それがたとい誰であろうとも、人気アーティスト19年ぶりの新曲! と聞けば、一体どういった音になっているのか。ちょっと聴いてみたくもなる。しかも、それが小沢健二だというのだよ。気にならない訳がない。
音をチェックしようと検索を始めると、何故かネット上には、この曲のいわゆるフリーで楽しめる音源が只の一つも見つからなかった。
ここのところしばらく、この連載で取り上げてきた楽曲には、そういった事態というか不便? はまずなかった。どの曲(ジャニーズでさえも)も、なんらか工夫なり妥協なりをすればまぁ無料で楽しむことは出来たのである。ついになんでもタダで聴ける時代に突入してしまったかと、俺はそう信じていた。しかしそれは間違っていたようだ。
俺は高を括っていた(笑)。業界を舐めていたといってもいい。この世にはまだまだ、金をちゃんと払わないことには聴くことのできぬ音楽だって、きっと沢山立派に存在しているのだろう。謙虚にそんなこんな実感の今日この頃ではありますが、とにかく久々、今週はCDでのjpop鑑賞である。
すると音がやたら心地よい。ひょっとしてCDだからってことなのか? いやいや、この楽曲のそもそもの音がよいのか。そのあたりの考察は紙幅の関係もあるのでまた後日ということで。さて。
この曲を聴き、今の小沢健二に思うことがあった。
今回とあのかつての大ブームだった頃を比べると、例えば旋律と和声の関係ひとつとってみても、新曲ではさりげなく新機軸も披露していて、つくりも決して甘口なものではない。歌詞内容を含め、晦渋の度合いは増したといっていいとも思うのだが、そうした意味合いにおいて、曲の聴こえ方といおうか、第一印象でのストレートな刺激、リスナーを理屈抜きでたちどころに興奮へと誘うロックなパワーなど、構造のもっとシンプルだった若き日より、音楽のフィジカルな魅力の増したことも、この曲からは逞しく伝わってくる。音が昔より若い。
その、今述べた官能性に大きく関わってくるのが生の弦楽器である。
今時、弦はシンセの打ち込みでもかなりなことが出来るのだが、やはり人間が演奏をしないことには不可能な領域はある。このスリリングなアレンジを聴くと、つくづくそう思えてくる。いや、実際、最近のjpopでこの曲を超える弦はちょっと見あたらぬ。
小沢健二の編曲もすごいことになってきたと思いクレジットを見たところ、さすがに弦アレンジは専門家だったけれど、だとしてもだ。では――たとえば口三味ですかね?――どう発注すればこのような譜面になるのか?
何度か曲を聴き直したが、そこの部分はまだ私のアタマのなかでブラックボックスのままなのである。
米津玄師。
昂揚感など、体で感じるものがいささか少なめな気が。
今週の起業プラン「オレ風呂場でヒゲを安全カミソリで剃っていて閃いちゃったんだけど、ヒゲ剃りと鏡って必須セットになっていて、意外と面倒だよね。“鏡が無くても剃れる!”って電気カミソリとか出たら、これ売れるよね」と近田春夫氏。「自動運転の車とかのメーカーとコラボして、ヒゲ面を路面に見立てたセンサーを開発すれば、いけそうじゃん?」