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2007年09月28日
天国への階段
こんばんは。今日は私のわがままに1時間だけ付き合ってください。
そして、1時間後に削除することをお許しください。

今年の夏は皆様にとってどんな夏でしたでしょうか?
あいみんはママと一緒に過ごした夏でした。

あいみんは、医療関係の仕事についています。
しかし、ママは病院が大嫌いでいつも行きませんでした。

今年の6月、体調を崩したママはガンと判りガンセンターに入院しました。
勿論、紹介してくれた先生からはガンの可能性が高いと聞いていました。

ガンセンターは完全告知制。担当医の先生から受けるCTの結果と説明をママが私に聴くように言いました。


実際、CTで見た結果膵頭部ガンと腸閉塞。
ガンは大きく腹部の3分の1を占めていました。痩せたママは29キロしかありません。腸へ繋がる静脈・動脈が壊死し、一目瞭然でした。
余命は数ヶ月。担当医からの説明を理解し、疑問に思うことは全て聞きました。

ママは病気の知識は全くありません。パパもそうです。
それでもママに言うと「よかった。どうしてこんなに辛いのか原因がわかって」
と。

ママに伝えるのよりも、パパにその事実を伝えなければならないことに戸惑いました。なぜなら、諦めたくないという、大きな望みを持っていたからです。
医療知識が幾ら公開制が進んでも、知識のない人にとって理解するのは本当に辛いことです。

ママは腸閉塞の手術を受けると、痩せた体で驚くほどの気合で水しか飲めない程度から食事をある程度食べれるまでになりました。
しかし、抗がんの治療は受けれませんでした。抗がん剤の副作用とコマ数の少なさ、幾らある根性でも流石に体はついていけません。

私は最初から抗がん剤の投与はムリだろうと判っていました。しかし、ママもパパも・・・全然理解してくれませんでした。納得するまで2人とも辛かったと思います。

緩和ケア病棟に移ってからは本当にパパとママはずっと一緒でした。病室は20畳ほどの部屋で、庭もあり、まさにリゾート施設のようでした。パパはベットを借りママと手を繋いで毎日寝ていました。

私は、会社に我侭をいい、管理勤務からはずしてもらい殆ど病室と家での仕事となりました。

家族でこんなに長く過ごしたのは初めてでした。

ママは大黒柱でした。パパも私もママに頼りっきりだったので、本当に今までの自分を反省させられるものでした。経理職から管理職にかわって、朝から晩までがむしゃらに働いて、、一体何時間家にいたでしょうか。何時間家族で話をしたのでしょうか。

医療関係の仕事につきながら、ママにこんなに辛い思いをさせてしまいました。
そして、ずっと前からガンであっただろうに家のこと1つしない私に文句1つ言わずにいてくれました。

最後の1ヶ月、モルヒネの投与と数々の薬の副作用で意識が朦朧とし始めました。
ママが私に言った最後の言葉は「あんた、後ろを振り返ってはダメだよ。」と。だから、私は後ろは振り返りません。

人の一生はみんな平等です。
ママの闘病生活は私を強くさせてくれる・・・・本当に命を掛けて教えてくれているさまざまな想いが込められていました。

今、ママは話しかけても答えてくれなくなってしまいましたが、私の心の中で生きています。

この死を、改めて有難い教えと思い、試練だと受け止めていきたいと思います。

そして、ママを支え続けてくれた親族・ご友人・医療関係の方々に感謝と、
私を支えてくれた皆様の暖かいコメント。

くだらないブログをあげ、皆さんが「プッ」と笑ってくれることが私にとって本当に大きな支えとなりました。

本当に感謝いたします。有難うございました。

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Posted at 2007/09/28 22:13:32
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この記事へのコメント
2007/09/28 22:20:44
ママは心の中で生き続けるよ。

ママのぶんまでがんばろうね。
コメントへの返答
2007/09/29 18:26:40
有難うございます。

ママは短距離ランナーでした。
正直、お疲れ様です。

人って頑張れる分量が一生のうちに決められてるのでは。と思いました。

2007/09/28 22:21:41
本当に身近な存在の死を経験すると、生きていることの大切さ・幸福感を強く感じることが出来る。
当たり前のことだけど、生きている時にしか触れ合うことって出来ない。
だから、それからは大切な人には一生懸命に触れ合える。
思い遣りの心を強く感じる。
大切なことだから、一生深く心に刻みたい。
大きな心の変化は、人間性を大きく変える事の出来る、とても大切なことに成る。
支え合うことって大切だよね(^ー^)
コメントへの返答
2007/09/29 18:30:35
死を通して、、、
というより、病になって初めて家族が1つになれた気がします。
いつもばらばらだった考えが、最後に一つとなり、そしてママは見届け安心して旅立ちました。
「もう頑張らなくていい?」とパパに最後に言った言葉は、ママが自分のためでなく、残される私たちのために生きていたんだとつくづく思いました。
人のために何かをする・・・
無償の愛を与え続けることの大切さ、家族ゆえの絆、さまざまな勉強をさせてもらいました。

2007/09/28 22:25:45
ママもずっとお空から
あなたの幸せになる姿を
願って見ているはずですよ



コメントへの返答
2007/09/29 18:31:25
そうですね。
幸せ・・・・
平凡でいいからゆっくり時間を過ごしていきたいです。

2007/09/28 22:26:02
そうだったんだ・・・。
気が付いた時は末期だったんですね。
辛かったんだね。あいみん。
なんと言って良いのか頭が真っ白になってしまって・・。
ご冥福をお祈りします。
合掌
コメントへの返答
2007/09/29 18:34:18
膵臓ガンは本当に発見できにくく、さらにママの場合は膵頭部ガンで、症状も出にくい状態でした。
親孝行・・・これからは、パパに心配事を1つでも与えないようにしていきたいと思います。
何時まで経ってもママはあいみんの理想の人です。
有難うございますm(__)m

2007/09/28 22:27:35
お悔やみ申し上げます。

ママは何時までもあいみんの中に生き続けてますよ

大変ですが頑張ってね。
コメントへの返答
2007/09/29 18:35:31
有難うございますm(__)m

これからはずっと苦しまずに私たちを見守ってくれてると信じ、悲しませるような姿は見せないようにしていきたいと。。。


2007/09/28 22:30:51
色々な気持ちが葛藤したと思いますが
うちはいつもこう思います。
人の一生の価値は、いかに多くの人が
その人の最期に涙を流してくれたか・・・と。
心中お察ししますが、病気になりながらも
お母様は家族の支えで幸せな時間を過ごしたと
思いますよ。また、お母様が仰るように
後ろを振り返っても見えるのは後悔のみです。
頑張って1日1日を大切に過ごしましょう♪
コメントへの返答
2007/09/29 18:40:11
葛藤。。
本当にそうです。何の不自由なく育ててくれて感謝します。
そして、最後の最後まで家族の心配をこんなにしてたんだと、思ったのは驚くほどのものでした。
多くの人に接し、多くの会話をし、そして多くのことを学ぶ。
その大切さも学びました。頂いた分を無駄にせず、いつか少しでも皆様にお返しできるようになりたいです。

2007/09/28 22:33:31
いつも明るくたのしいあいみんさんは、こんなステキなママや家族に支えられているからこそなんだな・・・と思いました。

ご冥福をお祈りします。
コメントへの返答
2007/09/29 18:45:19
陽気さはパパから、ママからは強くいることを学びました。

そして、家族の絆、命の尊さを知らされました。

温かいお言葉、有難うございます。

2007/09/28 22:36:16
あなたが思い続けていれば…消えないのですよ…

生き続けると言うのは、表現が違うかも知れませんが…

キオクやココロの中で…と信じてあげて下さい。

力になれるなら…と思っていますが、今は…あなた自身が考える時…

そっとしてあげるべきだと思いました、私。

月並みの言葉ですが…「頑張ってくださいね」
コメントへの返答
2007/09/29 18:49:52
何時しか、

自分もこの世から居なくなる・・・

そう考えた時、自分の死よりママ・パパの死の方が怖いと感じたとき、何て我侭なんだと実感しました。

1人でいることの辛さばかり気にして、本当に情けなかったです。

これからはママにしてあげられなかった分、パパにしてあげられたらと思います。

有難うございます・・

2007/09/28 22:50:26
僕のおばあちゃんが亡くなったのは小学6年生でしたが、告知はされませんでした。
53歳で亡くなっていますが、亡くなる直前までうちの両親はガンのことを一切、他言しませんでした。
僕も知ったのは亡くなってからなので、そのときはビックリしました。
たぶん僕のおばあちゃんも、ガンの事は気づいていたと思います。
今になって、そう思います。
うちのおばちゃんも一度退院して、元気になったと思いきや再度入院した途端になくなりました。
余命数ヶ月なら、思いっきり好きな事をさせてあげたいですね。
コメントへの返答
2007/09/29 18:57:36
ちょっと前まで、告知って多分選べたのでしょうね。

ガンセンターでは、全てはっきり言います。でもそれは、嘘をつかない・信頼関係がなくなったら本人は誰も信じれなくなるから・・・ということからです。ベットの液晶モニターから全ての検査の自分に関するデーターが見れるようになっていました。
凄いと思います。覚悟もいりますが、多分、周りが思っているより本人が体でわかっている・・・そして納得のいく範囲で充分な治療を受けるということなのでしょう。
 ママはもう動けなかったので好きな事は出来ませんでしたが、毎日家族で過ごす時間…嬉しかったと思います。
私に、「病院のご飯じゃイヤだから持ってきて」という言葉も、今となれば何も出来ない私に覚えるようにということだったんだと思います。。

全てに感謝です。


2007/09/28 22:52:41
ブログを拝見して、
なんていうか、涙が出ました。

親って、いて当然って思っていたような
気がします。

アタシ、何もしてあげてないな…って…。
このままじゃダメなんだって。

あいみんさんのお母さんは
あいみんさんの心の中から
ずっと消えることがないですよね。

ホントに考えさせられました…。

コメントへの返答
2007/09/29 19:04:30
あいみんは、いつかこの日が来たらどうしようかと本当に悩んでいました。。
私もそう思いながらも、親ってホント居て当然、助けてくれて当然だとおもいかなり甘えてきました。

甘えたい時に甘えて助けて欲しい時に助けてあげる。。。

それが本来の姿なのに、医療関係の仕事につきながら助けてあげれなかったことは本当に悔やまれます。

アイサン、まだまだ、間に合いますよ。

私だって全然ダメダメです。パパにその分してあげなければ。そうしてあげたいと、思いました。

2007/09/28 22:58:29
親孝行出来ましたね・・・。
天国にいるあいみんさんのママにご苦労様と
言いたいです。

コメントへの返答
2007/09/29 19:08:06
親孝行。。全然ですよ。。ホント。
情けないです。
でも、ママは充分頑張りました。
亡くなる前の日に家に帰ってきてその夕方から意識がなくなり眠るように亡くなりました。

2007/09/28 23:04:28
私の母親は今から、5年前に病院(看護師)のミスで他界しました。手術は成功したのですが、その後の看護師の対応の悪さで、私が駆け付けた時には、もう、すでに、自分の意思で呼吸していませんでした。その、次の日の20時28分他界しました。通夜の時に、親族から、母親が私に希望を掛けていた事を知り、涙がとまりませんでした、自分がしたくて、出来なかった事を私に託してくれて、ありがとう。なぜ、もっと早く気づかなかった事が今でも、後悔しています。
コメントへの返答
2007/09/29 19:16:53
医療ミス。
幾ら繰り返されても結果の出ないことです。残念でしたね。。。。。心が痛みます。医療の技術の向上だけでなく、いかにレベルを上げていくかにあると思います。病院側の意識にもよると思いますが。たつくんサンの書かれたように医療ミスはあってはならないことです。患者は命を預けているんですから。
 幸い、あいみんは病院の対応には随時抗議してたので、納得し、最後を看取ることが出来ましたが。。
何度もドクターには言葉の一つから食って掛かり、いやな患者の家族だと思いますが、納得のいかない治療はやはり受けれませんもんね。
しかし、早く気付いてあげれなかったという、
後悔はあいみんもつきません。。。

2007/09/28 23:06:00
全部何度も読みました。

☆あいみん☆さんのお母様の
ご冥福を謹んでお祈りいたします。

お母様の言葉が胸に響きます。
コメントへの返答
2007/09/29 19:19:19
いつでも決して泣かなかったママが、
泣いてすがる私に言った最後の言葉です。

情けなかったです。励まさなければならない自分が、励まされて・・・・

でも、前向きにいつもいきます。


2007/09/28 23:17:01
母上の闘病生活により家族が一つになれたと思います。それにより自分自身がそれぞれ今、やらねばならない事に気づかされた事と思います。僕も人の死には、色々経験してきましたが、辛いと思うのは、その時だけで過ぎて行くと忘れていくというより心の片隅で、小さくなってくれてある時ふと思い出させて楽しかった事、嬉しい事を後押ししてくれますよ!今は泣けるだけないて涙は、我慢しないことです。すいません取り止めのないこと書いてしまいまして、ごめんなさい。

母上様が笑顔で新しい世界へ旅立っていける事を心からお祈りします。
コメントへの返答
2007/09/29 22:59:44
死をもって判ること。。。
沢山ありますが、何よりガンとどうやって付き合っていけばいいのか、人を支えることの大切さを教えてもらいました。
 常日頃、何時までも成長できない自分にチャンスをくれたことだと思って前向きに進んでいきます。
 辛さ・・・苦しさ・・・それらと常に向き合い、乗り越えられるようにならなければならないといけないんですよね。

 安心して空の上から見守っていてくれるように毎日を大切に生きて生きたいと思います。

 有難うございますm(__)m
 

2007/09/28 23:17:43
あいみんママさんのご冥福をお祈り致します。
これからは痛みがなく永遠に心の中に
いらしゃるんですね。
お母さまの分もお父様を愛してあげて下さい。
コメントへの返答
2007/09/29 23:03:50
有難うございます。

痛み・苦しみから解放されて、ママは穏やかな旅立ちをしました。
それは、音のしなくなった無の境地。
パパが看取ったわけですが、息を引きとったのに気付かない程でした。
少ない家族になりましたが頑張っていきます。
有難うございます。

2007/09/28 23:22:34
お母さんの分まで精一杯頑張ってください。

あいみんの後ろにはみんカラのお友達のみんなが着いてるから!!



ご冥福をお祈りします
コメントへの返答
2007/09/29 23:05:35
ママには、足元にも及ばないひよっこです。。。

いろんな意味で、年追うごとにママを尊敬し止みませんでした。

いなくなった今もそれは同じです。

有難うございますm(__)m

2007/09/28 23:28:02
あいみんさんのママはずーっと心で生きてます。
あいみんさんの幸せを願っているとおもいます。

ご冥福をお祈り致します。
コメントへの返答
2007/09/29 23:06:35
幸せを、共有できなくなってしまいましたが、これから少しでもパパを安心させてあげれるように心がけていきます。

有難うございます。


2007/09/28 23:34:31
人はみな平等。その通りです。
僕も同じく既に親を亡くした為
辛いほどお気持ちは解かります。
お母さんの分も一緒に・・・
生きてあげる事が何よりの最善の
ご供養となるでしょう。

ご冥福を謹んでお祈りいたします。
コメントへの返答
2007/09/29 23:10:32
人の価値観や考え方は違っても、巡りうる確立、可能性はその人の生き方にあり、みな平等であると心から思えるようになりました。
少なくとも、ママの分まで・・・はどうかわかりませんが逝く順番を自ら作らないようにします。。。

有難うございます。

2007/09/28 23:40:12
どこかの受け売りな言葉になるけど、子供のいない人は居ても、親のいない人はこの世に存在しない、、みんなその辛さを乗り越えて大きくなるんだと。。

お母さんと一緒に過ごせた日々が何よりの宝物ですね。。

心からご冥福をお祈りします。。
コメントへの返答
2007/09/29 23:18:38
ママがいてパパがいてあいみんですもんね。
ママはパパを愛していたんだとつくづく思います。。。
1度決めたことを貫き通す根性強さと、思いやりのある心遣い。。あいみんにはまだまだ足りない物ばかり。。

この3ヶ月が本当の家族になれたような気がします。。

2007/09/28 23:56:14
あいみんは強いよ、その状況で凄くよく頑張ったと思う。

俺ならそんなに頑張れない… 本当にお疲れ様。

人生って記憶の積み重ねだから、これからもママの思い出、ママの記憶があいみんの一部としてずっと一緒に生きていくよ。

2007/09/29 00:07:33
あいみんさんへ
人は人の死を乗り越えて強くなるものです。
もうすぐで一年が経とうとそていますが、嫁のお父さんも
52歳という若さでこの世を絶ちました。
二人の晴れ姿を楽しみにしていたと聞いて涙が止まりませんでした。
人は命を授かってこの世に生まれ、必ずしも死が待っています。
人は肉体が滅びた時じゃなく人々から記憶が忘れ去られる時が本当の死だと
聞きました。
あいみんママはこれからもあなたの側でいつも見守り続けてくれていますよ。
ママの意思はあいみんさんの心の中で生き続きますよ。

ご冥福をお祈り致します。

2007/09/29 00:32:37
僕の母親の姉も膀胱癌で転移して腎臓も1つだめで、もって一年と告知されました。今週から緩和ケアの部屋に移りました。本人も病室が移る理由を教えてくれないと移らないと言ったので、かるく話たらなんとなく解ったみたいでした。生まれつき両足が不自由で外にもほとんど出た事がない人です。僕が親以上に大事に思ってきたし、僕が小さい頃からかわいがってくれたから今は出来るだけ週末に会いにいってます。あいみんさんのおもしろいブログが今は楽しみの一つになっているので、前を向いてがんばっていきましょう。






2007/09/29 00:48:13
あいみんさんもお母様も頑張りましたね。

私は弟を亡くしており、身近な者を失う辛さを
理解しているつもりです。

お疲れさま。
それしか言えません。

2007/09/29 00:59:31
大変でしたね。

お母さんの言葉、

「あんた、後ろを振り返ってはダメだよ。」

良い言葉だと思います。

自分の父も他界して11月で、ちょうど1周忌

色々と辛い時もあるかもしれませんが、

お母さんの言葉を思い出して頑張って下さい。

ご冥福を祈ります。

2007/09/29 01:40:03
僕も数年前に母を癌で亡くしました。乳がんから全身転移し手の施しようがなかったです。僕の場合医者に呼ばれて余命宣告は
「覚悟してください」
「わかりました。1ヶ月ですか?」
「そんなにもちません。」
「1週間ですか?」
「そんなにもちません。」
「わかりました。」これ以上聞きたくなかったです。
で、笑顔で病室に戻り、母が
「楽になりたい。みんなありがとう」
これが最後の言葉でした。今まで決してあきらめなかった母が
死を覚悟した瞬間でした。
僕は笑いながら
「何言ってるんや^^」
それから母は2度と目を覚まさず昏睡状態になりました。
でも僕は母が死ぬまではずっと笑顔でいました。
あいみんさんの気持ちは痛いほどわかります。
それから僕は母の分まで頑張って生きよう。父にできる限りの親孝行をしようと思い今を生きています。
僕は生まれてこんなに泣いた事はないくらい泣きました。
悲しいことは悲しいことで素直になればいいと思います。
ご冥福をお祈りします。

2007/09/29 02:12:13
お疲れ様。

2007/09/29 04:12:08
あいみん、、、ママが最後に送ったあいみへの宝物ををしっかり心にしまって頑張るんだよ。

2007/09/29 08:32:39
自分も2年半前、父親を同じように癌で亡くしました。父は肺がんでした。
当時、自分は22歳。父親の会社を継ぎざるを得ない状況下で、父親の病気と向き合っていました。
父は自分の前では一度も泣いたことはありませんでした。しかし病気が悪くなって食事もろくに食べられなくなってから、ある日病院で自分がヒゲ剃りをしてあげました。その時、父は初めて泣きました。その時は「今少し痛かったぞ」なんて言ってましたが、そうではなかったことに後から気がつきました。その時以外、父が泣いた姿は最後の時が来るまで見ることはありませんでした。
なんで、病気をした人の方があんなに強くて、周りにいる人間がこんなに弱くなってしまうんだろうと思い、自分の心の弱さ、小ささを痛感しました。
あいみんもきっと本当に大変だっただろうし、辛かったと思います。けど、そこから抜け出す事をママさんも願っているんだと思います。
自分は今日父親の墓参りに行ってきます。早いもので、今年3回忌です。自分が悲しみから抜け出せたのも、父親の強さを見たからかも知れません。
どうか、あいみんもご自身の生活を取り戻して、新たにがんばってください。
本当に応援しています。
(分かったような事言ってしまってすみませんでした)

2007/09/29 08:37:45
あいみんへ
ママはあいみんや家族の中でずっと一緒にいます。その、気持ちを大切にしていってください。

2007/09/29 10:31:22
いつか訪れる永久の別れ…

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

2007/09/29 20:21:56
遅ればせながら
ご冥福をお祈り致します。

2007/09/29 20:46:38
何と言って良いのやら・・・
言葉が出ません。
これからも 色々と試練とかがあると思いますが
負けずに コツコツと行きましょうねっ!
コツコツとやっていれば いい事もきっとあるしねっ!
お互い 前向きに行きましょう!

2007/09/30 12:38:48
私も先に母を亡くしましたので、心中お察しします。
しばらくは、我々の想像予想以上に意気消沈されているお父様のフォローを意識していかれた方がよろしいと思います。
お母さんはいつでも傍で見守っていますから、はやくいつもの元気を取り戻してくださいね!

2007/09/30 17:43:42
はじめまして

ご冥福をお祈りいたします。
あいみんの母上はあいみんが娘で喜んでますよ!

いつも心ばかりの応援しています。

これからを歩きましょう!





 
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