クリスマス礼拝が終わり、帰って昼食のあと、
まちねとせいこちゃんとタクシーで福祉プラザへ向かった。
13時30~16時、永伊監督の講演会は、とても充実した時間だった。
“動物実験”の具体的な恐ろしさを感じた。
動物同士の弱肉強食の世界と、
人間が、たかが日用品を作るために動物を残酷に殺す世界は話が異なる。
「動物実験で国が安全を証明しているんだから、
反対する意味ってないんじゃない?」
という人はたくさんいると思う。
マスコミでは取り上げられない、表に出してはいけない情報があり、
そのせいで本当に恐ろしいことを知らずに僕は生きてきた。
信じられない、信じたくないことが実際に起こっていて、
つい目をそらしたくなる映像のなかで、
悲鳴をあげながら死んでいく犬、ねこ、さる、うさぎ・・・。
人間の実験で大量に犠牲になっていく動物たちから生まれるものが、
“国の標準を満たしている安全な日用品”だということ。
シャンプー、リンス、ハミガキ、口紅、ファンデーション、化粧水・・・。
“有害なものが入っていないもの”を探し出すとしたら、
テレビCMをしていない、それこそ有名じゃないものに意識を向けないと、
いくら探してもみつけることはできない。
中身のない、パッケージと宣伝費だけにお金がかかったものを使い、
真実を知らない人たちは当たり前のようにメイクをし、
悲鳴を上げ死んでいった動物たちと同じように毒を入れ、
自分の体に異変が起こったとき、病院を頼り薬で治そうとし薬漬けになり、
奇形児が生まれたときに泣き叫び神に文句を言うということを繰り返している。
何がやっかいかと言うと、“すぐに異変が起きないこと”だ。
何の問題もなく、ごく普通に生まれてこれたようにみえる人間の場合、
溜まるに溜まった毒が表にでてくるのは、
10年、20年という年月がかかってしまう。
そのとき、原因が何なのか知ろうとしたくても、
“国が安全を認めているもの”に疑いの意識を持つことができなければ、
癒されることがない薬に頼る人生を選ばざるえないことになりかねない。
母の胎内にいるとき、母親が有害なものを使うことで子宮が汚れるため
胎児は一生懸命羊水をキレイにして母を支えているという。
しかし、胎児にも限界がある。
無知な母親は自分が毒を体に入れていることに気づかず、
ただひたすら元気な赤ちゃんが生まれてくることを当たり前に信じている。
そして、待ちに待ったわが子とのご対面・・・感動のはずが、
手がない、足がない、目がない、皮膚がおかしい・・・。
という結果だったら・・・、最初に神に文句を言いたくなるに違いない。
あの映像は二度とみたくない、それくらい、強烈だった。
そして、企業のトップから圧力をかけられながら、
命をかけて取材をしてきた体験を語るその姿は、とてもかっこよく見えた。
「何を信じたらいいの?」
「目に見えない真実を信じたらいい」
まあ、こういうことを言えば、オカルトだとかなんとか騒ぐ人はいる。
それなら勝手に騒がせておけばいい。
ただ、真実からココロを背ける生き方はどうかと思うけど。
動物の悲鳴が、イエスの悲鳴に聴こえた。
何も悪いことをしていないのに、人間の勝手な都合で殺される。
それも、企業の業績のため、お金のためだけに・・・。
そんなことが許されていいのか?おかしいだろう、普通に。
2006/12/17