◆皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ 鑑賞◆
(原題:Lo chiamavano Jeeg Robot)2015年公開
上映時間:119分
オススメ:★★★★★
・監督:ガブリエーレ・マイネッティ
代表作:「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」※長編デビューは今作!
・脚本:二コラ・グアッリャノーネ
異様に熱い公式HP
http://www.zaziefilms.com/jeegmovie/
小島秀夫監督もコメントされていました♫(ドツボだよなぁ、きっと)
★出演者★
クラウディオ・サンタマリア『007 カジノ・ロワイヤル』(06年)イレニア・パストレッリ『』
ルカ・マリネッリ
ステファノ・アンブロジ
マウリツィオ・テゼイ
◆summary◆
キャプテン・アメリカを観たときに、ワタクシが本当に個人的に感じていることですが、ちょっと気恥ずかしさを覚えたのです。キャップ好きなんですけどね。
そしてアベンジャーズシリーズをあたかもメルヘン遊園地のように感じてしまうのは、
きっと自分が汚れているからだろう(笑)
キャップが達が貫く純粋な「何か」・・・それが引っかかるのだろうと。
逆にデットプールを観たときに、グイグイっと引き込まれた興奮。
ホントに皮肉屋で(アイアンマンとは違って生粋の)、ハチャメチャで、自信過剰で、好き勝手やっている「俺ちゃん」が、ものすごく自由で素敵だと。
そのときによぉーく考えれば良かったんですが(汗
あぁ「俺ちゃん」って僕達が抱えてる、我慢してる、押し殺してる『枠』をぶっ壊してくれているから好きなんだし、身近に感じちゃうんだなぁと考えました。
ヒーローだって楽じゃない。彼らも彼らでいろいろとトラウマだったり、トラブルだったりを抱えていて、辛いんだろうなァと思えるけど、彼らはヒーローであることを既に受け入れているし、そんな自分の使命を明白なものとして抱いている。だから、悩みなんての乗り越えてみせるんだ!(キリッ)
心強い仲間もいるし、サポートしてくれるしっかりとした組織もあるし、ヒーローとしての社会的地位も(笑)あるのだし。。。。
じゃぁ、そうじゃないのにある日突然超人になったやつはどうするの?
MARVELヒーローよりも、DCのジャスティス・リーグのヒーローよりも、そして何より原作よりも泥臭く、そしてどうしようもない「おっさん」による、いぶし銀の物語が始まります。
◆comment◆
戸惑いました。はい。全然華やかじゃないんだもの。。。
だけど、そりゃぁそうだよね。と、途中で気が付きました。
この物語は「beginning」なのだから。
5/20の公開で、ジェーン・ドゥの解剖を観た翌日に鑑賞。
しかし、感想をまとめるのに時間がかかってしまいました。
それが冒頭の戸惑い。飲み込むのにワタクシの感覚では時間が必要だったようで。
疲れてたのかしら(笑)
そして未だに完全に飲み込めていないです。
時間が経つにつれて、この作品が鑑賞した直後より好きになってきました。
骨太だなぁ。どうしてもっと早く日本公開されなかったのかしらぁと。
イタリアでは2015年公開です。
スクリーンにドーン!!と表示される日本語タイトルはオリジナルです。自動翻訳されたみたいだけど国内向けに付け足したものではございません。
ワタクシも日本人なので「おぉ」と、感じるものがありますなぁ。
洋画ばかり観ているくせにΣ(´∀`;)
原作というか、インスパイヤーされているのはご存知、永井豪原作の「鋼鉄ジーク」
不覚にもイタリアで永井豪作品がある世代にものすごく愛されているということを、この作品を通して改めて勉強になりました。(もはやミームになっとる・・・)
今でこそ世界中で様々な日本のアニメが観られていますが、1970〜80年代に作られた無骨な「スーパーロボット」物がある種バイブルの様な位置にあるのは日本だけではないのですなぁ。
原作の「鋼鉄ジーク」。
第一話がyoutubeの公式チャンネルで観られるのです。
実はこの映画、この第一話を観たあとに鑑賞すると、どれだけ監督がこの作品が好きだったのかが解ったり、解らなかったり。
めちゃくちゃ硬派で、いぶし銀。男臭くて、ぶっきらぼう(観客にも)。
むしろダンダダダダン、ダダンダン♪です。
なんの説明もなく、いきなり超人的な力を手に入れてしまった主人公。
・・・いったいどういう能力なのか、どうして手に入れてしまったのかなんて一切説明もなく、もちろん本人の同意もない不条理さ。
(鋼鉄ジークの主人公も気がつけばサイボーグになっていて、体内に物語のキーアイテムを埋め込まれているという設定です)
この主人公、渋いけど、ただの悪いおっさんです。
ただし、根っからのワルということでもなく「なし崩しにワルになるしかなかったどこにでもいそうな中年男」です。
物語の大部分の舞台になるのは、実在するトル・ベッラ・モナカという地区。
ローマ郊外に位置するこの地区はイタリアの中でも屈指の「危ない地区」なんだそうです。
そりゃ、運河に放射性物質垂れ流してるわ!!!って、オイ。
という言葉は飲み込んで(;・∀・)
このあたりの設定がめちゃくちゃだとかを責めてはいけないのです。
だって、永井さんの作品の根底にあると個人的に思っている「カフカ的不条理」からすると、舞台設定とは既に定まっているものであるので、よく考えていたら物語に入っていけないからです。
そういう意味では冒頭から永井イズムを素直に感じることが、この監督が描きたい世界をより身近に捉えることができるのではないでしょうか。
とは言え、世界の危機に直面するだとか、とんでもない強敵に正義の闘志を燃やすだとかいうヒーロー映画の王道展開はありません。
この作品は、この記事のサブタイトルでもあります
「とあるオッサンの、小さな恋とか大きな覚醒(胸熱)とか」の物語なのです。
鑑賞した直後、ちょっと物足りない、と思ってしまったワタクシの第一印象は「これは序章なのだ、プロローグなのだ」というところで落ち着いたのです。
とは言え、アメリカンヒーロー作品の持つ既定路線としての派手さや明るさをあえて持ち込まずに、主人公もヒロインもライバルにも等しく漂うどうしようもない「悲壮さ」はこの時代の混迷の象徴のように感じられます。
つまりこの作品の登場人物達のうち、どのような立場にも我々はなりうるということです。ファンタジーではなくて、もう少し身近な物語。最近こういう感覚多いなぁ。
だからこの作品を観たことがない人に、これってさぁものすごく不器用な「バットマン・ビギンズ」みたいだよと表現しても、捉えどころとしては不十分だろうなと。
だって、ブルース・ウェインは雲の上の人だもんな。
全くもって関連性がないのかもしれませんが、「ロッキー」の第一作目を観ている感じですかな。「ロッキー」が好きな方は、好意的に観てくれるかも。
超人的な力を手に入れてしまったとは言え、決して万能ではないオッサン。
それを憧れのヒーロー「鋼鉄ジーク」だと信じてやまないヒロイン。
この作品の主人公は皮肉なことに「鋼鉄ジーク」ではないのです。
「鋼鉄ジーク」に、ヒーローに、そんなものになれるわけではないと思い悩むひとりの等身大の男なのです。
自分自身を持て余してしまっているから、与えられた能力を自分のために使ってしまう。
だけど、それは誰もが同じなのではないでしょうか?
その結果、後悔しちゃうことって多いのではないでしょうか?
躊躇や戸惑いがあるから、時に小さくない失敗をして傷ついてしまう。
主人公エンツォの振る舞いって、「なんだこいつ?」と思えるんだけど、男なら誰でもやってしまいそうな事をしているんですよねぇ。
彼の日常生活なんて、いい歳をした独り身の男の最小公倍数的なものですわ(笑)
この物語のシュールさは、主人公が得た力によって巻き込まれる事態もさることながら、
「よく知らない他人の思惑」ってやつが多分に人の人生には影響するんだという恐ろしさも表現しているところにもあります。
この意味では感性や芸術性を重んじる立派なイタリア映画だと言えます。
ラストテロップが流れた時に感じた胸熱。
オッサンがオッサンでなくなったその姿に、知らないうちに拳を振り上げたい衝動にかられたはワタクシだけではないと思います。
「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」
このタイトルって、ラストから逆算して付けたんだろうな。
この泥臭さから始まる新たなダーク・ヒーローの戦い。
考えただけで、年甲斐もなくワクワクしちゃう。
だけど・・・・
ジーククラッシャーとか言ってるけど、それってただの鯖折りだろーが!!!
(第一話を観た文月の感想。ただし、この作品の印象的なシーンでこのツッコミは活きてきます(笑))
2017年映画鑑賞 85本目
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