中学生での株デビューから資産3億円〜かぶ1000さんインタビュー【前編】
株式投資歴30年のベテラン投資家・かぶ1000さん。中学生時代には証券会社に通い詰め、高校生にして資産は1000万円超、社会に出てからは就職することなく生きてきた根っからの投資家です。足と頭を武器にしてきたかぶ1000さんに投資家としての半生についてうかがいました。
かぶ1000さんはなぜ新聞を買わなかったのか?
「今朝の新聞に、かぶ1000さんのコメントが載っていましたね」。取材が始まる前、そんな言葉を投げると、かぶ1000さんはスマホを取り出した。
「あ、そうですか。それは、あとでもらってこないと。あの新聞、このクーポンを見せると無料でもらえるんですよ」
お金持ちなんだから買ったら……? と言いたくなるが、これこそ、かぶ1000さんの真骨頂。買っても、クーポンでもらっても新聞の中身は同じ、ならば安く手に入るに越したことはない――本質的価値を見極めて、割安な手段を選択していく投資スタイルを日常でもしっかり貫いている。
「株を始めたのは中学生2年生のときです。毎年、お年玉をもらっては積み立てていた定期預金が満期になったことがきっかけでした。僕が貯金を始めたころはまだ金利が高かったのですが、預けなおそうとすると、金利が激減していました。だったら、貯金なんてしたくないと叔父に相談したところ、『株を買ってみてはどうだ』と提案されたんです」
そう聞くと、裕福な家庭を想像するかもしれない。しかし、「むしろ貧乏なほうだったと思います」、だそうだ。
14歳、40万円での株式デビュー
「当時の資金は40万円。そのころはまだ、1000株単位の銘柄が主流で、なかには2000株単位の銘柄もあった。40万円で買える銘柄の選択肢はごくわずかでした」
今は100株単位が主流となり、40万円どころか10万円で買える銘柄も多い。中学生だった、かぶ1000さんが投資家デビューに選んだのは2銘柄だった。
「日本は島国だから船舶が絶対必要だ、ならば海運業はいいだろうと海運株をひとつと、もうひとつは自動車関連でした。当時、トヨタのお膝元である東海地方に住んでいたので、自動車には縁があったからです」
世界を震撼させたブラックマンデー(1987年10月)の直後、市場が立ち直りを見せていたころの話だ。日本経済はブラックマンデーを克服、株価はおもしろいように上がり、資産はわずか1年で300万円にまで膨れ上がった。
「株ってこんなに儲かるのか――まさに有頂天でしたね」
中学生からすればケタ違いの資産を手に入れ、かぶ1000さんは投資の魅力に取り憑かれていく。
体育ジャージの中学生、証券会社に入り浸る
「坊、なんかいい株ないか?」
顔なじみの男性に声をかけられた。そのころ、学校の授業を終えると、ジャージ姿のまま証券会社に通い詰めるようになっていた。いつものように証券会社で株価を見ていた日のことだった。
「任天堂が上がると思います。学校じゃ『ファミリーコンピュータ』がものすごく人気だからです。これからもっと流行ると思います」
『スーパーマリオブラザーズ』に『ドラゴンクエスト』など、大ヒットシリーズが続々と発売されていたころ。任天堂は「花札の会社」から「ファミコンの会社」へと大変革を遂げている最中だった。
「任天堂株を自分で買えるなら買いたかった。でも、お金が足りませんでした。そのおじさんは僕の言葉を信じて、数千万円ほど儲かったそうです」
物珍しさに加え的確な投資眼もあり、ジャージ姿の中学生は証券会社に集う大人たちにかわいがられるようになった。
バブル紳士からの危うい誘い。乗るか断るか
「坊、任天堂のときはありがとうな。お礼にいい話を紹介してやる。こないだ競売で買った1000万円の土地だ。転売すれば即、3000万円にはなるぞ」
バブルの追い風もあり、高校生となったかぶ1000さんの資産は1000万円に達していた。ちょうど買える。この話、乗るべきか、断るべきか――。
「迷いましたが断りました。自分で精査することなく、他人から言われたままに資産を投じるのはどうかなと思ったからです。それに――」
この紳士の本業は不動産だった。とある放課後、かぶ1000さんは紳士に連れられて不動産取引の現場を何度か見学させてもらったという。
「取引といっても、立ち退きの交渉です(笑)。あの時代ですから、地上げのようなこともやっていたのかもしれません。そうした現場を見て、不動産投資は自分に向いていないと感じていました」
不動産バブル崩壊で、バブル紳士がどうなったか。その後はわからない。しかし、バブル紳士の言葉は今もかぶ1000さんの心に残っている。
「坊は金持ちになりたいか? だったら、チャンスを逃すなよ。人生には大きなチャンスが3回訪れる。その1回でもつかまえれば大金持ちになれるんだ」
40万円→1500万円→200万円
40万円からスタートした株式投資。高校生時代には1000万円を超え、ピーク時には1500万円に達する。しかし、不動産バブルは崩壊、イラクのクウェート侵攻による相場の暴落もあり、かぶ1000さんの資産は200万円へと激減する。
「株はこんなにも値下がりするんだと、身をもって学びました。勉強が足りなかったんですね」
バブル紳士が言っていた3回のチャンスをどうつかまえるか。かぶ1000さんなりに考え、投資家としてのスキルを高める道を選んだ。
「高校を卒業して、会計の専門学校に入りました。損益計算書や貸借対照表が読めなければ、企業を精査できないし、株価が割高か割安かもわからない。専門学校で勉強したことは今につながっています。僕のスタイルの創成期ですね」
サボり放題だった高校と違い、専門学校には真面目に通ったという。勉強する内容が株式投資に直結すると思ったからだ。
「就職活動が始まると、ある地場の証券会社から声がかかりました。うちで働かないか、と。迷わなかったといえばウソになりますが、結局断りました。誰かに株を買ってもらって手数料を稼ぐよりも、自分で株を買いたかったからです」
専業投資家になる道を選んだ。「就職率100%」を謳う専門学校だったため、学校からは就職を強く勧められたが、決意は揺るがなかった。14歳から始めた株式投資が、かぶ1000さんの仕事となった。
次回は4/12(水)配信予定です。