■2004年10月、弁護士登録をしてそのまますたこら3か月、ソウルの梨花女子大の語学堂に留学して昨年2005年1月から弁護士稼業を始め、おっしゃ、ここらで一発、引っ越ししようと野望に燃えていたんである。友人と2人のルームシェア、職場まで歩ける距離、というのが希望であった。大阪弁護士協同組合は、某大手仲介業者と提携しており、なんとなく、安くしてくれるらしい。ということで、友人と2人、この某大手仲介業者に物件を見に行ったんである。
■2005年1月10日、私は新人研修があり、友人が某大手仲介業者U店S店長とともに、いくつかの物件を見て回った。人見知りの私と違ってこの友人、誰かれなく初対面の人ともよお喋る。んで、このS店長に「康さんは韓国籍なんですけど、今どき、国籍で入居を断る国籍差別ってあるんですかね〜」と、しれっと尋ねたんである。「いや〜、昔はね、そうだったかもしれませんが、最近はねぇ。あんまり無いですよ」などと答えながらS店長、だんだんと声が小さくなっていったらしい。
この日、いくつか物件を見て回ったものの、これというのが見つからず、翌週再び物件を見て回ることになった。S店長は、私の希望に合うような物件を、事前にファックスしますということだった。
■1月15日、再び某大手仲介業者U店へ。S店長は、「今日見て頂く物件は、康さんの国籍と職業については了承を得ています」とおっしゃる。まぁまぁまぁ、こんなところでかちんと来ててもしょ〜がない。とにかく、S店長がいくつかファックスしてくれた物件を友人と共に見て回る。そのうち、1階が酒屋という願ってもないヒットがあり、おー、ファックスされた物件紹介にも「友人同士の入居可」とあるではないか、おし、これにしようと話を決め、2人で再びU店へ。あ、気に入って下さいましたか、はいはい、これにいたしましょうてなもんで、早速S店長は家主へ契約確認の電話をなさった。
んが、しかし。これが、長い。えんえん、えんえん、電話が終わらない。さすがの私も、晴天にわかにかき曇り、暗雲たれ込め、心穏やかならなくなって参りまして、「これ、ひょっとして、あかんのとちゃうか」と気弱になって参ります。
かなり長い時間が経ち、電話を切って私たちの所にやってきたS店長の言葉は、「すみません。力及びませんでした」だったんである。
■うわー、ずぅん。そうやったそうやった。私って差別されるんやった。忘れとった。学生の時に下宿探した時、そうやった。司法試験の受験中、仕事がなくなって大阪に戻ってきたときも、絶対入居差別にあうやろう、絶対にない訳がない、受験中にそんな思いすんのは嫌やからと、友達の家に転がり込ませてもらったんや。あの時、入居差別に合う自信満々で、その事情を話して、友達と一軒家をシェアしたんやった。ああ、そうやった。私、そんな目に合うんやった。忘れとった。どうしよう。せっかく気に入ったのに。いつもいつもいつもいつも、最後の最後でダメやと言われるんや。韓国籍やからって、いつもいつもいつもいっつもい〜っつも、あかんって言われるんやった。どうしよう。
そんな私の顔を見て、S店長が、もう一度、電話してみましょう、康さんのお人柄を見て決めてもらいましょう、と立ち上がってくれる。そこへ私は叫んでしまった。「私、日本生まれで、日本語、話せます!」
■ああ、それはわかってますと言い残して電話をかけ始めるS店長を見ながら、私はいったい何を口走ってしまったのかと愕然とする。そばで聞いていた友人は「民族国籍でごちゃごちゃ言われるならこっちから願い下げじゃ」と怒り心頭に達している。S店長は何とか家主を説得しようと苦心惨憺している。私は、やっぱり呆然として、考えがまとまらず、うちひしがれている。
それでも、長い時間、S店長は電話を続け、顔色は一向に明るくならず、とうとう電話を置いて、私たちに首を横に振る。前に中国人に貸したことがあって、この人がタバコをポイ捨てして階下の住人が干していた布団が焼けそうになったり、夜中に友だちを連れて来て騒いだりして、昔からの店子が大変な迷惑をこうむった、だから、もう外国人は困るのだということだった。
■さて。私って弁護士やんなぁ。しかも、大阪弁護士会の人権擁護委員会に入ってるねんよなぁ。あかんよなぁ、黙ってたら。みんな黙ってるしかないねんから、声を出せる人が出さな、あかんよなぁ、やっぱり。
そこで、同業者に相談しまくった。外国人問題といえばこの人、丹羽弁護士が全面的に協力するとおっしゃってくださって、丹羽弁護士の事務所に就職した普門弁護士に同期の気安さ、いろいろ働いてもらった。
まずは、某大手仲介業者U店S店長からの事情聴取である。ちょうど春先の繁忙期で、なかなか時間がかかってしまったが、はっきり、家主の拒否事由は私の国籍が原因であると明言して下さり、陳述書も作成した。
おし、いよいよ家主との話し合いである。家主は第三者を間に立てたりして、話し合いの機会を持つにもなかなか時間がかかったが、とうとう、家主との話し合いの場である。結局2時間に及ぶ話し合いとなったんである。あっさり謝ってくれへんかなぁ、途中でやめるわけにはいかんし、やっぱり訴訟になっちゃうんかなぁ、あっさり謝ってくれへんかなぁ、あー、なんか嫌やなぁ、あっさり謝ってくれへんかなぁ、と思い続けて話し合いの場に臨んだのである。
■家主の言い分は、つまりは、こうである。入居を断ったのは、国籍が理由ではない、中国人の件で懲りていたので、これからは「ファミリー限定」にすることにした、S店長にもそう言っていたのに、とにかく見るだけでも見せてほしいと頼み込まれたので、見るだけならどうぞ、ということで見てもらった、ファミリーでの入居ではない康さんの入居を受け入れるつもりはそもそもなかった、友人同士だと喧嘩もするし、友だちを連れて大騒ぎすることもあるので、他の入居者に迷惑がかからないように「ファミリー限定」にした、それで断ったのであり、国籍が理由ではない、他の入居者に迷惑をかけていたかつての入居者の国籍をわざわざ持ち出したのは他意はない、自分が迂闊だった、それで康さんにつらい思いをさせたのなら申し訳なかったと思っている、断じて国籍差別をしているのではない、云々。
では、物件紹介に「友人同士の入居可」とあるのはなぜかと問うと、こんなのに覚えはない、仲介業者が勝手に書いたものである、自分は知らない、云々。
延々、2時間の話し合いの結果である。
■この時点で、入居差別にあってからすでに10か月が過ぎた。とにかく、いろいろなところでもめたし、「差別とは何か」をめぐって、もどかしい思いもしてきた。
またもや「入居差別」にあい、またもや「差別とは何か」をめぐって「断絶」をかみしめた。いつまで続くのか。きっと死ぬまで続くんやろなぁ。私ってこおゆう性格やし。とほほ。
という訳で、提訴である。長い道のりであったんである。丹羽弁護士の提案で、11月17日と決まった。乙巳保護条約締結の日なんである。屈辱と怒りの歴史の100周年である。係属部は大阪地裁民事20部、第1回口頭弁論は1月24日午前10時、決戦の火ぶたは切って落とされるんである。
さぁ、カンパを募れ、マスコミを呼べ、がんがん宣伝しろ、やるぞっ!
(近畿人権協会NEWS 2005.12 第4号より転載)
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