www.tv-asahi.co.jp
※ネタバレあり
テレ朝の二夜連続スペシャルドラマとして放送された「そして誰もいなくなった」
オープニングに「アガサ・クリスティ原作」を掲げただけに、大幅な脚色はなく大まかなストーリーは原作通り。
ただ現代を舞台にしたり、今っぽい要素とアナログで機械式のトリックが混ざり合いながらも本格に対するこだわりが強かったのは、脚本に作家でもある長坂秀佳が参加し、監督に和泉聖治(相棒)だからだろう。
【スポンサーリンク】
いつもの事件
問題は、この「そして誰もいなくなった」が何度も映像化された「お馴染み」の作品だというところ。*1
国内で初映像化というのは、かなり意外でしたが。
近年だけでも、BSプレミアムで去年11月に放送されたイギリスBBC制作版「そして誰もいなくなった」だったり*2、2014年にはアーノルド・シュワルツェネッガー主演「サボタージュ」として映画化もされてる。
「サボタージュ」は爆破あり、強盗ありのアクション「そして誰も」でしたが……。
- メディア: Amazonビデオ
- この商品を含むブログを見る
映像化
この「そして誰も~」は構成として
・被害者らが孤島に集められる
・ディナーの席で刑を告げられる
・一人づつ死ぬ
・全員の遺体が見つかる
・刑事による推理
という大まかな流れ(原作では手紙が見つかる)。
このお馴染みの事件は、一度読んでいればキャストの職業を見るだけで誰が犯人かわかってしまうという困った作品でもある。
テレビドラマとして成立させるなら
1.犯人やトリックを変えてしまう
2.原作を代えずに忠実にやる映像にする
この二つのやり方がある。
映像化の多くは2で、1のようなやりかたはあまり見ない。綾辻行人がサスペンス枠でドラマ化する際は1のやり方が多いが、今回は2。
だが2の場合、誰が犯人かわかっている視聴者を意識して「犯人がわかっていても面白く観られる」作り方にしなきゃならない。
そこで「オリエント急行殺人事件方式」で豪華キャストをそろえ*3、誰が犯人でもおかしくないように見せ、さらに現代に舞台を変えることで今までにない要素を入れ込む。
こうすることでこれまでにない「そして誰も~」の可能性も匂わせる。
最年少で真っ先に死ぬ役ですら向井理。
仲間由紀恵が狂言回し、津川雅彦、大地真央、橋爪功とベテランの演技達者な役者ばかりをそろえたからこそ、どのシーンを切り取ってもきちんとしたクオリティの芝居になってる。
だから知っている物語でも飽きずに観ることができる。
まったく同じ舞台劇でも演者が代わり、その芝居が素晴らしければ楽しめるのと同じ。
独り語り
「そして誰も~」は犯人vs刑事の話ではない。
刑事が推理している時点で事件は犯人の手で成功しており、あくまでも推理は読者のための解説になってる。
刑事は登場するが、正義の裁きを行おうにも既に犯人は自分で自分を裁いたあと。
犯人の仕掛け通りに事件は転がり、望みを達成したあとで、警察がおっとり刀で駆けつけてくる。
そこで必要なのが、犯人の最後の独り語り。
沢村一樹扮する刑事 相国寺竜也は、渡瀬恒彦演じる犯人 磐村の残したカメラの映像や手がかりから犯行の一部始終を推理する。
ところがこれらはすべて磐村が意図的に残した証拠ばかり。警察に対して映像による叙述トリックを仕掛けて見せた。
これは磐村の承認欲求みたいなもの。
自分がいかにすごい犯行を成し遂げたかを見せつけるための記録映像。
そして最後に犯人 磐村の告白シーン。
本来、この告白がなく相国寺刑事の推理だけでも成立する。
相国寺は、磐村の犯行を忠実にトレースできてる。
原作のように犯人の手紙だけで終ると、警察の「正義」より犯人の「犯行」が上位になってしまう。
相国寺の推理だけで終わってしまっても磐村は死んでいるために犯行の動機を否定しづらい。
犯行を告白する磐村と相国寺は、相対しなければならない。
そこで磐村の映像が必要になる。
正義vs正義
渡瀬恒彦氏の遺作になった今作。
渡瀬氏と重ね合わせたような元判事 磐村兵庫の設定に、本人は何を感じたか。
犯人である磐村は、自身の殺人衝動と正義について映像の中で語る。
時系列で被害者の側から描かれた事件が、再び犯人側からの視点で描かれる。
動機について語るときの、鬼気迫る、磐村が憑依したかのような渡瀬恒彦最後の名演。
車椅子に座り、鼻に管をつけ、死力を振り絞る様子は、余命いくばくもない元判事と渡瀬恒彦が重なって見える。
そして「この犯行は芸術だ」と語り映像は終わる。
自信と狂気に満ち、薄ら笑いを浮かべた表情が印象的。
それを見る相国寺は時間も空間も超えて磐村の理論と相対する。
相国寺は、そんな磐村の独白を観終わり、
「殺人に芸術はない」
とそのすべてを切って捨てる。
このひと言で、磐村の遺言である正義や理論を全否定してみせる。
自己顕示欲に満ちた磐村最後の作品である事件の記録を見た上で、作られたその意味を全否定する。
磐村の言う「正義」は、独善的で狂気に満ちた卑しい、ただの私刑であり単なる殺人でしかない、と。*4
このひと言がないと、この物語は磐村の言う「正義」の勝利になってしまう。
磐村の独善的な「正義」と相国寺の「正義」は異なる。
相国寺は、社会的な「正義」を暗喩するキャラクター。
磐村の正義を否定するため、犯行を推理し、身勝手な磐村の「正義」を切り捨てる。
相国寺がいなければ、犯行は磐村の独白で明らかになり、その正義を否定する人間もいない。
ミステリとしては成立するがドラマ「相棒」でもひたすら「正義」にこだわる和泉聖治監督としては、磐村を否定したい意図が見える。
相国寺は、杉下をカリカチュアライズした「社会正義」の体現なのかもしれない。
二夜連続の長尺ドラマ。
トリックの昆布など脚本に多少のツッコミどころはあったが、やはり渡瀬恒彦氏最後の熱演だけでも観た甲斐がある作品だった。
素晴らしい名演でした。
ご冥福をお祈りいたします。
- 作者: アガサ・クリスティー,青木久惠
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/11/10
- メディア: 文庫
- 購入: 17人 クリック: 42回
- この商品を含むブログ (71件) を見る