ウヌボレ確認。
いやぁ、自分の体調の投稿に関して、このブログをご覧の皆さんからメールをいただきました。 ありがとうございます、暖かい言葉。 すみません、ご心配おかけしまして。
右の背中に激痛を覚えてから1週間・・・、今のところ「疱疹」などの症状は現れてません。皮膚科でいただいた「痛み止め」の効き目があり、だいぶ楽です。忘れている時もあるくらいですから、日常生活に何の問題もありません。 しかし、気がつくと「微熱」があったり、夜になると「背中あたりの痛み」がひどくなる時もあります。 なので、まだよくわかりません。 今日、お参り終わったら午後から「病院」に行こうかな?と思ったら、今日は土曜日でした。。。このまま、痛みが「沈静化」しないかなぁ・・・と期待しているんですけど。
そんな訳で、日常は「元気」です。一応・・・。
昨日は、午前中に市内のお参りを回り、午後は隣町の病院の「ホスピス病棟」に訪問し、入所者の皆さんの前でお話をさせていただいて、その後、夜はウチから車で2時間ちょいかかる「むかわ町」のお寺に学習会に行き、帰宅したのは深夜3時・・・。
色んな場所で、色んな人にお会いできた1日でした。
そんな中、昨日の昼間に行った「ホスピス病棟」でのこと。
近隣の本願寺派(お西さん)のお坊さんの「ビハーラ活動」というのに仲間入りさせていただいて(ちなみに私・KONOは大谷派(お東))、月に一度、市内の特別養護老人ホームに訪問している。入所者の皆さんの前で法話をしたり、なぞなぞをしたり、会話をしたり・・・、という活動なのだが、今年から、もうひとつ隣町の病院の「ホスピス病棟」にも訪問する事になったのだ。
ホスピス病棟とは、末期の癌患者の皆さんが、自らの病気を承知の上で、痛みを和らげつつ、心穏やかに時間を大切に療養されている施設である。 そこの病棟には「茶話会」という午後3時からの時間枠があり、病棟の中央にあるスペースに患者さんが集まって、お茶を飲みながらひとときを過ごす。その場に色んなボランティア団体がお手伝いに来ており、その中の1団体として、我々お坊さんの「活動」が今年から始まったのだ。
そして、昨日が僕が皆さんの前で「お話(法話)」を担当する日だった。
緊張した・・・・。
何を話したらいいのか、迷った。
とにかく緊張した。
いつもの、葬儀や法事やお寺での法話のようにお話できないのだ(←ま、これらの場合のお話がきちんと成立しているか分からないが・・・・苦笑)
それでも約30分間しゃべり(長い??)終わってから、「俺も、そんなもんか・・・・」と思った。
そこには、「緊張」という名の「ウヌボレ」があったからだ。
この「ホスピス病棟」での活動が決まったとき、活動への参加を辞退した若いお坊さんがいた。「僕は、まだ癌患者の皆さんの前でお話なんてできません、とてもとても・・・・」
僕は、そんな彼に対してこう思ったのだ。
①「癌患者」の皆さんには「死」がハッキリと迫っている。しかし、この「私」は「健康・元気」である。だから全く別の地平に立っている。という図式があるとすれば、これこそ若く健康な者の「驕り・たかぶり」ではないか?
②確かに「癌患者」の皆さんは病を患っているけれども「今」生きている。そして、この「私」も「今」生きている。お互いこれから先、「一瞬先」はどうなるか分からない「人間存在」である、という1点で同じ地平に立っている。という図式があるのではないか。そこから状況の違いを認めながらも出逢っていける事はできるのではないか?
活動を辞退したお坊さんを批判する訳ではないけれど、①と②をしっかりと確認すれば、ホスピスを特別視して辞退しなくてもいいのではないか?それならば、通常のお寺の日々でお会いする人々との中にだって①や②はある訳だし、ましてや「葬儀」という場面では「死」に直面したご家族の皆さんとお会いしなければならない訳だから、そんな「アマちゃん」のままでは、「坊さん自体辞めなきゃならんぞ!」と、偉そう~~~~~~に思っていた自分だった。
しかし、昨日、初めて「ホスピス」でお話を担当し、ものすごく緊張し、タブーな言葉を使わないように気を遣い、おろおろしている自分自身を確認して、思ったのだ。「なぁんだ、俺もそんなもんか・・・・」と。
この俺も、いや、この俺にこそ①という「若く健康なウヌボレ」がしっかり存在していた、ということ。そして、その「ウヌボレ」こそが、患者さんの前でお話する自分自身をこんなにも「緊張」させたのだ。
だからこそ、②ということは確かに「真実」ではあるけれども、①である自分には「キレイ事」にしかすぎないのだ。またそこには病に苦しみ、死に直面した人に真向かいになる「姿勢」がアヤフヤで、「一瞬先はどうなるか分からない」という「1点」にも元から立っていないし、到底立てないからだ。つまり「自分はまだまだ死なない」とウヌボレが、しっかり確認できた。 たとえば、病棟の患者さんに「また来月、来ますね!またね!」とふつうに挨拶できてしまう私・・・なのである。
さ、それで偉そう~~~~~~な自分の「正体」が暴かれて、「ふりだし」だ。
「ホスピス病棟」という場に限定しなくても、私の「日々」の場面にある①や②をどう考え、どう人と関わっていくのか??
マヤカシやゴマカシではなく、まっすぐに厳しく、それでいて窮屈ではなく、真実を真実として受け止めていく具体的な「歩み」を、学びたい。
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