朝、下痢しちゃった
でも大丈夫。原因が分かってるから。
昨夜、私は木耳を食べすぎたのだ。
夫には「バッカだなあ」とあきれられた。
そうだよねえ。旅行中は消化の悪いものはセーブしなくちゃね。
さて今日はまたぞろ「満鉄」に乗りハルピンに向かう。
同じツアー客同士もそろそろおしゃべりするネタが切れてきたので列車内は静かだ。
窓から見える風景は相変わらずトウモロコシ。
もう飽きちゃった
夫は疲れたのかグッスリ。
今度は私が列車内の探検に行く。
ひとりの奥様とごいっしょに端から端まであるいてみたかったが・・・・
軟座の客は硬座車には入れてもらえないのだった。
逆ももちろんそうなんだけど。
硬座車内を見てビックリ
満員で立ってる人もいる。
まるで山手線みたい。
人口が多いんだねエ。
ハルピン駅到着。
予定通り10分遅れ。これまた予定通りピッタリとは止まらない。
ホームで待っていてくれたのは現地ガイドのSさん。
青年から中年に向かうところの年齢か?
彼の妻は医科大学病院のナースだという。
結構サラリーが良く、冬と夏とでは大きく稼ぎに差の出るSさんは奥さんに頭が上がらないらしい。
そう言いながらも彼にとっては「妻は大学病院のナース」という点が自慢のひとつなのだ
もうひとつの自慢は「自分はハルピン工業大学の卒業生」ということ。
でもなんでそんな優秀な技術屋さんが通訳・ガイドをやってるの?
通訳・ガイドの地位がどうのこうのではなくて全然分野が違うじゃん
ガイドになる人は「まずは外国語が達者で自国の歴史や伝統文化に詳しい」というのが条件なんじゃないかな?
これははずれたか?と思ったら・・・・その通りだった。
何か質問しても彼はその意味を受け止められない。
自分の言いたいことだけを押し付けてくるだけだった
「ここで伊藤博文が殺されました。ここに安重根が立っていました」
と言うが本当かな?
私は伊藤の生きてる最後の姿(ハルピン駅を歩いて行く後姿)の写真を見たことあるけど、もっとホームの先のほうまで行っちゃってたよ(笑)
まあ、日本人向けの観光用なのでしょう。
ハルピンは真夏とはいえ爽やかだった。
瀋陽とはえらい違いだわ。
でも冬は寒いんだろうなあ。
と思っていたら、Sさん
「最近は地球温暖化でハルピンでもせいぜい零下30度までしか下がりません」
零下30度までってさあ。充分凍るでえ
冬は絶対に行きたくないですねえ。
でもここの難民収容所で冬を越した日本人も多かったろうな。
みんな女子供や年寄りばかりだったろう。
私も満洲で暮らしていた親類から引き揚げの苦労は聞かされている。
詳しくは書けないが筆舌に尽くしがたいものがある。
政府に騙されて渡った一般庶民に罪は無かろう。
ましてや現地で生まれた子供達には・・・・・
Sさんは言う。
「ハルピンは日本人孤児多いですよ。でももうみんな日本に帰らないね。言葉の問題もあるし、家族もいる。結構いい職業に就いてる人も多いからここに居たほうが楽な生活ができると知ってるんですよ。一度帰国してから戻ってきた人もいます」
日本人の子供と知りながら育んでくれた親御さんたちには感謝したい。
もっと早くに日本政府がしなければいけなかった義務を代わってしてくれたのだ。
「日本人孤児の父」と呼ばれた山本慈照さんという僧侶がいた。
彼も現地召集されてる間に妻は収容所で亡くなり、子供達は中国人家庭に養子に出されていた。
戦後、帰国した彼は厚生省に「日本人孤児を探せ。帰せ!」と迫った。
が、役人はノラリクラリ。とそこへバサっとダンボールが落ちてきたという。
中からは「私は日本人です。何とか実の親を探してください」という切実な願いの中国語の手紙が大量に出てきた。
これらの手紙を長いこと厚生省はほったらかしにしてたのだ。
山本さんは中国語が解る。
これで厚生省は逃げられなくなり「孤児探し」がようやく始まった、と聞いている。
山本さんの前にダンボールが落ちてきたというのは“神風が落とした”としか思えない。
山本さんが中国に行ってみたら、むしろ中国政府のほうが積極的に動いてくれたそうだ。
初来中のときにすでに10人の孤児を探しておいてくれたとか。
この問題でも日本は戦後処理をきちんとしてきていないのだ。
これ以上は詳しく書かないけど(興味のある人は山本さんの功績を本で読んでください m(__)m
ハルピンは黒龍江省一番の大都市だがこれまでの都市と比べると不便だ。
ビール一本買えない。
それでいてハルピンは中国産ビールを初めて生産した土地。しかもビール祭りの真っ最中。
どういうこった?
中央大街(ロシア通り)の真ん中でも舞台をしつらえてイベントをやっていた。
ハルピンビールの衣装を着た女の子たちが踊っている。
でもこの子達、驚いたことに道の真ん中で平気で着替えるのだ
男性客は大喜び。
せめてテントとか拵えたらあ?
おおらかというか、構わないというか。大陸なんだなあ、ここは。
Sさんにとって「ハルピンビールも自慢のひとつ」らしく昼食時にしつこく薦めてくる。
押しが強いんだよネエ、この人。
からだがバカでかいせいもあるかもしれないが・・・・・・
彼は見るからに満洲族だ。
兄弟も3人いるという。
ということはご両親は「800元の罰金」を納めたことになる。
押しは強いが時間にはファジーでノンビリ。
彼はどうもお坊ちゃま育ちらしい。
人は悪くないのだが、必要な情報を与えてくれない。
特に「ここのトイレは汚いです。すぐあとに綺麗なトイレがありますからどうぞそちらをご利用ください」などの気配りは女性客に対しては必須条件なのに・・・・・・
太陽島を観光するときものすごい不潔なトイレに入れられた。
(災害時のときに使うようなトイレ。水も出ない)
幸いすぐそばで水撒きしてたので手を洗わせてもらったけど・・・・
でもその直後に清潔なトイレが出現。
気が利かな過ぎるよ、Sさん
太陽島はハルピン市民にとっても憩いの場所だ。
そして結婚記念の写真を写すメッカとなっている。
何組ものウエデイングを見た。
白いドレスをたくし上げて次の場所まで移動するのだからすごい!
体力あんなあ、満洲女性は。
(経験のある方はご存じでしょうが、意外とドレスって重いものだ)
中国人は写真を撮る時、モデルさん並みのポーズをとる。
新郎・新婦だけではない。
普通に遊びにきた親子連れでもそうなのだ。
私も満洲に滞在するうち慣れてきたのか、ポーズをとるようになってしまった
日本人てあんまりポーズしないよね。
シャイなのかしら。
この街にもはやロシア時代の面影はない。
観光用に残したロシア人の家やわざと作ったロシアンテーマパークがあるぐらい。
ロシア通りもすべてブテイックとして使用されていて興ざめだった。
聖ソフィア寺院も「これぐらいだったら御茶ノ水のニコライ堂で充分」という規模と雰囲気。
せめて観光客用にミサでも行ったらいいのに。
でも宗教をタブーとする中国のこと。
中では売店も作り土産物を売る声が響く。
私はその不謹慎さに眉をひそめた。
「敬虔」という気持をこの国は忘れてしまったのだろうか?
いくら他国民が作った寺院でも宗教施設としてそれなりに遇されてしかるべきであろう。
今でも寺や廟を大切にしていた台湾のことが思い出された(わずか半年前に行ったんだっけ)。
人間、金銭的豊かさだけで幸せになれるとは思えない。
でもまだこの国の人々はそこに気付いてない。
離婚率も非常に高いそうだ。
そして必ず子供は母親が連れて行く。
将来、孤独な老人の多い国になってしまわないかと心配する。
マナーもひどい。
ハルピン駅前で夫は若い女性から足を踏まれた。
ハイヒールだったので相当痛かったらしい。
でも彼女は一言も謝らない。
代わりに同行の男性が懸命に謝っていた。
中国では女性は何をしても許されるわけ?
車も交通ルールなんてないかのようだ。
逆走、信号無視なんて当たり前。
交通事故も見たが警察を呼ばないで言い争っている。
その横を警官がふたり自転車で過ぎ去っていく。
声もかけない。
仕事が増えるのがイヤなのかな?
そう言えばハルピンまで来る列車内で人民解放軍の大群と同じ車両だった。
みんな若かったが軟座に乗っていたということはエリートなのだろう。
Sさん情報だが
「今は共産党に入るのも解放軍に入るのも大変。人口が多くて競争が激しい中国にあってとても安定した職業なのです」
だそうだ。
政治思想もお金の前には無力。
戦争も「するわけはない」とたかをくくっている感じ。
拝金主義に徹底してるんだよね
でもどこかで「拝金」以外の共通価値観を見出さないとバラバラになってしまわないかな、この国の人々は。
もはや「社会主義」など共通価値観とは言えない。
だからと言って「民主主義」も「自由主義」も無い。
民族的にも56民族がいっしょに暮らしてるわけだし、その生活様式はすでにバラバラだ。
新疆ウイグル自治区など遠方の民族は中国国籍を持ってはいても中国の法律を守らねばという意識も低いように思える。
いつだったか、一般の農家が自家用にワインを醸造してる映像を見た。
本当なら密造酒だ。
そういうところを平気で取材させるのだから彼らに順法という意識はないということだろう。
ワインの話になったので・・・・
夕飯は満洲で唯一とも言えるロシア料理店へ。
店内は美しい絵で飾られていたが全くロシアッ気がない。
ドイツ・フランス・イタリア・・・・・ヨーロッパ系なら何でもござれという感じ。
ロシア人は自分達を「ヨーロッパ人」と思ってるかどうか妖しいのだが、中国人から見ると「白人はみな同じ」ということなのか。
ひとりの男性客がSさんに頼んでいる。
「ねえ、頼むからさあ。お昼とは違うビール出してよ」
でもSさんは頑固。
「いいえ。ハルピンビールはおいしいはずです!(キッパリ)」
あんたさあ、客が「いやや」言うてんねん。
金は払うから好きなビール飲ませろ!
思わず怒鳴りたくなった
こんなときにかぎってO嬢はトイレだ。
私もトイレに立ち手を洗っているO嬢に訴えた。
「御願い。彼を何とかして。今ね、かくかくしかじか」
O嬢も実は彼には手を焼いていたようだ。
「時間の割り振りもいい加減だし、お客さんの好みも考えないし」
と少し愚痴が・・・・・
結局ビールはO嬢がSさんと交渉して解決。
で、このとき少しだが彼女は彼に苦言を呈していた。
「サービス業とはそもそもお客様のニーズに応えることでしょう」
でもSさんにはその意味が解らない。
まだこの国には「サービスとは何か」という理念が根付いていないのかも。
ただ外貨欲しさに観光客を受け入れてるだけで、産業としての幹ができていないのかもしれない。
ビールは客の要望を受け入れたがワインは押し切られた。
「中国でもワイン造ってます。決してまずくはないですよ。どうですか」
「じゃあ、全員で一本ね」
ということで生まれて初めて中国産ワインを飲む。
ワインじゃないよ、これ紹興酒じゃんかあ
そういう味だった。
醸造元を見るとやはり紹興酒と同じ地域で作っている。
そうだよね、こんな寒いハルピンで葡萄なんて採れるはずないもんね。
出された料理もロシア料理とは似ても似つかない代物だった。
ロシアの面影は街にはない。
だがときどき先祖はロシア人だろうと思われる人とすれ違うこともある。
ここに残ったロシア人もいたということだろう。
だが隣の劇場ではロシア人ダンサーたちが出稼ぎに来ていた。
中国より今はロシアのほうが経済的には苦しいのかな?
たしかに中国人のほうが身のこなしは早いから、お互いに共産主義を捨てたら中国のほうが発展速度は速いかも。
お泊りはお決まりの「旧・ハルピンヤマトホテル(現・龍門大か←漢字が出ない)」。
異国情緒を出したいのか、宴会場の名前はすべて外国の河川だった。
「ドナウ」「エニセイ」「ドニエプル」「ライン」「テームズ」・・・・・
「信濃川」なんていうのもあった。
そうね、「利根川」と言うよりは「信濃川」と言ったほうが響きが綺麗よね。
やはり戦前の大都市ハルピンだけあってここのヤマトホテルは重厚感に溢れていた。
水周りも特に問題なし。
疲れたなあ zzzzzz