追記
どうもこの文章を「オッサンは真の救済を欲しているに違いないという主張」と誤読する人がいるらしいので、要約を追加しておく。真の救済wとはなんぞ。宗教かと。
オッサンが不幸なのは結婚できないからでもポルノの肩身が狭いからでもなく、
- オッサンの幸せ=結婚
- 結婚の代替品=ポルノ
- ∴結婚≒ポルノ
という、誰かが傷つかなければ幸せになれない価値観を維持していること。これがある以上、どのような救済もオッサンの孤独を救わない。いいかげん結婚幻想とオンナ幻想以外に目を向けたら?
以上です。
以下本文
キモくて金のないオッサンは「かわいくない」から救済されないのではなくて、有害だから救済されない。救済したらかみ殺されるかもしれない猛毒ヘビなんか誰も救おうと思わないでしょ。
オッサン共はオッサンを構成するアイデンティティがどれほど迫害的かということから目を逸らして弱者面してたらそりゃいつまでたっても地獄に住むことになるよ。
なお、今回の記事は「オッサンの社会的立ち位置」がテーマである。個々のオッサン一人ひとりがどのような人であるかは問題ではない。福祉サービスを規定する官僚あるいはオッサンを眺める通りすがりの人達は個々のオッサンの内面なんぞに興味は無く、統計上のオッサンを扱い、概念上のオッサンに対するイメージによって個々のオッサンに与えられる地位が決まる。
よってこの記事では個々人のオッサンではなく、オッサンという概念についてとりあげている。「オッサンはこんな奴」といった決め付けを多く書いていくが、これは「オッサンというカテゴリに対して現在の社会が付与している性質はこんなものであると私は捉えている」という意味であり「オッサンに対して多くの人が抱いているイメージ」の話をしている。それは個々のオッサンがどのような人柄であるかには関係ない。
これは例えるなら「女はスイーツが好き」と同じようなものだ。女というカテゴリに属する人種はスイーツが好きだと思われているから、女はスイーツを貰いやすい。だがそのことと個々の女がスイーツをどう思っているかは関係ない。
というわけで、本題。
『キモくて金のないオッサンは、誰もが結婚するのがあたりまえだった時代には結婚できていたはずなのに、結婚しなくてもいい時代になったからあぶれた。よってキモくて金のないオッサンには結婚の代償となる救済を与えるべきである。』
というロジックのキモさにまず気づいてほしい。
このロジックが成立するための条件は
- 結婚=幸せ
- 結婚できない=不幸せ
- 不幸せを解消するためには=結婚の代替品が必要
である。結婚しさえすれば幸せという図式もキモいが、このロジックのキモさのキモは結婚の代替品として『アルコール、犯罪、アイドル、ポルノ、VRポルノ、アンドロイド』が上げられている点だ。つまり、社会に復讐するか、女の代わりのセックスドールを手に入れるか。
ということは
- 結婚の代替品=セックスドール
という図式になっている。これを裏返すと
- キモくて金のないオッサンが真に救済されるためには女をあてがうしかない
になるわけで。つまり、オッサンの真の救済のためには
- 女はキモくて金のないオッサンとセックスしろ異論は認めない
なわけで。
そりゃ無理だよ・・・
そんな価値観を維持したまま承認欲求を満たしたいならポルノで我慢してください。ていうかむしろポルノとオッパイとラーメンだけ供給されるオッサン収容所で一生を過ごしてください。自分のことをかわいそうとか思う前に、自分がどれだけ他者を踏みにじっているかよーく考えてほしい。
なので、オッサンの救済は結婚でもポルノでもなくて、オレのオンナを所有することを幸せの必須条件としている現代社会の常識を解体すること、具体的には、オンナ以外の娯楽をみつけることだ。オンナと、オンナを取り合うライバルという欲望の三角形から抜け出して、オンナでもライバルでもないニュートラルな他者という存在を認めること。
社会がオッサンに対して用意すべき救済は、オンナをあてがうことではなくて、新しい関係を提案すること。なんかこう、シェアハウスとかそういう的な。