◎本多の森再整備 感動を与える仕掛けがほしい
石川県は来年度から兼六園に隣接する「本多の森公園」を再整備するため、この五日に
有識者や県、金沢市の担当者による検討会(本多の森回遊ルート景観・バリアフリー検討会)を設置する。結論からいえば、思わず足をのばしたくなるような魅力を持つ仕掛けがほしいものだ。
本多の森には来秋、装いを新たにしてオープンする県立美術館をはじめ歴史博物館や藩
老本多蔵品館などの文化施設がある。県の施設に関しては歴史博物館が昨年、金沢経済同友会の提言を受け入れて「貸し館制」を導入したほか、催しの工夫などによって昨年度から利用者が上向いてきた。これを追い風に再整備を進めてもらいたい。
検討会では、眺望に配慮した樹木の刈り込み、照明、誘導標識の充実、歩道の段差改善
、市街地とのアクセス向上などの方策が話し合われるようだが、なにはともあれ斬新なアイデアを期待したい。
そのためには民間との連携をさらに深めて、本多の森の近くにある、いわゆる兼六園周
辺の各施設における催しをより充実することはいうまでもなく、各施設の催しが一体的に分かるようにした親切な案内標識の充実も不可欠だ。
高岡市が今月から始める携帯電話で観光情報を受け取れるQRコードの実験なども参考
になるはずだ。ジャンルは違うが、北海道・旭川市の旭山動物園の改革も参考になるのではないか。
年間の入園者が二十万人台に落ち込んだのを、トンネルから「動物の生態」を観察でき
るようにした改革で三百万人にしたことで知られる。明大大学院特任教授の経営コンサルタントの小宮一慶さんはこの成功について、ありきたりでない、突っ込んだ見方をする。「要するに人は感動を求める。その感動を与えることに成功したのだ」というのだ。
本多の森の場合にしても、たとえていえば、歴史博物館に工芸工房を付設し、郷土の多
様な伝統工芸の技を見せるような思い切った仕掛けも必要ではないだろうか。そうした斬新さが感動を求める人を誘い、森もより利用されるのではなかろうか。
森の再整備の基本も「人は感動を求める。それにどうこたえるか」であるように思われ
る。
◎時津風親方解雇へ 角界は「非常識」と決別を
大相撲を志す「相撲王国」石川の子どもたちの夢もこれではしぼむばかりだ。序ノ口力
士の斉藤俊さんがけいこ後に急死した問題は大相撲の根幹を揺るがす不祥事であり、日本相撲協会の北の湖理事長が師匠である時津風親方の解雇を明言したのも当然である。斉藤さんが急死に至ったのは、けいこに名を借りた陰惨な「しごき」と言え、「国技」に値しない恥ずべき行為である。一般社会から見れば非常識な、こうした悪しき慣習と決別しない限り、角界の将来はないだろう。
野球ならプロ野球、サッカーならJリーグがあるように、大相撲も相撲に打ち込む子ど
もたちにとっての到達点であり、夢を広げる大きな目標である。にもかかわらず、制裁まがいの前近代的な仕打ちがまかり通っていては若者には魅力ある世界とは映らないだろう。事実、七月の名古屋場所では新弟子検査の受検者が史上初めてゼロとなり、大相撲離れは確実に進んでいるのである。
時津風親方は指導者失格の烙印(らくいん)を押されても仕方ない。今回の問題では約
三十分のぶつかりげいこをし、兄弟子は斉藤さんを金属バットでたたいたという。強くなるために厳しいけいこは必要だが、入門間もない力士の指導としては行き過ぎではなかったのか。けいこが度を越せば、それをいさめるのが親方だが、適切に対応したふしはうかがえない。それどころか前日には親方自身がビール瓶で斉藤さんを殴っていた。死亡した後に兄弟子に口止めしたという話が本当なら許しがたいことだ。
親方一人を処分して済む話ではない。一般社会から見れば非常識な行為を容認している
空気が角界にはそれこそ渦巻いているのだろう。角界では常識でも一般社会から見れば非常識な悪しき因習はこの際、一掃すべきだ。
北の湖理事長は文部科学省に呼び出され、独自調査へ重い腰を上げた。そうした受身の
姿勢は事の深刻さを認識しているようには思えない。新設する「力士の指導に関する検討委員会」にも、外部の確かな目を入れる必要がある。日本相撲協会は身内で固める組織の在り方も含め、閉鎖的な仕組みを根本的に見直し、体質改善を進めてもらいたい。