 渦中の時津風親方は「若い衆には寛大な処分を」と訴えた |
日本相撲協会は2日までに、序ノ口力士時太山(ときたいざん)の斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)がけいこ中に急死した問題で、師匠の時津風親方(57、元小結双津竜)を解雇する方針を固めた。捜査中の愛知県警も傷害、傷害致死容疑で親方や複数の兄弟子を立件する方針だが、沈黙を守り続けていた渦中の時津風親方は1日深夜、夕刊フジの独占取材に応じ、胸中を激白した。自身が捜査対象になっていることが明らかになって以来、親方が「事件」について語るのは初めて。
−−時太山は、どういう力士だったのか
時津風「正直言って、とても期待していたんですよ。うまく育てればモノになると思っていました。だから、合計3度、逃げだしていますけど、祈るような思いでメールを送ったんですよ。オレの期待を裏切らないでくれって。それだけに、ああいうかたちで亡くなったことが、本当に申し訳なくて…」
−−亡くなる前日(6月25日)の様子は
「また、いなくなってしまった。でも、午後4時ごろ、自分で戻ってきました。決して強引に連れ戻したわけじゃない。その後、また実家に電話したりしていましたので、どういう考えでいるんだ、と聞くと、やる気は半々ですと言うんです。私も、半分やる気があるんだったら頑張れと激励し、夜のチャンコのときも、私の後ろに座らせていろいろ話をしました。兄弟子たちも頑張れと言ってましたよ。でも、頑張ると言ったかと思うと、辞めると言ったり、5分ぐらいでコロコロと気持ちが変わるんです」
−−そこで親方がビール瓶で殴った?
「殴ってはいません。ちょうど後ろにいたので、そばにあった空のビール瓶でコンと小突いたんです。ところが、時太山がひょっと、よけたものですから、ビンのカドが額に当たってしまったんです。ちょっと出血しましたけど、すぐ止まりました」
−−そのあと、親方が兄弟子たちに「かわいがってやれ」と命じ、集団暴行があったとされる
「私がそんな指示をするわけがない。『ちゃんと話をしてやれ』とは言いましたけど」
−−集団暴行のおかげで翌朝は起き上がることができず、午前11時過ぎにたたき起こされたといわれている
「それも、うそですね。あの日は土俵祭りの日で、時太山も、みんなと一緒に午前7時にはまわしを締めて土俵に降り、土俵祭りが終わった後は、しこを踏んでいましたから」
−−そのけいこのあと「かわいがり」が行われたのか
「他にもいろいろとあって、他の力士たちもあきれていましたので、このままではいけないと思い、2つ、3つ、胸を出してやれと言いました。途中、私は2度ほど、抜けましたけど、それも5分ぐらいでずっと見ていました」
−−そのとき、金属バットで殴ったのか
「確かに兄弟子の1人が金属バットで、お尻のあたりをたたきました。でも、一発だけで、そんなものでやったらダメだ、と私がすぐに止めました。棒では5つ、6つ、突っつきましたけど、ぶつかりけいこではよくあることなんです」
−−ぶつかりけいこが終わったときの様子は
「これで最後だ、と言って押させた後、ひっくり返ってゼイゼイ言っていました。だから、弟子たち3人ぐらいで気付けに水をかけ、壁際に座らせました」
−−その後は
「兄弟子たちは風呂に入れ、私がそばに付き添って声を掛けたりしていました。途中で5、6分、ちょっと外してメシをパーッと掻き込みましたけど。その間も1人じゃなく、兄弟子が代わりに付き添っていたんです。決して放置はしていません」
−−時太山の様子がおかしくなったのは
「最初は顔をたたいて、大丈夫かと言うと、ちゃんと返事をしていましたし、呼吸もだんだん収まってきたんです。ただそのうちに、様子がおかしくなったので、こりゃいかんと思い、急いで風呂場に運び、応急手当てをしました。まわしを外したり、体の泥を落としたりしながら様子をみましたが、回復の兆しが見えないので、あわてて救急車を呼びました」
−−斉藤さんが搬送先の病院で亡くなり、実家に連絡したのは誰か
「私です。おわびをしなくちゃいけませんから」
−−「かわいがり」を隠蔽(いんぺい)するために火葬の手配をしたのか
「確かに、こちらで葬儀をやるんだったら全部手配します。そのときはご家族の方も出てきていただかないと、とは言いました。でも、どうやって隠蔽(いんぺい)できるんですか。火葬するには親の承諾が必要ですし、死後24時間たたないとできないんです。あくまでも私の責任感からで、お父さんも最初はお願いしますと言ったんです」
−−結局、遺体は新潟の実家に搬送された
「ハイ。私も付いていきたかったんですが、警察の事情聴取などがあり、翌日、向こうに参りました。以来、全部で4、5回、実家にお伺いし、警察の事情聴取が終わったあとで、私から、ビール瓶で殴ったことなども正直に話しました。週刊誌に書かされそうになったからあわてて話したと報道されましたが、それも事実とは違います」
−−あれからもう3カ月以上たつが
「時太山のご冥福(めいふく)を祈るだけの日々でした」
−−弟子と口裏合わせをしたのか
「そんなことはしません」
−−(1日)、北の湖理事長に呼ばれて事情聴取されたが
「理事長、伊勢ノ海理事(元関脇藤ノ川)、武蔵川理事(元横綱三重ノ海)の3人になにもかも話しました。理事長に、時太山の悲鳴が聞こえたという話があるが、と聞かれたので、そんなこと、あるわけがないと強く否定しました」
−−厳しい処分が予想されるが、現在の心境は
「私のことより、若い衆のことが心配でたまりません。彼らには将来がありますから、なんとか寛大な処分にしていただきたいと祈っています」
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ZAKZAK 2007/10/02