私、永冨謙は、「日本の廃道」製作に専念するため、退職しました。
9月の半ばには決定していたのですが、ご報告が遅くなり、申し訳ありません。
また、次号(2007年10月発行号)より、「日本の廃道」を
1部200円の有料制とさせていただくことになりました。
これもみなさんにとっては急な話で、驚かせることになり、お詫びします。
以下は今に至る経緯です。
有料化に踏み切る話は、8月の時点ですでに編集部内で議論されました。
当初は私も賛成し、その準備を進めてきたのですが、
だんだん、それが重荷に感じるようになっていました。
一度有料化してしまうと、後には引けない。
1年後、5年後、10年後、ORJを出し続けることができるのか。
コンテンツの質を保ち続けることができるのか。
気力も体力も、落ちてきて、ネタも底を尽きつつありました。
2カ月に1度の発行スケジュールさえこなすのが精一杯というのが正直なところでした。
もし有料化するならば、会社を辞めて専念するしかないと、思いました。
もちろんそれは、「日本の廃道」を立ち上げた時から「いつかは」と思い続けてきたことで、
決して有料化の話が浮上したから辞めるというのではありません。
最初の約束を棚に上げたまま、会社勤めの傍らで作り続けて来たことに、
嘘、力不足、情けなさを感じながら、とうとうここまで来てしまっています。
いつかは踏み出さなければならないことなのに、
「もっと良いコンテンツを作らねば」という思いと、
そこまで踏み切る意気地がなかったのでした。経済的な理由もあります。
9月の頭に体調を崩し、会社を何日も休みました。無断欠勤でした。
有料化しなければならないという「重圧」とあいまって、辞表を提出。
社長は辞めることを認めてくれました。
それからが、長かった。
全く、情けない話ですが、仕事を辞めて我が身を振り返った時、
本当に自分に「日本の廃道」を作り続けていくことができるのだろうか、と
自信を無くしてしまったのです。
辞めてからそんなことを言う情けなさは、理解します。
それゆえに、なおさら重い重圧となって、自分にのしかかる。
今さら、今さら、今さら、……。
狼狽しました。
そんな中途半端な決意であった自分が作ったものを、買ってくれるものかとも思いました。
私は未だに、自分の書いた記事を、作成したpdfを、ORJを、
客観的に判断することができません。恐らく永久に無理だろうと思います。
ORJの質、運営については、今まで何度も悩んできたことではありましたが、
「時間さえあれば」と逃げて来たところがあります。
充分な時間が与えられた今になって、これまで逃げてきた報いが一気に表面化した形です。
そういう後悔が要らぬことであることも、判っているつもりでいましたが、
心のどこかでは「しかし……」と思い続けていたのも事実です。
読んでもらえる記事を書くことができるのか。あるいか書いてきたのか。
人をワクワクさせるような記事を書いてきたか。
アンケートの結果は、どうだったか。
そもそもどれくらいの方が、ORJに期待して下さっているのか。
これまでの経緯や失敗が、次々に思い出されて。
7月のオフでの皆さんの笑顔さえ、もう、思い出せなくなって。
気晴らしをすれば……と思って外へ出ても、「自分は独り」という思いばかり。
これまでずっと一人旅ばかりしてきて、独りであることには慣れていたつもりでしたが、
それが「見せかけ」あるいは「装い」であることに、今さらながら気付かされます。
それがまた、「何でそんなことに気付かなかったんだ」という責めになって、
足はまた、自宅に向く。他に行き場所もなく。
ラジオをつければ、身一つから立身した人の話が流れてくる、
そうしてそんな人と自分を比べては、自分の腑甲斐無さを呪い、
本に救いを求めても、全く頭に入らない。
活字を追う目が泳いで、1ページめくってはやめ、別の本を開いてはやめ。
ようやく読めたと思ったら、その本の著者に自分を比して、
「ここまでの知識を、私は持ち合わせていない」と思い、続かない。
適当な言葉が思い付きませんが、その「嫌らしさ」−−−思うことへの嫌らしさ−−−で、
さらに胸がつぶれます。これを書いている今でも。
パソコンすら立ち上げられず、編集部の2人に連絡もできなくなり、
そんな日が2日も3日も続いて、1週間を超えて、恐怖を覚えて。
泥沼でした。
しまいには、胃をおかしくして、食べるごとに吐いていました。
それが先日、あきら氏が、心配して私の家まで来て下さいました。
MLへの反応がないことに心配したTUKAさんが、あきら氏に連絡して下さったのでした。
泣きたくなるほど嬉しく思いました。しかし、こんな自分が恥ずかしくて
会うことが、できませんでした。
一人でどうにかできるなら、できるに越したことはない、
もっと言えば独りで生きていける奴が偉い、と思ってきた自分。
そのくせ、こうして多くの方にご迷惑をおかけしてきた。
いったい自分は、どれだけの人を巻き込んだら済むのか。
何万回も思ってきた、そんな思いが、
今日ばかりはもうこれ以上積み上がらなくなり、心から溢れ出てしまった。
開き直りと思われるかも知れないけれど、という言い回しに頼らずに、
「人に頼らなければ、生きていけない」
と、思った。それが、闇のなかの一筋の光明となって。
そうしてようやく、報告する勇気が湧きました。
他にもたくさん、書かなければならないことがあるはずで、
今でも決して「立ち直った」とは言えない状況ですが、
なんとか、ここまで書くことができました。
1カ月近くかけて「たったこれだけか」と思いますが……。
私、永冨は、私の残りの人生を「日本の廃道」を読んで下さる皆さんに託します。
どうか、皆さんに頼らせてください。
「好きなことで食っていく」ことがどういうことかを表現する、
そのチャンスを、もう一度、与えてください。
永冨 謙(nagajis)
このような状況のため、次号の作業がほとんど出来ていません。
全く申し訳ないのですが、次号は10月15日頃発行とさせてください。
その間、毎日20時からチャットにて説明会を開きます。
なにとぞ、よろしくお願いいたします。
|