今回は「自分のことを嫌うのは自分のことを愛している証拠」という話をしたいと思います。
僕はかつて自分のことを責めてばかりいるタイプの人でした。
特に20代の頃は何をやってもダメだったから、ずっと自分のことを嫌ってばかりいました。
- なんでできない?
- なぜうまくいかない?
- みんなはスルスルっと人生を泳いで行ってるのに、どうして自分だけノロマなんだろう?
__そんな風に僕は朝から晩まで自分のことを責めてばかりいました。
本当は自分のこともっと好きになりたいのに。
本当はもうこれ以上自分のことを嫌いになりたくないのに。
どうしても好きになれない。
何の実績も上げることができない自分が嫌い。
情けない。
だからいっぱい努力して、いっぱいいろんなものをかき集めてくる。
それでぽっかり空いた穴を埋めようとする。
でもうまくいかない…。
穴は全然埋まらない。
努力はいつまでたっても実を結ばない。
20代の頃の僕はとにかくそんな風にあがいてばかりいました。
今ならわかるんです。
そういう風に頑張ろう頑張ろうとするから、ますますうまくいかないってことが。
それでうまくいかない自分のことがますます嫌いになるってことが。
___今回はそんな話をしたいと思います。
目次
- 僕は「努力」することで自分の欠落部分を埋めようとしていた
- 僕は自分自身に対する「いじめっ子」だった
- 幸せになるための「手段」よりも大切なこと
- 自分を嫌えば嫌うほど「自分のことが好きになる」法則
- 本当に嫌いなことには人は無関心になる
- まとめ
僕は「努力」することで自分の欠落部分を埋めようとしていた
みなさんはどうでしょうか?
自分のことが好きですか?
自分に自信がありますか?
もしかして「自分が嫌いだ」って思ったりしていませんか?
__かつての僕のように。
自分のことが嫌いだった頃、いつも疲れていたことをよく覚えています。
肩に力が入って頑張っちゃってるんで、余計に疲れる。
朝から心も体もフル回転してるんで、家に帰ってくるとぐったりしていました。
その頃の僕にはまったく余裕なんてものはありませんでした。
毎日楽しくない。
自分自身に「違和感」を感じる。
幸せとか、楽しい!とかっていう感覚から100万光年くらい離れていました。
自分のことを喜ばせたり、楽しませたりしようなんてこと考えたこともありませんでした。
いつもシリアス。
いつも眉間にしわを寄せていました。
僕は僕なりに努力していたんです。
「何とかしよう!」としていました。
すごく頑張ってた。
今から振り返ってみても、あんなに頑張ったことなんて僕の人生にありませんでした。
だけどどういうわけか、頑張っても頑張ってもうまくいかない。
うまくいかないから、ますます頑張る。
『努力』をすることで欠落部分を埋めようとする…。
__でもあれは努力なんかじゃない。
単なる、いじめです。
「自分いじめ」です。
今ならそれがわかる。
▼関連記事
僕は自分自身に対する「いじめっ子」だった
頑張ることや努力すること自体は決して悪いことではありません。
だけど、ものには限度というものがあります。
度を越した頑張りや努力は自分自身に対する「虐げ」に変わります。
僕は努力していたんじゃないんです。
本人は努力しているつもりでいたんだけど、自分を虐げていただけ。
自分を責めていただけ。
自分を大切にしていなかっただけなんです。
自分に自信がないから、自分のことをとことん痛めつける。
「お前はダメな人間だ!」「お前は役立たずだ!」「お前は何をやってもうまくいかない奴だ!」って。
そういえばあの頃、僕の部屋は本当にひどかった。
毎日、コンビニ弁当。
95%ぐらいゴミ屋敷。
タバコも吸っていたし、ブクブク太ってた。
精神的にも肉体的にも自分をとことんまで追い詰めていました。
悔しいから自分を責める。
自信がないから自分を痛めつける。
「お前なんか嫌いだ!」って。
そんな人間、当然誰からも愛されません。
恋愛も、仕事も、何もかもうまくいかない。
うまくいかないから、ますます自分のことが嫌になってゆく。
今では信じられないことですが、僕は昔、そんな無茶苦茶な毎日を送っていたことがありました。
他の人をいじめたりしなかったのが不幸中の幸いだったと思います。
その代わり、自分のことをいじめていた。
徹底的にいじめていた。
「どうにもなれ!」って。
▼関連記事
幸せになるための「手段」よりも大切なこと
おそらくこれを読んでくれている方の中にも、かつての僕のような状態に今いるという人もいらっしゃるはず。
でも、もう大丈夫。
僕を見てください!
申し訳ないけど、僕は今ものすごく幸せになっています。
嘘みたいに。
あんなに自分のことが大嫌いだったのに、今はもうそういう自己嫌悪におちいることはありません。
もちろん僕が復活したのは『不動産投資』というものと出合ったことが大きい。
その出合いのおかげで僕は脱サラして、起業して、自由気ままな毎日を送ることができるようになりました。
でもそれはあくまでも『手段』です。
大切なことはもっと他にあります。
- 心意気
- マインドセット
- 捉え方・考え方
__うまく言えません。
だけど、こっちの方がはるかに重要なことなのです。
では、いったい僕はどうやって立ち直ったのか?
どうやって復活したのか?
何をどのように考えたのか?
この方法は僕には効果がありましたが、みなさんに効果があるかどうかはわかりません。
だから、オススメはしません。
そのやり方とは、
- 自分をとことんまで嫌ってみる
__というやり方です。
▼関連記事
自分を嫌えば嫌うほど「自分のことが好きになる」法則
そして自分をとことんまで嫌ってみたら、必ず最後に「まさか!」と思える気づきにたどり着きます。
その気づきとは、「僕は本当は自分のことが大好きだった!」という気づきです。
まさにパラドックス。
自分を思いっきり嫌って嫌って、落ちるところまで落ちてみて初めて知ることができる、「本当は自分のことを誰よりも愛しているのは自分だった」という気づき。
僕はそのことに気づいた時、心の底から驚いてしまいました。
自分を意識して落としてみるのです。
徹底的に自分をいじめてみるのです。
そうやってビシビシ自分を責め続けたら、きっと「自分を嫌う」という感覚とは違う感覚を味わうはずです。
その感覚を言葉にすると、こんな感じになります。
- 俺はそんなにひどくない
- 俺の人生はそれほど悪くない
- 俺はまだまだこれからだ
- 俺はきっと這い上がれる
- これ以上、悪くなることはない
- 自分のことが好きだ
- 俺はきっとやれる
- 俺は大丈夫だ
- etc
__すべては考え方ひとつで変わります。
自分を嫌うのも自由。
自分を愛するのも自由です。
僕は散々、自分を痛めつけてきたのでそのやり方にほとほと疲れちゃったんだと思います。
飽きた、というか。
散々、自分を責めて責めて責め続けてみたら、そこにあったのは「そんなに責められてもまだ輝いていた自分」でした。
- なんだ、俺は大丈夫だったんだ
- 俺は全然、ダメじゃなかったんだ
- 勝手に俺が間違った解釈をしていただけだったんだ
__僕は心の底からそう思えました。
▼関連記事
本当に嫌いなことには人は無関心になる
誰もが心の中に「自分を愛する気持ち」と「自分を嫌う気持ち」を持っています。
20代の頃の僕はその片方のバランスが取れていなかっただけ。
偏りすぎていただけ。
よくよく考えてみたら、僕はそれほど悲惨じゃなかったんです。
それに僕は気づいちゃったんです。
僕は「もっと自分を大切にしてあげよう!」と心の底から思いました。
今まで散々ひどい目に遭わせてきた分、今度は思いっきり自分を優しくしてあげようと思いました。
僕は髪を切り、髭を剃り、部屋を片付けました。
体にいいものを食べるようにし、タバコもやめ、ダイエットにも励みました。
今度は自分を可愛がってみることにしました。
自分を愛してみることにしました。
だって、本当は僕は自分のことが大好きだったんです。
大好きだったから、あんなに自分のことを責めていたんです。
もしも愛していなかったら、あんな風に自分のことを責めたりしない。
自分を責めるということは、それだけ自分に期待をしているということなんです。
みなさんもこの感覚わかると思います。
本当に嫌いな人と関わろうと思いますか?
本当に嫌いだったら無視するでしょ?
興味のないことには無関心でしょ?
関わろうとするということは、その対象に「関心がある」ということなんです。
それが「自分」であれ、「他人」であれ__。
僕の幸せはここから始まりました。
▼関連記事
まとめ
僕はその後、『不動産投資』というものと運命的な出会いを果たすことができました。
うちの奥さんという世界でもっとも尊敬する人と結婚することもできました。
子供たち二人はとても可愛いです。
スクスクと育ってくれています。
それほど金持ちというわけではないけれど、うちに家族には毎日、ささやかな一家団欒のひと時があります。
__これ以上の幸せはあるでしょうか?
僕は幸せになったのです。
いや、違うな。
僕は「自分」を幸せにしてあげたのです。
小説家の志賀直哉はこんな言葉を残しています。
自己嫌悪がないといふ事はその人が自己を熱愛する事のない証拠である。
自己に冷淡である証拠である。
▼関連記事