育児や介護などの特別な事情がなく、個人交渉で「部活動を持たない」 と宣言することは弱者を追い込むことにつながる!
詳しくもう一度述べさせてください!
〇前回の記事『個人交渉で「部活動を受け持たない訴え」は他の教員を苦しませるだけではないのか?本当の勝利は全員の負担軽減のはずだ!』について。
こちらが前回の記事になります。
なかなかの反響を呼び、ふらっと見ていただいた方からもたくさんのコメントをいただくことができました。
否定的な意見もそれなりの数いただいたのですが、反対意見と意見を交わしてさらに良い案としていきたいところもあったので、コメントをいただいた方々には非常に感謝しております。
また、コメントはくださらなくとも、見ていただいた方にも部活動問題を考えるきっかけになれば幸いです。
私としては継続的に取り上げている問題なので、重複する部分は省略してしまった部分もあり、しっかりと伝わらなかったところもあったようです。
一応関連する記事へのリンクは貼りましたが、それを全部読んでからコメントしろというのもおかしな話ですから、もう少し私が過去に述べた意見も詳しく掲載しておけば良かったなと反省しております。
まあでもとりあえず過去の部活動問題について考えた記事はリンクを貼っておきますね。
〇コメントをいただいた方にできるだけ丁寧に返答します!
ここからコメントをいただいた方に返答していきたいのですが、読者でない方も多いのでIDコールつきで返答させてください(IDコール初めてするのでうまくできるかな…)。
さらすような意図ではなく、継続議論として読んでいただけたらという意図です。
さすがに全員の方に返答は無理でしたが、これに対してまた意見をいただけたら嬉しいです。
よくある「炎上」→「キレる」→「再炎上」という構図を狙っているものではありませんのでご理解ください。
あくまでも部活動問題について真剣に考えていきたいと思っています。
長いので、読むのが大変な方は結論までお飛びください。
【主なコメントとそれに対する返答】
id:oakrw 職分に含まれていないない事を「実質仕事」とか「"自分"ルールはルール」って教師より前に遵法と倫理がない最悪の人間。それは校務分担に加えてから言うのが遵法と社会のルールじゃないの?こんな教師、本当に最低。
→『職分に含まれていない事』これは非常に微妙なのです。部活動を職分ではないと断定できるのでしょうか?いろんな意見がありますが、結局は解釈の違いです。
「スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上 や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関 連が図られるよう留意すること」
現行中学学習指導要領より引用
ご存じかとは思いますが、学習指導要領上は微妙な扱いです。学校教育の一環ですから、教員の職分とも取れます。この微妙な「実質仕事」を仕事ではないとみなすと現場は大混乱になると思いませんか?私も理想論でうまくいくならばそうしたいですが、現場では部活動は在るものとして進んでいるわけですから。
id:fraction 「ルールはルール」、で嫌だから個人的にまず反乱しているじゃないの?何も悪くないよね、廃止の第一歩としての個人の拒否。まさか根回しして一気に制度変革以外は余地ないとか思ってるのか、この人。
→ご意見よく分かります。私のやり方では遠回りではないかとも悩みます。しかし、個人的に「部活動のあり方はおかしい」と反乱するのはけっこうですが、本当に個人だけで拒否したときにやはり煽りをくらう人がいることはお分かりになりますよね。その結果職場の仲間が病気休職というのはやはり違うのかなと思うのです。後述しますが、私もその病気休職経験者です。
id:hate_flag 「しわ寄せは当然他の教員に行く」が全然まったく完全に当然ではない。
→これはちょっとよく分からないですね。後述しますが、私自身完全にしわ寄せを受けて病気休職した経験があるのですが…。
id:vanbraam "バイトが「シフトに入らない」のは他のバイトを苦しませるだけではないのか"に置き換えると主張のダメさがよくわかる.しかもバイトはシフトの分給料出るが,部活は出ないか出ても雀の涙
→置き換えることに無理があると思います。その置き換えでいくと部活動(バイトのシフト)を改善するにはどうしたら良いのですか?全員がシフトに入らない?外部に委託する?意味が分からなくなります。そもそもバイトのシフトも組む段階では各々が入れる範囲で入るのでは?それは私の言っているように「やれる範囲で全員が協力してやる」ことと同じでは?「私は全くシフトに入りません」と店長と個人交渉。これはバイトをやめるだけでは?やはり置き換えに無理があります。
id:meeakat やりたくない個人がそれぞれ声を上げる事によって全体の動きにつながっていくという戦略もアリだと思うし、実際それで注目され始めてるんだから結果的に正しかったのでは?
→非常に微妙なところですが、私は個人交渉がきっかけで注目され始めているとは思っていません。個人が声をあげたことから広まったとは思うのですが、そうして一般に認知されていくにつれ、それを権利として主張する人が出始めて個人交渉が増えたと感じます。id:meeakat さんのおっしゃるように「個人がそれぞれ声を上げる事によって全体の動きにつながっていくという戦略」が成功したのだとしてもその過程で病気休職者が出るようではいけないのかなと思います。
id:jtkhs 自分第一主義の教師を見て子供がどのように育つのかが一番の問題だと思うけど。部活をしないと教師が主張するなら、子供たちにも生徒会はしないなどの選択肢を与えるべき。同じと思うのはおかしい?
→子どもが一番という視点は忘れてはいけませんね。本来、部活動問題は「部活動が負担で良い授業ができない=子どものためにならない」というスタートでした。子どもの部活動強制加入も問題になっています。id:jtkhs さんと同じく私は強制加入には反対です。
id:rascalrascal 公務分掌に規定しようとしまいと、管理職の業務の割り振りの問題なのではないのでしょうか。
→おっしゃる通りです。気の利く管理職や部活人間ではない管理職であれば、仕事の負担を均等に(もちろん育児や介護を加味して)するように努力してくださるはずです。しかし、大部分の学校では、部活動を除いて仕事内容が均等になるように割り振られています。これはやはり部活動が公務分掌に位置づけられていないからだと思います。
id:possesioncdp 熱心であることは正しいとは限らないの典型例みたいなひとだな、、、ちょうど部活指導員の外部委託できるように法律変わるからこういう議論減って行くと良いね http://benesse.jp/kyouiku/201702/20170220-1.html
→部活指導員では小手先の変更で、ほぼ負担感は減らないと思いますよ。まだ導入前ですし、100%とは言えませんが、外部指導員に毛が生えた程度になると思います。私は熱心に考えているつもりですが、その「正しい」答えはどのようなものだとお考えかお聞かせ願えたら嬉しいです。少なくとも個人交渉ではなく、職場全体で、教育現場全体で考えていかなくては変わらないのではないでしょうか?
id:firstbento 出たー脳筋思考「他人が苦しむからお前も苦しめ」/まず、生徒に対して、部活動を行わない権利を明確に認めよ/ルールって言っても不文律でしか無いから問題なんでしょ
→3点ありますね。まず「他人が苦しむからお前も苦しめ」ですが、その真逆ですね。「全員が少しずつ負担を減らすように考えよう」ということです。逆に「他人が苦しむけど、まず自分が楽を」の方が正しいのでしょうか?
二つ目、「生徒に対して部活動を行わない権利を明確に認めよ」。私はその件に触れていませんが、全く同感ですね。強制入部はよほど特殊な事情がある学校以外ではすべきではないと考えています。
三つ目、「ルールって言っても不文律でしか無い」とありますが、それは解釈の違いなんですよね。上記にも掲載しましたが、
「スポーツや文化及び科学等に親しませ、学習意欲の向上 や責任感、連帯感の涵養等に資するものであり、学校教育の一環として、教育課程との関 連が図られるよう留意すること」
現行中学学習指導要領より引用
これをどう捉えるかですよね。学校教育の一環であるので教員が関わらないのは不自然とも言えますよね。また、学校単位では教育課程届や保護者向け文書で、明確に文章で「全員顧問制」などをうたっているところも多いです。
id:katouk そんなことは気にしないくていい。全体のことに対して責任を取るのは管理職の仕事だから
→その通りなのですが、その結果、同僚が病気休職したらどうしましょう?育児や介護などで本当に無理なら断るのは一向に構わないと思っていますが、今回挙げたツイッターの例は「自分の主義主張」を中心の理由として断っているという点でちょっと違うのかなと思います。