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2007年09月30日(日曜日)付

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日中35年―「なでしこ」の精神で

 中国・杭州で行われた女子サッカーのワールドカップで、日本代表チーム「なでしこジャパン」は観客のブーイングを浴び続けた。相手のドイツには声援と拍手がわき起こる。04年のサッカーアジア杯を思い出させる光景のなかで、なでしこは善戦むなしく敗れた。

 だが、ここから意外なことが起こる。なでしこは試合後、「ARIGATO 謝謝(シエシエ) CHINA」と書いた横断幕を広げ、並んでおじぎをした。淡々とホスト国に感謝を伝えたのだ。すると、このことが中国国内で反省の声を呼び起こした。「彼女たちは感情を乗り越える勇気を持ったが、我々は以前のままだ」と、中国紙は論評を載せた。

 フェアプレー精神をしっかりと受け止めたところに、中国側の変化もうかがえる。日中がどう向き合うべきか。なでしこジャパンの一件は大きなヒントを与えてくれたと思う。

 日中両国が戦争からの不正常な状態を終わらせ、国交を回復させてから35周年を迎えた。祝賀の日に合わせ、それぞれ市街地に近い東京・羽田空港と上海・虹橋空港を結ぶ第1便が飛んだ。日中の距離がまた縮まった。

 35年間に両国の経済は強く結びつき、貿易額は日米間を超えた。だが、国民感情は悪化の一途をたどってきた。日本政府の世論調査では、80年には79%が中国に親しみを感じていたが、昨年は34%だった。89年の天安門事件や05年の反日デモなどの影響が大きいようだ。

 わだかまりを和らげ、相互理解を深めることが実に難しいことを改めて思い知る。国民感情が悪いままだと、信頼は生まれず、猜疑(さいぎ)心ばかりが先行する。それは2国間だけでなく、アジアや世界にとってもマイナスであり、改善の努力を重ねなければならない。

 まず、政治にしっかりしてもらわねばならない。日中の政治体制は違うし、経済の利害もぶつかる。東シナ海のガス田問題も一例だろう。国益がぶつかった時に、話し合いによって冷静に解決することこそ政治の役割だ。その土台は揺るがしてはならない。

 靖国神社の参拝にこだわった小泉元首相の時代に日中関係は大きく傷ついた。だが、安倍前首相の訪中をきっかけに、関係は上向いた。アジア重視を唱える福田首相の登場で、さらなる関係発展への期待が双方から出ている。

 目の前のミャンマー(ビルマ)問題は日中協力の試金石でもある。

 ミャンマー軍事政権と最も近い関係にある中国が平和的解決に全力を挙げるのは当然だ。日本も軍事政権に対し、弾圧の停止と民主化を強く説得しなければならない。アジアの大国の日中が同時に厳しい姿勢を示すことに意味がある。

 日中の連携で、地域に平和と発展をもたらす実績を積み上げていくことが、両国の信頼関係を育てることにもなる。そんな時代のページを開きたい。

集団自決―検定意見の撤回を急げ

 沖縄の新たな憤りが、大きなうねりとなって広がっている。ことしの教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」の記述から、「日本軍に強いられた」という表現が削られた問題だ。

 29日、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が沖縄県宜野湾市であり、予想をはるかに上回る約11万人の人々で会場は埋まった。仲井真弘多知事もあいさつに立った。

 これまでに県内の41の市町村議会がすべて検定意見の撤回を求める意見書を可決した。県議会は同じ趣旨の意見書を2回も可決した。文部科学省が応じなかったためだ。撤回を求める声はいまや沖縄の総意といえるだろう。

 集団自決が日本軍に強制されたことは、沖縄では常識だった。「沖縄県史」や市町村史には、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の証言が紹介されている。

 その事実を文科省が否定するのなら、改めて証言を集めよう。そうした動きが沖縄で起きている。

 そのひとつが、県議会による聞き取り調査だ。意見書の再可決に先立ち、住民の集団自決が起きた慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島で新たな証言を得た。

 ことし80歳の宮平春子さんは45年3月25日夜、当時の村助役だった兄が父に「(敵の)上陸は間違いないから軍から玉砕しなさいと命令が下りた。潔く玉砕します。死にましょう」と伝えるのを聞いた。軍隊用語の「玉砕」が使われていること自体が軍のかかわりを物語る。

 84歳の上洲幸子さんの証言は「もしアメリカ軍に見つかったら、舌をかみ切ってでも死になさい」と日本軍の隊長から言われた、というものだ。

 こうした生々しい体験を文科省はどう否定できるというのか。

 そもそも、教科書の執筆者らは「集団自決はすべて日本軍に強いられた」と言っているのではない。そうした事例もある、と書いたにすぎない。それなのに、日本軍のかかわりをすべて消してしまうのは、あまりに乱暴というほかない。

 伊吹前文科相は「大臣が検定に介入できるという道を私の代で開きたくない」と述べた。専門家の審議会を通ったものなので、口出しできないとの理屈だ。

 しかし、これは審議会を盾に逃げているとしか思えない。「日本軍」を削除するよう最初に意見書をまとめたのは、文科省の教科書調査官だ。その意見書がそのまま審議会を通った。それをもとに文科省が検定意見を決めたのだ。

 沖縄戦をめぐっては検定が変わったことがある。82年の検定で、日本軍による「住民殺害」の記述が削られたが、当時の文相が「県民の心の痛手に対し、十分な配慮がなされなければならない」と答弁し、記述は復活した。

 問題の教科書は来年度から使用される。ことは急を要する。渡海文科相はただちに検定意見を撤回すべきだ。

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