
こんばんは。今日は私のわがままに1時間だけ付き合ってください。
そして、1時間後に削除することをお許しください。
今年の夏は皆様にとってどんな夏でしたでしょうか?
あいみんはママと一緒に過ごした夏でした。
あいみんは、医療関係の仕事についています。
しかし、ママは病院が大嫌いでいつも行きませんでした。
今年の6月、体調を崩したママはガンと判りガンセンターに入院しました。
勿論、紹介してくれた先生からはガンの可能性が高いと聞いていました。
ガンセンターは完全告知制。担当医の先生から受けるCTの結果と説明をママが私に聴くように言いました。
実際、CTで見た結果膵頭部ガンと腸閉塞。
ガンは大きく腹部の3分の1を占めていました。痩せたママは29キロしかありません。腸へ繋がる静脈・動脈が壊死し、一目瞭然でした。
余命は数ヶ月。担当医からの説明を理解し、疑問に思うことは全て聞きました。
ママは病気の知識は全くありません。パパもそうです。
それでもママに言うと「よかった。どうしてこんなに辛いのか原因がわかって」
と。
ママに伝えるのよりも、パパにその事実を伝えなければならないことに戸惑いました。なぜなら、諦めたくないという、大きな望みを持っていたからです。
医療知識が幾ら公開制が進んでも、知識のない人にとって理解するのは本当に辛いことです。
ママは腸閉塞の手術を受けると、痩せた体で驚くほどの気合で水しか飲めない程度から食事をある程度食べれるまでになりました。
しかし、抗がんの治療は受けれませんでした。抗がん剤の副作用とコマ数の少なさ、幾らある根性でも流石に体はついていけません。
私は最初から抗がん剤の投与はムリだろうと判っていました。しかし、ママもパパも・・・全然理解してくれませんでした。納得するまで2人とも辛かったと思います。
緩和ケア病棟に移ってからは本当にパパとママはずっと一緒でした。病室は20畳ほどの部屋で、庭もあり、まさにリゾート施設のようでした。パパはベットを借りママと手を繋いで毎日寝ていました。
私は、会社に我侭をいい、管理勤務からはずしてもらい殆ど病室と家での仕事となりました。
家族でこんなに長く過ごしたのは初めてでした。
ママは大黒柱でした。パパも私もママに頼りっきりだったので、本当に今までの自分を反省させられるものでした。経理職から管理職にかわって、朝から晩までがむしゃらに働いて、、一体何時間家にいたでしょうか。何時間家族で話をしたのでしょうか。
医療関係の仕事につきながら、ママにこんなに辛い思いをさせてしまいました。
そして、ずっと前からガンであっただろうに家のこと1つしない私に文句1つ言わずにいてくれました。
最後の1ヶ月、モルヒネの投与と数々の薬の副作用で意識が朦朧とし始めました。
ママが私に言った最後の言葉は「あんた、後ろを振り返ってはダメだよ。」と。だから、私は後ろは振り返りません。
人の一生はみんな平等です。
ママの闘病生活は私を強くさせてくれる・・・・本当に命を掛けて教えてくれているさまざまな想いが込められていました。
今、ママは話しかけても答えてくれなくなってしまいましたが、私の心の中で生きています。
この死を、改めて有難い教えと思い、試練だと受け止めていきたいと思います。
そして、ママを支え続けてくれた親族・ご友人・医療関係の方々に感謝と、
私を支えてくれた皆様の暖かいコメント。
くだらないブログをあげ、皆さんが「プッ」と笑ってくれることが私にとって本当に大きな支えとなりました。
本当に感謝いたします。有難うございました。