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企画特集

【福井の宝探訪記】

最後のニホンオオカミ 福井市(6)

2007年01月09日

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松平康荘侯爵が撮影した獣。ポーズは人為的につけたものらしい。写真はこのほか、福井市内の写真店経営者が撮影したものも現存。(県立図書館松平文庫蔵)

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捕殺後剥製にされた獣。「純日本種狼」とプリントがある。福井市内の女性が69年に郷土歴史博物館へ寄贈したアルバムより(福井市立郷土歴史博物館提供)

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明治から大正にかけて福井城跡にあった松平試農場。現在の福井市大手2丁目付近にあたる(県立図書館松平文庫蔵)

 福井市下馬町の県立図書館に、旧福井藩主の越前松平家から寄託された1枚の古写真が保管されている。

 写っているのは、作業服姿の3人の男性と、その足元に横たわる犬のような1頭の獣。首より上の毛が長く、尾は短くて太い。1910(明治43)年、福井城跡で撮影されたものだ。

 「これこそ、絶滅したニホンオオカミの最後の確認例だと思います」。元国立科学博物館研究員で東京農大教授も務めた吉行瑞子さん(74)=東京都新宿区=は確信を持って力説する。

 ニホンオオカミは1905年、奈良県東吉野村で捕殺された1頭を最後に生存が確認されていない、というのが学界の定説だ。でも、本当の「最後」は、この写真の獣かもしれないのだ。

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 この獣が福井の街に現れたのは1910年8月3日のことだった。当時、城跡一帯には越前松平家18代当主の康荘(やすたか)侯爵によって松平試農場が開設され、畑や果樹園が広がっていた。

 試農場の当時の日誌によると、「城内に野犬が逃げ込んだ」という情報が寄せられ、研究生らが捜索。夕方になって、ようやく銃で獣を射止め、撲殺した。翌日、松平邸で研究生らとともに写真撮影したという。日誌はこの出来事を「狼(おおかみ)捕殺」と記している。

 だが、半世紀後の62年、残された写真をもとに獣の正体を議論した日本哺乳(ほにゅう)動物学会は「ニホンオオカミである可能性は低い」との結論を下した。実は捕殺の数日前、県内で興行中の巡回動物園から、大陸産のチョウセンオオカミが逃げ出す事件があり、この脱走オオカミだとみる意見が大勢を占めたという。

 その後も、写真に写った獣の姿形を分析した複数の研究者が、この結論への支持や不支持を唱えて散発的に議論は続いた。だが、獣の剥製(はくせい)はすでに戦時中の空襲で焼失しており、それ以上の証明手段はなかった。

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 「やはり、あれは動物園の脱走オオカミなんかじゃない。ニホンオオカミだったんだ」

 90年代後半、吉行さんは福井から取り寄せた一冊の文献に目を通した瞬間、そう確信した。

 当時、東農大教授だった吉行さんは、チョウセンオオカミ説に疑問を抱く今泉吉典・元国立科学博物館動物研究部長(92)とともに、獣の正体特定につながる新資料を探していた。

 そして発見したのが、試農場関係者が67年に福井の農業雑誌に寄稿していた「松平試農場誌」。そこには「捕殺の翌日、動物園職員が福井を訪れて死体を調べ、同園のオオカミではないと判明した」「同日、福井中学の動物学教諭が、純粋なニホンオオカミだと鑑定した」といった新事実が書き記されていた。

 吉行さんらは03年、こうした資料をもとにニホンオオカミ説を主張する論文を発表。翌年にはメディアにも大きく取り上げられた。

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 だが、この論文も定説を書き換えるには至っていない。

 発表後、吉行さんらの元には、特に反論は寄せられなかったが、積極的な支持や定説修正を求める声があがることもなかった。

 現在、環境省のウェブサイトにある絶滅動物などのデータベースでは、ニホンオオカミの最後の確認例は依然、奈良県のケースとされている。記述のもととなったレッドデータブックの執筆を担当した石井信夫・東京女子大教授(動物生態学)は「やはり、この分野で決め手になるのは標本の有無。標本が現存する奈良のケースに比べ、『最後の例』と認定するには不確実と言わざるを得ない」と話す。

 福井のオオカミ騒動から、もうすぐ100年。絶滅したはずのニホンオオカミは、現在でも全国各地でしばしば「目撃情報」が報告され、生存を信じる人々から追い求められる存在であり続けている。

 吉行さんは「確かに物証こそありませんが、最後のニホンオオカミが福井で捕獲された可能性が高いということは、何らかの形で記録しておくべきだと思います。せめて福井の人々には、貴重な動物が明治末まで生き続けた場所だということを、記憶に刻んでおいてほしい」と話している。(宮武 努)

◆ニホンオオカミ◆

 食肉目イヌ科の動物。ユーラシア大陸に分布するタイリクオオカミの一亜種とする説と、独立種とする説がある。タイリクオオカミに比べ小型で、四肢や耳が短いなどの特徴があるといわれている。かつて本州、四国、九州に生息していたが、明治以降の駆除や伝染病流入で激減。公式には、1905年、奈良県東吉野村鷲家口で米国人アンダーソンが地元猟師から買い取った1頭(大英博物館に頭骨と毛皮が現存)を「最後の確認例」として、絶滅したとされる。

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