◇思い吸い上げサポート
「がんの悩みや情報を気軽に語れる場が隠岐にあれば…」。隠岐の島町北方の永海郁子さん(74)の長年の願いが、いまようやくかないつつある。永海さんら患者の声を受け、隠岐病院内にがんサロンができることになったのだ。6日には設立準備のため、病院に患者同士が集まる顔合わせ会がある。おそらく全国でも離島初となるがんサロンが、ようやく動き出しつつある。
がんサロンは患者同士が悩みや情報交換を語る場として、05年12月、県内に初めて開設された。現在、地域や地域がん診療連携拠点病院など13カ所に開設されている。しかし、がんになれば本土で手術を受けることが多かった隠岐の住民にとって島でがんを語る場はこれまでなかった。
永海さんは03年に大腸がんが見つかり、松江赤十字病院で手術を受けた。2週間の入院後に隠岐に戻り、隠岐病院で治療を継続。だが不安からか、毎晩痛みや熱が永海さんを襲った。「がんで悩んでいるのは私だけじゃないはず」。自身の名前や病状を明かし、「同じ患者同士で話をしませんか」と呼びかける手紙を、地元新聞の読者欄へ投稿した。
島民から返答はなかった。だが記事を見た出雲市や益田市など4人の患者から手紙が来た。「お互いがんばりましょう」。この励ましが永海さんを支えた。
島でのがんサロンの必要性を確信したのは、昨年7月。検査のために松江赤十字病院へ入院した際、同病院のがんサロンに参加したことがきっかけだった。「いろんな人が参加していて、私だけ悩んでも仕方ないなと思えたんです。患者さんからパワーをもらったんですね」。知人を通じ、隠岐病院へサロン開設を打診した。
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思いのバトンを受けたのは、隠岐病院の地域連携室だ。「患者さんからの声を待っていました。患者同士でないとわからない部分がある。私たちがカバーできない本音も聞けると思う。しっかりサポートしたい」と同室の横地明子保健師(42)は話す。同室は医療・介護相談、訪問看護など、院内外の患者と地域とをつなぐ窓口の役目を担う。島では本土で手術を受ける患者が多く、本土の病院を退院後の患者を島での地域ケアにつなぐのも、離島の同室ならではの役目だ。
実は自身も島でのサロンの必要性を感じてきたひとりでもある。03年に父親を肺がんで亡くした。本土の病院で治療後、島に戻ったが、その際に島での地域緩和ケア体制の構築の必要性を実感したという。「いくら医療者といっても、家族ががんになれば冷静でいられない気持ちでした。人に話したくて仕方ない気持ちもありましたしね」
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隠岐病院は今年から、がんを中心とした院内緩和ケアに本格的に取り組み始めた。がんサロンも、医師や看護師など複数の医療者でつくる緩和ケアチームが支援する予定だ。
本格的に始まった院内緩和ケアの取り組みだが、自分の家で最後まで過ごしたいとの思いを持つ患者も島には多い。地域での緩和ケア体制の充実は、島の今後の重要な課題のひとつだ。だが、今の体制では病院の医師が地域に出ることはかなわず、往診に出ることのできる開業医も少ないのが実態だ。
だからこそ、横地さんはこのサロンに期待している。「自分たち医療者が、どこまでどんな支援ができるのだろうという不安もある。声が上がらないと問題って見えないんですよね。隠岐病院の体制や医療への要望……。サロンができることできっと、これから患者さんの本音がいろいろと出てくると思う。その思いを、病院が吸い上げて、充実した医療につなげていきたいですよね」=つづく
毎日新聞 2007年10月5日