2007年09月24日
野中->密室->クーデターデマ
同じ日の午後、ある人物が動き出していた。自民党関係者がいう。「京都にいた野中広務元幹事長が上京してきました。 そして古賀誠氏のメッセンジャーとなって、"出馬すれば古賀派はあなたを支援する"と福田さんに伝えたのです」 そして翌13日夜−。ある派閥幹部が明かす。「福田さんは都内で青木、森、中川秀直、野中の4氏と密会しました。
この場で福田さんの決意表明と、残り4人がどこまでも福田氏を支えていくという確認がなされたのです。
"新5人組"の結成ですよ。そして、翌14日には8派閥が福田支持を表明することになったのです」
小渕首相が脳梗塞で倒れ、森氏を含めた5人が赤坂プリンスホテルの1室に集まったのは2000年4月のこと。
まさに、それ以来の"密室"での決定である。「この時、集まったのは青木幹雄官房長官、森善郎幹事長、野中広務幹事長代理、 亀井静香政調会長、村上参院会長の5人でした。しかし、ここでつくられた森政権は国民の反発を食らい、 わずか1年余で退陣を余儀なくされました」(政治部担当)
政界をすでに引退、いまや民間人である野中氏まで登場するところが、いかにも自民党らしい。
政治部評論家の有馬晴海氏がいう。「私も5人組については耳にしました。森政権を連想しましたよ。
自民党はよほど密室政治が好きなんですね。ただ、今は昔のように派閥の締め付けは強くないですし、 ひと声をかければ派閥が動くというほどの力が野中さんにあるとは思えません。
でも、派閥領袖クラスの古手の人たちにはまだまだ影響力があるのでしょうね。あまりにも自民党らしい福田氏擁立劇。
だが、事情が明らかになるにつれ、国民の反発が高まるのは必死だ。
週刊新潮:9月27日号の30Pより記者が全文書き起こし
http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
野中広務元自民党幹事長は21日のTBS番組の収録で、麻生太郎幹事長が自民党総裁選に立候補したことについて「(安倍晋三首相の辞意を)知りながら3日間も隠し、自分が首相になろうとクーデターみたいなことを考えるのは政治家として絶対に許せない」と批判した。
また、野中氏は麻生氏に関し「平等社会なんて言っているが、3段ぐらい上から下を見下ろすような、 言葉に責任を持てない男だ」と酷評。「幹事長として(首相退陣の)責任を感じてもらわなければならない」と述べた。
一方、野中氏は、自身が所属していた津島派の現状に関しても「自分だけがプリンスだと思っている額賀福志郎財務相が立候補し(ようとしたが)、恐らく足元で20人(の推薦人)も集まらないから、誰かに顔を立ててもらって名誉ある撤退をしたんだろう」と語った。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070921-00000192-jij-pol
安倍晋三の退陣と「麻生クーデター」説の怪(日経記者による長文です)
「誰がそんなことを言っているんだ?そんなことはない」。東京・信濃町の慶応大病院。
入院中の首相・安倍晋三はベッドの上で少なくとも2回、こうつぶやいている。「そんなこと」とは
「麻生クーデター」説である。参院選大敗後も安倍を支え抜くとささやいた自民党幹事長・麻生太郎が実際は内閣改造人事や政権運営で首相の実権を奪い取り、安倍は「だまされた」と叫んで政権を投げ出した――。
ポスト安倍政局で一夜にして麻生を劣勢に追いやったこの「物語」を安倍自身がいま、否定する。
検証すればするほど、奇怪な裏側が見えてくる。
参院選当日から敷かれていた「麻生包囲網」
「麻生クーデター」説は12日午後、安倍が辞意を表明した直後から流れ出した。
「安倍が11日に面会した自民党の有力議員に『麻生にだまされた』と漏らした。突然の辞意は権力を簒奪(さんだつ)した麻生へのせめてもの抵抗であり、憤死なのだ」と言う骨子だった。
さらに自称「安倍の最側近」までが同様の「だまされた」説を口にしていると言う。誰もが一目置く
「有力議員」や「安倍最側近」が発信した情報と受け止められたからこそ、瞬く間に永田町に広まった。
それだけではない。「麻生クーデター」説が浸透しやすい政治的な素地が確かにあった。
(中略)
「麻生クーデター」説の別の有力な論拠は当初の「19日投票」と言う超スピードの総裁選日程案だ。
これも麻生が決めたのではない。原案をつくったのは自民党幹事長室だが、最終判断を下したのは安倍本人だ。
「19日投票」は20日の首相指名と組閣を経て、24日からニューヨークでの国連気候変動ハイレベル会合(首脳級)や国連総会に新首相が出席するという前提で組み立てた日程だった。気候変動の会合は来年の主要国首脳会議(洞爺湖サミット)に向け、地球環境問題の首脳級討議のキックオフとなる重要な場である。
12日午後、辞意表明の記者会見を終えた安倍に、ある官邸スタッフが注意を促した。「総裁選の段取りですが、 麻生幹事長も候補者の1人になる可能性があるので、お手盛りで決めたという印象を持たれるのは避けないと……」。
遠まわしに「14日告示−19日投票」案の危うさを指摘したのだ。安倍は語気を強めて反論した。「麻生さんは『候補者』でしょう」。
そして断を下した。「この日程(19日投票)でいい」。麻生は「後継候補の1人」ではなくまぎれもない「後継候補」なのだ。
こう言い切った安倍の姿と、「だまされた」発言説は両立しにくい。
「麻生クーデターかと思っていたら、実は福田クーデターだった」。13日付で小泉に退職届を提出した腹心の前首相秘書官・飯島勲はこう言い残して永田町を立ち去った。小泉が最終的に福田支持に動き、飯島が突然退職した経緯は不透明だ。
ただ、当初は平沼復党に傾く麻生を嫌って「これはクーデターだ。首相を後ろから刺した人がいる」(党広報局長・片山さつき)と徹底攻撃し、飯島の後見のもと小泉再登板で36人まで署名集めを進めていたチルドレンを中川秀直や元幹事長・武部勤が福田支持へとしっかり誘導したのは確かだ。
16日、武部が率いる小泉チルドレンの集まり「新しい風」の会合。「福田支持」で武部が意見集約しようとした時、突然、立ち上がった男がいた。「もうついて行けません!」。あの「ニート議員」杉村太蔵である。武部は怒鳴り返した。
「出て行け!」。麻生派を除く8派閥がこぞって福田を推す流れに、小泉チルドレンまでがまるで派閥のように乗っかろうとしている。部屋を飛び出した杉村は吐き捨てた。「こんなやり方で総裁が決まるなら、自民党はもう終わりだ!」。
結束を誇ってきた「小泉ファミリー」も今や四分五裂の様相を呈している。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/shimizu2
タイゾー度胸あるじゃん。
2chでは叩かれてるけど、福田の隣でニタついてる片山さつきなんかよりよっぽどいいわ。
今、本当に日本を動かしているものは?・3-1
安倍首相が漏らしたとされる「麻生に騙された」発言が、自民党総裁選に大きく影響している。
麻生氏や与謝野馨官房長官をクーデターの首謀者に仕立て、反麻生包囲網を構築し、福田元官房長官の圧倒的優勢という状況を作り上げたためだ。「謀略情報だ」と怒り心頭の麻生陣営。暗闘の舞台裏を徹底追求する。
18日午前の閣僚懇談会後、与謝野官房長官は、町村派会長の町村信孝外相を呼び止めた。
「品性下劣なデタラメを流している者がいる。それを知りながら、放置しているなら、あなたも同罪だ」 「デタラメ」とは、首相の入院直後から流れた「麻生・与謝野クーデター説」だった。
永田町関係者は「与謝野氏があれほど怒りを露わにするのは珍しいが、流した者とは中川秀直前幹事長らのことのようだ」と明かす。
怒りが収まらない与謝野氏は同日の会見で、「首相を支えるという任務に違背した行動を取ったことは一度もない。心ない宣伝は心ないことだなと嘆くばかりだ」とクーデター説を否定。
19日の会見でも、麻生氏だけでなく、中川氏も事前に首相の辞意を知っていたとの認識を明かして反撃する一方、「多少の情報戦は総裁選に花を添えるが、節度を持って戦わないと国民の評価は落ちてしまう」と述べた。「クーデター説は中傷か」との質問には、「もちろん」と答えた。
与謝野氏が激怒する「麻生・与謝野クーデター説」とは要約すると次のとおりだ。
≪参院選惨敗を喫した安倍首相は起死回生を狙った内閣改造・党役員人事で、政治的理念が一致する麻生氏を幹事長、麻生氏が信頼する与謝野氏を官房長官に起用した。 だが、麻生氏は自身の政権獲りを優先したのか、人事や政策で首相を蚊帳の外に置いた。辞任表明の直前、首相は周辺に『(麻生氏らに)騙された』と漏らした≫
首相の辞任をめぐっては、片山さつき氏がテレビカメラの前で、「これはクーデターです。支えると言いながら後ろから刺した人がいる」と発言。このシーンが何度も放映されたため、 永田町だけでなく国民の間にも「麻生、与謝野両氏らが首相を騙した」との印象が植え付けられ、「福田首相」への流れを決定付けた。
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_09/t2007092025_all.html