ミャンマーで取材中に亡くなった長井健司氏のそのときの様子は、要するに至近距離からの軍の狙撃によるものだった。
おそらく、古い人には
「死んでも~を離しませんでした」
なんていうフレーズが目の前にチラつく死に方だが、そういう「殉死」や「殉職」を「立派なこと」とする、そんな感性はもう世界中にないだろうし、あってはならないと、ぼくは思う。
結局、戦争そのものが「悪」である以上、そういう死に方にせよ、どんな死に方にせよ、戦争や動乱での死のすべてが
「犬死に」
以外のなにものもでもない。
写真で見れば明らかにわかる通り「美しい死に方」なんてのはどこにもない。生きている人間の社会の中での出来事でしかそれがない以上、「死」はいつでも汚く、悲しく、そして醜い。
ましてや、人間どうしの争いで死ぬなど、人間の愚かさの真っ只中で死ぬわけだから、泥まみれもいいところだ。
死はどんな場合でも美しくない。
だからこそ、与謝野晶子はそのホンネを「君死にたもうことなかれ」とうたったのだ。あれを女性がうたったからまだ彼女への反発はあの程度で済んだが、これを男がうたったら、すぐに警察に捕まったかもしれない。
なに?それでも美しい死ってものがなけりゃ、救われないだろう?って?
勝手にそう思ってりゃいいだろう。そう思いたければね。
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