現在位置:asahi.com>社説 社説2007年10月01日(月曜日)付 裁判員制度に備えて―市民の常識を生かすには1984年といえば、裁判の世界では2人の死刑囚が再審で相次いで無罪となった衝撃の年として記憶されている。 50年に香川県で一人暮らしのお年寄りが殺され、金を奪われた財田川事件。もう一つは、55年に宮城県で起きた一家4人殺害放火の松山事件である。 こうした冤罪を踏まえ、刑事法学者だった故平野龍一・元東大学長が翌年、日本の裁判を痛烈に批判する論文を書いた。法廷での供述・証言よりも検察の調書を重んじる傾向があると指摘し、「脱却する道は、おそらく参審か陪審でも採用しない限りない。わが国の刑事裁判はかなり絶望的である」と述べた。 ■証拠はすべて出せ それから20年余り、冤罪は後を絶たない。今年、強姦(ごうかん)の罪で2年1カ月服役したのち、冤罪と分かった富山県の男性は「裁判に絶望した」と語った。 そんななか、平野氏が求めた「参審か陪審」のうち、参審の一種といえる裁判員制度が1年半後の09年春までに始まる。くじで選ばれた市民が、プロの裁判官と一緒に殺人や放火などの重大事件を裁くのだ。 市民の裁判への参加は欧米ではよく見られるが、日本では戦前の一時期におこなわれた陪審制以外はなかった。 期待されているのは、市民の常識や感覚を裁判に反映させることだ。そのためには、何をすべきなのか。10月1日の「法の日」を機会に考えてみたい。 まず、検察官が被告に有利なものも含めて証拠をすべて開示することだ。 検察官は強制的に供述や物証を集めることができる。有罪の立証に都合のいいようなものだけを法廷に出せば、プロの裁判官はともかく、素人の裁判員を誤った方向に導きかねない。裁判の始まる前に、証拠の一覧表を示し、手の内をすべて明かすことも必要だ。 ■誤判を防ぐ情報を 証拠のなかで、信用できるかどうかがしばしば争われてきたのが自白調書の内容だ。裁判員制度では、そんな争いに時間を費やしてはいられない。日々の仕事や家事を抱える裁判員が、長期間付き合うことはできないからだ。 自白調書の争いをなくすには、取り調べを録画し、法廷に提出するしかない。警察と検察は裁判員制度の始まりまでに全面的に録画を実施すべきだ。 それができないのなら、被告側から信用できないと言われた自白調書については、裁判所は証拠として扱わないようにしてもらいたい。 裁判員は法廷でのやりとりを重視して判断する。検察官と弁護人は専門用語を避け、分かりやすく話すことが求められる。事実関係や争点を素人に分かるように整理して示すことも欠かせない。 そういう工夫をしたとしても、市民が参加すれば間違った判決がなくなる、と単純に考えるのは危うい。 陪審制を採用している米国では、性犯罪などで有罪となった被告が、DNA鑑定によって無罪であることが分かるケースが相次いでいる。救援組織によると、判明しただけで約200人に達し、死刑囚も含まれている。陪審員は感情論に流される面もあるからだろう。 過去の裁判では、どういう状況のときに誤った判決が下されたのか、裁判員はよく知っておいた方がいい。冤罪をつくり出さないための最低限の予備知識だ。 そこで、最高裁に提案したい。これまでの冤罪の事例を集め、冊子にして裁判員にあらかじめ配ってほしい。誤判に至った原因を説き明かし、分かりやすいものにすることは言うまでもない。 裁判員制度の始まりが近づくにつれ、裁判員に選ばれても断りたいという人が増えている。冷静に判断する自信がない。仕事や介護で手が離せない。そんな理由が多いようだ。 裁判員を辞退できる場合について、裁判員法では、70歳以上や学生などのほか、重い病気にかかっているといった「やむを得ない理由」をあげている。この詳細は今年中にも政令で定める。 さまざまな市民の常識を反映させるためには、辞退が認められるケースを絞った方がいい。それぞれ事情はあるだろうが、市民も候補者に選ばれたら、できるだけ参加してもらいたい。 ■伝えたい法廷体験 こうして集められた候補者に対して裁判官らが面接し、最終的に6人の裁判員を選ぶことになる。 いま各地で模擬裁判が開かれている。ある地裁では、面接で「被告の経歴や性向を知っている」と答えた候補者がいた。どうして知っているのか尋ねると、「事前に配られた模擬記事で」との返事だ。こうした候補者は裁判員からはずされた。予断を持っていない方がいいというのだろう。 裁判への影響を考えると、メディアの責任は大きい。だが、この情報社会で、白紙の状態で法廷に来ることを期待するのは現実的ではない。 逮捕されただけでやみくもに犯人と断定したり、プライバシーをことさらに侵害したりする報道は避けなければならないが、事件をさまざまな角度から報道することをやめるわけにはいかない。 裁判員法では、裁判員の守秘義務や裁判員への接触禁止が定められている。だが、裁判の実態がベールに包まれていては国民の理解は進まない。裁判後に、裁判員が体験や感想をメディアを通じて次の裁判員に広く伝えていくことがなければ、この制度の発展はおぼつかない。 市民の常識を生かして犯罪を裁き、その体験をみんなで共有する。そんな仕組みにするよう知恵を絞っていきたい。 PR情報 |
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