Jiwon Bang
Sat Sep 29 11:22:00 UTC 2007
Dr MIZUNO, Katsunari
Thu Sep 27 11:16:00 UTC 2007
ハワイ・ウインター・ベースボール2007年シーズンの開幕まであと2日と迫った27日、各チームによる全体練習が初めて行われた。
HWBマークの入った練習用のキャップとシャツを着て、選手たちはグラウンドで約2時間にわたる調整をし、強い日差しの下で汗をかいた。
オアフ島での開催地となるワイパフ地区のハンズ・ロレンジ球場では、ワイキキ・ビーチボーイズとノースショア・ホヌ が順番に練習を行い、投内連携やフリーバッティング、ブルペンでの投球(投げ込み)を次々とこなしていた。
Dr MIZUNO, Katsunari
Wed Sep 26 11:15:00 UTC 2007
ハワイ・ウインター・ベースボールは26日、ホノルル市内のホテルで2007年シーズンのオリエンテーションを開催した。
日本からの19選手を含めて、選手・監督・コーチらが初めて一同に集い、ユニフォームのサイズ合わせ・採寸などが行われ、その場で全選手の背番号が決定した。また、リーグ年鑑向けの写真撮影も行われた。
その後、各チームにそれぞれ分かれて首脳陣と選手たちが顔を合わせ、翌日の練習スケジュールなどを確認。夜にはウエルカムパーティが開かれ、日本人選手とアメリカの選手があちこちで自己紹介して交流を深めた。
Jiwon Bang
Wed Sep 12 10:22:00 UTC 2007
2007年シーズンのハワイ・ウインター・ベースボール(HWB)に出 する日本人選手が決定した。7球団から計19人が派遣されることになり、約2か月にわたってメジャーリーグを目指す若手有望 とともにプレーする。
9月29日~11月19日までオアフ島を中心に開催されるHWBリーグに出 する日本人選手は、以下のとおり。
ポジション |
選手 |
投/打 |
所属 |
投手 |
宮本 賢 |
左/左 |
北海道日本ハムファイターズ |
|
糸数 敬作 |
右/右 |
北海道日本ハムファイターズ |
|
木村 文和 |
右/右 |
西武ライオンズ |
|
古谷 拓哉 |
左/左 |
千葉ロッテマリーンズ |
|
田中 良平 |
右/右 |
千葉ロッテマリーンズ |
|
内 竜也 |
右/右 |
千葉ロッテマリーンズ |
|
鴨志田 貴司 |
右/右 |
オリックス・バファローズ |
|
中山 慎也 |
左/左 |
オリックス・バファローズ |
|
松崎 伸吾 |
左/左 |
東北楽天ゴールデンイーグルス |
|
辻本 賢人 |
右/右 |
阪神タイガース |
|
玉置 隆 |
右/右 |
阪神タイガース |
|
丸山 貴史 |
左/左 |
東京ヤクルトスワローズ |
|
村中 恭兵 |
左/左 |
東京ヤクルトスワローズ |
内野手 |
星 秀和 |
右/左 |
西武ライオンズ |
|
長田 昌浩 |
右/左 |
オリックス・バファローズ |
|
大廣 翔治 |
右/右 |
東北楽天ゴールデンイーグルス |
外野手 |
神戸 拓光 |
右/左 |
千葉ロッテマリーンズ |
|
由田 慎太郎 |
左/左 |
オリックス・バファローズ |
|
横川 史学 |
右/左 |
東北楽天ゴールデンイーグルス |
参 コーチ:
吉原 孝介 オリックス・バファローズ(二軍ブルペン兼育成コーチ)
高村 祐 東北楽天ゴールデンイーグルス(二軍投手育成コーチ)
山部 太 東京ヤクルトスワローズ(投手兼トレーニングコーチ)
ライル・イエーツ 千葉ロッテマリーンズ(コンディショニング・コーディネーター)
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Sep 11 12:59:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:6試合 0勝0敗、防御率5.79(リーグ3位)
2006年のハワイ・ウインター・ベースボールでは、阪神タイガースからあわせて5人の選手が派遣された。セ・リーグで中日ドラゴンズと首位を争うデッドヒート中、結果的に能見篤史投手以外は、前半(筒井和也投手、岡崎太一捕手)と後半(江草仁貴投手、浅井良捕手)にわけて、それぞれ派遣されることになった。筒井投手はその前半組で参加したが、そのようなチーム事情ゆえか「最初の頃は日本のペナントレースが気になってしかたなかったです」と話すように、やや集中力が薄れてしまうような状態だったという。
ハワイのイメージについて、観光地というより、日本から遠く離れて野球をするための外国の地との感覚だったようだ。また、アメリカの選手たちの印象を尋ねると「ハングリーだがプレーは荒い」。しかし「常に自信と誇りを持ってプレーしていますね」と答えてくれた。
筒井投手にとっては、いままで中継ぎで投げる機会はほとんどなかった中で、ハワイへ派遣されることにより、従来の先発に加えて中継ぎでも投げられるチャンスが増えた。実際、ハワイでは何でも自分でやる必要に迫られ、チームの事情でスクランブル登板したりと先発以外の経験が積めたことが大きかったという。実際、阪神は厚い投手陣を誇るチーム。もちろん先発できることも重要だが、中継ぎやクローザーといったリリーフも勝つためには重要なポジションだ。登板機会が得られるのならば、先発にこだわる必要もない。
また、阪神からハワイへ星野伸之投手コーチが参加していたことも、とても助かったという。具体的なアドバイスというよりも、そばにいてくれるだけで安心できたとのこと。ただし、半期のみの参加だったため、ちょうどさまざまなことに慣れてきた頃に帰国することになったのは、とても残念だったようだ。それでも今年は、2年ぶりの一軍登板を果たすなど、着実に成長を遂げている。これからの野球の目標を尋ねると、「緊迫した場面でどんどん投げて、結果が得られるように」と一皮剥けた筒井投手の姿を見ることができた。
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Sep 11 12:56:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:12試合 2勝0敗、防御率1.38
ハワイ・ウインター・ベースボールの開幕時は、ちょうど日本のレギュラーシーズン終盤にあたり、熱い戦いの真っ最中。上位チームにとっては、派遣する選手をどう選別するか難しい判断が迫られる。2006年の阪神タイガースは、中日ドラゴンズと1、2位を争うデッドヒート中であった。そのため、ハワイへの派遣選手は、能見投手以外を前半(筒井和也投手、岡崎太一捕手)と後半(江草仁貴投手、浅井良捕手)にわけて、途中で入れ替える方法を採用した。
後半組の左腕・江草投手はそのような変則的な参加であったが、派遣についての不安はまったくなかったという。日本で一軍経験を積んでいたこともあり、他の参加選手よりも実績のあるピッチャーだったことは確かだが、パワーでぐいぐい押してくるメジャーの卵に対しても「自分の力だったら、抑えて当たり前」と、あえて自らを厳しい立場に置いて、ハワイでの試合に臨んだ。また、日本より遅い時刻から開始するナイトゲームに体調を合わせるためにあまり外出もせず、その結果が、半期の参加であったのにもかかわらず、12試合の登板で2勝、防御率1.38というすばらしい結果につながったのだ。
さらに、パワーヒッターのタイミングをずらすのに有効なスローカーブの習得もハワイでの目標においた。江草投手といえば、小刻みで気持ちよい、はきはきしたピッチングが特徴だ。タイミングをずらす球種があれば理想であり、まさにカーブに磨きをかけたいと思っていたときにハワイへ派遣されることになった。残念ながら、そのカーブを実践で使っているのかは教えてもらえなかったが、江草投手にとって、ハワイが自分自身を高めるための場所になったということは間違いないだろう。2007年シーズンは、阪神で欠かせない中継ぎ左腕として活躍しているが、その堂々たるマウンドさばきは頼もしいばかりだ。
ところで、皆さんが一番気にしているのが、優勝決勝戦での登板ではないだろうか。満員のレス・ムラカミ・スタジアムで響く歓声の中、ワイキキ・ビーチボーイズは、能見投手が先発で5回無失点と好投。そのあとを受けて1点リードの6回に、同僚の江草投手がリリーフで登場した。しかし、リーグであれだけ抑えていた左腕は突然打ち込まれ、不運なプレーが重なったこともあって、惜しくもこの試合の負け投手になってしまった。ちょっと落ち込んでいたかなと思いきや、「能見に勝ちをつけてあげられなくて、あの決勝戦はちょっとむかつきました」と血気盛んなコメントがかえってきた。抑えて当たり前の気持ちと裏腹に、悔しさは相当なものであったに違いない。「決勝戦だけは、相手が全力で勝ちにきていた」と振り返った。
最後に、これから派遣される選手に対して、江草投手からユニークな“アドバイス”があった。買い物をするときなど、クレジットカードではついつい使いすぎてしまうので、ハワイでは必要な分だけ現金を持っていったほうがいいのではないか、という。よくよく聞いてみると「(ガードだと使いすぎて)奥さんによく怒られちゃうんです」と満面の笑顔で答えてくれた。
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Sep 11 12:49:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:7試合 2勝1敗、防御率2.37ファンの間から若武者と呼ばれる東北楽天ゴールデンイーグルスの朝井秀樹投手は、故障の一場靖弘投手に代わって2006年10月中旬、急遽ハワイに飛び立った。すでに秋季キャンプが行われている中、「突然言われて…」との驚きとともに、球団の自分への期待をうれしく感じたという。
すでに一軍での登板経験があった朝井投手は、「(投手である自分に)有利なカウントに進めること、そしてフォアボールを出さない」とクリアな目標を立ててハワイに臨んだ。その結果、途中参加であったものの、主に先発として約30イニングを投げ、2勝、防御率2.37の好成績を残した。「よくわからないけど、(2007年のシーズンの)数字上の成績は良くなってます(笑)」と帰国後の自分に対して、一定の自己評価を得ているようだ。2007年シーズンは、首脳陣の信頼を見事に勝ち取り、先発ローテーションに定着している。
ハワイに到着し、ベンチ入りしてすぐ、日本で思い描いていたハワイ・ウインター・ベースボールよりも「意外としっかり考えてゲームをやっている」という感想を持ったという。アメリカのベースボールは、大まかでざっくりしたプレーが多いというイメージを持っている他の日本の選手らと違い、朝井投手は「キャッチャーが要求してくる配球もそれなりに考えられている」、「日本より投手のことを考えてくれる」とし、課題であった投げ急ぎもそのおかげで修正できたという。
ではハワイと日本の違いは? とたずねると「自分ですべてやる」、「口うるさく言われない」の2点を挙げてくれた。日本では裏方のスタッフが練習からゲームまで手厚くサポートしてくれるため、意外と選手はやることがないという。ハワイではマイナーリーグ式に、野手陣の打撃練習ではピッチャーが外野に散らばってボール拾いをやるのが当たり前である。さらに、選手の自主性が重んじられているので、コーチからは技術的なことを含めて、聞かれない限り具体的に指導を受けることが少ないのだ。アメリカではコーチは指導者ではなく、選手の状態をチェックする役割に徹することが多い。
日本に戻ってきて、朝井投手はメジャーリーグのテレビ番組を見る機会が増えたという。特に同じ投手として、ピッツバーグ・パイレーツに移籍した桑田真澄投手にはとても注目していたようで、「桑田さんの特集番組はテレビの前でくぎ付けでした」と話した。ホノルル・シャークスのチームメイトで、9月にメジャー昇格を果たしたナイジャー・モーガン選手も、桑田投手が所属していたパイレーツのプレーヤーということもあって、朝井投手がメジャーをかなり身近に感じていることは確かだろう。
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Sep 11 12:26:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:10試合 4勝(リーグ1位)3敗、防御率2.63(リーグ4位)
東北楽天ゴールデンイーグルスの夏男として有名な有銘兼久投手、そのスタミナは他球団を含めて他を寄せつけない強さだ。社会人時代には先発投手であったものの、プロ入り後は中継ぎに登用されていた。ところが楽天では先発のコマ不足もあって、2006年には突如として先発として起用されることとなり、プロ入り4年目の初勝利が完封勝利(2006年7月31日、対西武ライオンズ)、8月には12回188球を投げ抜いた(2006年8月25日、対日本ハム)のを記憶しているファンも多いのではなかろうか。
先発投手として長いイニングを投げる機会が増えたところで、ハワイに派遣されることになった。その一報を聞いたとき「まじ俺かよ!」とびっくりするとともに、ハワイで野球ができることをとても楽しみに感じたという。
同じく楽天から派遣された朝井秀樹投手とは、近鉄時代の同期入団。その近鉄での2年目には、一緒にフロリダ州のドジャースタウンでキャンプに参加した経験もあり、ハワイといってもまったく不安はなかったという。むしろ逆転の発想で、この機会を生かして、リラックスした中でもシーズンと違う緊張感で野球を楽しもうと考えることができたようだ。
すでに海外でのキャンプ経験で、試合前のアップやランニングなどが少ないということはわかっていたが、アメリカから派遣されてきた若い選手らは意外とレベルが高く、クイックやバンド処理をきちんとこなすのを見て、自分を奮い立たせたという。さらに「(いままであまり考えなかったが)正直言うと、アメリカのベースボールに興味が出てきた」と意味深なコメントも残してくれた。
有銘投手は沖縄出身。ハワイにも沖縄出身者のコミュニティが多くあり、リーグ開催中には多くの沖縄出身者が球場を訪れて、有銘投手に声援を送っていた。また、そんなに大柄ではないのに、手足を長く使う独特の投球フォームに、地元ハワイでも多くのファンから人気を集めていた。専門家もこぞって有銘投手を絶賛。即戦力として「アメリカに持って帰りたい」という某メジャー球団スカウトの発言も聞かれたほどだ。結果、リーグトップの4勝、防御率もリーグ4位の2.63に加え、特記すべきはリーグ最多の48イニングを投げ抜いたこと。先発、中継ぎ、抑えと分業が発達しているアメリカのベースボール、そこでこれだけの長いイニングを投げ抜いたことは素晴らしいの一言に尽きるのではなかろうか。
もっとも「バーガー類は飽きました…(苦笑)」と、ハワイでは食事の面で苦労していたようだ。しかし、そのような環境でも、これだけの成績を残せるところは、さすが夏男だろう。「いい思い出、すごく楽しかったですよ」と有銘投手は屈託のない笑顔で締めてくれた。
Dr MIZUNO, Katsunari
Mon Aug 27 11:30:00 UTC 2007
2006年、ハワイ・ウインター・ベースボール(HWB)の4チームに、日本からそれぞれ1名ずつコーチが派遣された。オリックス・バファローズの三輪隆コーチもその1人。ウエストオアフ・ケインファイヤーズのアシスタント・コーチを務めたが、実は現役1年目の1994年には、ヒロ・スターズの選手としても出場していた。三輪コーチは、HWB史上初めて選手とコーチを両方経験した存在である。
選手として派遣されたときは、「球団から一方的に行ってこいと言われて(笑)」ということだったが、すでに神戸製鋼に所属していたアマチュア時代に日本代表としてバルセロナ・オリンピックに出場し、アメリカなどに遠征した経験もあったため、ハワイでのプレースタイルに驚きを感じることはなかったという。ただし、「向こうの選手たちは常にふるいにかけられている」ということはひしひしと感じたようだ。
一方、ルーキーでハワイに来てから12年、今回はコーチの立場として来たハワイの印象はどうだったのだろうか。三輪コーチは「コーチの修行ということで行ったが、向こうの監督・コーチの指導の仕方は日本とは違う」、「とにかくどんどんプレーをしろという指導スタイル、ただし、これ以上は駄目という線がしっかりひかれている」とその違いを説明する。また、選手時代に感じなかったこととしては「向こうの球団が高いお金を投資して、本当に期待する選手たちがハワイに来ている」ことを実感し、HWBに対してメジャーの各球団が望んでいること、さらに2006年のマイナーリーグ・マネージャー・オブ・ザ・イヤーに選出されたトッド・クラウス監督ら優秀な指導者に囲まれて「こういう風に選手を乗せてやるのか!」ということも分かり、非常にいい経験になったという。
ところで、三輪コーチが現役時代にプレーしたヒロ・スターズは、ハワイ島をフランチャイズにしたチームだ。当時はハワイ州の4島(オアフ、ハワイ、マウイ、カウアイ)にそれぞれ球団があり、当然ながら各島内の球場がホームグラウンドになっていた。今年2007年には、ハワイ島とマウイ島での試合が復活するが、4つのチームは2006年と同様、本拠地がオアフ島に置かれたままのため、それぞれの島へ遠征する形となる。「できれば(90年代のように)4つの島でやったほうがいいが、コストもかかる。もし、オアフ島内でやるなら4つの球場でやってほしい」と、地域密着の重要性を語っている。
最後に2006年にオリックス・バファローズから派遣された4選手(高木康成投手、松村豊司投手、森山周選手、坂口智隆選手)について伺ったところ、「(ハワイに行くまでは)伸び悩んでいた選手もいたけど、今年は開幕から一軍に選ばれたり、スタメンで出場するなど活躍している。松村だけがまだ結果が出ていないが、どうかステップアップしてほしい」と、ハワイでの長丁場を共にした若武者たちに愛情溢れるメッセージを送った。選手、コーチの両面からハワイで繰り広げられるベースボールを経験した三輪コーチ。近い将来、HWBの監督として采配を振るう姿が見られるかもしれない。
Dr MIZUNO, Katsunari
Mon Aug 27 11:15:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:23試合 打率.288、0本塁打、8打点、5盗塁
2006年のウエストオアフ・ケインファイヤーズには、ユニフォームのズボンの裾をたくしあげてソックスを見せる、いわゆるクラシック・スタイルがとてもよく似合う選手がいた。それがオリックス・バファローズから派遣された坂口智隆選手だ。このクラシック・スタイルといえば、誰も思い浮かべるのがシアトル・マリナーズのイチロー選手。イチロー選手も実はハワイ・ウインター・ベースボール(HWB)でプレーした経験があり、同じオリックスの坂口選手に、いまや超一流となった日本人メジャーリーガーの若い頃を思わず重ねてしまうのは私だけでないだろう。
坂口選手がプロ入りしたのは2003年、ドラフト1位で入団し、将来を大いに期待された。残念ながら昨年2006年までは一軍に定着することができなかったものの、ハワイへは「守備はなんとか一番になりたい」と意気揚揚と参加した。日本のスタイルと違い、「野球とプライベートとの切り換えがはっきりしていて、遊ぶときは遊ぶ、野球のときは野球」と明確に区別されていたことが、坂口選手にとってはむしろやりやすかったという。「練習も向こうのやり方、一個一個の合間が短くて早いので、そのほうが好きでした」と語るように、ハワイの違った環境の中で新しいやり方をどんどん吸収し、進化できたのではないだろうか。「もう一度自分が行きたいくらいで、(今後派遣される選手に)楽しいことは教えたくないですね(笑)」という余裕も見せてくれた。
2か月に及ぶ長丁場のリーグでは、チームにはここぞというときに活躍する選手が必ずいる。言ってみればラッキーボーイ。坂口選手はまさにそのラッキーボーイではなかろうか。リーグ前半は1番打者として俊足を生かし、シーズン後半にはたとえスタメンで使われなくても、チャンスの場面で代打や代走として起用され、チームを勝利に導く喜びを実感した。
「やっていく自信がつきました」と頼もしいコメントを残す坂口選手は、「1番打者というのがどういう仕事ということをハワイの監督やコーチに教えてもらった」。リードオフマンへのこだわり、その気持ちが強かったからこそ、今年2007年の一軍開幕のソフトバンク・ホークス戦では新生テリー・コリンズ監督の下、スタメンで1番に抜擢され、初回にいきなりセンター前ヒットを放って存在感を示した。5月に二軍行きを命じられたが、再び這い上がってもらい、クラシック・スタイルのいでたちで一軍のスタメン1番に定着している坂口選手の雄姿を見られる日も近いはずだ。
Dr MIZUNO, Katsunari
Mon Aug 27 11:13:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:24試合 打率.244、0本塁打、2打点、3盗塁
あれ? ハワイにルパンがいたのか? その笑った顔は、テレビのアニメ番組に出てくるルパン三世にそっくりだった。「怪盗」、「ルパン三世」のあだ名を持ち、長いモミアゲの俊足といえば、オリックス・バファローズ森山周選手その人だ。
「一軍にいて調子もよかったので首位打者を獲ってこい」と言われて武者修行に出発した森山選手が、ハワイに到着して驚いたのは、メジャーの卵たちが1981年生まれの自分より年下の選手ばかりだったこと。なのに、「自分よりも体つきから何から大きいし、ある意味では態度も大きくて(笑)」と、とても印象深かったという。
そんな森山選手も「向こうの選手は給料も少ない中、野球のシーズンが終わったら何もすることがないような、本当にハングリーな状況でやっている」。「僕らは恵まれた中でもっとハングリーになって、一塁の全力疾走はもちろん、練習からしっかりやっていこう」と彼らから学んだことを語ってくれた。
ご存知の方も多いだろうが、マイナーリーグからメジャーに昇格できるのは、ごくごく一握りの選手のみ。多くの選手たちは、マイナーリーグのシーズン(メジャーよりも早く9月初旬に終了することが多い)が終わってしまうと、給料の支払いもなく、オフにアルバイトで生計を立てたり、家族に頼らないと生活していけないのだ。また、ドラフト上位で指名されない限り、マイナーリーガーの月給も1000ドルから多くても3000ドル程度で、日本のプロ野球の最低保障年俸(二軍440万円、育成選手240万円)に比べると安いことが多い。「野球に関してはすごく真剣に取り組んでいる」と森山選手が語るように、彼らはメジャーリーグという夢の舞台に上がるためには、たとえ他のことを犠牲にしても、全身全霊をもって戦っているかのようだ。
ところで、森山選手のポジションは遊撃手。このポジションは、軽快なフットワークと内野全体を見渡す状況判断能力が必要とされている。例えば、ダブルプレーを演じるときも、他の内野手との相互のコミュニケーションが重要になる。ハワイではもちろん英語でコミュニケーションを取るわけだが、森山選手も中継プレーのときなど言葉の違いに悩まされたという。「困ったが、向こうのほうが人数多いので、あっちに合わせないと」というように、郷に入れば郷に従えの精神でこなし、それがハワイという違う環境であっても野球をしていく自信につながったようだ。リーグが進むにつれて、「向こうの選手たちとも仲良くなって、食事も一緒に行くようになった」とのこと。ハワイの地で、国を超えて芽生えた友情が、一生の財産になっていくことは間違いないだろう。
Dr MIZUNO, Katsunari
Mon Aug 27 11:00:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:14試合 3勝1敗、防御率4.66
オリックス・バファローズからハワイ・ウインター・ベースボールに派遣された松村投手は、どことなくポーカーフェースの流し目と190センチを超える長身が印象的な、いわゆるイケメン選手だ。ハワイ行きの理由をたずねると「伸び悩んでいたので」と切り出した。また、「2006年シーズンは、一軍でもちょくちょく投げていたので、普通に抑えられると思っていたんですが」と語ったように、リーグ当初は中継の少ないイニングでも失点が多くて、悩んだという。
ハワイで使われるボールは、マイナーリーグ公式球だ。それはすなわちメジャーで使われているものとほぼ同規格。日本のプロ野球で使われる公式球と比較すると、縫い目が高く、つるつるした感触がある。2006年に開催されたWBCでもこのボールが話題になったように、松村投手も当初この感触に慣れずに失点を繰り返す、という経験をした。それでも、「途中から徐々に普通に投げられるようになって、なんとか最後は抑えることができました」と、新しいボールにもしっかり対応することができたようだ。
日本から派遣された選手らにとって、異国という言葉や生活環境のみならず、ボールひとつをとっても今までと違う環境に戸惑う場合が多い。松村投手も「日本ではゴロになるような球でもヒット性の当たりとかを打たれました」というように、メジャーの卵たちのアグレッシブさに驚いたに違いない。
ハワイでは試合がない休日が週に2日あったのも、松村選手には新鮮に感じられたという。もっとも「休みの日は休め!」とアメリカのチームメイトに言われて、まあそうだなと納得したように、切り換えは早かったようだ。そのほか、松村投手から今年派遣される選手たちへのアドバイスは、「ビタミン剤などの薬は、いっぱい持っていったほうがいいですよ」としたほか、「簡単なマッサージ器もね」と、慣れない場所での体調管理の重要性を語ってくれた。
そんな松村投手が感動したのは、地区優勝をかけたシーズン最終戦直前でのミーティング。監督の話に続いて、チームメイトが一人一人、ハワイで得たものや思いなどを喋ったことが一番印象に残っているという。所属していたウエストオアフ・ケインファイヤーズは、惜しくも僅差でチャンピオンシップ戦出場を逃してしまうのだが、約2か月の限定期間であったにせよ、チームがひとつになるところを身を持って感じた。ハワイでの武者修行を「いろんな野球があるな」と総括してくれたように、メジャーの卵たちと交えた百人百様の野球を経験したのだから、さらに上のステージで結果を出せるようになることを期待したい。
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Aug 14 00:00:00 UTC 2007
記憶も新しい2006年WBCの優勝メンバーとして、そしてアテネ・オリンピックの日本代表キャプテンなど、数々の国際試合で活躍する東京ヤクルトスワローズ・宮本選手が、ハワイ・ウインター・ベースボールに参加していたことは意外と知られていないかもしれない。1996年、宮本選手がプロ2年目の秋、ハワイへ飛び立ったのだ。
チーム事情の関係で当時のヤクルトから派遣されていた選手ではただひとりだけ、マウイのチームであるスティングレイズに所属になった。当時はオアフ島に加えて、マウイ島やハワイ島に本拠を構えるチームがあったためだが、結果的にチーム内では日本人ひとりだけということになった。不安はなかったかという問いには「正直2か月間しんどかった、しかも12月中旬まで試合がありましたから」と語るものの、「韓国から派遣されていた選手と宿泊していたコンドミニアムで一緒に自炊したりと、それなりに楽しかったですよ」と、異国の環境であっても、余裕さえ感じる語りにはびっくりしてしまう。この頃から国際試合で活躍するであろう、その片鱗をうかがわせていたのだろう。
10年以上前、マウイの雰囲気はどうだったのだろうか。実はヤクルトはマウイで春季キャンプを実施していたこともあって、さほど違和感を感じなかったという。ただし、プライベートでそのシーズンオフに結婚式を控えていたため「今のように携帯もメールもなく、スタッフに頼んでFAXをやりとりするのが大変でした」とオフの時間であっても多忙だったことを打ち明けてくれた。それでも、当時のチームメイトやスタッフの名前がポンポンと出てきたり、印象に残っているゲームの場面を振り返ったりと、宮本選手の気さくな面が垣間見られた。
プロ2年目だった宮本選手は、ハワイ・ウインター・ベースボールでは「とにかくアピールした」という。「アピールして結果を残さないと試合に出させてもらえませんからね」という通り、気さくな面と裏腹にクールなバッティングで結果を残して試合に出させてもらったという。続いて、長丁場で試合以外の空き時間をいかに使うかがポイントだったと教えてくれた。「考えて、次にこうやると決めたことを大胆に実行した」と同時に、「自分のプレースタイルを考えることができた時間」だったと、ウインター・リーグに参加した自分を総括している。
ハワイに派遣される選手に対して「量的に実践練習をこなして、自分の引き出しを作ることが肝心!」と語ってくれた。結果につなげるためにも、やはり実践練習が一番という考え方を、誰しも認める名遊撃手・宮本選手が直接語ってくれることで、いっそう重みを増すのではなかろうか。
Dr MIZUNO, Katsunari
Tue Jul 17 00:00:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:12試合 2勝2敗、防御率1.32(リーグ3位)
2004年春、甲子園の選抜大会で、愛知・愛工大名電高と愛媛・済美高校との行き詰まる決勝戦を覚えている方も多いだろう。追い上げながら惜しくも準優勝となった愛工大名電高でエースピッチャーをつとめ、計3度の甲子園出場を誇ったのが丸山貴史投手。その丸山投手が東京ヤクルトスワローズからプロ2年目にハワイへ武者修行に出発したのだった。
ハワイではウエストオアフ・ケインファイヤーズに所属し、先発に中継ぎに活躍、計34イニングに登板、防御率も1.32とリーグ3位の好成績を残したが、まさに武者修行ならではの苦労があったという。
プライベートを含めて初めての海外で、コーチやチームメイトらからは羨ましがられるものの、ハワイへ行く前には不安ばかり募っていたという。2006年にはプロ一軍初勝利を得たが、ハワイ・ウインター・ベースボールに派遣される直前は調子が悪く、「このままずるずるいきたくない、試行錯誤するしかない」という状態だった。もっとも、ハワイに来て、日本とアメリカの配球やキャッチャーとのサインのやりとりの違いに最初は迷ったものの、いったん慣れれば「日本の野球のほうがむしろ難しい」と気持ちが楽になって、試合に臨めたようだ。
リーグ中、アウトを楽々と取っていく丸山投手に調子のよさをたずねたことがあったが、そのときの答えが「自分でもよくわからないんです」ということだった。今から考えてみると、違う環境で迷いが吹っ切れたことが好成績につながったことは間違いだろう。また、偉大なるメージャーリーガー、ロジャー・クレメンス投手(息子であるコビー・クレメンス選手がHWBに参加したため、自身、バッティング投手として数度マウンドに立つ)を目の前にして、ずいぶんと刺激を受けたようだ。
ハワイでの2か月間、丸山投手を悩ませたのはオフの時間の使い方。実は、丸山投手はハワイに派遣された当時は20歳だった。日本では成人の年齢であり、お酒もまったく問題ないのだが、アメリカでは21歳が成人の年齢。この年齢制限は非常に厳しく守られており、違反が発覚すると販売した方が即逮捕されてしまう。若く見られる日本人は、25歳くらいでもお酒を買おうとするとパスポート等のIDを見せないとならないほどだ。チームメイトや先輩(=東京ヤクルト・飯原選手)から誘われても、お酒を飲むところには同行できなかったのをとても残念に感じているという。
せっかく持参したゲーム機も接続が不調だったとのことで、オフの時間の過ごし方はかなり苦労したとのことだ。丸山投手からは、20歳以下でハワイに派遣される選手は事前に情報収集して、時間を有効に使える方法を調べておくべきだ、とのアドバイスを受けた。しかし、こんなストイックな環境で野球ができた体験や苦労を、今後の野球人生で必ず生かせる日が来るのではなかろうか。
Dr MIZUNO, Katsunari
Mon Feb 05 00:00:00 UTC 2007
HWB 2006 成績:24試合 打率.274、5本塁打(リーグ1位)、13打点、2盗塁、オールスター選出
2007年、誰しも認める強打者として一軍レギュラーに定着した東京ヤクルトスワローズ・飯原選手も、ルーキーイヤーだった2006年、再開したてのハワイ・ウインター・ベースボールに参加したひとりだ。
飯原選手にハワイへ派遣されるきっかけをたずねたところ、返ってきた答えは、「内野を守ったことがなかったからです」。ヤクルトは昨年、三塁手だった岩村明憲選手がメジャーリーグのタンパベイ・デビルレイズへ転出することになり、内野の枠がひとつ空いた。そこへ飯原選手をコンバートさせる案が上がったが、プロでは経験がなかったため、レギュラーシーズン途中ながらも貴重な戦力をハワイへ送り出した、というわけだ。
当時を振り返りながら、寡黙な目が先の目標をじっくり見つめるように、こう答えてくれた。「いま一軍にいられるのも、そのハワイのおかげです」。だが続けて「不安でホームシックにもなりましたよ」と、飯原選手にとって、ハワイは決してすごしやすい場所ではなかったようだ。
日本の野球とアメリカのベースボール、同じルールで争う競技ではあるものの、プレースタイルや考え方などは両国で若干の差があるのもまた事実。飯原選手が「日本はきっちり、アメリカはアバウト」と大まかに説明してくれたが、同時に個人の主張が強いアメリカでは、自分のアピールばかりでチームが勝つことをあまり考えていないんじゃないか、という出来事もいくつかあったという。それでもチーム内の投手陣とも仲良くなったりと、野手の枠を超えたネットワークが飯原選手の貴重な財産になったと教えてくれた。
このような経験を踏まえて、今後ハワイに派遣される選手に対してはふたつのアドバイスをいただいた。まず、現地でのコミュニケーションをスムーズにするためにも、英語をできるだけ覚えていったほうがいいだろうということ。さらに、試合があった日は技術面・精神面について反省すべき点をその日のうちに振り返っておくことが肝心、とのこと。現地では日本からの選手がまさに「外国人」であるから、立場が違うにしろ、チームプレーには何が必要かということを飯原選手は教えてくれているように思う。
試合のない日など、ひとり黙々とウエイトトレーニングを積むなどの努力も実って、飯原選手はウエストオアフ・ケインファイヤーズの主力として、HWB 2006シーズンのホームラン王(5本塁打)に輝いたほか、オールスター選手にも選ばれる名誉を受けた。外野から内野へコンバート、そして慣れないハワイという環境でのこの成績は、まさに褒める言葉が見つからないだろう。