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――三代目・三浦俊彦とハレ晴れユカイ(「ハレ晴レユカイ」ではない)な論理的虚構たちのなかの論理的虚構(通称、論理的虚構)
September 2007 (14)
August 2007 (4)
「わたしは、肉便器に対する憧れというものを抱いている。」
むろん、肉便器というのはたいてい一般人であり、このわたしを不快にさせるというのもまた事実である。しかしながら、それはわたしがもっとも重視する枠組みによる見方であり、結局はいわば一つの側面である。
冒頭に挙げた、独白風の文は、その一面を無視しさえすれば、肉便器というものにわたしはとても興奮するということを言っている。(わたし専用の肉便器、すなわち淫乱肉便器の場合は言うまでもない。)
すると、肉便器一般(あるいは準肉便器/淫乱肉便器候補一般)はわたしのなかで好ましい容姿をしているものという妄想に憑かれてくる。
しかし、わたしの場合、その妄想を野放しにした状態でいるならばほとんど必ずと言っていいほど酷く落胆する羽目になるのである。(要するに、わたしの要求水準が相対的にきわめて高いということだ。)
具体的な「事件」に言及しよう。
わたしは、産業廃棄物以前の存在者であるところの堤翔吾の情婦である樋口怜早(流通科学大学所属)を肉便器と解釈したが、その後当該肉便器の写真を発見「してしまった」のである。
題名の、「声優を性の対象にしようとする行為全般の顛末」とは「かってに期待し、追い求めた挙句、かってに落胆する行為」をいう。すなわち、自分自身に対する戒めである。
そうは言ってもやはり、誰かのせいにしたくなるのが人情ってもんでしょう。(←後半の口調は、『マリア様がみてる』のロサ・キネンシス・アン・ブゥトン・プティ・スールもしくはロサ・キネンシス・アン・ブゥトンを参照している。)
じゃあ、それはいったい誰であるのかと言えば……。
■写真を掲載した者(例1,例2)
■樋口怜早自身……このわたしの、肉便器に対する憧れ、ならびに/あるいは純真を欺いたかどで、有罪判決が下るだろう。
→預言:A.D.2007(エーディーニーマルマルナナ)、饗宴に酔いしれる者、通学している大学名を晒される。
名をれれと称す。
こののち、季節が一巡りするまで、ダルマにされチョンに犯され続けるであろう。
ああ、「下のお口でシてあげる」という発話行為が似合う女に出会いたい。
そして、それは実姉でしかあり得ない。(と言いつつ、例外として、このわたしが特別に認めた第八姉の友人を含める。)
なぜだ……。
なぜ限定的超越者たるこのわたしに姉がいないのだ。(VIPPERにはいる……。わたしは、姉と弟が性的に良好な関係を構築し、維持し、発展させているという状況があることについて、「姉と弟が結ばれるとはなんと素敵なことだろう」と非常に好ましく思うと同時に、わたしが得ることのできないその関係に嫉妬し、それを破壊したいという思いも抱いてしまう。)
わたしは8人の実姉を希望していた――その理由は、1人と非性的で良好な関係を保持し、残りの7人と性的な関係を持つとすれば、年中無休で大好きな実姉との楽園を築くことができるからにほかならない――のに。
少なく見積もっても人類の頂点に位置しているわたしに対するこの仕打ち。
「許せませんわね!」(←『Tales of the Abyss』のナタリアが言っていると解釈してください。)
■堤翔吾……解釈:本質は、名声欲、権力欲、金銭欲、性欲等、ありとあらゆる「欲」というのが実情であるが、当人は自分は真摯に「夢」に向かっているんだという妄想を持っている。
■樋口怜早……解釈:「友」だちを「食」べることが何よりも好きで、周囲に「嘘」をばら撒くことが本人にとっての「休」息となる。
■G
■間宮洋介
■虚構世界内存在
■論理的虚構
ちなみに、本名を入力すると、枠に沿って「秘」による輪がつくられていて、中心にただ1つ、「友」が来ていた。中心は「H」または「謎」であるほうが好ましかった。特に後者の場合、秘密を掻い潜って核心に迫った……と思ったら、結局は謎であったという筋書きができ上がるから。また、姓だけの場合、「休」で埋め尽くされていた。すでに死んでいる祖父、そして彼の本質が隔世遺伝したかのごときこのわたしをうまく表現している。他方、名だけの場合、枠に沿って「金」による輪がつくられていて、その内側は「愛」で満たされていた。「愛」は性愛の愛だろう。
■三浦俊彦……解釈:(できない。)
■ファインチューニング……解釈(できない。)
■人間原理……解釈:(できない。)
■多宇宙説……解釈:(できない。)
■スーパーヴィーン……解釈:(できない。)
■ブランド……解釈:(あえてしない。)
■オマンコ……解釈:オマンコ反実在論
■セクロス……解釈:秘め事の秘め事たる所以
■浮気……解釈:(あえてしない。)
■不倫……解釈:(あえてしない。)
■姦通……解釈:(あえてしない。)
■公衆便所……解釈:便「秘」に「悩」んでいるからこそ「食」べまくることによってそれを解消しようとするが、太ってお気に入りの「服」が着られなくなったことにも「悩」む羽目になった。
■性的公衆便所……解釈:周囲には自分は「友」だちを最優先すると喧伝しているが、本当は性「欲」しかない。
■肉便器……解釈:(できない。)
■肉奴隷……解釈:犯され過ぎて壊れた人間の典型例
■準肉便器……解釈:「家」の外で遊びまくって、男を「家」、すなわちおまんこに誘い込むという戦術を立案している。
■淫乱肉便器……解釈:男「遊」びをするのも、「H」な性格なのも、あなたへの「愛」があるからなんだよという思考回路を持っている。
■淫乱肉奴隷……解釈:「秘」密を隠し持ち、「嘘」で塗り固めて、今日も「H」な振る舞いによって自分がご主人様の物であると彼に思い込ませて「遊」んでいる。
■淫乱牝奴隷……ご主人様との淫乱な「遊」戯にのめり込んでしまっている現状について大いに「悩」み、苦しんでいる。
■女子高生……解釈:(できない。)
■女子大生……解釈:「友」だちとの付き合いを最優先にして、いろいろなものを犠牲にしているから、「負」のオーラが漂っており、ストレスが溜まっているから、無意識のうちに「休」息を求めている。
■人妻……解釈:主としてダーク・サイドの性「欲」で満ちており、常に標的を探しており、自らの目的を達成するための手段として「友」だちとの関係を続けている。
■従姉……解釈:性「欲」が旺盛で、従弟との性交に嵌っているが、実は他の男とも性交しており、したがって従弟を裏切っていること、さらにはどちらが自分の「愛」する者なのかということに「悩」んでいる。(←論理的虚構「従弟に決まっている。」)
■義姉……解釈:(できない。)
■実姉……ついに念願叶って実弟と結ばれ、「幸」福を噛みしめているが、性欲が有り余っている弟に対して少しは「休」息日(キリスト教の安息日的)も欲しいと思っている。また完全に理想郷にイっているわけではなく、日本国憲法第25条第1項ぐらいは実践したいと思っているため、貨幣制度が成立している現状では、弟が「金」銭を稼いでくることによりそれを成し遂げようと目論んでいる。しかし、彼女には弟にひた隠しに隠している「謎」が1つだけあったのだ。それは何か。弟であるこのわたしには知るよしもない。
■姉さん……できる限り「友」だちといっしょにいることによって、ずっとエロい視線を送り続けてきて、最近告白してきた弟のことを忘れようとしている。しかし、弟にほとんど無理やりに犯されたという「秘」密が「悩」みの種となって、友だちとの遊びを楽しめていないというのが実情だ。
■お姉ちゃん……弟に対する「愛」情たっぷりのお姉ちゃんの愛情表現の方法は、弟自身を下のお口で「食」べるというものである。
■姉弟……解釈:(できない。)
■姉弟相姦……解釈:(できない。)
■近親相姦……解釈:(できない。)
■女……解釈:(できない。)
■男……解釈:「嘘」と「金」銭欲と女を性的脈絡において「食」べたいという「H」な願望とでできている。(←男女板の連中に見せたら、女叩き厨は「男じゃなくて、女のことだろ」と指摘し、男叩き厨は「男の気持ち悪さが証明された」と言いそうだ。)
「一般人論駁(4) いじめと原因」(←「いじめとその原因」と読み換えることはできない)では、「いじめを行ってはならない」という、感覚や感情による言明を退けたが、その後、独断バカが「いじめは行ってよいものである」という主張であると誤読する可能性に思い至り、「↑を読んで、「虚構世界内存在はいじめが正しいと主張している」、ならびに/あるいは「いじめは正しいということが論証された」などという独断に陥ってしまう頭の弱い存在者は可及的速やかに自殺したほうがいいと思う。」という文を付け加えた。(要するに、いじめについての絶対確実なことを言えるならば、論証とともに提示せよということをすべての立場に対して言っているのである。)ただし、「一般人論駁(4) いじめと原因」で採用している方法論(具体的には、行為間の不整合性を論難する仕方)は、「一般人論駁・終章 矛盾・自己中心性・社会性」にも掲載してあるが、論駁されたため、誠に残念ながら無効である。
なお、「いじめはなかった」と論証なしに述べる者がその背後に前提している原理に従えば、堤翔吾らに対していかなる行為を行ったとしても、その行為はなかったことになり(あるいは堤翔吾を殺した場合には、堤翔吾などという者が実在していなかったことになり)、また「いじめを行ってもよい」、さらにはより進んで「いじめは正しい」と論証なしに述べる者の原理に従うならば、「論理的に可能なあらゆる行為を行ってもよい」、「それら行為は正しい」ということになる。