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ミャンマー、連日の10万人デモ 軍政の警告無視

2007年09月25日21時50分

 ミャンマー(ビルマ)の軍事政権に反対する僧侶や市民は25日も最大都市ヤンゴンでデモを続け、前日に続き約10万人が街頭を埋めた。地方都市でもデモが展開された模様だ。軍政は24日から「僧侶らの行動は違法であり、容認できない」と強く警告したが、無視された。デモには学生や少数民族の代表も加わり始めており、国民のより広い層を巻き込む勢いをみせている。

 ヤンゴンで8日連続となった25日のデモは観光地としても有名なシュエダゴン・パゴダやスーレー・パゴダから始まり、市東部の別のパゴダへ向かった。読経しながら歩く僧侶に市民らが相次いで合流したほか、学生の集団や、90年の総選挙で当選しながら軍政によって議員活動を封じられた少数民族の代表らも参加した。

 デモは同日夕、いったん終了したが、その後、軍が治安部隊を市内に展開。夜以降、規制が強化される可能性がある。ロイター通信は消息筋の話として、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏がすでに刑務所に移送されたと伝えた。

 25日付の国営各紙は、軍政に協力する高僧らで構成される国家僧侶委員会が、全国の僧侶に「政治活動にかかわらぬよう」求める通達を出した、と報じた。さらにヤンゴン市当局は25日午前、広報車を巡回させて「僧侶のデモは違法行為で、参加しないよう」拡声機で市民に呼びかけた。

 軍政はこれまで「僧侶を装った不満分子の策動」などと、国民の尊敬を集める僧侶への直接の非難を避けてきた。だがデモが収束する気配はないため、僧侶を直接牽制(けんせい)するとともに高僧を通じて沈静化を狙ったが、思惑ははずれた形だ。

 デモに参加する僧侶らは、軍政が市民を弾圧した88年の騒乱以降に仏門に入った若い世代が多く、「軍の過酷な弾圧を経験せず、怖いもの知らずの面もある」(外交筋)とされる。

 軍政は騒乱後、宗教省の下に国家僧侶委員会を組織して仏教界を抑えようとした。高僧らに多額の寄進をして懐柔してきたが、若い僧侶らには恩恵はさほど届かない。逆に市民生活が困窮すれば寄進が減るため、国民の窮状に敏感だ。

 5日に中部パコクでデモに参加した僧侶に軍政が暴力をふるって以来、若手僧侶らは軍の寄進を拒否したが、国営テレビは軍幹部が高僧に寄進する姿を放映。こうした姿に若手の一部は反発を強め、実態不明の「全ビルマ僧侶連盟」が軍政打倒を呼びかける声明をネットに載せていた。

 国民約5千万人の9割が仏教徒というミャンマーで、僧侶は40万人とされるが、カトリックのようにピラミッド型の組織ではない。20年代以降の反英独立運動の先頭に立ち、軍政下でも弾圧を受けてきた。80年代後半の反軍運動の主役は僧侶と学生、公務員。騒乱後、軍政はヤンゴンの大学を閉鎖し、公務員は05年の首都移転でヤンゴンから300キロのネピドーに離された。残る僧侶が今回の主役となった。

 首都移転の理由のひとつは、ヤンゴンで大規模な市民の反乱が起こることをおそれたためとされるが、「状況の把握が遅れ、デモの僧侶らとアウン・サン・スー・チーさんの面会を許すなど対応が後手に回っている」(消息通)との指摘もある。

    ◇

 日本の外務省は25日、「ミャンマー政府が、デモに示された国民の希望を踏まえつつ、国民和解、民主化に向けた対話を含む真剣な取り組みを行うことを強く期待する」との外務報道官談話を発表した。

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