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漫画誌「月刊コミック」(新潮社)に連載の「最後のレストラン」がある。藤栄道彦の作品で、歴史上の人物が末期の際に現代の日本にあるレストランに姿を現し、最後の食事を注文して、それを食べて別の世界に旅立つというストーリーである。
コミックも9巻まで発売された。その中で、アイヌ民族の英雄シャクシャインも登場する。世界の歴史にまつわる人物の食のエピソードなので、歴史を知ることと、時代背景の「食」に関する知識が創作の上で欠かせない。
藤栄の作品では、次の注目される点があった。
①「シャクシャインの乱」というふうに「乱」と表現している。昔は「乱」だの「一揆」とされてきたが、江戸時代のアイヌ民族は、大名や旗本の領民ではなかったので適当ではないとして現在では「シャクシャインの戦い」と表記されるようになっている。しかし、藤栄はあえて「乱」という言葉を使っている。
②漫画など、予備知識が全くない不特定多数の人々に「シャクシャインの戦い」に関して紹介する場合、おおむね「松前藩の非道」VS「アイヌ民族の自治」という構図で説明するのが一般的ではないだろうか。
ところが、藤栄は「迫害」を否定し、「アイヌと和人の婚姻が普通に行われていた」「和人とは比較的良好な関係だった」「アイヌはカムイ(神々)だけでなく和人とも共存しておった」などという史観で綴られている。
③シャクシャインの注文は「オハウ(汁物)」で、シェフは知恵をひねってアイヌ風クラムチャウダーを作る。隠し味には「酒粕」を入れ、シェフは「アイヌ伝統の食材に、和人の酒粕を使うことで共存してきた二つの世界を表現した」と説明する。シャクシャインは大いに満足、賞味して「あの世」に旅立っていく。
私自身はすべて対立の構図で説明することは適当ではない、と考えている。しかしながら、なんでもかんでも「共存共栄」みたいな考え方も問題だと思う。例えば、シャクシャインが「最期」を迎えた「謀殺」をどう説明するのだろう。さらに明治時代のアイヌ民族の窮乏を、どう説明するのだろう。
国立博物館が白老町に造られ、同時に東京五輪の開会式でアイヌ民族が行進し伝統の歌と踊りを披露する。このように新しい時代を迎えようとしているが、アイヌ民族に関する理解は皮相で、あらぬ方向へ向かうのではないかと危惧している。
「アイヌと和人の婚姻が普通だった」というのは、どんな史料に依拠しているのだろうか。現代の日本では、日本人と外国人の結婚は「普通」かもしれないが、それでは明治時代は「普通」だったろうか。
また、最後には作者のメッセージで「松前藩にはアイヌの藩士もいた」とあるが、私は初耳である。なんという藩士がアイヌだったのか、ご存知の方がいればご教示を乞うものである。
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貴殿はコミックにもアンテナを向けていますか、、、感心します。
今回記事も同意できます。
2017/3/11(土) 午後 11:50 [ 山のmochi ] 返信する
> 山のmochiさん
ありがとうございます。ツタヤのレンタル愛好家です。
2017/3/12(日) 午前 9:40
返信する
こんにちは。お久しぶりです。
シャクシャインの娘婿が庄太夫という和人だったのでそこから出てきた間違った解釈ではないでしょうか。それはたまたまたまそういう一例があっただけで、それが一般的だったとは思えません。
松前藩士うんぬんについてはよく分かりません。あまりきちんと調べているとは思えないので怪しい話ですね。
2017/3/26(日) 午後 9:46 [ poronup ] 返信する
> poronupさん
お久しぶりです。私も一瞬、娘婿のこと(漫画にも描かれていた)を想像しましたが、このケースをもって「一般的」というのは変ですね。
このシナリオは、東京五輪にアイヌ民族を動員する官邸側の歴史観や意向が「忖度」されているように感じました。
2017/3/27(月) 午前 8:54
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