2007年9月29日 (土曜日)

ウヌボレ確認。

    いやぁ、自分の体調の投稿に関して、このブログをご覧の皆さんからメールをいただきました。  ありがとうございます、暖かい言葉。  すみません、ご心配おかけしまして。

   右の背中に激痛を覚えてから1週間・・・、今のところ「疱疹」などの症状は現れてません。皮膚科でいただいた「痛み止め」の効き目があり、だいぶ楽です。忘れている時もあるくらいですから、日常生活に何の問題もありません。  しかし、気がつくと「微熱」があったり、夜になると「背中あたりの痛み」がひどくなる時もあります。 なので、まだよくわかりません。 今日、お参り終わったら午後から「病院」に行こうかな?と思ったら、今日は土曜日でした。。。このまま、痛みが「沈静化」しないかなぁ・・・と期待しているんですけど。  

 そんな訳で、日常は「元気」です。一応・・・。

  昨日は、午前中に市内のお参りを回り、午後は隣町の病院の「ホスピス病棟」に訪問し、入所者の皆さんの前でお話をさせていただいて、その後、夜はウチから車で2時間ちょいかかる「むかわ町」のお寺に学習会に行き、帰宅したのは深夜3時・・・。

 色んな場所で、色んな人にお会いできた1日でした。

そんな中、昨日の昼間に行った「ホスピス病棟」でのこと。

 近隣の本願寺派(お西さん)のお坊さんの「ビハーラ活動」というのに仲間入りさせていただいて(ちなみに私・KONOは大谷派(お東))、月に一度、市内の特別養護老人ホームに訪問している。入所者の皆さんの前で法話をしたり、なぞなぞをしたり、会話をしたり・・・、という活動なのだが、今年から、もうひとつ隣町の病院の「ホスピス病棟」にも訪問する事になったのだ。

 ホスピス病棟とは、末期の癌患者の皆さんが、自らの病気を承知の上で、痛みを和らげつつ、心穏やかに時間を大切に療養されている施設である。 そこの病棟には「茶話会」という午後3時からの時間枠があり、病棟の中央にあるスペースに患者さんが集まって、お茶を飲みながらひとときを過ごす。その場に色んなボランティア団体がお手伝いに来ており、その中の1団体として、我々お坊さんの「活動」が今年から始まったのだ。

 そして、昨日が僕が皆さんの前で「お話(法話)」を担当する日だった。

緊張した・・・・。

何を話したらいいのか、迷った。

とにかく緊張した。 

 いつもの、葬儀や法事やお寺での法話のようにお話できないのだ(←ま、これらの場合のお話がきちんと成立しているか分からないが・・・・苦笑)

 それでも約30分間しゃべり(長い??)終わってから、「俺も、そんなもんか・・・・」と思った。 

 そこには、「緊張」という名の「ウヌボレ」があったからだ

  この「ホスピス病棟」での活動が決まったとき、活動への参加を辞退した若いお坊さんがいた。「僕は、まだ癌患者の皆さんの前でお話なんてできません、とてもとても・・・・」 

 僕は、そんな彼に対してこう思ったのだ。

 ①「癌患者」の皆さんには「死」がハッキリと迫っている。しかし、この「私」は「健康・元気」である。だから全く別の地平に立っている。という図式があるとすれば、これこそ若く健康な者の「驕り・たかぶり」ではないか?

 ②確かに「癌患者」の皆さんは病を患っているけれども「今」生きている。そして、この「私」も「今」生きている。お互いこれから先、「一瞬先」はどうなるか分からない「人間存在」である、という1点で同じ地平に立っている。という図式があるのではないか。そこから状況の違いを認めながらも出逢っていける事はできるのではないか?

 活動を辞退したお坊さんを批判する訳ではないけれど、①と②をしっかりと確認すれば、ホスピスを特別視して辞退しなくてもいいのではないか?それならば、通常のお寺の日々でお会いする人々との中にだって①や②はある訳だし、ましてや「葬儀」という場面では「死」に直面したご家族の皆さんとお会いしなければならない訳だから、そんな「アマちゃん」のままでは、「坊さん自体辞めなきゃならんぞ!」と、偉そう~~~~~~に思っていた自分だった。 

 しかし、昨日、初めて「ホスピス」でお話を担当し、ものすごく緊張し、タブーな言葉を使わないように気を遣い、おろおろしている自分自身を確認して、思ったのだ。「なぁんだ、俺もそんなもんか・・・・」と。

 この俺も、いや、この俺にこそ①という「若く健康なウヌボレ」がしっかり存在していた、ということ。そして、その「ウヌボレ」こそが、患者さんの前でお話する自分自身をこんなにも「緊張」させたのだ。

 だからこそ、②ということは確かに「真実」ではあるけれども、①である自分には「キレイ事」にしかすぎないのだ。またそこには病に苦しみ、死に直面した人に真向かいになる「姿勢」がアヤフヤで、「一瞬先はどうなるか分からない」という「1点」にも元から立っていないし、到底立てないからだ。つまり「自分はまだまだ死なない」とウヌボレが、しっかり確認できた。 たとえば、病棟の患者さんに「また来月、来ますね!またね!」とふつうに挨拶できてしまう私・・・なのである。

 さ、それで偉そう~~~~~~な自分の「正体」が暴かれて、「ふりだし」だ。

 「ホスピス病棟」という場に限定しなくても、私の「日々」の場面にある①や②をどう考え、どう人と関わっていくのか??

 マヤカシやゴマカシではなく、まっすぐに厳しく、それでいて窮屈ではなく、真実を真実として受け止めていく具体的な「歩み」を、学びたい。

    

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2007年9月26日 (水曜日)

この痛みはどのコース??

先日23日の投稿で、
背中の右半分がヒリヒリ痛い、帯状疱疹かも?!
という事を書きましたが、その後の展開を。

今日で、最初の痛み発生日から5日間経過しましたが、痛みは変わらないです。服がこすれても、運転中の振動でも痛いです。

しかし、疱疹などは皮膚上に未だに現れません。

昨日、近所の皮膚科に行ったら、「帯状疱疹の可能性があるけど、疱疹が現れないと薬も出せない。」と言われました。今は様子を見るしかないみたい。疱疹が出るまで20日もかかる場合や、疱疹が出ない症例もあるとのこと。
痛み止めの薬だけ出たので、飲むと少し楽なんですが…。

ついでに、京都で医者をしてる兄貴に電話で尋ねると、今の時点で考えられるのは、①帯状疱疹 ②神経痛 ③肋骨かどっか骨にヒビが入ってる、ということ。
③に関しては覚えがないからナシ、と思いきや、知らないうちに骨にヒビって事も可能性としてあるんだそうです。

①は皮膚科、②の場合は神経内科、③の場合は整形外科。
どれもイヤ〜〜なラインナップだなぁ(苦笑)
「お客様ァ、どれかお好きなコースをひとつお選びください♪」
………って言うてる場合か!(笑)

なんかねー、相変わらず痛みが続くからブルーだし、でも、ハッキリと治療法も定まらん状態だし……。
「痛い」のは紛れもない事実なのに、何もできずに手をこまねいているなんて、なーんかヘンだ。

①②③…。果たしてどのコースが待ちかまえてるのかな?

④として、このまま痛みが何事もなかったように消える…… そんな「特別優待コース」もプリーズ!!!!!!

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真夜中は別の顔?

夜中のビートル君を撮影したら、こんな顔になった。
昼間のファニーフェイスとは全然違うね(@_@)
いつものアイツとは違った表情にドキドキ。
「真夜中は別の顔」(俺も・・・)笑

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2007年9月25日 (火曜日)

自分の為に書く

【悲しみや怒りなどを含めた個人的な気持ちは、個人でブログを立ち上げ、個人の舞台を作って語ればいい。】

これは、ある掲示板に書き込まれてた意見だ。
僕は、ネット関係に通じてるほうじゃないけど、この意見に賛成だ。

決して個人的な日記を「不特定多数の人に読んでもらいたい!」と強く自意識過剰に思ってブログをやってる訳じゃない。
日々を「文章化」する事で、今の自分の「現在地」を確認したり、整理したりできるからだ。
それらをネットに晒すのは「独善」になりすぎない為のバランスかなぁ。

例えば僕の場合、人前で話さなきゃならない時、このブログでまとめた作業のお陰で意見がまとまり、話をしやすい場合もある。

つまり、「自分の為に」書いている。まずはね。

だからこそ、そんな僕の文章に対して皆さんから「反応」をいただくと、さらに嬉しさ倍増なのだ(*^_^*)

「個人的な舞台」に一度上がってしまうと、昔ほど他の「掲示板」などに参加しなくなったな。ねちっこいのも、誰かにかまって欲しいニャンてのも、風通し悪いのも、無取材で憶測を垂れ流すのも、分かったような感動的な演出キャッチボールも、仮面で隠した偽りキャラも、自分に都合良く他者の言葉などを引用するのも、言葉足らずの歯がゆさも、方向性を誤ると収拾つかなくなることも………、そういうのが良くも悪くもネット上の「醍醐味?」かもしれないけど、、、苦手なんだわ。気が短い(小さい)から(笑)

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2007年9月24日 (月曜日)

距離を置くこと

    人と人との付き合いにおいて、例えば家族であろうと、ある程度の「距離」を置くことが必要な場合だってあると思う。 

 3年くらい前、ジイチャンが亡くなったのをキッカケに、息子さんが遠くに住んでいたバアチャンを「高齢だし、独り暮らしになると心配なので、一緒に住もう」とこの街によんだ。自宅を増築しバアチャンの部屋を用意して迎え入れた。親孝行な息子さん一家との平穏な暮らし始まった。 

 そのときから、ウチのお寺とのご縁ができた。

 しかし、そのうちに、バアチャンと息子さんの「折り合い」が悪くなってきた。ケンカが絶えない。バアチャンは80歳になるけれど「勝ち気な性格」でシャンとした人。息子さんとのケンカにも負けてはいない。言われたら言い返す。ちょっとした事で大喧嘩に発展する日々が続き、毎月お参りに行くと、バアチャンは息子さんとの「うっぷん」をセツセツと僕に語るのだ。僕も、その「愚痴」を聞く時間を見越して、毎月、お参りのスケジュールの最後に行くようにして、バアチャンの愚痴にそなえてきた!

 そのケンカがやがて、「お前がカアサンを一緒に住もうって呼んだんだろが!!」 「もういい、出て行け!!」と言うことになってしまったのだ・・・。

 「もう情けなくて情けなくて・・・。どうして、こんな歳になって息子からこんな仕打ちを受けなきゃならないの??お寺さん。ワシも気が強いから思わず言い返してしまうのが良くないかもしれないけどさ。もう、死んでしまいたいよ、ったく。」

 バアチャンは毎月、僕に泣きながら語るようになった。「評論家」みたいな空虚な「正論」を口先だけで言うことができない僕は、「出て行くなんて、早まらないでさ、もうちょっと、もうちょっと、次の展開があるかもしれんから。また話聞くからさ」 と何の力にもならない言葉くらいしか言えなかった。

 そんな日々が続いたが、結局、バアチャンは「老人ホーム」に申し込んだのだ。しかし、「老人ホーム」に「空き」がなく、順番待ちになった。でも、その順番を待てないバアチャンは、市内のアパートを契約し、ついに息子さんの家を出てしまったのだ。

 今日、そのバアチャンの独り暮らしを始めたアパートにお参りに行った。学生が住むような狭いワンルームにバアチャンの始まったばかりの生活があった。しかし。。。。。「老人ホーム」が空いたので10月1日に入居可能になったらしい・・・。「もう少し独り暮らしを楽しみたかったのに、うまくいかんね・・・」とバアチャンは笑った。

 そして、またバアチャンの話を聞いていた。

 息子さんの家をいよいよ出る事が決まったとき、ケンカの絶えなかった息子さんが「カアサン、出て行かないでくれ。俺も悪かったよ」と泣きながら謝ってくれたそうだ。バアチャンも複雑になったけど、今までの事もあるし、自分性格もあるし、、、やっぱり「距離を置いてみる」事にして結論を変えなかった。息子さんは、バアチャンの「引っ越し」の家具や荷物をトラックで運んでくれたそうだ。

 以上を涙ながらに語るバアチャンに、僕は言った。

 「息子さん泣いてくれて良かったね。バアチャンも涙が出て良かったね。やっぱり親子だったね。色々あったけど、距離を置くのも大事かもしれないね。距離があるからうまくいく関係もあるよね・・・」

 僕は、自分の事を考えていた。

 僕も、お寺という「仕事場」で、両親といつも顔を合わせていると、息が詰まるときがある。お寺はある意味「家内工業」だ。日々の「業務」をこなさなきゃならない中で、例えば、父と「方針」が合わなくてイライラしてしまう日もある。母の「ため息」ひとつが僕に対する当て付けに感じて、胃が痛くなるときもある。しまいには、両親も僕も双方が「我慢してやっているのに!!」って「被害者意識」になっているときもあるのだ。情けない話だけれど。

 お寺に住んでいるからと言って「理想的」な「ホンワカ」家族をしている訳ではない(苦笑)。

 で、僕は、カチン!とキレて、恐ろしい自分を想像する事もある(正直に)。 だから、一瞬の「カチン!」で思いもよらない行動をし、例えば「ニュース」になっている事件を聞くと思わず考えさせされるのだ。僕だって、少なくとも、その瞬間は、両親に対して本気で「憎悪」しているから。 

 けれど、時間が経過すれば、また元通りに戻っている。お互いに後腐れがない。

 でも、後からふり返って、そういう「心境」になっていた自分自身が恐ろしく、哀しく、情けないときもある。恥ずかしい・・・・。

 そんなとき、「ある程度の距離を置く」事も必要な場合があるのかな、今回のバアチャンの独り暮らし騒動を垣間見ながら思った。

 ま、僕はウチを出ませんけどね!!(笑)

 余談だが、そうは言っても、他人が両親を揶揄したりするのを聞くと、例えば、坊さん仲間がウチの親をネタに笑ったりしているのを聞くと、顔ではヘラヘラしているのに、「お前ごときのペラペラが何を言う!」と少なくとも、その瞬間は、ソイツ対して本気で・・・・。 

 

  

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2007年9月23日 (日曜日)

暗雲・・・??

    お彼岸法要が終った。

  今日の法要での「法話」で、最近の自分が仏教から受け止めている事を精一杯語らせていただいた。

 

  ところで、、、、、よ〜〜し。暑がりな僕にとって何するにしても「最適」なシーズンがいよいよやって来たよ♪・・・・・なはずなのに・・・・

  昨日から、背中の右下辺りが痛い。

  以前も背中には痛みがあった。しかし、医者の兄貴に聞いてみると、「筋肉痛だ!」と言われた。そう言われたら、安心したのか痛みもすぐ治まったのだった。

  しかし、今度の痛みは違う。「内部」が痛いのではなく、皮膚の「表面」がヒリヒリする。その辺りを鏡で見てみたが、特に見た目には今んとこ異常ない。でも、このヒリヒリがちょいと辛い。服がこすれても痛い感じ。

  ・・・・・もしかして、

  帯状疱疹????

  だったら、やっかいだなぁ・・・。トホホ。。。

  そんなに疲れてんのかなぁ。もう少し様子を見よう。

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2007年9月22日 (土曜日)

秋があ!きた。

 昨日は9月にして珍しく30℃近くまで気温があがりビックリ&ウンザリだったが、今日は朝から空気もサワヤカだった。(今朝、壮瞥町の空をパチリ)
 
 日中は少し暑かったけど、夕方にお参りに出かけたら、風はすっかり涼しくなっていた。
 
  「秋だなぁ…」
 
 
 ウチの寺では今日と明日の2日間、「秋彼岸法要」を勤める。季節の中に行事があり、やらなきゃならない事がつぎつぎと押し寄せる。浄土真宗の寺にとって一番大切な「報恩講」という法要も近隣のお寺から順番に近づいて来る。
 
 よ〜〜し。暑がりな僕にとって何するにしても「最適」なシーズンがいよいよやって来たよ♪
 

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2007年9月20日 (木曜日)

先生からの手紙

    人に歴史有り。

  そして、その歩みの中で色んな人に出逢う。

  僕を批判する人もいるし、擁護してくれる人もいる。

  完璧な人間などいやしないし、立場や状況、育ってた環境、そして培ってきた感性が異なれば、分かり合えないこともあるだろう。だからみんなに分かってもらえおうとは思わない。

  でも・・・、分かり合えないと思った関係であっても、そこですべてを「閉ざしてしまう」のは哀しい。 そこから何かを「学び」に昇華できたら・・・・と思うけど。難しい。

  それから、理屈抜きで、こんな自分のダメな部分も「ひっくるめて」擁護してくれる人、あるいは「味方」が一人でもいてくれたなら・・・・、人生はさらに素晴らしいね。 

 

  

  昨日、ある先生に出したお手紙の「返事」をいただいた。そこにはこう書いてあった。

 “新住職就任、ご苦労様です。長い長い道のりですので飛ばしすぎないでください。 様々な声が聞ける、声が聞こえるということが、基本の「キ」だと思います。” 

 大切な教え、言葉をいただきました。僕の「耳」は自分に都合のあわない事はすぐ聞こえなくなります……。

 日々の中で、よくよく味わい、実践し、確かめていきたいと思います。

 

 様々な声が聞ける、声が聞こえるということ。

 自分の都合のみ優先して構築してきた「人間関係」なのか、相手も自分もどっちも大切にしようとして積み上げてきた「関係」なのか??

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