神戸・元町のJR高架下を歩く鬼塚喜八郎さん(中央)。ともに神戸経済の発展を支えた田崎俊作・田崎真珠社長(右)、太田俊郎ノーリツ名誉会長(左)と=2007年2月、神戸市中央区元町高架通
二十九日亡くなったアシックス会長の鬼塚喜八郎さんは、戦後日本の起業家の草分け的存在だった。社会貢献にも汗を流した生涯は、良き経済人のモデルでもあった。
鳥取出身。終戦後、戦友の恩人を支えるため神戸に転居し、靴作りを始めた。技術的に難しく大手が扱わないバスケットボール用靴の開発が「オニツカタイガー」の原点。一つの目標に経営資源のすべてを注ぎ込む「キリモミ経営」を旗印に、町工場を世界有数のスポーツ用品メーカーに育て上げた。
地元経済界では神戸商工会議所副会頭を九年間務めた後、神戸ファッション協会会長に就任。阪神・淡路大震災で影響を受けたファッション産業の再建に尽くした。
神戸経済界の発展を一緒に支えた田崎俊作・田崎真珠社長、太田敏郎・ノーリツ名誉会長(元神戸商工会議所副会頭)とは創業者仲間。太田名誉会長は「鬼塚さんは完全燃焼の人生を全うした。会社の苦しいときも明るく、元気いっぱいの姿勢で乗り切られた。来年はオリンピックイヤーだが、天国からもアスリートたちを応援しているはず」と冥福を祈った。
また、元神戸商議所副会頭で柏井紙業名誉会長の柏井健一氏は「一代でこれほどのスポーツ企業をつくった業績は誰にもまねができない。見事な一生だった」と悼んだ。
鬼塚さんは自他ともに認める世話好きで、社会貢献にも尽力。晩年は代表権を持たない創業者会長となり、スポーツ関連団体などの役職に就いた。九月中旬、イチロー選手ら著名スポーツ人の靴などを集めた企業博物館構想を発表したばかり。
鬼塚さんは二十八日夜まで「北京五輪に行きたい」と話していたが、二十九日朝に容態が急変したという。
井戸敏三兵庫県知事は「昨年の兵庫国体で開会のあいさつをしていただいた。その鬼塚さんが、秋田国体の開会式の日に逝去されたのは残念だが、鬼塚さんらしいなという感がある」と話した。