自社製のスポーツシューズを持って元気に話すアシックスの鬼塚喜八郎会長=2007年2月14日、神戸市中央区港島中町7、アシックス本社(撮影・宮路博志)
29日、死去したアシックスの鬼塚喜八郎会長は、スポーツ用品メーカーの創業者として兵庫のスポーツ界発展に大きな足跡を残した。1988年から兵庫県体育協会の副会長を務め、昨年の「のじぎく兵庫国体」では副団長として選手団の士気を鼓舞した。また、県バスケットボール協会会長として競技の普及、振興にも尽力。県スポーツ界の功労者の悲報に、県内関係者から惜別の声が相次いだ。
県体協副会長だった鬼塚氏は昨年の国体開会式で選手団とともに入場行進。閉会式では閉会宣言の大役を担い、力強く大会を締めくくった。
県体協の武田政義元副会長は「兵庫国体の(開催)内定通知も決定通知も(日本体協に)一緒にもらいにいった。秋田国体も一緒に行きたいと言っていたが…」と無念そう。吉井和明専務理事は「2週間前にお会いし『秋田国体はよう行かんが頑張ってくれよ』と言われたばかり」と肩を落とした。
また、バスケットボールでは2005年、日本協会会長に就任。昨年8月の世界選手権では組織委員会会長を務め、国際大会開催に貢献した。県協会前会長の小西彬夫さんは「思い出は尽きない。世界選手権で無理されたんじゃないか。世界選手権が終わって喜んでおられた姿が印象深い」と故人をしのんだ。
鬼塚氏と同じ鳥取県出身で、甲子園高バスケットボール部前監督の霜村武彦さんは「30年連続インターハイ出場で県協会から表彰されたとき、鬼塚会長(当時)自ら表彰してくださって感激した」と思い出を語った。
アシックスのグランドマイスターでマラソンシューズなどを製造する三村仁司さんは8月中旬、病床の鬼塚氏から電話を受けた。「『君はアシックスの誇り。永久社員だから頑張ってくれ』と言われていたんだが…」と声を詰まらせた。