井原市芳井町出身の内山完造が一九一七年に上海で開いた内山書店は、中国の作家魯迅お気に入りの店だった。内山がいれた日本茶を飲み、店の片隅で紫煙をくゆらせた。
福山市で古書店を営み、六年前に亡くなった児島亨さんは内山書店の店員だった。間近に見る大作家の飾らぬ態度に感激し、魯迅が国民党政府に逮捕されそうになった時は内山と協力し店にかくまい家族の面倒を見た。
日中友好に尽くした内山の没後五十年を二年後に控え、井原市芳井町の先人顕彰会は、児島さんが会長を務めていた福山市日中友好協会と協力し六月に内山完造顕彰訪中団を上海市へ派遣した。文豪が取り持つ縁は深まる。
魯迅を通した日中交流はほかにもある。魯迅は一九〇四年、仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に留学し、解剖学を福井県芦原町(現あわら市)出身の藤野厳九郎教授に学んだ。後に魯迅は「藤野先生」という短編で中国の医学発展を願った恩師をしのんだ。
旧芦原町は、この名作を介し魯迅の故郷・紹興市と友好縁組を結び、合併後のあわら市が交流を引き継いだ。昨年はあわら市と北京魯迅博物館がそれぞれ藤野先生と魯迅の胸像を交換し、東北大学にも二人の胸像が贈られた。
二十九日は日中国交正常化三十五周年の記念日だ。国と国との友好も大切だが、人と人とのつながりが重要な支えである。