2007年09月30日 更新

ヒルマン監督有終!日本ハムが球団史上初リーグ連覇達成!

勇退の決まっているヒルマン監督が幕張の夜空に舞った。今季は「シンジテイタ〜!!」と連覇だ(撮影・春名中)

勇退の決まっているヒルマン監督が幕張の夜空に舞った。今季は「シンジテイタ〜!!」と連覇だ(撮影・春名中)

 (パ・リーグ、ロッテ1−9日本ハム、23回戦、日本ハム11勝10敗2分、29日、千葉)日本ハムが29日のロッテ23回戦(千葉マリン)に9−1で勝ち、2年連続4度目のリーグ優勝を果たした。今季限りでの退任が決まっているトレイ・ヒルマン監督(44)は、外国人監督として史上初の連覇を達成した。日本ハムは10月13日からのクライマックスシリーズ第2ステージ(札幌ドーム)で、第1ステージ勝者と日本シリーズ進出をかけて激突する。

 静かに歓喜の輪に歩みを進めた。昨年のサヨナラ勝ちでの優勝とは違う。涙はない。満面に笑みを浮かべ、笑顔の輪の中に消えると、ヒルマン監督は3度、幕張の夜空に舞った。

 「われわれ自身とわれわれのファン以外、だれも連覇を信じていなかった。われわれは信じ続けて、そして勝った」

 大黒柱の小笠原が巨人へ移籍し、スーパースターの新庄が現役引退。岡島は海を渡り、レッドソックスで不動の地位を築いた。穴だらけの打線に故障者続出の投手陣。シーズン前の評論家の予想はほとんどBクラス。4月には最下位に沈み、5月18日には首位から8ゲーム離された。しかしヒルマン監督には、揺るがぬ信念があった。

 「スターは、チャンスを与えないかぎり生まれてこないものだ」

 自らがスターではなかった。現役はマイナー3年だけ。若手にチャンスを与えるときは必ず、「重圧に感じてはいけない。結果を出したからここにいるんだ」と諭した。翌19日から始まった14連勝は、2年目の木下の初先発初完封から始まった。

 この日も九回、若い力が爆発した。6点目のタイムリーは2年目の陽。7点目はスーパーサブ・飯山の犠飛。8点目と9点目は小笠原の抜けた一塁を守った4年目の稲田。だれもが新庄や小笠原には及ばない。だが、だれもがスターになる可能性を秘めている。

 「いま退団を発表すれば、優勝争いに水を差す」という球団の声にも耳を貸さなかった。8日の退任発表後は引退を決めたかつての4番・田中幸にスクイズを命じるなど、「1位になるためなら何でもする。手段は選ばない」と開き直った。昨年、新庄の4月の引退宣言さえ許した選手たちが、それに応えた。

 「この先、監督を続けるにしても、これほど意識の高い選手たちに囲まれることはない」

 ヒルマン監督は英字新聞のインタビューで、すでにメジャーの監督が第1希望であることを公言している。その前にまず、北の大地に黄金時代を−。伝道師監督の日本での最後の挑戦が始まる。

(加藤俊一郎)

■トレイ・ヒルマン(Trey Hillman)

 1963年1月4日、米テキサス州生まれ、44歳。テキサス大アーリントン校を卒業後、84年にインディアンス入団。内野手として3年間マイナーリーグでプレー。89年からヤンキースの下部組織でコーチ、監督を歴任し、2000年には3A最優秀監督に選出された。レンジャーズのマイナー統括部長を経て、03年に日本ハムの監督に就任。昨年は25年ぶりのリーグ優勝と、44年ぶりに日本シリーズを制覇。1メートル78、81キロ。既婚。年俸1億2000万円。背番号88。

◆日本ハム・大社啓二オーナー

「ヒルマン監督指揮の下、チームとスタッフ全員が一丸となるファイターズスタイルを貫き通し、栄冠を手にしたことを誇りに思います」

◆日本ハム・高田繁ゼネラルマネジャー

「戦力的に苦しい中、監督がチームに合った戦い方をしてくれた。使わざるを得ない若い力をうまく引き出した。今年の優勝は格別」