先日、BBCの生放送でビデオ取材をうけていたイギリス人教授の映像がソーシャルメディアで話題になった。
真面目に韓国情勢を語っていたスーツ姿の教授の背後で書斎のドアが開き、メガネをかけた幼い少女がおどけながら忍び寄り、さらにこのチャンスを狙っていたかのように、歩行器の赤ちゃんが勢い良く乱入する。
BBC interview with Robert Kelly interrupted by children live on air|BBC News
それだけでもおかしいのに、大慌てのお母さんが滑るように入り込み、子ども二人を引きずり出すシーンでは笑い転げてしまう。5回くらい繰り返して観たが、何度観ても涙が出るほど笑える。
こういうハプニングがソーシャルメディアで話題になるのは不思議でもなんでもないが、ツイッターで広まるうちに、意外な現象が生まれた。
まず、慌てて子どもを引き戻すアジア系の奥さんのことを「ベビーシッター」あるいは「お手伝いさん」だと思い込む人が現れた。そして次に、それを「差別だ」と批判する人たちが現れた。そして、ネット上の論争に発展したのである。
白人男性の子どもを世話しているのがアジア人女性だと、彼の妻(子どもたちの母)ではなく、彼に雇われたベビーシッター(日本では「乳母」という表現が目立った)さんか、お手伝いさんだと思い込む人がけっこういるようだ。「あれは、ベビーシッターだよ。怖そうにしているからわかる」といったツイートが目立った。
そんなツイートをした人に対して、「アジア女性を見たらベビーシッターと決めつけるのは、偏見であり、差別だ」というリプライをする人が出てきて、あちこちで言い争いになった。
先入観と差別の違いとは
じつは、私もケリー教授の奥さんと似たような経験をしている。
白人のアメリカ人と結婚した私は、娘が生後10ヶ月のときに夫の移動で日本から香港に移住した。住んだのは、欧米からの駐在員が多いランタオ島の「ディカバリーベイ」という場所だった(中国への返還前で、空港やディスニーもまだこの島にはなかった時代)。
ほとんどの香港の中流階級以上の家庭には「アマさん」と呼ばれるベビーシッター兼家事手伝い業の女性が住み込んでいて、多くはフィリピンからの出稼ぎだった。当時の私はテニスで日焼けしていたし、娘が同じ年頃の子どもと公園で遊んでいる間にフィリピン人のアマさんたちとよく雑談もした。そのためか、欧米人から「アマさん」と間違えられることもしばしばだった。公園でよく挨拶を交わす専業主夫らしき若いお父さん(白人)から、香港を離れる直前になって「ずっとアマさんだと思っていた。お母さんだったんだね」と驚き混じりの告白をされたことがある。
しかし、こういったことを「白人によるアジア系への差別」と決めつけるのは早い。アジア人女性のステレオタイプによる先入観を抱くのは白人だけではない。
先のBBCのビデオを私がツイートした当初、「おもしろいけれど、『お母さん』じゃなくて、『シッターさん』だと思う」という日本人からのリプライをけっこう受け取った。
こういう「偏見」というか「先入観」は、上記のように私も体験している。だからといって、「差別だ!」と過剰反応している人たちにも共感は覚えない。
なぜかというと、「先入観」と「差別」の根っこは共通しているが、必ずしも同じものではないからだ。
香港、イギリス、アメリカで受けたさまざまな人種差別
「先入観」と「差別」を分けるものはなにか。
たとえば、香港ではよくアマさんと間違えられたが、それにまつわる嫌な体験はないし、怖い思いをしたこともない。少なくとも私が住んでいる場所では、わが子の面倒を見るアマさんたちを欧米人は大切にしていた。それゆえ、「先入観」の対象になっても、「差別的な扱い」はされなかったのだと思う。
それとは対称的に、 1980年代から90年代にかけて私がイギリスで体験した「アジア系への偏見(先入観)」には、嫌なものが多かった。
田舎道を歩いているときに棒を振りかざした老女から「イエローは出て行け」と怒鳴りつけられたこと、ロンドンから北に向かう汽車の中で日本人の女友だちとおしゃべりしていているときに、酔っぱらいの若い男から「ここはイギリスだ。英語で話せ!」と脅されたこと、夜道で3人連れの男に「チンク(中国人への蔑称)」と呼ばれて絡まれたことなど、身の危険を何度も体験した。
20年前から住んでいるアメリカでも、たまに嫌な思いをする。15年ほど前だが、処方薬を受け取りに行ったチェーン店の薬局で、(馴染みがない)私のYukariという名前を、ほかの移民らしき男性客の姓と間違えた白人男性の薬剤師から、それこそゴミのように扱われたことがある。
「あんたの夫は医療保険を持ってない」とその薬剤師は決めつけて、他人の薬に何百ドルも請求した。
私が何度も「それは私の名前ではないから、私の薬ではない。それに、私は医療保険を持っている。保険カードを持っているから調べてくれ」と言っても、「保険に入ってないことはわかっている。コンピュータで調べたから、カードを見る必要はない」と私が差し出すカードを受け取らない。
そして、「ほかに何人も待っている人がいるから、薬代が払えないなら医者に相談しろ」と邪魔者扱いしたのだ。
それまで典型的な「おとなしいアジア女性」として対応してきた私だが、ついに爆発した。
店の隅々までいき渡る大声で「さっきから、それは私の名前ではないと言っているでしょう! 名前を確認しないあなたの行動は薬剤師として失格ですし、そもそも決めつけるのは人種差別ですよ!」と叫んだのだ。
まわりにいた人たちがいっせいにこちらを見て、初めてこの薬剤師は処方薬の名前と私の名前を見比べ、自分が間違った薬を渡そうとしていたことに気付いた。
それでも彼は、謝るどころか、「昼のこの時間帯は忙しいんだ」と言って薬局の奥に姿を消した。そして、彼の代わりにアシスタントの白人女性が対応したのだが、彼女も「この時間は忙しいから」と言い訳するだけ。決して、自分たちの先入観による差別的な行動を認めようとはしなかった。
自分の先入観を自覚することが大切
ある特定のグループについての「ステレオタイプ」はあるし、それに基づいた先入観や偏見は、ほとんどの人が持っている。気を許した仲間うちでは、誰だって「日本人って、●●だよね〜」とか、「ラテン系はこうだよね」という会話を交わすものだ。
私は、それらのすべてが悪いことだとは思わない。そういったステレオタイプを笑いのネタにするコメディアンもたくさんいる。
件のBBCの映像と「お母さん」というツイートを見て、「お手伝いさんなんじゃないのかなあ?」という疑問を持つのは構わないと私は思うのだ。そういうケースは多いだろうから。「ベビーシッター」と決めつけた人が「差別」をしているとも思わない。その人は、これまであまりそういったことを考えずにきただけなのだ。悪意はない。
私は「偏見をなくして、清い心を持て」と説くのは偽善だし、無意味だと思っている。先入観や偏見を減らすためには、その対象になる人と直接仲良くなるのが一番だ。そうすれば、みな自分と同じ「人間」だとわかるようになる。そして、どのグループにも「いいやつ」と「嫌なやつ」がいることも。
だが、それでも偏見をゼロにすることは不可能だ。それを自覚したうえで、偏見を「差別」として行動に移さないようにすることのほうが重要なのだ。
では、誰ものなかに潜む「先入観」を「差別」として行動に移さないようにするにはどうすればいいのか?
それは、「自分に偏見があるのを自覚する」ことだと思う。
BBCのビデオを観て「ベビーシッターさんじゃないかな?」と思っても、自覚がある人は「そうにちがいない」とは決めつけない。そして、「お母さん」と書いた相手に間違いを教えてあげる前に、「でも、お母さんの場合もあるし、まずは確認しよう」と踏みとどまる。
そこが、「自覚がある人」と「ない人」の違いなのだ(ちなみに、私はネットでケリー教授の奥さんだということを確認してからツイートした)。
また、自覚がない人は、差別的な行動をしているのに「自分は差別などはしない」とうそぶく。その点、自覚がある人は、「自分の差別心を行動に出さないようにしよう」と心がける。
その心がけがあれば、アジア人や移民に対して心の底でどう思っていようが、先の薬剤師のような態度は取らない。すべての客を同等に扱うはずだ。
冒頭に話を戻したい。
白人男性の子どもを世話するアジア系の女性が、ベビーシッターに違いないと思った人たちの自覚なき「先入観」は、イコール「差別」なのかどうかという点だ。
香港で私を「アマさん」と間違えた若いお父さんにはたしかに「先入観」があった。けれども、その先入観によって私への対応を変えることはなかった。ふつうにフレンドリーにしてくれていたので、告白されるまでは「アマさん」だと思われていることを知らなかった。
この「先入観」と、アメリカやイギリスで受けた「差別」との間には大きな距離がある。
BBCの映像から発生したテーマでそれぞれに考えてもらいたいのは、この距離だ。