳をしていたのですから。
もちろんすべてのサイトが優れているわけではなく、「きもの人」のように、従来の悪弊を残したまま売り方だけ電気仕掛けにした勘違いビジネスもあります。ネットで成功するためには、ネットにしたから売れた、というのでなく、ネットにする前段階で、自分のビジネスについて再定義して、売れる仕組みをつくっておかなければいけないのだと思います。たとえて言えば、ネットはあくまで手足であり、頭は自分で作らなくてはいけないということです。
なぜネットは安いのか。一般には、店舗がなくて経費がかからないからだと思われていますが、それは違います。ネットビジネスというのは、本格的に行うとかなり重装備なものです。もしみなさんに冷やかしも含めて毎日数百通のメールが来るとしたら、すべてに返事が書けますか。彼らは、そのすべてに返事(ただ返事を書くのではなく、セールストークも入れるべきだろう)を書くためにかなりの人員を抱える必要があり、人件費の負担が重いのです。
彼らが安く販売できる本当の理由は、売りたいものしか売らないからです。その時点で安く買えてしかもよく売れるもの、すなわち商機があるものだけを集中的に売り、それが終わったらまた次に移る、だから回転がよく、少ない利幅でも利益が出るのです。
一方昔ながらの商店街の呉服店は、来店するすべての人のニーズに答えないと「不親切な店」になってしまいます。そのため利幅の少ない商品も回転の悪い商品も揃えなくてはなりません。珍しい琉球染織を売りながら、急なお葬式に行く人のために喪服のセットも並べておかないといけないのです。そのため商品の回転率は悪化して、トータルで一定の利益を確保しようとするとあまり安売りはできなくなってしまうのです。
ネットで着物を購入すべきでしょうか。私は結城紬のように、証紙だけで真贋が確認でき色柄はどれも大差がないようなものは、ネットに向いた商品だと思います。作家の落款や西陣の証紙番号で真贋の確認ができるが、色柄に好みがあるというものは多少慎重になる必要があります。一方「京友禅訪問着5万円」のように誰も保証してくれないものをパソコンの画面だけを見て買うのは無謀です。花粉の時期に杉林で深呼吸をするようなものだと思います。
ネット最安の価格とは、原価に対してどの程度の利益を加えたものなのでしょうか。業者としては答えにくいのですが、真面目に仕入れて(接待なんか受けないで、と言う意味)ちょっと儲けるとそういう価格になります。ですから従来型の店でも、きれいなビジネスをすれば出来ないことではありません。
ネット業者はどのように商品を調達しているのでしょうか。現実の彼らは、ナニワ金融道のように倒産した業者から商品を巻き上げているわけではありません。それでも多少とも独自性をもってやっているのか、問屋から借りた商品を効率よく回転させているだけなのか、それを見分けるのは彼らが扱っている結城紬の証紙を見ることです。結城紬の証紙は最近変わったので、独自性をもってやっている業者は古い証紙のものを安く調達しているはずです。一方効率よく回転させているだけの業者は新しい証紙のものを扱っています。当然、回転型の業者は安くても原価を割ったものはありえず、また現在流通しているものしかありません。独自性のある業者のほうが掘り出し物に出会う可能性があります。日ごろチェックをするにも、チェックのし甲斐があるのです。
また、ネットの価格は、ネット業者がその1点につきその時だけつけた価格で、それが売れた後は彼ら自身も保証していない価格です。世間全体の相場でもないし、昨日の価格が今日の相場でもありません。そのため「少し前にネットで見たときにいくらだった」といって、値引き交渉をするのは無意味だと思います。売っている時に、画面を見せながら交渉すれば、効果的だとは思いますが。
インターネットの限界
ネットのおかげでユーザーの着物の知識は飛躍的に増えました。かつては、着物が好きでも実物から知識を得るということは出来ない状態でした。呉服店には入りにくいし、入っても留袖と袋帯のセットみたいなものばかりで、見てためになるようなものはなかったのです。むしろ何百円か払って博物館に行けば見ることが出来る江戸時代の小袖の知識のほうが得やすいほどでした。着物が趣味と言いながら、沖縄に染織文化があることも知らず、南の着物と言えば大島紬だけだと思っていた人もいたぐらいです。
どんな高級呉服店でも、ネット上のサイトでは入りにくいということもないし、1時間もあれば、10店ぐらい見て回ることも出来ます。そう考えるとネットはありがたいことだらけですが、ネットからだけ知識を得ようとすると抜け落ちることがあります。
先ほど「証紙で真贋が確認できるものはネットに向いた商品」と書きましたが、ネットに向いた商品にはもう一つ特徴があります。それは、新しい商品を開拓するのではなく、消費者がすでに知っているモノを安く売るというほうが向いているということです。そこで業者もそのつぼを心得ていて、従来、展示会などで扱っていたために高いというイメージのある商品を、従来より安く売ることに徹しているようです。そのため結城紬や沖縄モノのような伝統工芸品のように、全国区で相場が形成されていたもののほうが、価格の比較ができるのでネット向きということになります。したがって、ありふれた十日町の紬の中からセンスのいいものを選ぶとか、作家モノでない京友禅のうちから価値あるものを選ぶというのは、ネットの不得意分野です。
十日町の普及品の紬はそれほど価格差のあるものではないですが、作家モノでない普通の職人が造る京都の染物(手描き友禅も型染の小紋も)は9,800円ぐらいから数百万円まであり、それを見分けることこそ、着物文化の背骨だと思うのです。しかしネットではこの部分は、「訪問着5万円」というような扱い方で済まされてしまっています。
さらに「全国区で相場が形成されていた」着物とは、大企業である総合問屋で扱っていたために、全国区の相場があったのです。ところが京都の染物のうち特に重要なものである伝統のある染屋には、自分の意思でなく相場が形成されることを嫌い、総合問屋との付き合いを拒否しているものがあります。このホームページにたびたび登場する京友禅のメーカーである千切屋治兵衛や野口安左衛門、悉皆屋レベルで言えば、安田や中井です。そして、総合問屋で扱えないこういう着物は、ネットでも扱えないのです。
呉服屋の仕事では、沖縄モノだの人間国宝だのの仕入れというのは簡単です。最初から良いものは決まっているので、相場だけ知っていれば、相場より安いものを機械的に買えばいいのです。それにくらべて、京都の染物の仕入れは、自分の目で見て選ばなくてはなりませんから、子どもがテレビゲームをするときみたいに真剣です。
結城や沖縄モノのような証紙で判断できるものや、作家の落款がついているものだけ扱っているならば、日本語がわかっていれば着物がわかっていなくてもいいわけですからね。
そこで、今度から「今日の一点」というコーナーを始めました。ここでは、主にネットで扱えない染物を扱います。必ずしも優等生的のものだけでなく、失敗作なども解説していきたいと思っています。
高橋泰三さんを知っていますか
先日、叶の聚楽の高橋洋文(泰三)さんと、ネット上だけですが、接する機会がありました。高橋洋文さんといえば、京都で高級品を専門につくるメーカーの経営者であるとともに、「銀座きものギャラリー泰三」のオーナーでもあるので、業者でなくてもご存知の方もあるでしょう。
私はこのホームページで、しばしば北秀のこと、きしやのこと、きしや好みのこと、安田や安田系のことを語ってきました。今回は、それらとともに、このきしや好みの一翼を担った、叶の聚楽についてお話したいと思います。この人こそが、一翼どころか「きしや好み」の中核といって良いかもしれません。なんといっても当時、北秀やきしやが扱っていた着物は、この人のつくった着物のほうが安田よりもずっと数が多いのですから。
私は学者ではなく、商売人です。文章を書き始めるときに、正しい情報を伝えようなどと謙虚な気持ちになったことはありません。自分の扱っている商品を宣伝しようと思うときか、他人の扱っている商品をけなそうと思うときか、そのどちらかです。ただ、それは「書き始める」時の話で、書き始めた後は、ウソは書いていないのでご安心ください。
私は、北秀や銀座きしやについて書くときに、この人について触れることはありませんでした。私は彼のつくる商品を扱っていませんし、なにより銀座にギャラリーを持ち、一般の消費者も見られるということは、もはやライバルであり、私がそれを宣伝する理由はどこにも無いからです。
しかしながら、最近この人について書かなくてはいけないと思うようになりました。北秀やきしや、そして「きしや好み」の話を書くにつれ、やはりこの人のことを書いておかないとつじつまが合わなくなってしまうからです。
かつて北秀への納入業者であり、「きしや好み」の一部でもあった叶の聚楽の作風は友禅に加えて刺繍を多用したフォーマルでした。北秀が扱う高級品としては売れ筋で、「北秀らしい」といわれる商品群の中核をなすものでした。その作風については、「ギャラリー泰三」となった今も変わってはいないので、ぜひホームページの「ギャラリー」で確認してみてください。ホームページは、「ギャラリー泰三」というキーワードで検索すればすぐ見つかります。
この方のコラムを読むと、呉服業界への批判から、靖国問題まで、さまざまに書いていらっしゃいますが、なんとも真面目な方だという気がしました。歳をとっても、世の中に対してちゃんと怒れる方なんですね。着物の作風というものは、正直に人柄を反映するもので、コラムどおりの真面目な作風です。もちろん、上物の着物づくりに数十年のキャリアを持つ方ですから、見る人の視点をひきつけるコツも、肩の力を抜くことで垢抜けたものができることもご存知でしょう。それでも、正直者がつくったなぁと思わせる作風です。
以下は、「ものづくり」というテーマで、この方に書いていただいたものです。京都で現役で着物をつくっている方と、現実に着物を着ている方が接することはほとんどないので、この方の話には新しい発見があるかもしれません。私が読んでも面白いので、みなさんも是非読んで下さい。
「ものづくりは誰がするのでしょう?
きものはどのように作られているかというと、どんな工程で作られるか、どんな技が使われているかという話になりがちで、実際本手描き友禅の製作には分業による多くの職人さんの存在なくしては不可能であることは当然です。
しかしながら職人さんがいるだけではきものは作れないのです。
では誰がものづくりを支えるのでしょう。そんなことについて少し語ってみたいと思います。
現在のものづくりの実情を少しお話してみましょう。
かつては消費者に対して自らのセンスを訴えたいというような小売店などがそのものづくりを問屋に依頼しました。ものづくりを熟知している問屋は、最適の悉皆屋を呼び、色柄などを指示し、白生地を渡します。この悉皆屋というのが今でもものづくりのキーマンです。別名染匠とも呼びますが、工程順に職人さんに指示しながらきものを作り上げるのです。まあいわば現場を取り仕切るディレクターといえるでしょう。ですから問屋の仕入れ方はプロデューサーともいえます。
出来上ったきものの加工賃を問屋が支払い、そのきものを小売店が買い上げると言う流れです。
この場合いったい誰が一番重要な役目を果たしているのでしょうか。
確かに悉皆屋は重要な仕事で、彼らのセンスが悪いといい仕事が出来るわけではありません。ただ、彼らは自分では白生地を買って作るのではありません。あくまで委託加工ですから、問屋が仕事を出さなければ生計を立てられません。あくまで受動的な立場であると言うことです。
小売屋がこの場合はものづくりのヒント、センスを流すわけですから、確かにものづくりの動機付けという意味では大きな役割を果たしています。
といってもそのきものが出来上るまでは金を出すわけでもなく、そのリスクはほとんど無いわけです。
ということを考えると、その得意先の意向を十分に把握し、悉皆屋に、あるいは職先に指導、指示をし、なおかつ金も払う問屋の存在が最も重要ではないかと考えられます。
ところが現在では環境が変わり、小売屋からものづくりの依頼や指示があることは、もうほとんどありません。市場にあるものを借りて商うのがまるで当たり前になってしまいました。もちろん好みのものを買い取り主体で商っている小売店もまだまだありますが、ものづくりの方向性を変えるほどの影響力のある小売店というのは、無いといっても過言ではないでしょう。
したがって委託主体で卸す問屋のリスクは増大するばかりで、その在庫負担を回避する問屋が激増し、情けないことですが多くの問屋はただのブローカーに成り下がってしまいました。その結果ものづくりの工程さえ知らないような勉強不足の無能な社員がうようよいるようなこととなってしまいました。その上金の払いまでも延期する体たらくでは、こういう問屋は存在意義がありませんので、近い将来必ず淘汰されてしまいます。
迷惑をかける一方ですから、一刻も早く辞めたほうが世のためなのです。
ですからものづくりのリスクは現在ではすべてといっていいほど、メーカーが負っているのです。メーカーは本来作ったものを買ってもらうことで商うのが普通ですが、問屋の弱体化で、在庫機能まで持たされることとなっています。
しかも消費者の声も何も聞こえてこないという状況で、まあいわば手探りで、暗中模索しています。
これでは加工度の高いものなどを避けていくのは当たり前なのです。
こうした諸事情を鑑みて、今本当にものづくりの世界で最も重要な役割を果たしているのは、メーカーの経営者(いいかえれば主)ではないかと思われます。
メーカーといっても問屋に卸すところと、小売店などに卸すメーカー問屋がありますが、上物の世界にとってはこのメーカー問屋の存在が最も影響力があるでしょう。したがってその経営者がどれだけ勉強し、どんな思想でものづくりをしているかが重要です。そして悉皆屋なり職先なりの面倒も見る役割もあり、資金も必要ですので、現在一番難しい立場にあるともいえます。
しかしセンスの指導を出来る人が小売店などにいないのなら、このメーカー問屋が生み出していくものが、専門店を支配していくのです。
メーカー問屋を見下して、金をきちんと払わないような小売店は、その商品力が極端に落ち、手厳しいしっぺ返しを受けることになります。
いまだにそうしたレベルの低い小売店が多数存在しますが、すべて近い将来消えてなくなることでしょう。
ただ現実はメーカー問屋のリスクがあまりに大きいので、敵前逃亡のように主が去っていくところが増えています。
残された社員でやれといわれても、資金がすぐに枯渇してしまい、続きません。
結局その主が如何にものづくりが好きであるかということが大きなファクターとなるわけです。
ものづくりの世界で今本当に重要な役割を果たしているのは、知恵も出し、金も出し、たゆまぬ努力を続けるメーカー問屋の経営者というのが本当のところです。
困難な時代そのもの作りを支えることが、すなわち先人の築き上げた文化を継承することになるという使命感を持って尽力していくことが、肝要です。
小生もその一人であり、これからの艱難辛苦を乗り越え、消費者を満足させるものづくりにこれからもまい進していく覚悟です。
ただオーナー経営でないと、絵羽ものの高級品などは作れませんので、結局後継者がないと、持続は難しいと思います。
職人の高齢化とともに、後継者問題が、すべてに優先する課題です。
和装業界のものづくりのパワーは確実に衰退することが予想される中で、誰がこのすばらしき文化を支えていくのか、小売、問屋、メーカー、職人すべてが手を携えて協力できるような体制作りが望まれます。」
いかがだったでしょうか。
私としては、上物ばかり数十年もつくれるという人生はそれ自体が大変な幸福なのだと思います。私だって、景気が悪くて高いものが売れないからと、数年間、安い紬ばかり仕入れていたこともあるのですから。
はじめて他人のホームページに書いてしまいました。
はじめて他人のホームページに書いてしまいました。
高橋さまに前回寄稿していただいた後に、うちのホームページにも書いていいよと言われましたので、遠慮なく寄稿させていただきました。
以前から、誰かが、銀座の呉服店の興亡史のようなものを書くべきだと思っていました。そして、最盛期のきしや、ちた和、ますいわ屋のために着物を制作していた高橋泰三さんこそ、銀座の呉服店の最も輝いていた時代を知る数少ない生き証人なのです。その彼が、今、銀座にギャラリーを持っているということは、とても意味のあることであるし、彼のつくる着物は、最盛期の銀座の着物の様式をそのまま継承しているという文化的な価値があると思います。
しかし、彼はそのことを現在の商売に利用するというつもりがないようなので(それもこの人のプライドなのだろう)、世間が忘れないように、私が代わりに書いておきました。
その中で、付記しておきたいことがあるので、ここに書いておきます。
刺繍の立体性について。
泰三さんのコラムに寄稿した文章の中で、私は刺繍の立体性について書いています。最近、問屋の仕入れ担当の方などから、参考に見ているよ、などといわれるので、もう少し具体的に解説しましょう。
刺繍が立体性を持つのは言うまでもないですが、それは2つの意味を持っています。1つは、作品として広げたときで、空間的な立体性です。
もう1つは、人が着て動いたときで、刺繍には質量があるため、慣性の法則により、着ている人間より多少遅れて動くことです。言ってみれば、時間の立体性です。
友禅を強調するためのワンポイントの刺繍では、質量が小さいため、慣性は生じません。ある程度の量の刺繍をして一定の質量に達したとき、慣性が生じて、着ている人の動きよりも一瞬遅れて動くようになります。また安価なミシン刺繍で大量に施した場合は、質量が大きすぎて慣性が働きすぎ荒っぽい動きになり、下品につながります。
泰三さんは、この辺の理屈をよく理解されていて、見た目に心地よい程度にずれて動くように重さを調節しています。糸を細くすることもそのひとつです。
さらに光の効果を考慮されています。現代のフォーマルは太陽の下で着るわけではありません。多くはホテルのロビーや宴会場の間接照明の下でしょう。金糸の刺繍は鈍い光を反射させながら、人間の動きから少しずれて動き、光の波を作るでしょう。いちばん近いイメージは世阿弥の「幽玄」でしょうか。
着物をつくる人は、そこまで考えているものでしょうか。泰三さんは考えていますね。その辺が京都の着物づくりのプライドでしょう。伝統工芸展の図録では分からないところですね。
泰三の振袖
はじめて他人のホームページに書いてしまいました。
「今日の一点」に掲載していた文章のうち泰三の振袖について書いた部分を、ここに転載しました。
今日は番外編として、泰三さんの振袖を紹介します。写真は泰三さんから提供していただいたものですが、展示会の1シーンのため本人も写っています。他の作品もご覧になりたい方は泰三さんのホームページを利用してください。 (ギャラリー泰三で検索すれば出ます。)
振袖は、泰三さんの持ち味のよいところがいちばんで出やすいジャンルです。それは、彼が理想とする着物である、江戸時代の特に最盛期である前期の小袖の表現が、そのまま生かせるからでしょう。
そしてこの振袖は、江戸時代の最盛期の小袖につながるとともに、きしや、ちた和が全盛を誇った最盛期の銀座の着物の思い出につながります。特に私が懐かしいのは、この朱色と白の組み合わせで、まだ私が若いころ、当時全盛だったきしやのウィンドウを飾っていた着物たちを思い出します。今、若い人たちに迎合するなら、色は、朱と白よりもピンクや水色のパステルカラーのほうが有利かもしれません。デパートで大量に振袖を売る千總ならそうするでしょう。しかし、頑固に京都の伝統色を教えてやるおじさんがいてもいいと思います。
もう1つ、この振袖の特徴をあげるなら、普遍性、つまり、いきなり外人が見ても、素直に美しいと言ってくれるものだということです。桶絞りの部分を除いて、執拗に繰返される刺繍と摺箔は、目がくらむようです。しかし、この過剰な加飾は、裾に向って花を大きく描くような月並みな展開をせず、ただ繰り返すにとどまっています。それによりシンプルさも獲得しており、それが装飾過多でも野暮にならない理由です。
着物とは粋でなければならないと心得る現代の着物マニアは、刺繍の量だけで辟易してしまうかも知れません。しかし振袖はマニアが着るものではなく、役所が主催する成人式をはじめとして、社会的な着方をするものですから、鈍感な人にもわかるような普遍性が必要なのです。
もともと振袖は、着る本人が楽しいものでなく、周りを愉しませるものです。そして、愉しみにとどまらず、社会的な武器になりうるものです。パーティに、この振袖を着た女の子を1人参加させたところを想像してみてください。文化人のスピーチの2つか3つに匹敵するぐらいの演出になるのではないでしょうか。私が大きな会社の経営者なら、この振袖を会社の経費で買っておいて、女子社員に着せてパーティのたびに歩き回らせますね。
最近は、マンガとかオタクとか日本発の文化が話題になりますが、着付けの問題さえなければ、日本の名物、として発信できるものだと思うのですけどね。
この振袖の刺繍以外のもう1つの見所は桶絞りです。この振袖の中央部分は大きくほぼ円形に桶絞りが施されています。着物の知識が全くない人が見たら、モダンアートのように勘違いするのではないでしょうか。(外人が見たら禅の教義に関係があると思うかもしれませんね。)実際には、着物として着用すれば、中央部分はほとんど帯の下になり、空虚なスペースがあるわけではないと分るのですが。
総刺繍の着物では、帯の下になる部分に刺繍があると、見えないから無駄であるし、重量も増し、さらに帯との摩擦でほつれる危険もあるなど多くの問題を抱えます。そこで帯を用いない打掛けや帯が細い時代の小袖では全体に刺繍がありますが、現代の着物ではこの部分に刺繍はしない方が好ましいのです。
しかし、着物を平面作品として展示した場合、中央部分に柄を置けないということは、デザインの連続性が断たれ、画面構成上の大きな制約になります。「着物は本来ファッションであるから、着装したときに最高の状態になればよい」というのは正論ですが、現代の着物は展示会場で平面展示もしなければならず、ばあいによっては、平面状態でコンクールの審査も受けなければなりません。泰三さんは、この問題に対して、中央の空間をほぼ完全な円形に取ることで解決しました。つまり着装しているときは衣装として機能的でありながら、平面展示した時は、モダンアートとしての趣を持たせたのです。
桶絞りの技法について多少説明が必要ですね。桶絞りは、広い面積を染め分けするときに用いる技法で、染めたくない部分を桶にいれ、染めたい部分を表に出して、挟み込むように桶を密封して、染料を満たした槽に沈めて回転させるというものです。桶を染槽から引き上げて、密封を解いてみれば染め分けられているというわけですが、密封の仕方も複雑で、プリント技術のある現代ではとても合理性があるとは思えない、まわりくどい技法です。現代はもっと効率的なプリント技法はいくらでもありますが、しかしあえて、このような困難な方法で染めることで、で染め分け部分は独特の凹凸やグラデーションが生まれ、平面的直線的な印象から逃れることが出来ます。それでも、何故そんなことをするのかと納得の出来ない人には、それが京都の染屋のプライドだとも言いましょうか。
このコーナーを始めてもう三百回になります。三百回の記念として、何か訴えるべき内容のあるものをと思い、泰三さんの振袖を選んでみました。
泰三さんの振袖はすごいと思います。どこも逃げるところのない着物だからです。それは社会とのかかわりの中で社会と格闘しながらつくるということです。そんなにおおげさなことか、と言われれば、真面目な話だと答えるしかありません。その証拠に、いま日本でこのクラスの振袖を継続してつくれる会社はないからです。何年か前までは、いくつかのメーカーでつくっていましたが、現在はどこも商売としてはとっくに撤退しています。世間にあるのはセット物ばかりだし、お金持ちでもデパートで千總の型モノを買ってありがたがるぐらいが関の山です。
振袖というのは、元来高価なものです。加工面積が大きいこともありますが、それだけではありません。趣味の着物ならば、肩の力を抜いてつくることでかえってセンスの良いものができることもあります。しかし振袖は、人間がいちばん綺麗なときに、自分のためでなく、他人に見せるために着るものですから、趣味に逃げることは許されず、友禅・刺繍・箔・絞りと手を抜くところがないからです。
この振袖は、泰三さんが、きしや、ちた和など銀座の名店といわれた店を通じて販売していた、最盛期の銀座のきもののスタンダードといえるもので、現在でも簡略化せずそのまま継続しています。
かつて、銀座の呉服店は、銀座の文化というものを創り出し、全国に発信していました。私は、いまの銀座の呉服店は工芸館やら紬館やら、全国各地の優れた伝統工芸品を並べているだけのように思います。悪いことではないですが、それでは銀座から発信しているのではなく、地方から発信されているのではないのでしょうか。
かつての銀座は、最高の職人が最高に難しい仕事をして、それをその時代のいちばん中心にいる人が買っていました。店主は、その流れを仕切るのにふさわしい見識を身に着けていました。(その見識の中に残念ながらマネジメントは含まれていなかったようです。)「銀座のキモノ」という言葉に特別の意味があった時代を知っている人だけが、この振袖を、ガラパゴスに残された自然のように眺めるに違いありません。
こういうものが社会のスタンダードであって欲しいですね。社会のスタンダードとは、買える人が買うだけでなく、買えない人も憧れるものだと思います。志のある方は私ではなく泰三さんへメールを。昔よりは安くしているはずです。
西陣の帯について。なんと梅垣の社長からメールをいただきました。
伝統工芸について論じるとき、私たちはいつも真贋論から始めます。一般の人がイメージするニセモノとは、手描に対する機械捺染、手織に対する機械織、草木染に対する化学染料染などです。すべてのものがその枠に入ってくれるなら、勧善懲悪の水戸黄門のように理解しやすいのですが、どうしても枠に収まらないもの、ホンモノとニセモノの中間のようなものが現れてしまいます。その代表が西陣の帯だと思います。
うちにいらっしゃるお客様の中で、紬について学者のような知識を持つ方が何人かいらっしゃいます。しかし、友禅についての知識を持つ方は稀、西陣の帯について知識を持つ方は皆無です。私も、西陣の帯について、かなり文献を探していましたが、断片的な職人の苦労話などには飽きるほど出会っても、私が知りたいことは書いてありませんでした。
先日、「今日の一点」で、梅垣の袋帯を取り上げました。この作品をテーマとして選んだのは、西陣の袋帯の価値はわからないということがいいたかったからです。「今日の一点」の、この回は、その後意外な展開になり、このホームページにたびたび登場する泰三さんの紹介により、なんと織った本人である梅垣織物の社長からメールをいただいてしまいました。しかも、私の疑問に対し一つ一つ論理的に回答してくださいました。
「今日の一点」の元の文章は失われてしまったので、まず私が疑問に思っていることを、もう1度列挙してみます。
@西陣の帯の原価はどのように計算するのか。
手描き友禅というのは、原価のほとんどは職人の手間賃であり、悉皆屋が支払ったであろう賃金と生地代の購入価格を合計すれば、製造原価になります。例外は草稿のみで、友禅の工程のうちそれだけは2枚目以後は節約できるかなといったところです。
それに対して、西陣の帯というものは、伝統的な手織といえども、ジャカード機である以上、紋紙を使うわけです。紋紙の制作費は最初にかかるだけで2本目以後はかかりませんから、製作本数によって1本の帯に配賦すべき原価は変わってきます。となれば、沢山つくって安くしようという気持ちが生まれるものです。さらに、帯が機械織となり、さらにコンピュータ付の力織機となれば、紋紙はプログラムに変わり、さらにこの傾向は強まります。
機械織のものについては、最初にコンピュータ付の高額の力織機を取得しなければなりません。しかも取得のために借金をすれば、利子の支払いもしなくてはなりません。しかし1度取得してしまえば、あとは自動で織ってくれるわけで、生産量は激増して織るための日々のコストは激減します。しかし今度は、力織機の減価償却費と利息が帯の主要なコストになり、経営が楽になるわけではないのです。
手織のコストと機械織のコストのちがいは、手織のコストは織らないことで調整できますが、機械を取得したための支出である銀行への返済や利子は、織らなくても待ってくれないということです。そこで、機械織の経営者は、売れなくても織り続けることになり、安売りするので値崩れします。最初、高い値段で買った人は、のちに安い値段で売りに出されているのを見たらだまされたような気分になり、それを売った小売店を疑うでしょう。疑われた小売店は、その帯の銘柄の仕入れをやめますから、さらなる値崩れにつながります。
A手織と機械織は、どうやって見分けるのか
友禅染の価値を決めるときは、まず、手描きか型染かということがわからなくては始まりませんが、これについては、いくつか見分けのポイントというのがあります。紬については、手織か機械織かということがまず問題になりますが、触って分らなくても産地のラベルなどからかなり情報が得られます。
西陣の帯に関しては、西陣手織協会というのがあり、その協会の会員は手織の帯に対し「西陣手織の証」という証紙を貼布しています。かつてこの証紙には大変な権威があり、私も仕入れの際には目安としてきました。もちろん、梅垣織物もその一員でした。以前は、「美しいキモノ」誌上で会員名を公表して普及を図っていたのですが、最近は会員数が激減して広告は止めています。業者に流通在庫として滞留していたものには、この証紙のものがありますが、新しいものでは、この証紙を貼ったものは滅多に見なくなりました。かわりに自主的に「手織」などと印刷した証紙を貼ったモノを見るようになりましたが、第三者が保証するようなものではないし、「手織」が本当でも、外国人の手織かもしれません。
私は、西陣の帯について、極端に良いものや悪いものを除き、証紙がなくては手織か機械織かを判断することができませんでした。そこで私の鑑定法は、手織機を運用している帯屋を調べておき、証紙番号をチェックして、その帯屋以外のモノを仕入れないという方法です。情けない話ですが、モノそのものから鑑定することはできなかったわけです。しかし、もしかしたら、私に能力がないわけではなく、織り方を手織と機械織で二分して考えること自体が、西陣の帯の分類にはあてはまらないのかもしれません。(もともと手織に価値があるという発想自体が、柳宗悦の民芸思想由来であり、伝統工芸の紬にだけふさわしいのかもしれません。)
Bどこで価値判断すべきか
織物のなかでも、紬は、手織と機械織という基準のほかに、糸は、手紡ぎか機械による紡績か、絣は、手括りか摺り捺染かという基準があります。一般には、手織・手紡ぎ・手括りという組み合わせが価値あるものと思われますが、細かい絣をぴちっとあわせるには、糸は細くて真っ直ぐな紡績の方が良く、絣は細かいものが出来る摺り捺染の方が良いという考え方もあり、何に価値の基準を置くかは、作家の創作性の範囲内です。
西陣の帯は、手織と機械織という最終工程以外に基準を求めるなら、外見でわかる柄の細かさや色数以外に、帯を織るための絹糸は、日本製なのか外国製なのか、どのような方法で染めているのか、使用されている金糸は、金箔からつくったホンモノの平金糸または撚り金糸なのか、などが考えられますが、それを見分けるのも難しそうですね。
C賃機という制度のため、帯屋を訪問しても分らない
西陣の帯屋の多くが、賃機(ちんばた)という制度で外注により制作しており、自分で工場を持っているわけではありません。賃機は、西陣とは限らず、もともと白生地を織っていた丹後が多いです。さらに、その丹後の賃機が中国に孫請けに出していて、西陣の帯屋は、見て見ぬ振りをしているといううわさもあります。
さて、いよいよ以下が、写真の帯を制作した梅垣織物の社長である、梅垣慶太郎さんからのメールです。写真で掲載しているものが、今論じられようとしている梅垣の袋帯です。ここ20〜30年で西陣でつくられたもののうち、高級品としてもっとも基準になるもののうちの1本だと思います。これについての解説を読むことで、「ホンモノ」の西陣の帯とはなにか、ということを考える1つの答えになると思います。
「染の聚楽の高橋社長から御店のホームページを教えていただき、拝見させていただきましたところ、「今日の一点」にたまたま手前共の帯が取り上げられており、西陣織の生産や流通に対する疑問をお持ちのようなので、私の意見を含めお答えしたいとおもいます。
まず「今日の一点」の帯ですが、当方で製作している帯地のなかでも最高ランクの手機「宝相錦 蒔絵花鳥文」です。この帯は、昭和五十八年に初めて製作し、以来今日までに十八本製作致しました。現在、在庫が一本ございます。このクラスの帯を製作するには、図案からですと約三ヶ月以上、製織だけでも一ヶ月はかかります。一回のロットが五、六本ですので、二十数年間で三回程製織したことになります。
ご指摘の通り、すくい以外の西陣織は紋紙を使い製織します。この紋紙を製作するのに、数ヶ月の時間と百万以上の費用を必要としました。当然、この費用を償却しなければなりませんが、このクラスの帯が何本売れるのか、又何本が適正なのかはわかりません。本当は、本数を限定して製作すれば良いのですが、全ての帯が予定本数販売できるのかどうかもわかりません。最初に予定本数を製織してしまい、もしも、予定本数販売出来なければ、価格を下げでも販売しなければなりません。手前共は、このような事態を避けるため最小ロットで製織し、時間をかけて需要以上の販売をしなくても良いように心がけております。しかし、このような考え方は、西陣では特殊と言わざるを得ません。どのような考え方が正しいのか、なにが間違っているのか私どもにも分かりません。
次に、当社が製作している他の帯との比較ですが、確かに素材やロットはまったく考え方が異なります。特にロットは一桁、場合によってはそれ以上になる事も有るかもしれません。ただし、その価格の帯としては決して多いロットではないとおもいます。当社も株式会社ですので、理想だけでは経営が成り立ちません。時には、需要に合せて低価格の帯も製作致します。しかしながら、帯の本質的な品質や製作手段は何も変わりません。たとえば、裏無地は価格に関わらず同じ物を使用しています、基本的な素材も変わりません。どのような商品でも価格のランクはあります。要はその商品に対して値打ちのある価格であれば良いのではないでしょうか。
たとえば、手機の帯は一般に高額とされています。しかしながら、いったい何を持って手機の帯と言えるのでしょうか。帯地の製作には大まかに言っても三十以上の工程があります。最後の製織工程だけで評価されて良いのでしょうか。昭和四十年頃までは、力織機の性能は非常に悪く、殆どの帯は手機でした。現在の力織機は性能が向上し、なかには手機以上にきれいに製織できるものもあります。手機の帯を否定するわけではありませんが、手機だから良いのではなく、良い帯に手機のものが多いと言うことではないのでしょうか。現在、国内で手機を稼動させることは人件費等の関係で非常に難しく、当社でも手機を維持することが難しい状況です。当社では、帯製作の工程、素材は出来るだけ従来のものを踏襲し、合理化出来るものは時節に合せて取り入れようと考えています。
最後に業界の流通に関する問題ですが、現在メーカーに上代価格の決定権はありません。買って頂いた業者が、いくらで何処に販売されようとも、文句は言えません。唯一メーカーに出来ることは価格を維持し、取引条件を厳しくすることです。当社は基本的に委託販売をせずに、買取を基本に販売しておりますが、それでも当節、ネットで思いのほか安く出ていることがあります。あまり良いことだとおもいませんが、当社の販売価格より高ければ、いくらが適正価格なのか分からないことがあります。 」
いかがだったでしょうか。私は、これほど誠実で論理的な回答をいただけるとは思っていませんでした。西陣の帯屋でも、やましいところの少ない梅垣織物だから、論理的な姿勢で書けるのであって、雑誌に毎回広告を出しているような企業としての経営に徹している帯屋は、書けないことだらけかもしれません。
当ホームページをごらんの方の多くが、ネットショップの利用経験者かと思います。ネットショップで表示されている価格は、従来の呉服店の価格と大きな差があり、それが業界に対する不審感につながっているという面があります。特に西陣の帯については、50万円が7万円など、単に流通を合理化しただけではありえないような数字が当たり前になっています。
トヨタには、セルシオもカローラもあり、当然価格は何倍も違うわけです。帯屋の商品も同様でモノによって何倍か価格差があります。しかし、西陣の帯には証紙番号というものがあるために、それが強い印象を残し、442は梅垣だから***円で買える、というように、思い込んでしまうという状況はあると思います。ネットショップの解説は、有名な帯屋のものを扱う場合、帯の解説ではなく帯屋の解説の終始しています。その帯に関しては品質に関係ない柄の説明のみで、その帯屋のどのランクのものかという説明がないために、その商品がカローラに相当するものでもセルシオと同じ解説になってしまっているものが多いです。はなはだしいのは、同じ帯屋の複数の商品を扱っており、価格差があるのに、どちらの解説も最後に「最高のお品でございます。」と結んでいるものです。価格差があるならどちらかは最高ではないはずですが。
では、安いものは買ってはいけないのかというと、そんなことはなく、カローラが安全で結構かっこいいのと同じで、梅垣のような真面目な帯屋に関しては、ネットで安いものを買っても機能的には問題がないだけでなく、高額品と比較しても着装した時の上品さは劣っていないと思います。あえて違いを言えば、作品としての意義でしょうか。
さて、ここで私の感想をまとめてみますと、
@写真の帯について、20数年間に18本という生産数は、予想外に少なくて驚きました。世界の高級品とされる他の商品と比較してみてください。この間にヴィトンのバッグがいくつ作られているでしょうか。20数年間に18という数字はヴァンドーム広場の宝石店がつくるハイジュエリー並なのかなと思います。
A私たちは、織物に関して、手織か機械織かということだけで、価値判断の基準としてしまいがちです。しかし製織は、数十ある工程の最終段階に過ぎないという意見は傾聴に値します。
B西陣の帯に関わらず、京都で和装品をつくっている人たちは伝統を守ろうという意識があまりないように思います。着物も帯も伝統工芸品ではなく、ファッションと思っているようで、より女性がきれいに見える、ということを主眼にしているようです。そして良いものを追求した結果、やっぱり伝統を守るということになるのが理想です。そのような思想の下では、織りの技法は目的ではなく手段ですから、機械織の方がきれいに織れるなら機械織になっても仕方がありません。
手織が機械織に変わっていくことについて、私たちは産地の堕落と考えがちですが、梅垣さんのメールでは、帯が手織であったのは、昭和四十年頃までは力織機の性能が悪かったために過ぎなかったように書いています。そして現在の力織機は性能が向上し、なかには手機以上にきれいに製織できるものもあるとも。「手織」ということ自体に価値があると思う私たちの思考は、実は柳宗悦らの「特殊な思想」に毒された偏見かもしれません。(これについては、折にふれて何度でも論じたいです。)
Cこのメールは、西陣の帯屋のリアルな意見と思ってしまいますが、それでもこれは特殊な意見なのです。他の、みなさんが「美しいキモノ」などの雑誌に広告が出ているような帯屋は、もっと別の姿勢、すなわち普通の企業家として商売をしています。その人たちのリアルな意見を聞いたら、皆さんはがっかりするかもしれません。
生産数についても、売れるかもしれないものを意図的に抑制してつくるというのは、企業家として勇気のあることです。たいていの帯屋は、つくりすぎて、必死で宣伝をして売ることになり、そのコストをまかなうために、製作段階で手抜きをする、ということに走るのではないでしょうか。
さて、ここまで読んでこられて、みなさんは、どんな印象をお持ちになったでしょうか。かえって迷宮に入ってしまったような気がする方もいらっしゃるでしょう。私はこれまでのように、銘柄限定で仕入れていきます。梅垣ももちろんその1つです。
最後に、梅垣織物の解説を。
梅垣織物は、先代より銀座きしやの定番であり、いわゆる「きしやごのみ」の一翼を担っていました。安田や泰三などがつくっていた洗練された都会の友禅に、違和感なく合わせることのできる帯であり、銀座に集まる全国のお金持ちの好みに合うように進化してきた工芸でもあります。
私と、梅垣の帯との出会いは、問屋がたまたま持ち込んできたことが始まりですが、そのときその問屋は「これはきしやの帯だからいいものですよ」ということをセールストークにしていました。
現在、ネツトショップでびっくりするほど安い梅垣に出会うことがあります。梅垣の社長本人のメールでは、これについても触れていますが、これはどんな銘柄でもおきること。たまたま流通の都合で処分品が出たときに、梅垣の名声を利用しようとする業者が飛びつくために目立ってしまうともいえます。ネットでも実店舗でも、フォーマルを探している方は選択の候補に入れるべきだし、安く買えるなら素直に喜ぶべきだと思います。
梅垣織物のホームページでは、直接、商品の販売はしていませんが、商品の写真を見ることが出来ます。最近、ネットショップで安く売られていた商品に、証紙番号だけを貼り替えたニセモノがあったという情報もあるので、不安のある方は、見比べてみることをお勧めします。