2007年10月04日 (木)視点・論点 「シリーズ格差・医療」
東北大学教授 濃沼信夫
最近、格差社会という言葉を、よく耳にします。
この言葉からは、焦眉の社会問題に、有効な対策を打ち出せないでいる、
政治に対する、いら立ちが感じ取れます。
医療格差といえば、昨今の医師不足が、思い浮かびます。
これは、地方ほど切実であり、中央と地方の溝は、埋めがたいように見えます。
つい最近、奈良県などで、妊婦の救急搬送の受け入れが、多くの病院から拒否される、という事件がありました。
産科医の不足は、都会においても、危機的であることが、うかがえます。
本日は、医療格差の背景、その実像、そして、医療格差を生まないためには、どうすべきか、について考えます。
医療格差の最大の原因は、医療制度のゆがみです。
しかし、医療格差は、所得格差、教育格差などとも深く関連し、医療制度のゆがみが正されれば、直ちに解決される、というものではありません。
従って、格差社会を構成する、さまざまな格差の是正は、同時並行的に進められる必要があります。
そもそも、医療格差は存在するのでしょうか。
皆様は、どうお考えでしょうか。
医療格差は、アクセス、質と安全、費用負担、の3つに大別できます。
アクセス、すなわち、だれでも医療にかかれること、に関しては、国民皆保険が保障してくれています。
わが国の、財産ともいうべき制度です。
地域格差という切り口で見ますと、医師数、病床数などの都道府県格差は、2倍程度です。
一般に、2倍程度は、社会で許容される範囲です。
しかし、医療で、これが許されないほど深刻なのは、相当に切羽詰まっているからです。
なぜ、そうなったのでしょか。
日進月歩の技術進歩を、知識や技能として取り入れることに、抜かりはなかったはずです。
しかし、これを実践する体制の整備が、決定的に立ち遅れたのではないか、そんな疑問がわきます。
1病床当たり、つまり、1入院患者当たり医師数の、年次推移を見てみます。
欧米の場合、最近10年間で、約1.5倍に増加しています。
医療の高度化、高密度化に見合うマンパワーを投入し、手厚い入院医療を実現する体制の整備が、進められてきたことがわかります。
一方、わが国は、元々少ない上に、横ばいの推移です。
投入すべきマンパワーの必要量が年々増加しているにも関わらず、これが投入されない場合、どうなるか。
わが国の医療が、崩壊の危機にさらされる最大の原因がここある、と考えられます。
欧米では、医師に限らず、看護師も、新しい専門職も、増加しています。
1人の患者に1人以上の看護師が対応するのが、現在の世界標準です。
わが国は、2人の患者に、1人の看護師です。
対応可能な限度を超えた、患者を受け持つと、どこかにしわ寄せがきます。
職員全体では、1人の患者に3人が対応します。
わが国は、OECDにデータの届け出がないので、不明ですが、職員全体も、かなり少ないと思われます。
欧米諸国は、どのようにして、患者1人に対応する医師を増やしてきたのでしょうか。
病床数等の国際比較に、このヒントがあります。
欧米では、医師の養成数を増やすとともに、病院、病床数のスリム化を積極的に進めることで、手厚い医療の実現を図ってきました。
例えば、スウェーデンは、医師を1.5倍に増やすと同時に、病床は3分の1に削減しています。
わが国は、欧米に比べ、医師数は少な目なのに、病院数、病床数が格段に多いので、人手は大幅に薄まってしまうことが分かります。
医師が多くの病院に分散すると、どの病院も、医療の高度化や、患者ニーズに対応した応需体制、救急体制が組めません。
アクセスに関し、最近は、経済状況でも差が生じつつあるように見えます。
高額な薬や機器が次々に登場し、保険があっても、重い自己負担に耐えられない人がでてきたことです。
がんの担当医を対象にした調査から、経済的理由で治療を変更した患者は、1%以下と推計されますが、今や、例外的とは言えなくなっています。
また、質と安全の面で、病院や医師に差があるのではないか、というのは、国民の漠然とした不安です。
本年4月に施行された、がん対策基本法には、がん患者は、等しく、適切ながん医療を受けるようにすることが、規定されました。
がん医療における格差の是正を、目指したものです。
費用負担の面では、重い病気も軽い病気も、自己負担の割合が変わらないのは、不公平、とする見方があります。
重い病気ほど、患者の身体的、精神的、経済的負担は大きいので、自己負担は軽くすべき、というものです。
疾病格差の是正には、重い病気を優先するという考え方があり、このための制度改革を行う国も、でてきました。
救急医療や災害医療で、重傷者に優先的に対応するトリアージの考え方を、一般医療に適用したものです。
優先度の高い医療に、限られたマンパワーと財源を重点的に投入し、本当に困った時に安心を約束する、保険本来の役割が発揮できるようにするものです。
例えば、フランスでは、がんなどの重い病気は、患者負担が全額免除となる一方、風邪など、軽い病気の薬の自己負担割合は、高く設定されています。
少子高齢化と経済低成長の時代、医療財源の逼迫は避けられません。
高齢者の自己負担を軽減する場合には、その分だけ、若年者の負担が増加することを、覚悟しなくてはいけません。
費用負担の格差を生まないためには、医療費の節約に努めることが重要です。
わが国は、病気にならないための努力が、まだ不足しています。
例えば、乳がんの早期発見で、現在、最も有効な武器とされるマンモグラフィーの受診率は、わが国は、最低のレベルです。
病院は、治療ばかりでなく、病気にならないような活動に、もっと力を入れるべきでしょう。
医療格差を生まないためには、どうすべきでしょうか。
まず、病院の集約化と連携により、医療の高度化に見合う、体制の整備を急ぐ必要があります。
病院は、世界標準が要求する人員配置を実現することで、はじめて、質の高い、安全で効率的な医療を、提供することが可能となります。
病院と病院医師の集約化は、隣に、小さな病院がある便利さと、引き替えになるかも知れません。
しかし、拠点病院で、手抜きのない応需体制、本格的な救急体制を組めることが、地域住民の、真の安心につながります。
病院医師の分散でなく、集約を図ることが、特に地方で深刻化する医師不足に、根本的に対応するための、正道と考えられます。
遠回りに見えても、逆説的に見えても、これが根拠に基づいた科学的な解決策、と言えます。
一方、費用負担に関しては、保険給付の重点化について、多くの先進国と同じく、国民的な議論を始めることが重要です。
医療財源をまかなうだけの経済成長が続く20世紀は、この議論はあまり必要ありませんでしたが、21世紀は違います。
50年前、国民皆保険が実現する以前に経験した、大きな医療格差を、再び生みだすことが、あってはなりません。
時代を超えて、国民皆保険を守るという意味を、もう一度、じっくり考えてみる必要がありそうです。
投稿者:管理人 | 投稿時間:23:59