医大を卒業し、研修医として大学病院の外科や耳鼻科など希望の科に就職することを「教室に入局する」と言う。よく考えると意味がわからないが、一種のギョーカイ用語のようなものだろう。
私が二十数年前、入局したときの精神科教室の教授と現在の教授がそれぞれ喜寿、還暦を迎えることになり、その祝宴に出席した。当時いっしょに入局した同期生たちの顔も見え「久しぶり!」と歓迎してくれた。
そういう祝宴にありがちなことだが、座席はほぼ年功序列順。前の方に先輩が座り、私の年代はちょうど真ん中、奥の壁際にはまだ20代とおぼしき医局員が陣取っている。大御所によるスピーチや祝電披露が続く、というのもこの手の宴会にはありがちなこと。
驚いたのは、そのスピーチを聞くときの態度が、年代によってまったく違うこと。いわゆる上座の先輩たちは、延々と続くスピーチに真剣に聞き入り、ときにうなずいたり微笑(ほほえ)んだり。真ん中あたりの私たちは、神妙に聞くふりをしながらも、時おり「ちょっと長くない?」「あの先生、老けたねえ」などと囁(ささや)き合ってクスクス。
ところが、壁際の新人医師たちに目をやった私は、ギョッとした。誰ひとりとしてスピーチを聞いていない。しかも、私たちのように“聞くふり”さえせずに、テーブルで酒を飲んだり大声で話して爆笑しているではないか。たしかに彼らにとっては、顔も見たことのない大先輩たちのスピーチなど面白くもなんともないのかもしれないが、それにしてもなんと大胆なのだろう。私は「今に大御所の誰かがキレて怒鳴るのではないか」とハラハラしたが、そこは年季の入った精神科医たちなので、後輩の無礼講にも激怒するようなことはなかった。
その後は、元教授や現教授の足跡を振り返るスライドが上映されるなど和やかな雰囲気のうちに祝宴は終わったが、最も心に残ったのは、なんといっても「関係ないものには関心を示す必要なし」といった割り切った後輩たちの態度だった。「失礼じゃないか」という気持ち半分と、「でも、私たちのように“聞くふり”をするほうがもっと失礼かも。彼らは正直なだけではないか」という気持ち半分。
若い世代の医者は、医局が「来年からこの病院に勤務して」などと命じても、「そんな田舎はイヤです」とあっさり断ってしまう、と聞いたことがある。やはり医者が正直すぎるのは問題では、と思うのだが、どうなのだろう。私の中でも答えはまだ出ていない。
毎日新聞 2007年10月2日