社説(2007年9月30日朝刊)
[11万人の訴え]
政府の見解を問いたい
史実の改ざんを許すな
宜野湾海浜公園を埋め尽くした老若男女。三〇度を超える日差しの中で特にお年寄りの姿が目立ち、親子連れ、本土からの参加者も多い。
「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に参加した人々は十一万人を超え、大会決議が採択されてからも人の流れは途切れることがなかった。
一九九五年の米兵による暴行事件に抗議した「10・21県民総決起大会」の八万五千人を大きく上回ったのは、沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」から旧日本軍の関与を削除しようとする教科書検定の動きに対し県民の怒りがわき上がったからだ。
沖縄戦の記憶は県民の心の奥深くに脈打っている。自分の親や子どもに手をかけ、親類などが「集団自決」した関係者にはさらに重くのしかかる。
文部科学省の検定は、「集団自決」の問題だけでなく、軍と住民が「共生共死」の関係におかれた上に、旧軍が住民を守らなかったという沖縄戦の実相をゆがめようとする動きに映る。
「十一万」という数字はそのことに対する異議である。文科省は抗議の声が参加できなかった多くの県民にも幅広くあり、島ぐるみの大会だということを見過ごしてはなるまい。
「戦(いくさ)が終わったときも暑かったよ。世の中、段々おかしくなっていくようだし、きょうは何が何でも来ようと思っていたさぁ」
午後一時すぎ、離島から船とバスを乗り継いで来たという年配者のグループはこう話した。
参加者は決して政治的な意図を持った人たちではない。農業に従事する人、漁業者、公務員、会社員、婦人会の仲間、世代を超えて中学生、高校生だけのグループもいる。
「教科書の問題は私たちの問題。戦争のことは知らないけど、『集団自決』という怖いことも真実は真実として教えてもらいたいし、次の人たちにも伝えていくべきだ」と話したのは宜野湾市内の女子高生だ。
参加者の願いはそこにこそあり、沖縄戦の実相を史実として歴史教科書に記述し、そのことから平和の尊さを学ぼうということである。
歴史の修正試みる動き
では、現在の高校歴史教科書に記述されている「集団自決」における旧軍の関与が、なぜ今回、書き換えられたのだろうか。
二〇〇六年十二月の検定意見受け渡しで、文科省の教科書調査官は次のような意見をつけている。
「『集団自決』をせざるを得ない環境にあったことは事実であろうが、軍隊から何らかの公式な命令がでてそうなったのではないということで見方が定着しつつある」
本当にそうだろうか。体験者の証言はむしろ旧軍の関与を如実に示すとともに、手榴弾を配布して“玉砕”を強いたことも明らかにしている。
伊吹文明前文科相は「文部科学省の役人も、私も、安倍総理(当時)も、一言も容喙(口出し)できない仕組みで日本の教科書の検定というのは行われている」と述べた。
だが、これまでの文科省の対応を考えれば詭弁と言わざるを得ない。
調査官の意見と前文科相の発言は、旧軍の関与を消し去ろうとする試み以外の何ものでもなく、そこには政治的な思惑さえ感じさせる。
歴史を修正する試みであり、歴史を歪曲しようとする動きが県民の理解を得られるはずがない。
信頼を取り戻す努力を
「どういう意見が出るのかを見極めて、対応させていただきたい」。渡海紀三朗文科相の発言だ。
岸田文雄沖縄担当相も「この問題に対する県民の思いの深さをあらためて感じている。私も福田内閣もしっかり受け止めていかねばならない」と話す。
長い間うちに秘め、親やきょうだいに手をかけるという凄惨な体験を口にしなければならない状況に追い込んだのは、言うまでもなく国である。
高校生を代表した読谷高校の津嘉山拡大君、照屋奈津美さんは、おじいさんやおばあさんに聞いた戦争中のことを「それを嘘だというのですか」と問うた。旧軍関与の削除には「嘘を真実と言わないでください。私たちは真実を学びたい。そして次の子どもたちにも伝えていきたい」と訴えている。この声を政府はどう受け止めるのか。
教科書の信頼を取り戻すには事実をゆがめず、史実を真摯に記すことだ。県民の訴えを政府がどう聞くのか。国会の動きとともに注視していきたい。
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