無職は冷たい玉座に座る【連載】神様がボクを無職にした

フミコフミオ フミコフミオ


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才能や才覚や固定資産が皆無なうえ、両親から引き継いだ歪んだ性格のために窮屈で不愉快な思いばかりしている。昨年末に退職して無職フリーダムに堕ちて、めでたく、世間から羨望の眼差しの先にいるはずの自由人になれたのに、なぜだろう、より窮屈で不愉快な思いをしている。とにかく生きにくいのだ。

ツラすぎるからだろうね、茜色の夕焼けを見上げたり、通帳残高を眺めたりするだけで溢れてくる涙。正社員への道の想像以上の厳しさに自律神経がクラッシュしたのかもしれない。病院で診察を受けたいが自己負担額すら払えない。このような極限状態にあるときは、心を殺してネットニュースのコメント欄を眺めるようにしている。

そこに寄せられた市井の人たちの、コカ・コーラあるいは醤油のような黒く澄んだ精神、そこから発せられる無垢な声に僕は癒されるのだ。特に癒されるのは、知名度の低いアイドルの引退ニュースに寄せられる「どこの誰だか知りませんがお疲れさまです」「よくぞ今まで日の目に当たりませんでしたね」という類のコメントである。ああ・・・世の中には僕よりも一億倍も劣悪な人格をお持ちの、生き物的にオケラやアメンボに劣後するような方でも、人目に構わず(といえば聞こえがいいが)、誰からも相手にされなくても、強く立派に生きている。僕もまだ生きていていいのだ。世の中はまだ捨てたものではないのかもしれない。神様ありがとう、と。

世の中は、本来ならば誰にとっても生きやすい社会に向かっていっていなければならないが、基本的には便利になる一方である。それでは今、一方的に便利になっているはずの世の中で、僕が感じているこの生きにくさ、窮屈さはどこから来るのだろうか。

たとえば最近のSNS。発言にわずかな瑕疵があるだけで、面識のない人たちから断罪され、謝罪を求められる。酷い場合は「死ね」「イ〇ポ」などと誹謗中傷される。人が誰でも死ぬことは自明の事実であり、僕がEDであることも逃れられない現実なので、悪口としては事実現実を指摘しているだけの低レベルの出来損ないにすぎない。

問題は、面識のない人であっても誹謗中傷できてしまう、ということだ。

以前は越えられなかった一線をイージーに越えてしまう。無論、それなりの問題発言をすれば叩かれて然りなのだけれども、あまりにもそれが行き過ぎると、冗談もいえない息苦しさになってしまうのもまた然りなのである。現代には総じて余裕がない。笑って流すような余裕が。「いいじゃん」「ええやん」みたいな。
 
 
今、僕はこの文章を野球の国際試合のテレビ観戦をしながら書いているのだが、ちょっとした事件があった。ホームランになるかどうか微妙な打球を、外野席にいた子供がキャッチしてしまったのだ。ホームランはツーベースヒットになってしまった。

僕は、当該子供がSNSで激しく叩かれているのを見た。その子供がしたことは褒められたものではない。だが、何千だか何万だかの大勢から袋叩きにされなければならないほどのものだろうか。「アホなことするな」とお灸を据えればいいだけのところに、火炎放射器を持ち出すのは人としてどうなのだろうか。罪と罰のバランスが崩れている。余裕をもって受け流すことの重要性について考える今日この頃なのである。
 

さて、国会で話題の森友学園様には、独特の教育方針で安保法制大好きなお子様を養成していただければ面白いなーゲラゲラゲラと、性格の悪い傍観者を決め込んでいる僕が、なぜこのような青臭い正義についての話をしているのか。無職生活でおかしくなったのではない。罪罰アンバランスでおかしくなったのだ。僕も自分のしくじりに見合わない断罪と謝罪を求められたのである。
 

先日、ウォシュレットトイレを使用した際、便座の電源をオフにするのを怠って外出してしまったのだ。皿洗いのパート仕事に従事して帰宅後にホカホカになった便座を発見した妻からこっぴどく叱られたのだ。「電気代が無駄ではないか」「環境に対する意識が低い」「ぬくぬくの便座のような生温かい環境にいるから正社員になれないのではないか。冷たい便座に打ち克つ精神を身につけなさい」という非人間的な断罪に続いて、謝罪として寿司・焼き肉をご馳走することを求められたのだ。

《無職は冷たい便座に座っていればよい》

なんと無慈悲な。このようなアンバランスな罪と罰を許してはいけない。しかし、僕は反撃しない。ここで妻に、「チミは便秘後の爆発時にトイレットペーパーを使いすぎだよ。もし使うなら吸水性に優れた高価なダブルタイプではなく、古紙と交換で入手した粗悪ペーパーを使ってくれたまえ」と断罪謝罪要求してしまったら、僕にあの少年を叩いた大勢を批判する権利はなくなってしまう。罪と罰のアンバランスを正す前に、僕は憎しみの連鎖を止めたいのだ。

止めたいけれども、止める前にこの連載のタイトルを「神様がボクを無職にした」などという非人道的なものにして、正社員に向け日々努力している僕の気持ちを蔑ろにした『街角のクリエイティブ』編集部には謝罪を要求したい。世の中を良くするよりも先ずは個人的怨恨。戦争やネット炎上がなくならない理由は案外このあたりにあるのかもしれない。

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