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職場砂漠に咲くハケンの友情 格差社会に咲いた花

AERA:2007年10月1日増大号

 10年働いても時給は頭打ち。出世もボーナスも望めない。

 そんなハケンの世界には、ある。

 損得勘定なし、年齢・性別の境界も超えた、

 かけ値なしの友情が。

     ◇

 国際電話会社で契約社員として働く丸井美穂さん(35)が、「同志」と慕う見留洋子さんはひと回り年上の契約社員。旅行会社の支店長まで務め、社会経験も豊富な彼女のオペレーター業務はプロの技だ。顧客がかけたい番号につながらない時、電話口の様子から緊急性があるとみるや、

 「ほかにお知り合いはいますか」「警察署の番号を教えますか」

 と機転を利かせる。クレーム対応も率先して引き受ける。みんなが使った後の休憩室のテーブルを黙々と拭く姿も見た。だが上司に臆せず直言するので会社から煙たがられ、ベテランでも時給が高いリーダー役はまわってこない。丸井さんは「会社にいいように使われている」と気になっていた。

 ●会社という「共通敵」

 親しくなるきっかけは2年前のある事件だ。ある時、丸井さんの時給が100円上がった。ところが上がらない同僚もいて、職場は「時給アップ組」と「据え置き組」に二分された。会社から納得のいく説明はなく、職場に険悪な雰囲気が漂い始めた。

 「同じ仕事をして給料が違うなんてヘンだ」

 悶々としていた時、見留さんと休憩室で一緒になった。「時給事件」に話が及ぶと、彼女は「自分は上がった」と打ち明け、

 「でも、おかしな話だよね。労基署に相談すべきかな?」

 と言った。

 「この人もやっぱり会社に怒ってたんだ」

 なんだか勇気がわき、丸井さんは一人で労働基準監督署を訪ねた。後で報告すると、見留さんは「私も行くよ」と応じた。会社という「共通の敵」を意識したとたん、2人の距離が縮まった。労基署通いには職場の仲間が一人、また一人と加わり、1年後、会社が労働条件を一方的に変え、怒った契約社員が労働組合を作るまで続いた。

 「先輩とは年齢も社会経験も違うけど、会社の理不尽さの前ではそんな違いはかわいいもの。心から信頼できる大人って本当に少ないんだもの」(丸井さん)

 派遣や契約社員は正社員のような定期昇給や昇進は望めない。ある日突然、雇い止めになる不安もつきまとう。弱い立場の者同士の結束では、年齢や肩書なんて小さな違いは融解してしまう。

 システム構築会社に勤めるヒロトさん(36)の派遣歴は3年。最初の仕事は大手通信会社のネットワーク構築だった。派遣元は派遣先が依頼した会社の「協力会社」、つまり違法な「二重派遣」。現場に送り込まれた7人全員がど素人。教育役もおらず、互いに助け合うほかない。毎日、それぞれがやったコマンドをテキストにしてフォルダに入れて教え合った。明日は別の誰かが自分の業務をするかもしれないからだ。

 「むちゃくちゃな現場でも、失敗すればこっちが契約を切られるだけ。自然とチームになった」

 ヒロトさんは派遣をする前の10年間、塾講師をしていた。講座の人気がなければクビになる苛烈な競争社会で、仲間は全員が敵だった。それが一変した。派遣が置かれた悲惨な状況下では、協力せずには自分の身も守れない。やむにやまれぬ助け合いの精神を知った。

 ●奪い合うパイもない

 都内の通信系企業で働く契約社員の女性(31)は言う。

 「私たちには『出世』という概念がない。一生ヒラだから、奪い合うパイもないんです」

 職場は一部の管理職を除き、9割が契約社員。同僚とは人生の喜怒哀楽を共にしてきた。結婚した時は、同期の男性が入籍する朝にぬいぐるみ付きの祝電をくれた。母親が交通事故に遭った時は、40代の独身の先輩が適切なアドバイスをくれた。みな年齢もばらばらで、一流大学を出て趣味の音楽に生きる人もいれば、病気の親を支えている人もいる。

 「ここでは苦労していることがマイナスじゃない。誰もが自然に痛みに寄り添ってくれる。親の病気とか離婚とか、ふつう言いにくいことも素直に話せるんです」

 最近、会社は契約社員でも社員の推薦があれば「準正社員」になれる制度を作った。契約社員に階層ができれば温かな結束も消えてしまうかもしれない。だが女性は言う。

 「準正社員は年俸制で、残業代もつかないそうです。厳しい選別をくぐり抜けて必死でめざすゴールがこれでは……。私は、正社員が必ずしも幸せだとは思えない」

 出世競争も、それに伴う損得勘定もない世界。だからこそ生まれるストレートな共感がある。

 フリーカメラマンをめざすダイチさん(30)にとって、「人生の学校」は愛知県田原市のトヨタ自動車の製造工場だった。

 大学時代はアルバイトとアジア貧乏旅行を繰り返した。中国に語学留学もした。就職氷河期の中、やっと就職した調査会社での単調な仕事と、往復4時間の通勤時間で軽いうつになり、半年で辞めてしまう。実家で静養しながら「写真家になりたい」という思いを募らせ、写真学校の学費を稼ぐために半年の期間工に応募した。「また病気になったらどうしよう」と不安だったが、これが人生の再出発だ、と気合を入れた。

 そこで2歳下の大阪府出身の男性と知り合った。自称「元ヤンキー」の彼は派遣会社から送り込まれた派遣工だった。トヨタの直接雇用のダイチさんと比べ時給は低く、社員寮にも入れない。制服も一人だけ派遣会社支給のものだった。体格がいいため、きつい作業を2工程も担当していた。

 「すべてにおいて自分より条件が悪かったけれど、一度も愚痴を聞いたことはなかった」

 ●自分しか立て直せない

 一緒に鍋を囲み、時には寮に泊めてやった。元ヤンキーは、愚痴の代わりに夢を語った。

 「東京で働くんや。金を貯めて、一つでも多く資格をとるんや」

 年下なのに他人に頼らずに生きる姿勢が大人に見えた。両親に対し、心の底で「少しくらい支援してくれよ」と不満を抱いていた自分が恥ずかしくなった。

 「働けばいいんだ。自分の人生は自分しか立て直せない」

 いつの間にかうつのことなど忘れていた。半年後、ダイチさんは写真学校に入学。彼はクレーン運転士や大型2種の免許をとって東京でバスの運転手になった。

 派遣や契約で働く非正社員が月に1回集まる情報交換の場「ハローユニオン」。7月の金曜夜、10人ほどが机を囲んだ。金融機関で働く30代半ばの派遣社員が苦しげにつぶやいた。

 「正社員採用、3社受けてぜんぶ書類で落とされた。社会に必要とされてないのかも……」

 派遣歴15年のミカさん(52)が明るく、でも強い口調で口を挟んだ。

 「履歴書の書き方に工夫が必要なんじゃないかな。新宿のハローワークに親切な職員がいる。私はその人のアドバイスで、書類選考は必ず通るようになったわよ」

 会では最初に簡単な自己紹介をするが、本人が話さない限り、立ち入っては聞かない。出入り自由だから顔ぶれも毎月違う。それでも毎回、1時間もすれば不思議な連帯感が生まれる。ミカさんは5年ほど前からの常連だ。

 「落ち込むのはわかる。でも自分で自分を見捨てたら最後よ」

 ミカさんは勤め先の事業閉鎖をきっかけに37歳で派遣に転じ、10社以上で働いた。専門は貿易事務。知識と経験は人一倍あるが時給は15年でむしろ下がった。

 派遣になりたての頃、勤務先に50歳の派遣の役員秘書がいた。「50にもなって派遣?」

 ●職場を超えたつながり

 ミカさんは内心驚いた。気さくで親切な人で、ミカさんが会社を変わった後も何度か「会おう」と電話があったが、就職活動がうまくいかず落ち込んでいたミカさんはそのたびに断っていた。数カ月後、やっと仕事が見つかり、ミカさんから電話してみた。よく似た声の女性が電話に出た。

 「姉はがんの末期だとわかって青森の実家に帰りました。私は荷物の整理に来ていたところです」

 すべて初めて聞くことだった。お互いの郷里も知らなかった。電話があった時、会いに行かなかったことを猛烈に悔やんだ。あの「後悔」があるから、悩んでいる派遣社員を見ると放っておけない。

 「派遣は本来、とても孤独です。派遣同士でも、会社が違えば待遇面の話はできない。だからこそ、私は職場を超えた派遣同士のつながりを大事にしたいんです」

 (文中カタカナ名は仮名です)

 (編集局 後藤絵里)

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