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【社会】

『史実歪曲』うねる怒り 沖縄県民大会 党派や世代超え結集

2007年9月30日 07時25分

沖縄県民大会の会場にともされた「平和の火」と参加者=29日午後、沖縄県宜野湾市の海浜公園で

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 「教科書に真実を」−。党派や世代を超えた十一万人(主催者発表)が二十九日、抗議の声を上げた。旧日本軍が住民に「集団自決」を迫ったとの歴史を歪曲(わいきょく)しようとする教科書検定に、怒りを結集した沖縄県宜野湾市での県民大会。「沖縄にとって戦後の再出発の日」。住民や家族同士が殺し合った沖縄戦の真実を語り伝えようと大勢が国に再考を求め、決意を新たにした。 

 気温三一度。真夏のような日差しの下、会場の同市海浜公園は若者やお年寄りたちでびっしりと埋め尽くされた。

 「雑木林に百数十人の村民が集められ、村長の『天皇陛下、万歳』という合図とともに、手榴(りゅう)弾があちこちで爆発した」。渡嘉敷村での集団自決の体験を初めて語るという同村教育委員会委員長の吉川嘉勝さん(68)の声が壇上から響く。当時六歳だった吉川さんは手渡された手榴弾が不発に。母親に「命ある限り生きろ」と言われ必死に逃げたという。

 「手榴弾は、日本軍から『いざというときにこれで自決せよ』と言われて渡された。日本軍のいなかった離島では、集団自決はなかった」と声を震わせる元教師の吉川さん。「自分の体験を子どもたちに押しつけたことはないが、教科書の記述が変えられるのは我慢できない」

 沖縄戦当時、米軍上陸地の読谷(よみたん)村で警備に召集された那覇市の知念勇さん(84)も参加。「戦争体験者が減った今ごろになって、国や政治家が変なことを言うからはがゆい。後輩のためにも黙っておれん」と唇をかんだ。

 怒りのうねりは保守層にも広がった。自民系会派の那覇市議の金城徹さん(54)は「官僚は一度決めたら覆さないというが、歴史を誤らせてはダメだ」と語気を強めた。

 北谷(ちゃたん)町の保守系町議の目取真(めどるま)肇さん(55)も思いは同じだ。「県民の我慢の限界。集団自決だって軍が手榴弾を配ってる。紛れもない事実だ」

 若い世代も思いを共有した。「国を動かすなんて一人ではできない。でも、声を上げることはできる」と、与那原町の会社員新里佐知子さん(31)。両親は沖縄戦の激戦地糸満市に逃れ、家族を失ったという。

 部活動の仲間四十人と参加した北中城高校二年知念竜二朗さん(17)は「国が歴史の事実をねじ曲げようとするのは、『沖縄だけいつまでも戦争、戦争って(被害に)こだわるんじゃない』って言われてる気がして腹立たしい」と声を荒らげた。

 「沖縄県民だからここに来た」。同じ会社に勤める屋宜(やぎ)清重さん(23)=豊見城市=と、瑞慶覧(ずけらん)長太さん(23)=南城市=は声をそろえた。「同じ思いの人たちがこんなに大勢集まったことがうれしい」と屋宜さん。瑞慶覧さんは言い切った。

 「僕たちはおじいちゃんやおばあちゃんから体験談を聞いて育った。でも、全国の子どもたちは『教科書が正しい』と思って学ぶ。だから沖縄戦の真実が教科書から消えることは許せない」

■家族ののどかき切った祖父 生き残っても地獄

 太平洋戦争末期の沖縄戦で米軍の上陸が迫ったとき、当時四十代だった祖母は、祖父に自分や三人の子どもを手にかけるようせき立てた。祖父は順にのどをかき切ったが、二男だけが息絶え、ほかは重傷を負いながら生き残った−。

 祖父母のそんな痛ましい記憶を肌で感じて生きてきた女性史家宮城晴美さん(57)も会場に駆けつけた。出身地の座間味島でも集団自決で多くの犠牲者が出た。「子を失い、声帯を傷つけられた祖母は声にならない声で祖父を『首切り人』となじった。そんなとき祖父は浜辺で一人で三線(さんしん)を弾いて慰めていた。生き残っても地獄。祖父母は死ぬまで体験を語らなかった」

 宮城さんが同島で聞き取りを始めたのは大学生のころ。生き残りの人たちは語り始めても途中で泣きだしたり、悪夢でうなされた。歓迎されないインタビューは、困難を極めながらも県史や著書に残していった。

 集団自決があった同島や渡嘉敷島には大戦末期、日本軍が駐屯し、秘密基地が造られた。作業を手伝う住民と軍とは密接につながっていた。「だからこそ『生きて虜囚の辱めを受けず』という軍隊の戒律が住民にも浸透し、米軍の攻撃に遭った住民は死を選ぶしかなかった。軍の存在そのものが住民を自決に追い込んだ」と宮城さん。だから今、戦後体験を封印していたお年寄りたちが国の言動に怒った。「集団自決のとき軍から手りゅう弾を渡された」との証言も始めている。

 宮城さんは「将来は沖縄戦だって否定されかねない」と危機感を募らせる。だが一方で、約十一万人であふれた集会に希望も見いだした。「今日は沖縄にとって戦後の再出発の日。あの戦争の歴史を未来に伝えるという意思確認をしたんです」

<メモ>「集団自決」と教科書記述問題 1945年の沖縄戦で米軍の攻撃が迫り、死を選ぶより方法はないとして住民や家族が互いに殺し合った。犠牲者は数千人ともいわれるが全容は明らかではない。文部科学省は来年度から使われる高校日本史教科書で、集団自決に日本軍の命令や強要があったと記述した5社の7冊に「沖縄戦の実態について誤解する恐れのある表現」として修正を求める初の検定意見をつけ、「近年、日本軍の命令や強要を否定、疑問視する学説や書籍が出ている」と説明した。

(東京新聞)

 

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