事務所開きの際、そして当選後、ダルマの目入れを行いました。
目の不自由な方への配慮が足らなかったと反省しております。無知の事とはいえ、お詫び申し上げます。
目を入れたり入れなかったりでは、目の不自由な方に失礼です。
配慮が足りませんでした。申し訳ありません。
今後とも、「現場」や「国民の目線」を大事にして行く思いは変わりありません。ご指摘があれば、素直に受け止めます。
重ねて、目の不自由な方、そしてご家族の方々にお詫び申し上げます。
目の不自由な方への配慮が足らなかったと反省しております。無知の事とはいえ、お詫び申し上げます。
目を入れたり入れなかったりでは、目の不自由な方に失礼です。
配慮が足りませんでした。申し訳ありません。
今後とも、「現場」や「国民の目線」を大事にして行く思いは変わりありません。ご指摘があれば、素直に受け止めます。
重ねて、目の不自由な方、そしてご家族の方々にお詫び申し上げます。
わたしも知りませんでした・・・
2007/08/06 (月曜日) 11時30分48秒
ダルマの眼は、実際の肉体の眼ではなく、心の目があいたとか、眼をあけて出動準備という意味ではないのでしょうか。
ダルマの眼をいれても、眼の不自由な方への差別にはならないと、私などは思っているのですが・・・?
それをいったら、ダルマさんには、手も足もないですし・・・。
どのような顛末があったのかは知りませんが、なんで^^;?って思いました。
自分はダルマが好きです。でも、眼の不自由な方を差別する気持ちなどありません。
ダルマの眼を入れる光景を見られないのはさみしいです・・・。
2007/08/07 (火曜日) 18時28分09秒
人物像を描くとき、目を入れるといけないのでしょうか?
また、感覚上も目というのは重要な認知器官ではないでしょうか?
私の友人のお父さんはダルマを作っています。
お祝いの大事な席で使われ、ずっと飾られるものですから、精魂込めて作っています。
この「お詫び」を読んで悲しくなりました。
「お詫び」によって傷付く人もいるかもしれない、そういうこともあると知って欲しいです。
2007/08/07 (火曜日) 23時50分48秒
佐藤隊長や関係者の人達に、差別の気持ちなど微塵もなかったでしょう。
それに、ダルマ自体が「差別」というわけでもなく、ダルマがお祝いの席に使われたり飾られたりするのも、何ら問題があるわけでもなく、むしろ、おめでたいと一般的にされているとおもいます。
しかし、選挙の場合はチョット意味合いが違ってくるのが問題なのではないでしょうか。
当選=両目になる=喜びのバンザイ
落選=片目のまま=失望、不幸
これは、やはり、佐藤隊長が書かれているように、例え差別の心が無くても目の不自由な方に失礼だと思います。
確か、数年前に選挙のダルマの目入れに対しては、正式に中央選管に障害者団体から抗議があったと報道されたと思います。
その為かどうかはわかりませんが、最近では、TVの当選風景で、ダルマの胸?の文字(必勝とか名前)を黒く塗る議員が多いように思います。
私は、何より、自分に配慮が足りなかったと素直に、しかも、当選直後に、この公の場で謝られた佐藤隊長が、とても勇気があり、立派だと思います。さすがだと思いました。
なかなか非を認めない議員が最近多いですから、佐藤隊長のこのお詫びは、本当に立派だと思いました。
2007/08/08 (水曜日) 10時46分08秒
だるまには、身障者団体からのそういったいきさつがあったんですね。
しかし、マネキン人形の眼が何も書かれていなくて、そこに目入れをしたのなら、それは傷つくかもしれませんが、ダルマに対しては、これが適当な抗議なのかという疑問が残ります。
ダルマはダルマで、人間がモデルだけど、ダルマとして完成しているものなんですよ・・・それをどうして人間に戻すのか・・・。
世の中のこういう風潮に不満感じています。
正しいということであれば、目入れをしないことも、することも正しいのだと思います。佐藤隊長をこれからも応援していきたい気持ちには変わりありません。
目入れ方式にこだわっているわけではありませんが、目にみえない方のうちどれだけの方が、どのように傷ついているのか、実際のところを知りたいと思いました。ダルマに寛容な、そんな抗議考えつきもしなかったという方もいるのではないかと思うのです。
長文失礼いたしましたm(_ _)m
2007/08/09 (木曜日) 11時33分46秒
『だるまの目入れ』について、早速のクレ−ムがあったようですが、政治家第一歩を汚す輩がいることに憤りを覚えます。『だるまの目入れ』について、何時ごろからそうなっているのか?について、そのクレ−マ−さんがどういっておられたのか、諸般お忙しい中大変恐縮ですが、お暇の折、お返事をいただければ幸いです。--もちろん、こんな要求を無視されてもこちらはなんとも思いませんので、ご信頼ください。
2007/08/09 (木曜日) 16時09分24秒
数年前に身障者団体からのコメントがあり、最近では---の記事を遅ればせながら見ました。「やはり、そうだったのか!」の思いです。議員としては、その人に対しては、“そんなつもりではなかった”と言う意味で、その人にそういった意味での謝罪は潔いことだとは思いますので、議員としてはこれ以上コメントする必要がありませんが、政治の方向を思索する時、より多くの国民の意見に従うのが正道であり、そういった意味では、かの身障者の方々が、そのことで、佐藤議員の議員活動そのものを批判することがあったとするならば、他の大勢の意見を得る行動をすることに勇気を持っていただきたいと考えます。
2007/08/09 (木曜日) 16時21分30秒
「ダルマの目入れは問題ではなく、謝罪の必要も無い」といったニュアンスの意見が多いようですね。
私は、前(コメント4)にも書いたように、潔く謝罪された事を立派に思います。
このブログに、目入れの写真や記事があったとはいえ、ここで謝罪せずに黙っておれば、何事も無く、自分の行ないの非?を公にする事も無く、何事も無かったように振舞って済まそうと思えば、できたはずです。
もし、クレームがあったなら、公にせずクレーマーに直接謝罪すれば済むことです。
普通の議員なら、それで済ませたでしょう。
佐藤議員が敢えてこの時期に、この公の場で謝罪されたという事は、抗議があったからとか、パフォーマンスとかではないと思います。
全国の介護施設や駐屯地や被災地や色んな施設
に足を運ばれ、「現場(弱者)の心を大切に」という政治信念から、自分の行いに少し配慮が足りなかったと反省され、謝罪されたのだと思います。
議員として人として、公に自分の非を認め謝罪するというのは、本当の勇気とその方々への優しさが無ければ出来ない事だと思います。
他の議員なら、「事務所の者が勝手にやった」とか何とか他人のせいにして、自分は知らぬ存ぜぬで、済ませた事でしょう。
さて、ダルマの目入れですが、我が市の今年の統一選挙の県会、市会の候補者で、ダルマの目入れ式をした候補者は一人もおりませんでした。皆、代わりに、胸?の文字(必勝とか祈当選)を入れる文字入れをやってました。(最初から目を入れている人の方が多く、目を入れずに白いままの方が少数)
以前は、ほぼ全員が当然の儀式のように目入れをやってましたのにね。
選管の指導があったのか、身障者の報道を知っていたのかわかりませんが、選挙で目入れをしないのは、今や常識となっている風潮があります。
自分の選挙の一喜一憂の道具として目を入れたり入れなかったりを使うのは、佐藤議員が書かれたように、目の不自由な方や御家族に本当に失礼だと思いますし、我々が見ても不愉快です。ほとんどの議員も目入れをやらなくなったのは、同じ考えからだと思います。
ここでは少数意見のようですが、私も、数年前に身障者の報道があるまでは何とも思いませんでした。しかし、あの報道を見てからは、本当に反省しました。一喜一憂の道具に目の有る無しで表すのは、失礼な事だと。
色々な考え方があるでしょうが、選挙でダルマの目入れをやらなくなったのは、ダルマがどうこうとか、差別がどうこうとか、抗議があるからとかではないのです。
人として、道義上、身体の一部を選挙の当落の一喜一憂の道具に使うのが、身体の不自由な方に対し、失礼だと思うのですが。
2007/08/10 (金曜日) 07時02分48秒
上のコメント、大変長くなって申し訳ございませんでした。反省してます、、、、。
2007/08/10 (金曜日) 07時32分33秒
>道義上、身体の一部を選挙の当落の一喜一憂の道具に使うのが、身体の不自由な方に対し、失礼だと思うのですが。
匿名ですがすみません サンの気持ちもわかるのですが、『あくまでダルマなので、失礼と思いません』
田舎のおじさん的感覚かもしれませんが(苦笑)
人間の模型じゃなくて、ダルマさんなことを、だるまをみたことのない目の不自由な人に、ダルマがどういうものかも含めて、丁寧に話して、誤解を根気よく解いていく、そういう過程を踏む事もひとつの道かと思います、ということで、失礼いたしますm(_ _)m。
2007/08/10 (金曜日) 17時08分37秒
大きな仕事をする時に決意の表れとして達磨に片目を入れ、成就したときにもう一方の目を入れる。
これは日本の伝統ではないかと思います。
これが障害者に対する配慮に欠けると言うならば、神輿を担ぐことすら配慮に欠けることになる。
そういう、ものの道理を踏み違えた人達に呆れるばかりですが、下衆な人気投票が憚っている昨今では、こういう下らないところで不必要に問題を生じさせないことも重要かと思います。
イラクでの活動以上に微妙な匙加減が求められると思いますが、言動には熟慮に熟慮を重ねた上で、今後のご活躍に期待いたします。
2007/08/17 (金曜日) 09時06分49秒
上記のコメントをすべて読みました。
そのうえで私の感じたことをコメントさせていただきます。
佐藤さんは「目の不自由な方が気を悪くされる場合もある」という事実を知って、素直にご自分の気持ちを「お詫び」として表現なさったのだと思うのです。
これによってダルマを作っていらっしゃる方がお気を悪くされるのかもしれません。
しかし目に不自由を抱えていらっしゃる方のことを思ってお詫びをされるということが、そんなに責められることでしょうか?
私はとてもお優しい方なんだなと感じました。
頑張っていただきたいです。
2007/09/09 (日曜日) 21時34分50秒
目の「不自由な」人ですか。
私の友人で視力が0に近い者がいますが、今回のことを話すと、そういう「配慮」こそが差別的なんだと言っていました。つまり、本当の差別とは何かを考える前に謝ってしまうという態度は、本質からかけ離れているということです。
2007/10/03 (水曜日) 04時45分06秒