![]() そして,ずっと後になって1803年にイギリスのドルトンが原子論を発表し,物質は原子からできていると考えられるようになりました。原子は英語でatom(不可分なものという意味)といいます。この世の中の最も小さい粒子と考えたのでしょうね。ところが,1897年にイギリスのトムソンが電子を発見し,原子より小さい粒子があることがわかりました。では,この電子は原子の中のどこに存在しているのでしょうか。トムソンは原子のブドウパンモデルを考えました。 ![]() トムソンはイギリスのケンブリッジ大学キャヴェンディッシュ研究所の所長に,なんとわずか28歳で就任しました。キャヴェンディッシュはイギリスの名門貴族の出で,水素の発見者です。しかし,彼の論文の多くは発表されませんでした。キャヴェンディッシュ一族のデヴォンシャー侯爵(ケンブリッジ大学の総長)は実験物理学の研究所の必要性を考え,その資金を提供しました。1874年の竣工を記念して,初代所長のマクスウェルにキャヴェンディッシュの未発表の論文が送られました。その中には,クーロンの法則やオームの法則が先取りされていたということです。キャヴェンディッシュ研究所の2代目所長はアルゴンの発見者であるレーリー,そして3代目の所長がトムソンです。以後30人近くのノーベル賞を輩出する有名な研究所です。 一方,1903年日本の長岡半太郎が土星型原子模型を考えました。 1911年にイギリスのラザフォードが原子核を発見し,原子の構造が明らかになりました。ラザフォードはトムソンの弟子で,12名のノーベル賞学者を門下から輩出しています。彼は,師であるトムソンの原子のブドウパンモデルを証明しようとして,金箔にα粒子をぶつける実験を,ガイガ−とマースデンに行わせました。トムソンモデルが正しければ,α粒子は金箔をほぼまっすぐに通過するとラザフォードは考えていました。実験結果は,約2万個に1個の割合で金箔から跳ね返されてくるものがあったということです。2万個に1個ですよ。ラザフォードは,これを見逃すことはしませんでした。
今日の学習内容は,次の通りです。 (1)原子を構成する粒子 (2)電子殻 (3)電子配置 少し,難しい内容になりますが,物質を構成している粒子の構造ですから,しっかりと理解して下さい。では,最初は原子を構成する粒子です。原子は,トムソンが発見した電子と,ラザフォードが発見した原子核からできています。さらに,原子核には,陽子と中性子があります。中性子は,1932年にイギリスのチャドウィックによって発見されています。チャドウィックもラザフォードの弟子です。なお,電子electronという用語はストーニーによってつくられています。 |
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ところで,原子核の大きさは,原子の大きさの約1万分の1〜10万分の1だそうです。原子核を1mmとすると,原子が100mということになります。100mというとだいたい野球場のグランドの大きさですね。ということは,原子は隙間だらけということです。この世の物質をつくっているもとになる原子が隙間だらけですから,物質はもちろん隙間だらけということですね。 したがって,土星とはちっと異なるモデルです。 次に,原子に含まれている電子について考えてみましょう。電子が原子核のまわりを回っているとするなら,どうして原子核に吸収されないのでしょうか。もし,電子がエネルギーを失って原子核に落ち込んだら,原子の大きさは約1万分の1〜10万分の1になります。すなわち,野球場が1mmの大きさになってしまうということです。 この問題を解決したのが,ラザフォードの弟子で,コペンハーゲン学派をつくったデンマーク人のボーアNiels Henrik David Bohrです。彼は20世紀を代表する物理学者であり,同じく20世紀を代表する物理学者アインシュタインと学問的解決で大論争を続けました。ボーアとアインシュタインの研究生活は対照的でした。ボーアはつねに誰かを捕まえて議論を続け,自分の考えを展開していくスタイルだったようです。アインシュタインは,一人でじっくりと考えを進めるスタイルでした。彼はほとんど弟子をとっていません。 ボーアは1913年にラザフォードの原子モデルに量子仮説を導入しました。量子仮説とはドイツのプランクMax Karl Ernst Ludwig Planckが提唱した説です。今もドイツにマックスプランク研究所があります。物質のもつエネルギーは連続的に変化するのではなく,ある決まった値の整数倍しかとらないというのが量子仮説です。すなわち,物質のエネルギーはアナログ的に変化するのではなく,デジタル的に変化するということでしょうか。 そこで,ボーアは電子は原子核からある決まった距離にしか存在し得ないと考えました。この電子が存在する場所を電子殻electoron shellといいます。その電子殻は,原子核に近い内側から順に,K殻,L殻,M殻…とよばれています。どうしてKからはじまっているのでしょうか。 これはバークラーがX線の研究をしていたとき,2系列からなる特性X線というものを発見(1907年)し,波長の短いものをK,長いものをLとしたことによるのです。なぜK,Lと名付けたかというと,A,Bでは将来さまざまな波長のX線が発見されると困るからと考えたようです。結果として,K系列のX線が一番内側の殻に電子が落ち込むときに発するものであると考えられるところから,一番内側をK殻としたようです。 |
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ところで,nm(ナノメートル)とはどのような意味か知っていますか。1nmは10−9mのことです。ちなみに,国際単位系(SI)のSI接頭語を紹介しましょう。
次は,電子殻に収容できる電子の数について考えてみましょう。各電子殻に収容できる電子の数には限度があります。K殻には2個,L殻には8個,M殻には18個の電子を収容することができます。すなわち,n番目の電子殻には,2n2個の電子を収容することができるのです。 |
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それでは,今日の学習内容を確認しましょう。 1.原子の中心にあるものは何ですか? 2.1は何からできていますか? 3.陽子と中性子の数の和を何といいますか? 4.原子番号13番,質量数27のアルミニウム原子に含まれる陽子・中性子の数は? 5.原子番号が同じで,質量数の異なる原子を互いに何といいますか? 6.原子中の電子は,原子核のまわりの何とよばれるいくつかの層に分かれて存在していますか? 7.原子番号8番の酸素原子の電子配置を答えなさい。 8.最外殻電子の数が1〜7個の原子では,最外殻電子を特に何とよんでいますか? |
答
1.原子核
2.陽子と中性子(0個のこともある)
3.質量数
4.陽子13個,中性子14個
5.同位体(アイソトープ)
6.電子殻
7.K殻2個,L殻6個
8.価電子