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「何らかの精神的疾患らしいけれど本人が頑なに診療を拒否するので困っている」というご家族の方。いらっしゃいましたら是非ご連絡をください。お互いに励ましあっていければと存じます。また情報交換もできればなおありがたいです。よろしく御願い致します。


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急に

2007-10-05 19:12:12
テーマ:ブログ

急激に読者数が増えた。

どなたかURLをどこかに貼った?

まあ、ありがたいことだと思いましょう。

たとえ悪意で貼ったとしてもねにひひ

アクセスアップツールに使わせていただきます m(__)m


ところで・・・・・・

ポラリスとポラリス夫が愛情という固い絆で結ばれていると御都合の悪い方々が若干名おられるようだ。

なぜ?

どうして?

よその家庭の内部事情なんて私には興味ないんですけどねえシラー

興味津々の方もおられるんですねえ、世の中には。

だからこそこのブログもアクセスアップしたので「ありがたや・ありがたや」と思わなければいけないのでしょうがね。

でもね、他人が不幸から幸福へと登っていく姿を見てるより、自分で自分を幸せにするべく努力したほうがいいと思うよ。

人生の持ち時間はそれぞれ限られている。

ポラリスに執着してる方々、時間の無駄使いですぞにひひ

もうあまり劇的な事件は起きないと思うよ、このブログ。

私の私的な日記に過ぎなくなってるから。

それでも「他人の日記を読みたい目」という方はどうぞ歓迎いたします。

「うちの家庭もそうだ」という人もいるでしょう。

「ケチつけてやれ」と早速どこぞに投稿する人もいるでしょう。

読み方は人それぞれですよね。


さあて、夕飯つくるか。

我が家はちょいとばかし幸福なのでおいしいもの作ります。

どっこいしょニコニコ


追記 最初に書きましたが写真のアップがないのは私がその技術を持たないためです。プロフイールの写真はたまたまPC内に保存されていたので四苦八苦しながらアップできました。

夕立

2007-10-05 18:47:50
テーマ:ブログ

夕飯の買物に出たらバッチシ夕立に遭ってしまった。

ツイテネガーン

幸い傘は持ってたから「エイヤ!」と土砂降りに中を帰ってきた。

家に着いたら・・・・・やんでいたむっ

もう少しスーパーで雨宿りしててもよかったかな?


こうして一雨ごとに秋めいてくる。

人生も同じかな。

子供も一雨(ケンカやイジメやその他の困難)ごとに大人になりやがて人生真っ盛りの夏を迎える。

楽しくて忙しくて、ただそれだけで毎日が過ぎていく。

でもふと気がつくと秋雨前線が・・・・・

そしてまた一雨ごとに人はさらに大人になり秋を迎える。

そのあとは針葉樹が葉を落として・・・・・・


いやだ!

私はまだまだ枯れないぞメラメラ

本当の理由

2007-10-05 01:49:09
テーマ:ブログ

昨日の夜、帰宅したポラリス夫君が突然ボトっと花束を落とし、「超沈み」に入り込んだ理由が判明かお


今日の昼頃宅急便が届いた。

そして夫からもメールが・・・

「宅急便、まだ来ない?」えっ

私は即返事した。

「届いたよ。でも君が帰ってきてからいっしょに開封しようね」


夫は11時半という“驚異的!”に早い時刻に帰宅。

(いつもは一時半ドクロ

こんな早いご帰還、何年ぶりだべさショック!


で、いっしょに宅急便の中身を開ける。

ちょっと得意げなポラリス夫君べーっだ!


それもそのはず。

このごろ私は中学三年生だったころを懐かしみ、しきりと

「杏里の『オリビアを聴きながら』がまた聞きたいなあ」

と誰にとも無くつぶやいていた。

出てきた品物はニャンと

「杏里の18番」

つまり当然『オリビアを聴きながら』(それも初回の録音!)も入ってるわけでしてチョキ


夫が昨日の夜、思わず花束を落としてしまったのはこの日に届くはずだったCDがまだ届いてないことを一目で見抜いてしまったからだったのだ叫び


優しいねえ、ポラリス夫君よ。

いっしょに『オリビアを聴きながら』でお祝いしたかったんだね。

でもそれを順序だてて口で説明できないところがまだ鬱なのであるガーン


これではっきりした。

これほどまでに妻に気遣いをする夫がモラハラなわけがない。

「ねらー」の皆様、残念でしたにひひ

「モラハラ夫」がこんな優しい気遣いを妻にするわけないじゃんか得意げ

私はこの世で最も幸せな妻なのだラブラブ

ポラリス夫は妻の欲しいもの、聞きたい歌をそれとなくチェックしていて結婚記念日に合わせて注文していてくれたのでしたニコニコ

ただ佐〇急便の手違いで一日ずれてしまっただけパンチ!


今夜はふたりで杏里を聞きながら夕飯をいただきました音譜

テイーンエージャーにもどってね。


ごめんねえ、ポラリス夫君よ。

君の本心も知らずに勝手に「沈み」がひどいなんて決め付けて。

あなたの細やかな愛情はもう充分受け止めたからねラブラブ


え? お前からは何を送ったのかって?

経済状況の厳しい専業主婦ですもの。

感謝状だけよべーっだ!


夫のくれた橙色の薔薇の花束は今日も元気ですドキドキ

結婚記念日の花束

2007-10-04 02:09:48
テーマ:ブログ

昼間には「今夜は早く帰るよ」とメールをくれた夫。

でも実際に帰ってきたのは0時半。

それも薔薇の花束(5本=明らかにコンビニ仕様)を持って。

それでもその花束を

「ハッピー! ウエデイングズデー!」ドキドキ

とか言って手渡してくれればまだ私の心も穏やかだったろう。

ところが・・・・・・・


ダイニングの入り口にたたずみ無表情な夫。

心なしか泣いているようにも見える。

早く帰れなくなった理由が仕事にあるのは明らか。

「お帰りなさい。わあ、御花買ってきてくれたの。綺麗ねえ。活けるからちょうだい」

と明るく言ったら、夫は花束を床にボトっと落とした。

これにはいくら鬱病とは解ってはいてもちょっとショックだったしょぼん

「ねえ、御願い。拾って手渡して」

と御願いしてももうだめだ。


うつろな瞳、能面の顔、限りない無言・・・・・・

こんなこと続けてるのは馬鹿馬鹿しい。

私は自分で花束を拾いベースに活けた。

あとはもう知らない。

夫が手を洗い、うがいをしたのか? そんなこと知ったこっちゃないね。

ただ食事はおいしくいただきたかった。

「御願い、スパークリングワインを開けて。私には無理だから」

と頼んだところ、非常に緩慢な動作ではあったが(テメエはナマケモノかパンチ!)開けてくれた。


何とか結婚記念日を祝って乾杯。

何がおいしかったか?と訊くと

「全部」

と聞こえないほどの小声で答える。

その答えにウソがないのは知っている。


でも私はまだ拘っている。

結婚記念日の花束を手渡さずに床に“わざと”落として拾わせたことをメラメラ

そうやって会社のウサを晴らすしか能の無い男なのだ、コイツは!


鬱病の患者さんは数多い。

しかし家族の心を傷つけることによって自分の心を守ろうとする態度は許せない。

今、夫はソファで眠りこんでいる。

今夜は毛布も掛けてはやらない。

大人だろ! 自己責任だ。

明日の朝? 自分で起きろよ!

私は何も関知しないことにした。


たまには逆療法も必要だプンプン


結婚記念日にゃ \(^o^)/

2007-10-03 20:57:30
テーマ:ブログ

昨日はぐっすり休んだポラリス。

今日は元気です ニコニコ

でも夫は朝から「沈み」に入ってる。

その原因とは・・・・・目


前々から夫は

「結婚記念日にはどこかおいしい店に連れて行く」ドキドキ

と約束していた。

でも今、夫の会社はそれどころではない。

平日に定時で帰って夫婦でデートなんととんでもない。

夫にとって約束を果たせないことは口惜しいことなのだ むっ



夫「(小声で)今日の結婚記念日は今度の3連休に延期」

(3連休はまた別の計画を立てているのだが。夫には内緒で・・・やばいよドクロ

ポ「いいよ、そんなこと。無理だよこんなときに平日デートだなんて。それよりも私はあなたの大好物をつくるから。何がいい?」

夫「(ますます小声で)何でもいい。出前とっちゃってもいい」


本当に可愛そうなほど済まなそうな顔をしている しょぼん

私よりも夫のほうがずっと寂しいはずだ。

だって彼は「レジャーとイベントが生き甲斐」の男なのだから。


ポ「結婚記念日を忘れてないだけ、あなたは日本の男としては100点よ」

と言って送り出した。

でも花束ぐらいは期待してるんだけどね (^^ゞ


夫のカバンにもそっと日頃の感謝とこれからの希望をつづった手紙を忍ばせておいた。

気付いたかな?にひひ


今日のメニューです。


松茸ご飯(きのこは鬱に効く。おまけに今日はきのこの二割引。松茸も例外ではないニコニコ

チキンのから揚げ(これって夫の大好物)

温野菜サラダ

水菜のしろごま大蒜和え(これも夫の大好物。しかも鬱に効くべーっだ!

お隣さんからいただいた枝豆(新鮮でうまい!)


喜んでくれるかな?

そうそう、シャンパン(本当は単なるスパークリングワイン(^^ゞ)も冷やしとこうっと。

愛してる (^^ゞ

2007-10-02 19:45:42
テーマ:ブログ

「どうしたんだよお~、ポラリス!」

朝から夫の驚いた声が響いた。

頼むから大声出さないで。頭が痛いの。


夫「おい、鏡見てみろよ」

ポ「え?」


素直に鏡を覗く。

元々色は白いほうだ。

だが、そこで見たものは・・・・・

ええ、ウッソー。

ポラリス死んじゃったあ?

そう思えるほど白を通り越して青かった。

唇も真っ白。

目眩がした。

そういえば寒気もする。


夫「いいから今日は寝てろ」

ポ「でもご飯は?」

夫「いいよ。俺が帰りにデパ地下で買ってくる」

ポ「うん。たしかにこれじゃあ起きてらんないしょぼん


どうしちゃったんだろう、私?

夫には迷惑かけるなあ。

医師は

「夏バテ+2年分の気疲れ+夏風邪」

と言うけれど、本当にそれだけかしら?


でも「沈み」に入ってるはずの夫が気遣ってくれる。

少しは「浮き」にもどってきてるのかな?

だったらうれしいな ラブラブ


明日は十〇回目の結婚記念日だ。

明日までには元気にならなければ。

そして夫の好物を作ろう。

ポラリス夫君、ここんとこ私の具合が悪くごめんね。

でも愛しているんだよ、心から 恋の矢


満洲旅行記 5

2007-10-01 20:26:36
テーマ:ブログ

はあ、長旅も終わろうとしている。

ハルピンまでで“満鉄”は終わり。

今日は飛行機で大連まで一直線だ。

そうそう、書き忘れてました。

今回まわった満洲の都市の中ではハルピンがもっともノンビリしていた。

自動車全盛の世の中でいまだに輪タクが走っていた。

ハルピン空港で飛行機を待つ間に本屋を見てまわる。

面白いことに昔は語ることさえタブーだった「林彪、江青、王洪文・・・・」などのことを書いた本も売られていた。

だが決して好意的な書き方ではない。

「文革の責任を取るべき反革命分子」と書かれている。

本当の責任者は毛沢東だろう。

しかしまだ毛沢東の悪口は言えないようだ。

それでも「毛さんの銅像」はずいぶんと減ったそうな。

周恩来に対する気持は尊敬と親しみが感じられた。

私も「周恩来と外国の要人との握手場面」をまとめたトランプを買ってみた。

当然田中角栄もいると思ったからだ。

でも彼だけははずされていた。ニクソンでさえ収められているというのに。

本当は周恩来は日中が国交を結んだとき、ものすごくうれしかったはずだ。

彼は青春時代の2年間を東京の下町で下宿している。

多感な時期を過ごした国・・・・

周恩来が田中首相と握手したときなかなかその手を離そうとはしなかったことを記憶している。

このトランプを見たら周恩来は何と言うだろうか?


そろそろ出発時刻。

さようなら、ハルピン。

ちょっと期待度に反する街だったけど (^^ゞ

ここでちとしたハプニング。

私はテロリスト扱いされてしまったのだ ドクロ

そ、そんなあ~~~

原因は「携帯ウオッシュレット」。

いくら係官に説明してもダメ。

O嬢も

「まだウオッシュレットそのものが無い国ですからねえ。理解できないでしょう、この用途を」

と説明のしようがないと言う。

もうあきらめかけたその時、女性係官がパッと奪い取ってカパッと蓋を開け匂いを嗅いだ。

ただの水だと分ったらしい。

「OK!」

あっりがとう♪

彼女が神様に見えた。

彼女の「勇気」に感謝m(__)m


無事に大連に到着。

初日のガイド、Y嬢が待っていてくれた。

あれ? 感じが変わってる。

そうか、初日はポニーテールだったけど、今日はふたつに分けて三つ編みしてるんだ。

乙女チックで可愛い。

例のブロガーのSさん曰く

「さては、彼氏の注文だな ニコニコ 」

みんな明るく笑ったけれど、この言葉的中だったのだ。

Yさんは真っ赤になって下を向いてしまった。

「私、来年結婚しますね」

これには全員喜んだ。

「おめでとう、おめでとう。新婚旅行はぜひぜひ日本にね。ウエルカムよ」

でもYさんの表情は暗い。

「お金があったら行きたいです。けど、日本旅行はまだまだ高いです」

そんなに所得と物価の差があるのかな?

中国などほとんど国内旅行感覚でいる日本人が多いと思う。

少しだけ胸が痛んだ。

でも最初にSさんに言われた言葉を思い返した。

「だからこそ我々がこうして旅に来て外貨を落とす。民間レベルの罪ほろぼしですよ。役人でもない我々にはこれぐらいしかできることないでしょ」

ちなみにインターネットカフェの料金は1時間で3元だとか。

これはたしかに安い。


大連に着いたらすぐに夕飯。

満洲で最後の夕飯となる。

大連は港町なので海のものがおいしい。

海鮮しゃぶしゃぶをいただいた。

どれも新鮮で美味だった。


大連は港町でもあり商業都市でもある。

当然日本人ビジネスマンも多く「ホテル日航」がそびえたっている。

それはいいのだが、いやんなっちゃったのがホテル日航の周辺。

あっちのほうの店が多いのだ。

いまだに日本人ビジネスマンはそういうことを平気でしているのだろうか?

何より「女のからだを金で買う」というその発想が不潔・差別。

夫「なあ、ポラリス。俺が大連に一ヶ月の出張って言われたらどうする?にひひ

ポ「私もいっしょに付いて来るむっ

うん、、もう、夫ってばさあ。

私に愛されてることに自信がありありだからこの手の話ではからかってくる むっ

でも私は知っている。

あなたが「女を金で買う」などということができる人ではないことを 得意げ

誠実だから、あまりにも人間として誠実で優しい人だから鬱になってしまったのよ。

少しは人柄を悪くなさいね。

それにしても今の日本社会ならば

「では部長が話しを詰めに大連まで伺います」

といった場合、その部長が男性とはかぎらない。

もし女性部長だったら中国人はどのように接待してくれるつもりなのだろう?

これまでの「女の柔肌で・・・・」という手は使えませぬぞ にひひ


最後の夜も当然「大連ヤマトホテル(現・大連賓館)」。

初日に泊まったホテルに帰ってきたのだ。

いた! あのフロントマネージャー ニコニコ

相変わらずテキパキと日本語で仕事をこなしていく。

もしかしたら彼が育った家庭には生の日本語が存在していたのかもしれない。

ちょっと話してみたかったが、あまりにも忙しそうなので憚られた。

かなり疲れも出てきた。

夫も私もぐっすり眠った。

数ある「旧・ヤマトホテル」のなかでもここは一番優等生だと思う。

当時の面影を残しつつリフォームすべきところだけいじってある。

おかげでノスタルジーに浸りつつ快適な滞在ができる。


翌朝、出たア! そうだ、そうだった!

このホテルの朝食は朝っぱらから中華フルコースなのだった。

しかしちょっと不愉快なことが。

ウエイトレスのひとりが滑って転んだ。

彼女も痛かったろうがすぐ横にいた夫にも被害がなかったかどうか、まずはそれを確認するのが優先だろう。

すぐに支配人(女性)が飛んできて彼女に何か言ってる。

そのあとで夫に「被害はないか?」と訊いた。

順番がちがうような。しかも謝罪はなし むっ

ようやく立ち上がった彼女もまた夫には一言も謝らない。

超痛かったのは理解できるけどさあ。

(床が大理石だったから ガーン )

中国の女性は謝罪という習慣を持たないのだろうか? 


胃が膨れ上がったところで大連の観光に出発。

観光案内はしないが、それにしても香港並みに発展してる大都会であることは理解できた。

そのくせまだ路面電車が走ってる。

乗ってみたが満員。

しかも観光客でも男性は坐らせてもらえないショック!

運転手に

「このおばあちゃんに席を譲れ」

と夫は怒られていた。

運転手はみな中年女性だ。

若者は無茶をする。男性は乱暴。

中年女性の運転がもっとも安全なのでそういう採用をしているとか。

だいたい30歳ぐらいから55歳ぐらいの女性が多かった。

(外から運転席は丸見え)


ひとつだけ満洲の男性に「御願いだからやめて」と言いたい習慣があった。

それはTシャツのまくりあげ。

写真で御見せできないのが残念だが、Tシャツの袖だけならまだしも、全体を腋の下まで捲り上げてお腹と胸をむき出しにして歩いている 叫び

日本だったら恐らく許されないんじゃ・・・・どうだろうか?


街中で「フカキョン」と瓜二つの看板を何度も見た。

「ソックリなモデルさんでもいるんですかねえ」

「そうじゃないでしょ。勝手に使用してるのよ。まだ肖像権という考え方がないんじゃないの」

うう~ん、深田さんはご存じなのだろうか。

大連でご自分が晒されてることを。


大連も交通は危ない。

歩道を歩いていても油断できない。

歩道にもバイクは乗り上げてくる。

歩道を歩行中バイクに轢かれそうになった。

しかも相手は白バイ ショック!

ビックリの連続だよ、この国は。

「車と自転車とバイクと人間。どれが優先か?」

と長春でRさんのクイズがあった。

答えは

「勇気のある人優先」

私には「勝てば官軍」に近い言葉に思えた。

特に満洲は顕著かな?

無秩序というか。

権力と富さえ持てれば何でも思い通りなのだ。

北京や上海とは別の中国がここにはあった。


中国で医療保険制度が始まったのは15年前だとか。

大きな病院も多いのに、社会主義国にしてはずいぶん御粗末だ。

それまでは庶民は病気になったらどうしていたんだろう?

大病したら死ねとでもいうことだったのだろうか?

人口の多すぎる中国。

人の命が軽すぎないか (>_<)

保険制度のできた今でも「進行癌」になどなるともう治療をあきらめてしまう人も多いそうだ。

そんな治療費を使うぐらいなら、そのお金で存分に遊んでから死ぬ。

そういう選択をする人も多いらしい。

でも裕福な人は保険外の治療も受けられる。

開業医が増えてきたが彼らはみな腕がいい、でも保険診療ではないそうだ。

日本とはずいぶん事情が違う。

日本の開業医が「医療保険医」からはずれたら食べていけないだろう。


アカシヤの大連・・・・・と言われて来たんだけど。

ちょっと悲しいね。

大連では今、エステ・美容整形・モデル学校など女性の美を追及する商売が繁栄してるそうだ。

豊かなんだよね。でも歪んだ豊かさに見えるのはなぜ?

今回の旅は旧満州を満鉄に乗って南から北へと各都市の「ヤマトホテル」に泊まりつつ行く、という何ともはや日本人客向けのノスタルジックツアーだった。

そして南ほど栄えていて北へ行くほど発展途上であることを知った。

やはり寒いところよりも暖かいところのほうが発展しやすいようだ。

満洲のなかですでに格差が生まれている。

日本人が満州にノスタルジーを感じて旅行に来るのもあと数年で終わりだろう。

満州も観光以外の道を考えたほうがいい。

日本人以外の観光客はいないのだから。


大連の空港でY嬢ともお別れ。

どうかお幸せにネ ドキドキ

いよいよ日本へ帰る。

満洲の夏は短い。

真夏に来たはずなのにもうシオカラトンボが飛んでいる。

爽やかな初秋の風が吹いている。

旅愁を感じ、去りがたくなってしまった。

全員が全日空に乗り込んだら機長さんからご挨拶のアナウンスが流れた。

「本日のご搭乗、まことにありがとうございます。私、機長を務めます“ヤマト”と申します」

「最後の最後まで“ヤマト”かよお~」

みんなでずっこけた にひひ



今回の「満洲鉄道縦断の旅・ヤマトホテルに泊まろう」に参加するにあたって読んだ本を書いておきたい。

どれもみな面白いです。

興味のある方は読んでみてください。


『地球の歩き方(大連・瀋陽・ハルピン)』(株式会社ダイヤモンドビッグ社)

『観光コースでない満州』(小林慶二著・高文研)

『井上ひさしの大連』(株式会社小学館)

『もうひとつの満洲』(澤地久枝著・株式会社文藝春秋社)

『満州古写真帖』(牧野洋編・株式会社新人物往来社)








満洲旅行記 4

2007-10-01 18:40:15
テーマ:ブログ

朝、下痢しちゃった カゼ

でも大丈夫。原因が分かってるから。

昨夜、私は木耳を食べすぎたのだ。

夫には「バッカだなあ」とあきれられた。

そうだよねえ。旅行中は消化の悪いものはセーブしなくちゃね。


さて今日はまたぞろ「満鉄」に乗りハルピンに向かう。

同じツアー客同士もそろそろおしゃべりするネタが切れてきたので列車内は静かだ。

窓から見える風景は相変わらずトウモロコシ。

もう飽きちゃった むっ

夫は疲れたのかグッスリ。

今度は私が列車内の探検に行く。

ひとりの奥様とごいっしょに端から端まであるいてみたかったが・・・・

軟座の客は硬座車には入れてもらえないのだった。

逆ももちろんそうなんだけど。

硬座車内を見てビックリ 目

満員で立ってる人もいる。

まるで山手線みたい。

人口が多いんだねエ。


ハルピン駅到着。

予定通り10分遅れ。これまた予定通りピッタリとは止まらない。

ホームで待っていてくれたのは現地ガイドのSさん。

青年から中年に向かうところの年齢か?

彼の妻は医科大学病院のナースだという。

結構サラリーが良く、冬と夏とでは大きく稼ぎに差の出るSさんは奥さんに頭が上がらないらしい。

そう言いながらも彼にとっては「妻は大学病院のナース」という点が自慢のひとつなのだラブラブ

もうひとつの自慢は「自分はハルピン工業大学の卒業生」ということ。

でもなんでそんな優秀な技術屋さんが通訳・ガイドをやってるの?

通訳・ガイドの地位がどうのこうのではなくて全然分野が違うじゃん むっ

ガイドになる人は「まずは外国語が達者で自国の歴史や伝統文化に詳しい」というのが条件なんじゃないかな?

これははずれたか?と思ったら・・・・その通りだった。

何か質問しても彼はその意味を受け止められない。

自分の言いたいことだけを押し付けてくるだけだった しょぼん


「ここで伊藤博文が殺されました。ここに安重根が立っていました」

と言うが本当かな?

私は伊藤の生きてる最後の姿(ハルピン駅を歩いて行く後姿)の写真を見たことあるけど、もっとホームの先のほうまで行っちゃってたよ(笑)

まあ、日本人向けの観光用なのでしょう。


ハルピンは真夏とはいえ爽やかだった。

瀋陽とはえらい違いだわ。

でも冬は寒いんだろうなあ。

と思っていたら、Sさん

「最近は地球温暖化でハルピンでもせいぜい零下30度までしか下がりません」

零下30度までってさあ。充分凍るでえ ガーン

冬は絶対に行きたくないですねえ。

でもここの難民収容所で冬を越した日本人も多かったろうな。

みんな女子供や年寄りばかりだったろう。

私も満洲で暮らしていた親類から引き揚げの苦労は聞かされている。

詳しくは書けないが筆舌に尽くしがたいものがある。

政府に騙されて渡った一般庶民に罪は無かろう。

ましてや現地で生まれた子供達には・・・・・しょぼん


Sさんは言う。

「ハルピンは日本人孤児多いですよ。でももうみんな日本に帰らないね。言葉の問題もあるし、家族もいる。結構いい職業に就いてる人も多いからここに居たほうが楽な生活ができると知ってるんですよ。一度帰国してから戻ってきた人もいます」

日本人の子供と知りながら育んでくれた親御さんたちには感謝したい。

もっと早くに日本政府がしなければいけなかった義務を代わってしてくれたのだ。

「日本人孤児の父」と呼ばれた山本慈照さんという僧侶がいた。

彼も現地召集されてる間に妻は収容所で亡くなり、子供達は中国人家庭に養子に出されていた。

戦後、帰国した彼は厚生省に「日本人孤児を探せ。帰せ!」と迫った。

が、役人はノラリクラリ。とそこへバサっとダンボールが落ちてきたという。

中からは「私は日本人です。何とか実の親を探してください」という切実な願いの中国語の手紙が大量に出てきた。

これらの手紙を長いこと厚生省はほったらかしにしてたのだ。

山本さんは中国語が解る。

これで厚生省は逃げられなくなり「孤児探し」がようやく始まった、と聞いている。

山本さんの前にダンボールが落ちてきたというのは“神風が落とした”としか思えない。

山本さんが中国に行ってみたら、むしろ中国政府のほうが積極的に動いてくれたそうだ。

初来中のときにすでに10人の孤児を探しておいてくれたとか。

この問題でも日本は戦後処理をきちんとしてきていないのだ。

これ以上は詳しく書かないけど(興味のある人は山本さんの功績を本で読んでください m(__)m


ハルピンは黒龍江省一番の大都市だがこれまでの都市と比べると不便だ。

ビール一本買えない。

それでいてハルピンは中国産ビールを初めて生産した土地。しかもビール祭りの真っ最中。

どういうこった? 

中央大街(ロシア通り)の真ん中でも舞台をしつらえてイベントをやっていた。

ハルピンビールの衣装を着た女の子たちが踊っている。

でもこの子達、驚いたことに道の真ん中で平気で着替えるのだ ショック!

男性客は大喜び。

せめてテントとか拵えたらあ?

おおらかというか、構わないというか。大陸なんだなあ、ここは。


Sさんにとって「ハルピンビールも自慢のひとつ」らしく昼食時にしつこく薦めてくる。

押しが強いんだよネエ、この人。

からだがバカでかいせいもあるかもしれないが・・・・・・

彼は見るからに満洲族だ。

兄弟も3人いるという。

ということはご両親は「800元の罰金」を納めたことになる。

押しは強いが時間にはファジーでノンビリ。

彼はどうもお坊ちゃま育ちらしい。

人は悪くないのだが、必要な情報を与えてくれない。

特に「ここのトイレは汚いです。すぐあとに綺麗なトイレがありますからどうぞそちらをご利用ください」などの気配りは女性客に対しては必須条件なのに・・・・・・

太陽島を観光するときものすごい不潔なトイレに入れられた。

(災害時のときに使うようなトイレ。水も出ない)

幸いすぐそばで水撒きしてたので手を洗わせてもらったけど・・・・

でもその直後に清潔なトイレが出現。

気が利かな過ぎるよ、Sさん むっ


太陽島はハルピン市民にとっても憩いの場所だ。

そして結婚記念の写真を写すメッカとなっている。

何組ものウエデイングを見た。

白いドレスをたくし上げて次の場所まで移動するのだからすごい!

体力あんなあ、満洲女性は。

(経験のある方はご存じでしょうが、意外とドレスって重いものだ)

中国人は写真を撮る時、モデルさん並みのポーズをとる。

新郎・新婦だけではない。

普通に遊びにきた親子連れでもそうなのだ。

私も満洲に滞在するうち慣れてきたのか、ポーズをとるようになってしまったべーっだ!

日本人てあんまりポーズしないよね。

シャイなのかしら。


この街にもはやロシア時代の面影はない。

観光用に残したロシア人の家やわざと作ったロシアンテーマパークがあるぐらい。

ロシア通りもすべてブテイックとして使用されていて興ざめだった。

聖ソフィア寺院も「これぐらいだったら御茶ノ水のニコライ堂で充分」という規模と雰囲気。

せめて観光客用にミサでも行ったらいいのに。

でも宗教をタブーとする中国のこと。

中では売店も作り土産物を売る声が響く。

私はその不謹慎さに眉をひそめた。

「敬虔」という気持をこの国は忘れてしまったのだろうか?

いくら他国民が作った寺院でも宗教施設としてそれなりに遇されてしかるべきであろう。

今でも寺や廟を大切にしていた台湾のことが思い出された(わずか半年前に行ったんだっけ)。

人間、金銭的豊かさだけで幸せになれるとは思えない。

でもまだこの国の人々はそこに気付いてない。

離婚率も非常に高いそうだ。

そして必ず子供は母親が連れて行く。

将来、孤独な老人の多い国になってしまわないかと心配する。


マナーもひどい。

ハルピン駅前で夫は若い女性から足を踏まれた。

ハイヒールだったので相当痛かったらしい。

でも彼女は一言も謝らない。

代わりに同行の男性が懸命に謝っていた。

中国では女性は何をしても許されるわけ?

車も交通ルールなんてないかのようだ。

逆走、信号無視なんて当たり前。

交通事故も見たが警察を呼ばないで言い争っている。

その横を警官がふたり自転車で過ぎ去っていく。

声もかけない。

仕事が増えるのがイヤなのかな?


そう言えばハルピンまで来る列車内で人民解放軍の大群と同じ車両だった。

みんな若かったが軟座に乗っていたということはエリートなのだろう。

Sさん情報だが

「今は共産党に入るのも解放軍に入るのも大変。人口が多くて競争が激しい中国にあってとても安定した職業なのです」

だそうだ。

政治思想もお金の前には無力。

戦争も「するわけはない」とたかをくくっている感じ。

拝金主義に徹底してるんだよね ガーン

でもどこかで「拝金」以外の共通価値観を見出さないとバラバラになってしまわないかな、この国の人々は。

もはや「社会主義」など共通価値観とは言えない。

だからと言って「民主主義」も「自由主義」も無い。

民族的にも56民族がいっしょに暮らしてるわけだし、その生活様式はすでにバラバラだ。

新疆ウイグル自治区など遠方の民族は中国国籍を持ってはいても中国の法律を守らねばという意識も低いように思える。

いつだったか、一般の農家が自家用にワインを醸造してる映像を見た。

本当なら密造酒だ。

そういうところを平気で取材させるのだから彼らに順法という意識はないということだろう。


ワインの話になったので・・・・

夕飯は満洲で唯一とも言えるロシア料理店へ。

店内は美しい絵で飾られていたが全くロシアッ気がない。

ドイツ・フランス・イタリア・・・・・ヨーロッパ系なら何でもござれという感じ。

ロシア人は自分達を「ヨーロッパ人」と思ってるかどうか妖しいのだが、中国人から見ると「白人はみな同じ」ということなのか。

ひとりの男性客がSさんに頼んでいる。

「ねえ、頼むからさあ。お昼とは違うビール出してよ」

でもSさんは頑固。

「いいえ。ハルピンビールはおいしいはずです!(キッパリ)」

あんたさあ、客が「いやや」言うてんねん。

金は払うから好きなビール飲ませろ!

思わず怒鳴りたくなった パンチ!

こんなときにかぎってO嬢はトイレだ。

私もトイレに立ち手を洗っているO嬢に訴えた。

「御願い。彼を何とかして。今ね、かくかくしかじか」

O嬢も実は彼には手を焼いていたようだ。

「時間の割り振りもいい加減だし、お客さんの好みも考えないし」

と少し愚痴が・・・・・

結局ビールはO嬢がSさんと交渉して解決。

で、このとき少しだが彼女は彼に苦言を呈していた。

「サービス業とはそもそもお客様のニーズに応えることでしょう」

でもSさんにはその意味が解らない。

まだこの国には「サービスとは何か」という理念が根付いていないのかも。

ただ外貨欲しさに観光客を受け入れてるだけで、産業としての幹ができていないのかもしれない。


ビールは客の要望を受け入れたがワインは押し切られた。

「中国でもワイン造ってます。決してまずくはないですよ。どうですか」

「じゃあ、全員で一本ね」

ということで生まれて初めて中国産ワインを飲む。

ワインじゃないよ、これ紹興酒じゃんかあ むっ

そういう味だった。

醸造元を見るとやはり紹興酒と同じ地域で作っている。

そうだよね、こんな寒いハルピンで葡萄なんて採れるはずないもんね。

出された料理もロシア料理とは似ても似つかない代物だった。


ロシアの面影は街にはない。

だがときどき先祖はロシア人だろうと思われる人とすれ違うこともある。

ここに残ったロシア人もいたということだろう。

だが隣の劇場ではロシア人ダンサーたちが出稼ぎに来ていた。

中国より今はロシアのほうが経済的には苦しいのかな?

たしかに中国人のほうが身のこなしは早いから、お互いに共産主義を捨てたら中国のほうが発展速度は速いかも。


お泊りはお決まりの「旧・ハルピンヤマトホテル(現・龍門大か←漢字が出ない)」。

異国情緒を出したいのか、宴会場の名前はすべて外国の河川だった。

「ドナウ」「エニセイ」「ドニエプル」「ライン」「テームズ」・・・・・

「信濃川」なんていうのもあった。

そうね、「利根川」と言うよりは「信濃川」と言ったほうが響きが綺麗よね。

やはり戦前の大都市ハルピンだけあってここのヤマトホテルは重厚感に溢れていた。

水周りも特に問題なし。


疲れたなあ zzzzzz




満洲旅行記 3

2007-10-01 16:54:28
テーマ:ブログ

早朝、遼寧賓館を出発。

朝食に配られるはずだったサンドイッチが間に合わない。

O嬢は慌てない。

「よくあることですよ、この国じゃ。まだまだのんびりしてますから」

じゃあ、今朝は朝食抜き? ガーン

とショックを感じたそのときガイドのOさんがサンドイッチの山を袋に詰めて駈けて来てくれた。

発車間際の列車内で受け取る。

もう発車だ。

ここでガイドのOさんとは永遠のお別れ。

彼女と仲良くね パー

旧・奉天ヤマトホテルのサンドイッチ、なかなかイケル。

でもどこか味が中華なんだよなあ シラー


車窓の風景は昨日と変わらない。

相変わらずトウモロコシ畑と農家だ。

しかし日本の農村ではあり得ないものを発見。

舗装もされてない道路をロバ君の引く荷馬車がノンビリと行く。

やっと大陸に来た気分になれた。

車内販売がまわってくる。

O嬢がサンザシのシャーベットを買った。

みんなにも少しづつ分けてくれる。

神経質な夫は固辞したが私はいただいた。

ラズベリーに似た味。でもちょっと桑の実のような味も。

日本人でも地方から来たお客さんはサンザシなどよく食べると言っていた。

本当?


作家の澤地久枝さんが満洲を再訪したころ(1981年)、まだエアコンはなくホテルも列車内もレストランも扇風機だったそうだ。

今ではさすがにエアコンが普及している。

でも一般家庭ではエアコンを買う家は少ないとか。

真夏の寝苦しい夜などわずか2,3週間の我慢。

そこにお金をかけるより冬の暖房費にまわすほうが先らしい。

そのせいか、みんな夜遅くまで広場で遊んでいる。

これは満洲のどこの都市でも同じだった。


3時間で長春(旧・新京)に到着。

ガイドのRさんがホームまで出迎えてくれる。

でもこの国の列車は乗降口にピッタリと着かない。

何となくその辺りというところで停車する。

かなりずれてることもある。

私達が列車から降りるところはだいぶずれてたらしくRさんはホームを走ってきた。

満洲では珍しいほど小柄な中年女性だ。

日本語も抜群にうまい グッド!


餃子専門店の昼食のあと、観光に回る。

ここは満洲帝国の首都として日本人が建設した街だ。

建設途中で負けて放棄せざるを得なくなったため計画すべてが完成したわけではない。

そのあとを引き継いでここまで完成された大都市に仕上げたのは中国政府だ。

満州国当事の建物がほぼそのまま使われている。

バス内でRさんに尋ねてみる。

ポ「韓国では“負の遺産”と言って壊したけれど満洲ではそのまま使ってるね。いいの?」

R「日本が建てたビルはみな堅牢です。これは壊すのに大変なお金がかかります。また壊したら新しく建て直す必要が生じます。合理的じゃないでしょ? まだ使えるのだからそのまま使ったほうが得ですよ」

中国政府は現実的なのかも。


「お決まりの御茶屋さんご案内」へ。

美しい乙女の店員さんがチャイナドレスで色々なお茶を入れて振舞う。

彼女達も日本語は達者。

「これは肝臓にいい。これはお肌にいい」

などと客のニーズを読み取りつつ奨めてくる。

私らの係りに付いた小姐は顔が内山理名ちゃんにそっくり。

でも体格はさすがに満洲の女性。ガッチリ 目

せっかくなのでいっしょに写真を撮ってもらった。

まるでモデル並みの扱いをされて「こんなこと初めて」とちょっと照れていた。


またバス内での会話。

O嬢がRさんに訊く。

「今、こちらで人気の芸能人は誰ですか? やはりチャン・ツィウィーとか?」

でもRさんはチャンさんを知らないという。

ウッソー。あなた本当に中国人?

ポ「じゃあ、Rさんは誰が好きなの?」

R「まずはヨン様ですね。あとはイ・ビョンホン、チャン・ドンゴン、イ・ヨンエ・・・・かな? 彼女すごい綺麗ですね」

これってどっかの国の二年前の状況では?

バス内の女性客はハッスルハッスル。

男性客はどっちらけ。特にポラリス夫君は むかっ

O嬢が訊く。

「どうしてそんなに韓流スターに詳しいの?」

実はRさんは朝鮮族だったのだ。

小柄なのも納得 得意げ

彼女は中国語はもちろん日本語も韓国語もできるのだという。

韓国ドラマは原語で楽しめるのだとか。

もしかしたら家庭内はハングルでやりとりしてるのかもしれない。


笑うに笑えない話も聞いた。いや、泣くに泣けないというべきか。

朝鮮族は少数民族なので子供はふたりまで許されてる。

でも彼女の姉さんは「どうしても男の子が欲しい」と言い張って3人目を産んだ。

3人目を産むと少数民族でも800元の罰金を納めなければならない。

結果は・・・・・800元納めて3人目も女の子だったとか ガーン

しかしここで考えこんでしまった。

朝鮮族ということは先祖代々ここで暮らしてきたわけではあるまい。

おそらく彼女の祖父母の世代が

「半島にいるより満洲に行ったほうが良い暮らしができる」

と思って移住してきたのではないか?

しかし日本は負けて満洲帝国は消滅した。

でもソ連軍は朝鮮人には手出ししなかったので、すでに生活基盤を築いていた満州に残ったというところかな?

勝手な想像だけれど当たらずといえども遠からずだろう。

でも中国では朝鮮族だからといって差別されるわけではない。

彼女も良い仕事と家族に恵まれて幸せそうだ。

やはりR家でも「料理は夫の仕事」なんですと。

これには女性客から「うらやましい!」の声が上がる にひひ


夕飯はかつての「関東軍司令官官邸」今は「松苑賓館」で本格的な満洲料理をいただく。

いかつい軍部の建物がレストランに・・・似合わない ガーン

出てきた料理もすごい。

鹿の血をかためた茶碗蒸(臭い (>_<)

鹿肉や羊肉のシャシリーク(ワイルド (~_~メ)

真夏のはずなのに松茸のスープ(長白山はもう秋 (+_+)

あとはキノコ類が多かった。

木耳の炒め物がおいしい。

たくさん食べ過ぎて翌朝えらい目に遭った。


満洲の開発はロシアが手をつけて途中で帝国が崩壊した。

その後日本人があとを引き継いだという街が多い。

でもここは最初から日本が計画し建設を始めた街だ。

満洲帝国の主要な官公庁はここにあった。

そして満洲映画も。

戦後も撮影所として使用していたが今は観光のために中を開放しているとか。

たくさんの中国人俳優の写真が飾られていたが興味のないRさんはまったく素通りで解説してくれない (>_<)


満州国皇帝のために日本が建てた宮殿は

「これがパレス?」 目

と言いたくなるほど簡素なものであった。

そして満洲の国旗とともに常にあるのが日の丸と菊の紋。

満洲帝国の真実を象徴している。

Rさんもその点は心得ているようでいちいち説明しない。

「日本人なら見れば解るよね」という感じだ。

しかしさすがはパレス。

プールとかなり堅牢な防空壕が完備されていた。

中国の人は「満洲帝国を正式な国」とは認めていない。

なので「偽満洲」と呼ぶ。

したがってこのパレスも「偽故宮」 ガーン


この日もお泊りは「旧・新京ヤマトホテル」(現・春誼賓館)。

どこでも「旧・ヤマトホテル」は街の一等地にあるので便利だ。

まあ、日本人が支配していたのだから一等地にある建物は大体「旧・日本の何とか」が多くて当たり前なのだが。

でもここの「ヤマトホテル」はお薦めできない。

一番改築されていて昔の面影はない。

おまけに冷蔵庫が運転しなかったり水まわりも狭かったりと、あまり愉快なホテルではなかった。

それでも昔の満洲帝国の首都であったことを伝えたいのか、宴会場はすべて日本の都市名が付けられている。

たとえば名古屋・東京・京都など。


疲れたので休みます zzzzz







満洲旅行記 2

2007-09-30 19:18:50
テーマ:ブログ

翌朝、大連ヤマトホテル(現・大連賓館)の朝食はすごかった。

朝からフルに中華料理である。

うう、胃があああ~~~。


ホテルのロビーでY嬢とO嬢、客達が集合。

目の前の駅に向かう。

Y嬢が乗車の手配をしてくれる。

彼女とは最終日までここでお別れ。

これから午前中は列車に乗りっぱなしの旅が始まる。

昔の南満洲鉄道だ。

略して満鉄。

鉄道会社の仮面をかぶった侵略の中心的存在だった国策組織だ ドクロ

でも満洲に渡った日本人たちにはその認識は皆無だったことだろう。


8時ちょうど。列車が出発 新幹線

O嬢に尋ねた。

ポ「何時に瀋陽着ですか?」

O「一応12時前後ということですが、この国は何事においてもファジーですからねえ。15分ぐらいは前後しますよ」


4時間も軟座車内に監禁されるわけだ。

風景でも楽しんで旅情に浸ろうと思っていたが・・・・・

とお~んでもハップンなのでございました。

市外に出てしまえば車窓の風景は見渡すかぎりトウモロコシ畑。

退屈このうえない。

自然と女性客同士はおしゃべりがはずむ。

ここで良い情報をもらった。

「アジア旅行だったらベトナムがいいわよ。とにかく食べ物がおいしいの。フランス領だったからフランス料理もおいしいのよ。色々な国の料理が楽しめて飽きないわ」

ニャルヘソです。

あのあたりは昔「仏領インドシナ」なんて呼ばれた時代もあったのですよね。

ただ私は怖い。

子供の頃、ずっとベトナムは戦争をしていた。

毎日のように送られてくる爆撃の映像。

私ぐらいの女の子が裸の背中を焼かれて逃げ惑ってる場面が頭から離れないのだ。

これってトラウマに近い?


4時間も乗ってればトイレにも行く。

洋式と和式の両方があった。

でもみんな並んでいるのに洋式は空いている。

壊れてるのかな?

最後尾の人に「洋式のほうは?」と訊いてみたら「どうぞどうぞ」。

満洲の人々はまだまだ洋式よりは和式のほうが好きみたいだ。


女性陣はとにかく、しゃべる・シャベル・shaberu べーっだ!

ついに旦那衆は避難し始めた。

「ん、ちょっと冒険して来ようかな 目

なんて言い訳しながら妻達のそばから離れて行った。

列車の端から端まで歩いて見てきたらしい。

現地の乗客はものすごい勢いで色々と食べてるらしい。

夫は車内で歯磨きしている。

なんで? 朝、磨いてたじゃん。

理由は簡単。

彼は乗り物に長く乗ってじっとしてるのが苦手なのだ。

まるで子供みたい。

何かしらしてないと落ち着かないのだろう。


とそこで非常識なロシア人女を二人発見。

列車内はどこも禁煙だ。

なのにトイレ前に立って堂々とタバコを吸っている。

見るからに普通の女ではないので怖いから注意できない。

車掌もそう思ってるみたい。

彼女達の前をスルーしていく。

でもそれはないんじゃないの。

あんたは職務で乗ってるんでしょ。

何のための車掌なんだよ メラメラ


彼ら非常識なロシア人は男女4人だったようだ。

途中の駅で降りていったが、買出し目的だったらしく大きなテレビを持っている。

「どこの製品?」

と思ったらTOSHIBA 目

どうして? 理由は分からなかった。


列車内は発車と同時にノスタルジックな音楽が流れる。

そしてこれは終点まで続くのだ。

最初はちょっとうれしいけど最後になるともう耳を塞ぎたくなる。

おまけに音楽のせいで声がよく聞こえないから乗客はみな自然と大声で話すようになる。

そしてその声はヒートアップしていく。

大変な喧騒に辟易したころ瀋陽に到着した。

12時15分。O嬢曰く

「正確なほうですよ、この列車は」

さすが慣れてる。

そもそも一分の遅れもまた早めの到着も許されない国なんぞ日本だけらしい。


瀋陽。昔の奉天だ。

今の時代に「奉天」と呼ぶと怒られるが、それはちとおかしい。

奉天という地名は日本がつけたわけではない。

ここは満洲人の発祥の地だ。

彼らがここを都とし「奉天」と名づけたのだ。

ものすごい蒸し暑さだ。

東京どころではない。

気温は32度なのだが湿気がすさまじい。

そのくせ晴れないで曇り くもり

この瀋陽の気候の厳しさには参った。

この日から私の夏バテは始まっていたのかもしれない。

冬は零下30度まで下がるそうな。

寒暖の差が60度以上もある。

満洲人の体格がいいのは“華奢なからだでは生きてはいけないから”だろう。

二日目にはもう満洲族と漢民族の見分け方が分るようになった。


駅ではガイドのOさんが待っててくれた。

背の高いがっしりしたいかにも東北人というような青年だ。

でも彼は漢民族。

眼鏡が丸くて可愛い。

仕事の合間にしょっちゅう写メを見る。

「何見てるの?」

と図々しいポラリスは覗き込んだ。

やっぱし にひひ

彼女の写真だった ラブラブ

Oさんは照れ屋だ。

「僕より親が気に入ってます」

だって。

バス内は「早く結婚しなさいよ」の大合唱に。

でもOさんは言う。

「あと5年ぐらいは無理。お金貯めないと。中国の男性は結婚するためにはマンションを買い、車を買い、披露宴の費用も貯めないとダメ。おまけに料理もできないと」

だそうだ(宗教的儀式はしないようで結婚式といっても披露宴だけらしい)。

これは厳しい条件だ 叫び

もしかしたら中国政府は結婚を難しくして更なる人口抑制を謀っているのだろうか?


夕飯を摂るために訪れたホテルのロビーに新郎・新婦の等身大の写真が立っていた。

ホテルの宣伝用の看板だろうと思ったが、どう見ても変。

美人の新婦には不釣合いなほどブサイクな新郎。

いくら何でもこんなモデル使うかな?

我々ツアー客は「なんじゃ、なんじゃ?」と大騒ぎ。

Oさん曰く

「明日ここで結婚式をするカップルです」

わお。中国ではあらかじめ結婚写真を写しておき、本番の日はお客様への接待役もこなすのだそうだ。

いいなあ。私らなんかもう十数年前だから「高砂」から降ろしてもらえなくてお客様にロクロクお礼も言えなかったんだよねえ むっ

これは大変失礼なことだし、新郎・新婦にとっても楽しい思い出に残る披露宴にはならない。

中国式披露宴、大歓迎です グッド!


この都市は歯医者と口腔外科が多いです。

ということはそれだけ食べ物が豊富で豊かということ。

でもビールの薄さには参った ガーン

どこでもそうだったがアルコール度数はだいたい3%ちょい。

日本人にとっては物足りない。

でもO嬢の解説によると

「中国、特に満洲の人は45度とかの強いお酒を呑みます。ビールは水代わりのようなもので口直し程度の意味しかないのです」

だからか しょぼん←夫の気持の代弁


満洲料理は味が濃く油っぽい。

全体にコッテリしている。

これを食べるとああいう体格になるのね。

女性たちもみな背は高いし肩幅ガッチリなのだ。

女性の見分けはつかないが男性の場合は満州族と漢民族の見分けがつくようになった。

満州族の男性は顔で分る。

四角い輪郭、白い肌(本当に男性でもツルツルスベスベでうらやましいぐらい肌が綺麗)、狭いおでこ、目の形に特徴があって細くて長くて垂れている。

しかし精悍な顔つきなのだ。

漢族の男性は目が大きく丸い。そんなに色白でもない。

輪郭も角張ってはいない。


残念なことだが、昔は満州語が解る人もいた。でも今は死に絶えた。

清国皇帝はもちろん満州族だが使用人には漢族もいた。

なので重要書類はすべて満州語で書かれていたという。

でもその史料を読める人はもういないのだ。

ひとつの文化の終焉を告げられたような気がした。


遼寧省博物館の見学のあと一室に集められた。

お決まりの「売りつけ」である。

今回は毛画といって鳥の羽根で描いた絵だ。

たしかにどれも見事な作品だった。

でも買っても飾る場所がないよお しょぼん

いつも中国に行くと感じることだが

「日本人はウサギ小屋に住む」

と言われていることを知らないのだろうか?

どうして大型のお土産品ばかり売りつけようとするのだろう。

お金の問題ではなく家の広さの問題であることは互いの国土を比べてみればすぐに分かるだろう。

日本は狭い。だからこそお宅の御国を侵略するという暴挙に出たのですよ。


今夜も「奉天ヤマトホテル(現・遼寧賓館)」に泊まる ホテル

今夜は夫も素直に入浴してくれた。

徐々に夫もテンションが上がってきた。

おやすみなさい。明朝は朝食を食べる時間もないほど早い出発なのだ ぐぅぐぅ













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